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第30話

「――やだなぁ。何のことを言ってるの?」


 我ながら、空っぽな言葉だな、と思ってしまった。


「……カメリア。十年前の事を、覚えているか」


 十年前。何の事を言っているのかは、すぐにわかった。

 ダイナ君とおじさんの二人にとって、十年前という単語が指し示す意味は一つしかない。


「うん。覚えてるよ」


 あくまで、笑顔を作ったままで。

 気にしてないよとアピールをする。

 ――そんな態度が、ダイナ君は気に入らなかったみたい。


「なぜ、お前は俺を責めない!」


 彼は、とても苦しそうだ。


「俺のせいで、お前は右肩に傷が残った。なぜ、あの時に俺を庇ったんだ!」


 もはや慟哭にもにたその叫びは、きっと十年間抱え続けてきた葛藤だったに違いない。


「……私よりも、ダイナ君の未来の方が大事だったからだよ」

「俺は……お前の方が大事だった」


 ああ、そういうすれ違いが。


 ダイナ君は何かを決心したようにこちらを向く。

 その腕は、何かしらの強い思いからか、震えていた。


「……俺は、お前に拒絶されるのが怖かった。お前に合わせる顔がないと、何も言わずに出て行ってしまった。期限だなんて、ただの言い訳だ」

「そう、だったんだ。でも、私は気にして――」

「それが問題なんだ!」


 叫ぶ。あの、ダイナ君が。

 その表情はどこまでも悔しそうで。苦しそうで。

 これから罪を裁かれる、罪人のように。


「どうして恨み言を言ってくれない。責められないのがこれほど苦しいならば、俺は拒絶された方がマシだった」


 恨み言。ないわけじゃない。

 でも、それを言って何になるというのか。

 誰も幸せにならない。言った方も気分が悪くなるし、言われた方もきっと気分が悪くなる。

 だから全ての不平不満を飲み込むのだ。その方が、丸く収まるのだから。


「お前の十年間は間違いだらけで、お前の判断は全て間違いで、お前の努力は見当違いだったと。お前に言われれば、いっそ、全てを投げ捨てられる」

「そんなこと――っ!」

「だが、お前はそうはしてくれないのだろう」


 諦めが多分に含まれた言葉だった。

 ダイナ君は大きく深呼吸をする。

 ゆっくりと呼吸を吐き終えた次の瞬間には、強い決意を湛えた、鋭い眼光が目に宿っていた。


「カメリア」

「……なぁに、ダイナ君」

「話をしよう。俺の、俺たちの、話を」


 これまで避けてきた話を、と。


「避けてなんか――」

「いいや。避けていた。少なくとも、俺はそうだ。お前も、そうなんじゃないか」


 咄嗟に言葉が出てこなかった。

 無自覚ながら、図星だと理解してしまったから。

 この間ダイナ君と軽口を言った時もそうだ。


「これから話すことは、俺の我儘だ。いや、先ほどまでの言葉もそうだ」 


 ――だから、カメリア。どうか、お前にも我儘を言ってほしい。

 と、ダイナ君は言う。

 真剣な面持ちで。冗談の欠片もそこにはない。介在する余地などない。


 我儘を。

 アルカナ様にも、あの日言ったような我儘を。ダイナ君に?

 胸の奥が、ずくんと痛んだ。


「カメリア。聞いてくれ」

「――嫌だ」

「頼む。聞いてくれ」

「やだ、やだ、やだ!」


 聞けば本当に全部壊れる気がしてしまうから。

 何を言おうとしているのかわかっているから。

 だから、耳をふさごうとして――その手を、ダイナ君に掴まれた。


 さっき子爵に掴まれたときよりも、遥かに優しくて。

 少しだけ、安心感をくれる温かみがある手だった。

 そのごつごつとした感触が、印象に残る手だった。


「俺は、お前を傷つけた罪滅ぼしがしたくて、強くなった」

「――そんなの、罪滅ぼしにならないよ」

「ああ。だが、俺が強くなり、お前を全ての災いから守れるようになる。それが、あの日お前を傷つけた罪滅ぼしなんじゃないかと思ったんだ」


 本当に我儘だ。勝手な理論だ。

 おじさんはそんなこと望んでいない。

 ただ健やかに。健康に、元気でいてくれれば良かったのに。

 それでいて――二度と姿を見せないでくれれば、忘れられたのに。


「村に帰って、お前の苦労を知った。結婚相手の話など、俺は想像もしていなかった。お前の苦労など、想像しようともしていなかった」


 違う。違う。

 苦労したことなんてどうでもいい。

 結果的に上手くいかなかったことだけが問題なだけで。

 最終的に丸く収まったから、それで笑えると思ったのに。


「俺は拒絶されると思っていた。今は拒絶されるべきだと思っている。だが、お前はそうしない。なぜだ。教えてほしい」


 あまりにも率直で、他に言葉を知らないから出てくる愚直な言葉は。

 けれども、おじさんの心の奥底に封じ込めていたそれらを直接叩いてくる。


「だって」

「だって。どうしてなんだ」

「……だって」


 ああ、駄目だ。先ほどの恐怖と、救われた安心感と。

 今、目の前のダイナ君の吐露で感情がぐちゃぐちゃになっている。

 なら、いっそのこと。

 もう、全部感情に身を任せてしまおうか。


「ダイナ君は、おじさんと違って輝かしい未来がある子だから」


 ダイナ君の瞳が、大きく見開かれた。

 気がつけば、おじさんの目からは大粒の涙がこぼれ落ちている。

 自覚したのは、頬を伝った涙が、ぽつりと地面に落ちてからだった。


 これは、この感情は。

 醜い、嫉妬の感情だ。

 泥のように汚い、押し殺してきた感情だ。


「おじさんはね、ただの凡人なんだ。主役にもなれず、特別にもなれない。だから、せめて求められた役割だけはこなして、誰にも迷惑をかけたくないって、思って」


 本当はもっと活躍したかった。

 本当は英雄みたいになってみたかった。

 本当は魔法使いになって色々な人を助けたかった。

 本当は探検家のように未知の場所を切り開いてみたかった。


 前世も含んだ望みが、様々な形であふれ出してくる。

 でも、それは叶わないんだ。自力ではどうしようもないんだ。

 だって、おじさんは凡人だから。


 涙が止まらないおじさんを前にしても、ダイナ君は静かに、ゆっくりと話しかけてくれる。


「お前は、いつも俺を助けてくれていた。それは、求められていたからか?」


 違う。それは違う。

 誰かに求められたから、ダイナ君に近づいたわけじゃない。


「いつか、おじさんは村を継いで結婚しなきゃだから。せめて、親しい人と結婚したいなって」


 そう。それがきっかけで、ダイナ君に話しかけるようになったんだ。

 おじさんはダイナ君が思うような綺麗な人じゃない。

 打算と自己都合で動く、汚い人なんだ。


 それが分かったのに。

 どうして、ダイナ君はそんなに安心したように笑えるの?


「……それが聞けて、良かった」

「どうして?」

「お前にも、望みはきちんとあるんだな」


 ダイナ君は、すっかり力の抜けたおじさんの手をそっと掴んで。

 その場に、跪いた。

 ちょうど、おじさんを見上げるように。


「カメリア。俺と一緒にいる時間は、苦痛だったか?」

「ううん。楽しかったよ」

「カメリア。俺を庇ったことを後悔したことはあるか?」

「ううん。一度だってないよ」

「カメリア。俺が再び姿を現して、憎たらしかったか?」

「……うん。やっぱり特別だったんだって、嫉妬した」


 何度も何度も。

 一つ一つ丁寧に。

 おじさんたちのすれ違った十年間を縫い合わせるように。

 言葉を、交わしていく。


 ぽつりぽつりと。

 おじさんの目から零れ落ちる涙のように。

 胸の奥から言葉が静かに溢れ出していく。


「カメリア」

「うん」


 そして、きっとこれが最後になるんだろうと。

 確信が持てる、間があった。


「俺は、これまでの人生を強く後悔している。お前は――後悔しているか?」


 ああすればよかった。こうすればよかった。

 そういう積み重ねは幾らでもある。

 でも、もしも過去に戻れたとして、おじさんはどういう選択をするんだろう。


 ああ、でも。

 全ての始まりが、ダイナ君と仲良くなったことならば。

 それが、歯車が狂った瞬間ならば――。


「ううん。後悔してないよ」


 この言葉だけは、確信をもって言い切れる。

 お父さんの子供として生まれて、お父さんの子供として育って。

 ダイナ君と仲良くなって、彼を庇いながら崖から落ちて。結婚に苦労して。

 村を出て、色々な場所を見れる可能性を得た。


 これまでの選択に後悔なんて、ない。

 些細な選択の数々に未練はあれど。

 全体を通して崩れてしまうというのなら、もう一度同じ選択をするだろう。


「ならば、どうか聞いてほしい」

「――うん、聞くよ」


 これまでの選択が間違いでないと思えるのなら。

 きっと、今こうしているのにも意味があるのかもしれない。

 正しいかどうかなんてちっともわからないけれど。

 今は、正しさなんかどうでもよく感じた。


「俺は、お前のためだけに強くなり、お前のために剣を捧げたい」

「――うん。気が付いてた」


 ダイナ君のその思いは、途中で気が付いていた。

 やっぱりか、と照れ臭そうに笑う姿は、六歳の頃の彼を思い出させた。 


「カメリア。これは一番自分勝手な言葉だ。だから、どうか自分勝手に返してほしい」

「うん。わかってる」


 本当に、わかっている。

 ずっと見て見ぬふりをしていた。

 なんて悪い大人なんだろうね、おじさんは。


「好きだ。愛している」


 当然、何て言われるのかわかっていたのだから。

 どう返すかも、決めている。


 涙を拭いて、少しでもはっきりとダイナ君の目を見て。

 おじさんは、答える。


「――ごめんなさい。今は、その気持ちには応えられない」


 恋愛感情がわからないから。

 ダイナ君を大事に思っているけれど。

 ダイナ君と同じぐらい好きとは思えないから。

 だから、今はその気持ちには答えられない。


 断りの言葉を入れたのに、ダイナ君の表情はどこか清々しくて。

 むしろ、受け入れられなかったことを喜んでいそうな節すらあった。


「答えてくれて感謝する。今日になってやっと、お前の言葉を聞けた気がした」

「ごめんね」

「どうして謝る? むしろ、清々しいぐらいだ」


 清々しい?

 どうしてだろう。


「新しい今後の目標ができた」

「と、言うと?」


 確かに。ダイナ君は夢を叶えたわけだもんね。

 その次の目標を見失ってたのかな。


「『今は』と言っただろう? ならばいつか、お前に振り向いてもらえるよう、後悔ではなく改善する日々を送るよ。……少しずつな」


 思わず、噴き出して笑ってしまった。

 そのぐらい、ダイナ君の言ってることと、表情が不釣り合いだったから。


 ダイナ君。

 それは、そんな決意に満ちた表情で宣言することじゃないよ。

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