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第29話

 ◇ ◇ ◇


 人生において、本当の答えなんて誰も教えてくれやしない。

 自分でそれらしいものを見つけるしかないのだ。

 おじさんは、よく知っている。


「……じゃあ、何が正しいの」


 人を傷つけて、傷つけられて。それで得られたものに価値はあるのか。

 もう、よくわからない。


 おじさんはいつだって、壊れたものを眺めてきた側だった。

 せめて自分だけは壊す側に回るまいと。

 奮闘してきた結果が、これならば。

 結局、何が正しい行為だったのだろう。


 最初から間違っていたのだろうか?

 すべてが間違いだったのだろうか?

 些細な欲を出したのすら間違いだったのだろうか?


 何も、何もわからない。

 自分に正直になるというのは、どういうことなのだろうか?

 誰の心すら、わからないというのに。


「――ねぇ、大丈夫?」

「……アルカナ様?」

「気分が悪いなら早く言いなさい。あのクソボケ王子のせいであなたが倒れたらたまったものじゃないわ」


 ああ、そうだった。

 今は中央からの人たちの歓迎会の最中だったんだ。

 城の中の、大広間で繰り広げられる宴会は、前夜祭というにはあまりにも豪華で。

 それこそ、輝かしい全てが詰まっていそうなのに。


「私なら、大丈夫ですから」

「本当に? 私は、あなたの言うことを信じるわよ。嘘なんか言わないって」


 じっと、こちらを強く見つめてくるアルカナ様。

 真っすぐな視線。何一つとして、曇りのない輝かしい瞳。

 これが正しいということなのだろうか。

 だとすれば、今のおじさんはどれだけ濁った眼をしていることだろう。


「――大丈夫ですから。本当に」


 これは、強がりじゃない。

 だって、この宴にアルカナ様は必要不可欠で、おじさんはどうでもいい存在だ。

 この宴の主役は三人いる。

 アルカナ様と、王子殿下と、ダイナ君だ。

 この三人のうち、誰か一人でも欠けたら成り立たない。


 そんな重要人物が、木っ端のおじさんで手間取られるなんてあってはならない。

 だから、大丈夫なのだ。大丈夫でなければならないのだ。


「……っ。 わかっ、たわ。今は、あなたを信じるから」

「はい。心配なさらないでください」


 ほら、誰かがアルカナ様を呼ぶ声がする。


 こうして俯瞰して見ると、世界は浮彫だ。この宴は、世界の縮図に見える。

 主役たちと、わき役たち。舞台の中心に立つ人物と、そうでない人物。

 おじさんは添え物側だ。

 ダイナ君がいなければ、村から出ることもなかった。ただ子供を産み、それだけで終わっていた何でもない人。


 何か特別になりたいと、ワクワクを追い求めて出てきても。

 所詮は、ただの村娘なのだと思い知らされる。

 前世から変わらない。ただの凡人なのだと。


 口に付けたジュースはとても甘い。けれど、苦い味がした。


 ――ドレスを選んでもらったときの、メイドさんたちの顔が忘れられない。

 おじさんの肩に残る傷を見た時の、あの痛ましいものを見る顔を。

 使用人側じゃなくて、ドレスを着て参加者側でいる理由もよくわからない。

 ただ、アルカナ様がそう指示されたとルピガナさんがおっしゃっていた。


「……風に当たってこようかな」


 ちらりと見ると、ちょうど王子殿下とアルカナ様、ダイナ君が三人集まって話しているところだった。

 周りには三人に取り入ろうとしている貴族が一つの塊を形成している。

 そこに入り込む余地は、ないだろう。


 もう、この場所におじさんがいる理由はない。

 城の中の構造はすっかり覚えた。

 夜風に当たりたくて、足は自然と庭園へと向かっていく。


「涼しい……」


 そんな歩くこともなく、庭園にたどり着いた。

 人気もなく、とても静かだ。

 中の喧騒から、切り離されている。

 少しだけ、心の中のざわざわも、落ち着いた気がする。


「何かに、なりたかったのかな」


 アルカナ様に誘われて村を出た時は、ワクワクに身を投じられた。

 自分の未来を掴みたいと真剣に思えた。

 でも、ダイナ君の事を知ってしまうと、それでいいのかわからなくなる。


 聞けば、十年前の事件をきっかけに、ダイナ君はあそこまで強くなったというじゃないか。

 それだけ聞けばよく聞こえるかもしれない。

 でも、自傷行為と形容されるぐらい、酷い日々を送っていた結果がそれなのだ。

 おじさんの、影響で。


 ダイナ君の十年間を壊したのはおじさんだ。

 ダイナ君を執着させたのはおじさんだ。

 ダイナ君の未来を固めたのはおじさんだ。

 全部、全部、おじさんのせいなのだ。


「ははっ、なんだ、もう壊してたんだ」


 間違いがあるとすれば、最初にダイナ君に近づいたことだろうか。

 せめて結婚相手は仲が良い人が良いと、欲張ったことが間違いだったのだろう。

 そこから一つ一つ歯車が崩れて。

 今に至る。


 苦しい。とても、苦しい。

 大切な何かを壊したくないと思いながら、とっくの昔に壊していた。

 気が付かなかっただけで。もうボロボロに。


 首飾りにつけた形見の指輪を服の内側から取り出して、両手でぎゅっと握り閉める。

 不思議と、この指輪だけは温かい気がした。


「おっと、そこのお嬢さん、どうされましたか?」

「っ!?」


 後ろから、誰かに話しかけられた。

 知らない声だ。

 振り返ると、見知らぬ小太りな男性がそこには立っていた。


「ご安心ください。私はヒンリ・ハルグート子爵と申します」


 ハルグート子爵。

 以前ダイナ君に接触した、第二王子派閥の人間だ。

 アルカナ様からは、あまり好ましい人物でないから不用意に接触しないように言われていた。


 タイミング的に、ひょっとしたら会場を出た時からつけられてたのかもしれない。

 気が付かなかった。

 考え事に夢中すぎて。


「お嬢さんが一人で会場を離れるのを見て、これは心配とついてきたのです」


 やっぱり。つけられていたんだ。

 子爵の顔は夜闇の中でも分かるぐらいに赤く染まっている。相当に酔っている様子だ。

 でも、なんでおじさんに?


 そうか、今のおじさんはアルカナ様が用意したドレスに身を包んでる。

 パッと見た限りだと、貴族と判別がつかなかったのかもしれない。


「あ、ありがとうございます。ですが、少しばかり外の風を吸いたかっただけですので……」


 そう言って、隣を通り過ぎて会場に戻ろうとする。

 瞬間、腕を掴まれる。


「い……っ!」


 力が強い。ぐねりと手首が間違った方向へ曲がりかけた。


「まあ、そう言いなさるな。アルカナ様所縁のご息女なのでしょう?」

「ち、違います」

「では、どうしてあの方が直々にお声がけを?」


 アルカナ様と会話してたところを見られてた。

 まずい。まずい。まずい。

 必死に腕を引きはがそうとしても、力じゃ到底かなわない。

 意識したことはなかったけれど、あまりにも力の差がありすぎる。


「ち、ちがっ。おじさんは平民で」

「へいみんだぁ? ならこの指輪は何だっていうんだぁ? 盗んだのかぁ?」


 おじさんの腕を掴むのとは逆の腕で、今度はお母さんの指輪を掴んできた。


 怖い、怖い、怖い!

 身長差がある、体重差がある、力の差がこれだけある。酔っぱらっていて何をするかわからない!

 それらが、こんなに怖いことだなんて知らなかった!


「いや、やめてください!」

「盗んだんだろぉ? 正直に言えぇ!」


 強い力で引っ張られて、思わず体も近づけられる。

 近づくことで嫌悪感が増す。

 動けない。どうしよう。どうしたら――。


「この売女ぁめぇえええええええ――」


 怒鳴られた拍子に、恐ろしさのあまりぎゅっと目を瞑ってしまう。

 ――だから、次の瞬間に強烈な手首の締め付けがなくなったことに、驚いた。


「――クズが」


 ゆっくりと、恐る恐る開いた目の前には、ダイナ君の背中があった。


「ダイナ、君?」

「無事か? カメリア」


 ダイナ君が、助けてくれたの……?

 どうして、ここに。いや、子爵は?


 視線を動かして周囲を探すと、ダイナ君を挟んだ向こう側に子爵が倒れてるのが見えた。

 気を失っているのか、動く気配はない。

 こ、殺してはないよね?


 怖くなって、確かめようとした。

 おじさんの手を、今度はダイナ君が掴んだ。


「大丈夫だ。殺してはいない」

「で、でも」

「カメリア!」


 いきなりの大声に、先ほどの恐怖が再び湧き上がる。

 びくりと体を震わせたおじさんを見て、ダイナ君が申し訳なさそうにしてから、手を離してくれた。


「すまない、驚かせた」

「……ううん。こっちこそごめん」


 少しだけ、気まずくなる。

 気まずすぎて、上手くダイナ君の顔を見れない。

 ダイナ君を見て、言いたいことは色々あった。

 どうしてここに? 助けてくれてありがとう。会場はどうしたの?

 アルカナ様たちは? もう宴は終わったの?


 確認しなければならないことは山のようにあるのに、上手く言葉が出てくれない。

 なんだか、いけない悪戯をして親に怒られる前の子供になった気分だ。


 誤魔化すように、笑顔を作って。

 もう大丈夫だから、と終わらせよう。


 そう決めて、笑顔を作ろうとした瞬間だった。


「なあ、カメリア」


 おじさんの考えを丸ごと見透かしたようなタイミングで放たれたダイナ君の声のトーンはとても優しくて。

 どこか泣きそうで。

 実際に、顔を上げてみると、そこには普段では考えられないぐらい悲しそうな表情をした彼がいた。


「どうして、お前は自分自身を大切にしてくれないんだ?」


 心の底から、そう思っていると言わんばかりに。

 泣きそうなおじさんよりも、泣きそうな声だった。

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