差し出された首
『拝啓 権天使カース・ディ・トラッド様。
貴方様のご提案、謹んでお受けいたします。
愚かな我が夫ジュリアスは、見えない恐怖に怯え、今や部屋に引きこもって酒を煽るだけの無能な抜け殻に過ぎません。
トラッドの未来を、このような狂人に委ねるわけにはまいりません。
貴方様の私兵が辺境伯邸へ侵入し、ジュリアスを確実に捕縛できるよう、この私が手引きをいたしましょう。
北側の勝手口の見張りを、あらかじめ私の息のかかった者にすり替えておきます。
代わりに、どうか神に誓って、私と間もなく生まれる息子の身の安全、そして我が実家であるデキムス子爵家の存続を、お約束ください――』
手紙を読み終えた僕は、ふっと低く、喉の奥から愉悦に満ちた息を漏らした。
冷え切った部屋に、カサリと紙の擦れる音が虚しく響く。
『……見事なまでのスピード離婚、いえ、スピード売国ね』
脳内で『私』が、感心とも呆れともつかない溜息混じりの声を上げた。
『ブルネッタ夫人、恐ろしいほど聡明で現実的な女だわ。夫の命と引き換えに、自分と子供、そして実家の未来を確実に買い取ったのよ。これぞ、貴族の生存戦略ね』
((ああ、最高だ。これ以上の喜劇はないよ、ジュリアス……))
僕は手紙を机に放り出し、背もたれに深く体重を預けた。
視線の先、暗闇の向こうにあるトラッド辺境伯邸を見据えるように、歪んだ笑みを浮かべる。
((お前がトラッドの血脈を残すために愛し、すべてを注ぎ込んだはずの妻が、僕の手紙たった一枚で、お前の首をあっさりと僕に差し出してきたよ。ははっ、本当に、なんて滑稽なんだ……!))
かつて実の家族から『去勢された化け物』と切り捨てられた僕が、今度はその家族の絆を、ただの紙切れ一枚で内側から完璧に切り裂いてみせたのだ。
最愛の妻が用意した北側の勝手口――そこから滑り込むのは、神の救いではなく、彼を永劫の地獄へと引きずり下ろす僕の猟犬たちだ。
「待っていてくれ、ジュリアス。お前が信じた世界のすべてが崩壊する、極上の瞬間をプレゼントしてあげるからね……」
僕は立ち上がり、冷徹な声音で、待機していた私兵たちへ向けて静かに捕縛の号令を下すのだった。
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