奈落への一歩
ユリウス6世は、毎晩のように僕をその私室へと呼び出した。
彼は当初、天使を完全に独占するため、自分の私室のすぐ近くに豪華な部屋を用意し、僕をそこに住まわせようとしていた。
だが、あまりに近くに居座れば、アイシャやミハイルへの言い訳が立たなくなるし、何より教皇庁の監視の目に完全に囚われてしまう。
それだけは、と丁重にお断りした結果、今の僕は毎夜、教皇の元を訪ねる『通い妻』のような歪んだ生活を送る羽目になっていた。
夜の教皇庁の、薄暗い廊下を音もなく進んでいく。
僕は歩を進めながらも、油断なく壁や床、飾り棚の隙間に鋭い目を走らせていた。
((ただ抱かれるだけで終わるつもりはない……。教皇や教会の弱みを握るための、不正の証拠や秘密の書類がどこかに転がっていないものか……))
しかし、残念ながら教皇庁は、物理的にも政治的にも『清掃』が行き届いていた。
表に出るような目立つボロは、そう簡単には見つからない。
結局、目ぼしい収穫がないまま、今晩も教皇の私室の前へと辿り着いてしまう。
だが――僕は微かに唇の端を吊り上げた。
((――いや、ここからが一番の刈り入れ時か。男が最も油断し、秘密を漏らすのは、欲を満たした直後のベッドの上なのだからな……))
トントン、と小さく扉をノックし、静かに中へと入る。
扉の向こうには、豪奢な天蓋付きのベッドが鎮座し、秘められた背徳の御香が妖しく漂う、薄暗い教皇の私室が広がっていた。
「さあ、おいで。カース、私の可愛い天使……。今夜もその美しい声で、私を悦ばせておくれ」
ユリウス6世はすでに法衣の胸元を緩め、貪欲な捕食者の笑みを浮かべて、ベッドの上で僕を待ち受けていた。
僕はもはや、振り返ることも、躊躇うこともない。
脳内の『私』を意識の底へ深く沈めたまま、美しくも冷たい人形の仮面を被って、静かにその部屋へと足を踏み入れた。
「猊下の、仰せのままに……」
パタン、と重厚な木製の扉が閉まり、内側から鍵の閉まる冷たい金属音が響く。
かつて、その美しい歌声で、世界を優しく救おうとした神の御子たる『権天使』。
彼は、凄惨な復讐という名の怪物を飼い慣らすため、聖座の頂点――その最も深い愛欲の闇の中へと、自ら進んで堕ちていくのだった。
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