31,ミスターロンリー
「あのガキ,ナメやがって、ぶっ殺してやりてえよ」
「気に入られてるからっていい気になりやがって」
「ぜってい潰してやるよ」
「ガキにやられたなんて、恥ずかしくて言えねえよ」
「強いっていったって小僧だろ」
「頭使えよ、あんなガキども潰すの簡単だよ」
「殺してやる」
「潰してやる」
「コロス」
「コロス、コロス、コロス、コロス」
爆音と言える程の単車の排気音が重く低く響く。音が近くなってきた。ババンと小気味よく吹けると店の前に現れて、もう一度ブオンと吹かした音が響いて、エンジンが止まった。
紫メタリックのタンクが入口の照明に照らされて光る。XJのエンジンから湯気が登って夜の闇に溶けていくのが見えた。
扉が開いてカランとベルが鳴る。
パンチパーマの厳つい男が立ち上がると「お疲れ様です」と頭を下げ、「チャーッス」「橘さん、お疲れっス」と、小さな喫茶店の店内に野太い挨拶が飛ぶ。
「おう」と軽く返して、奥のソファー席に、使い込まれてあちこち 擦れて鈍く光る革ジャンを脱ぎ捨てて、ドカリと深く座り込む。その席にサッと近寄る。
「なんだよ、亘高きてたのかよ、もしかして待った」
リーゼントパーマを揺らして、柔らかい笑顔をみせて笑う。鼻筋の通った顔と、左眉の傷がアンバランスだ。
「中坊が夜遊びかよ、まあ座れば」
室戸が大きな身体曲げ、小さく頭を下げて向いの席に座った。
店のBGMにオールディーズが流れている。誰の何て曲だか分からないけど、独特な音質で英語の歌が聞こえる、軽快なリズムはロカビリーというよりポップスだ。
「亘高、また背が伸びたんじゃねー、何センチよ」
「185センチッス」と、無表情で答える。
「橘さん、今日はそういう話しに来た訳じゃないんですよ」
室戸が静かに告げると、橘恭一が乗り出して、テーブルに頬杖をつく。
「真面目な顔してどうしたよ亘高。らしくないじゃん」
「失礼します」かけ声のように声を上げて、厳つい顔で飲み物を運んで来た。テーブルにカップを置くと深くローストしたコーヒーのスモーキーな香りが漂う。
コーヒーを運んで来た男が、厳つい顔で微笑んで「室戸も何か飲むか」と訊いてくる。軽く手を上げ目礼で断わる。男は笑って頷くとカウンターに戻って行く。ブルゾンの背中には「赫耶王」の文字が揺れる。
この前ここに来た時、いや、呼び出されたのはカツアゲの事だった。「まさか、亘高じゃねーよな」そう言われて、その時初めて知ったのだった。
橘はコーヒーカップを引き寄せ、ミルクをほんの少し入れて、スプーンを静かに回す。コーヒー褐色にクリームが弧を描いて混ざっていくけれど、ミルクが少量すぎてそこまで色が変わらない。
以前に室戸が、「ミルク少な過ぎて、味変わらないんじゃないっすか?」と訊いた事があった。
「せっかくコーヒー飲むんだから、スプーンで、こう、回したいじゃん。渦巻いて混ざってくのって面白いだろ。飲み込まれて消えていく感じ。飲み込まれた方も爪痕残してる感じ」
三つも年上の橘が、室戸に子供みたいな笑顔をみせた。その笑顔が猟奇的にも思えて肌がピリついたのを思い出した。
「ただ、ミルクはあんまり好きじゃねーのよ」と、橘は更に笑った。
コーヒーにミルクが溶けて混ざっていくのを見つめる。元の褐色の上に、不意に乳白色が流れ込んでくる。上手く混ぜれば、何も無かった様な綺麗な色になる。けれど、前の褐色とは少し違う。無かった事には成らない。確かに流れ込んだ。問題は起きたんだ。
頬杖をついたままでコーヒーを一口飲んで、橘が訊いた。
「この前のカツアゲの事か?あれって、えーっと、ドーなったんだっけ?なあ、ミヤ」
違う席に座っていた宮本先輩が振り向いた。
「うちの学校の真面目な生徒にカツアゲかました奴だろ、弟がやられたつー奴もいたし。えーっと、だから、南中の小僧が詫びっつーか、来たじゃん。確か、大原とかって奴。室戸くらいデカいの」
「おー、アイツか、来た来た。亘高、知ってる奴?」
「名前くらいは知ってますけど」
大原と室戸は事ある毎に比べられたので、よく聞く名前だった。5月の連休の件の後で、宇田川が「いつかお前と大原はヤル事になる」とか、根拠の無い事言っていたし、後輩の間で、大原と春彦のバトルが凄かったと、結構な話題になっていたのを耳にしたので、春彦に訊いたところ「あの熊公は俺がぶっ飛ばす」と、そういうのには無頓着な春彦が、珍しく鼻息をあらくしていた。
その大原が詫びっていうのも考え憎かったけれど、もし本当ならなかなかの筋の通った男だと、いつの間にか、会ったことも無いのに親近感を覚えているのに気付いて少し笑えた。
「だから、その大原が言ってただろ、南中のモンは確かに中坊相手にカツアゲしてたけど、高校生には手出ししていない。とか言って」
宮本が椅子をこちら向きに変えて、橘に説明を続ける。
「大原ってのも嘘は言ってねーみたいだから、まだ犯人見付かってないんだって。でも、中坊相手だろうが、カツアゲする様な奴はシメとけっ、つーからシメといたけどよ」
「中坊シメたの?イジメじゃん」
橘がチャチャを入れる。
「お前が言ったんだよ、ヤレって、中坊相手に大勢ってのも何だし、仕方ねえから俺がやっといたんだよ。でも、まー根性あると思うよ。多分、アイツは、関係ないんだろうな。室戸の名前使ってんだから中坊共だろうけどな」
橘が椅子に凭れ掛けて座り直す。
「亘高は、心当たりがあって来たんだろ、自分の名前使われてるしねー、放って置けないわな」
室戸は、少し奥歯に力を入れた。そして話し出す。
「見付けましたよ、犯人」
橘が目つきを変えて室戸を見る。宮本が、他にも数人の視線が室戸に刺さった。
「ほう、で、誰よ」
橘がゆっくりと訊いた。
「赫耶王のメンバーでしたよ」
一瞬で店内の雰囲気が変わった。威圧感はあっても友好的だったし、何人も知った顔がいた。それが一変して敵意に変わる。
「なんだとテメー」「もう一ぺん言ってみろコラ」と、罵声が飛ぶ。
室戸は、心臓が高鳴り、アドレナリンが吹き出そうだったが、この面子に囲まれて凄まれると、流石の迫力だなと、悠長な事を考えたりしていた。
「おい室戸、どういう事だか説明しろ」
宮本先輩が冷静な口振りで言うが、目は怒っている。
「だから、先輩んトコの山倉ってのと、吉村ってのが、中坊の俺の名前使ってタカリかけてやがったって言ってるんですよ」
興奮を抑えて言ったつもりだったが、語尾が相当強くなった。
「何だとコラ、クソガキ」ガタガタとテーブルや椅子の動く音と共に怒鳴り声が飛んでくる。
「やっちまうぞコラ」
今にも飛び掛かってきそうだったが、室戸は、ソファーに深く座って黙っている橘から、目が逸らせなかった。逸らしたら殺られる。そう感じていた。
「おい、吉村と山倉どうしたよ」
宮本が、殺伐とした空気を遮った。
「今日は見てないです」
まだ張り詰めた空気は残っている。
「探して、連れて来いよバカ野郎」
宮本が怒鳴っているのを初めて見た。仲間の事を、ああいう言い方されたのが、よほど頭に来たのだろう。室戸は唾を飲み込む。
店のBGMが知ってる曲に変わっていた。エルビスのHound Dogが小気味の良いリズムで流れる。
「二人なら、中山台駅の裏の公園で倒れてなきゃ、病院じゃないですかね」
「おい、室戸テメー、手え出したのか」宮本がすかさず詰め寄る。
「カツアゲする様な奴はシメとけっ、でしたよね」
室戸と宮本が睨み合う。
「俺の名前使ってカツアゲするなんざ、何処のクズかと思った、まさか先輩のチームの奴だったとはな」
「テメー」宮本が胸倉を掴み掛かる。
「調子乗んな」振り抜いた右拳が、室戸の右頬に真面に入り、ふらついてテーブルがガタリと揺れる。
「おい、待てって」
宮本が続けて殴りかかる寸前で、ソファーに座って黙っていた橘が止めた。肩で息をする宮本が橘に向き直る。
「ミヤ」と、小さく頷く。
大きく舌打ちをして「わかったよ」と、拳を下した。室戸の口の端から少し血が流れた。
「亘高、なんで避けねーのよ、ウチの仲間に手出したケジメのつもりかよ」
周りがざわつく。橘がそう言うのを聞いて、宮本はハッとする。
「室戸、お前、わざと挑発するような事言ってたのか」
「ミヤ、冷静担当のお前が気付かないでどうすんのよ」宮本を揶揄う。少しだけ空気が軽くなる。
「亘高もちゃんと説明しろよ」橘が優しく窘める。
「すいません」室戸が頭を下げた。
「先輩らの丹波高校の生徒からカツアゲしたのは、南中じゃないってのは分かってたんで、探しました。うちの後輩に地味なの得意な奴いるんですよ、まあ当事者みたいなモンで、必ず探し出すって張り切ってって、時間掛かりましたけど見付けたんですよ」
「それが、吉村と山倉だってのかよ、信じられねーな」
宮本の怒りはまだ収まりきっていない。
「その二人って、早渕高の1年だっけ?」
「ああ、お前はよく知らねえだろうけど、カツアゲなんてする奴じゃねーよ、礼儀正しいし、それによ、スゲエお前に憧れてるしよ」宮本が興奮して主張する。
室戸は、以前から思っていた事だけど、この人達は仲間意識っていうか、絆が本当に強い。そう感じていた。
「俺の名前使うくらいだから、金目的じゃないんですよ」
「はあ?金じゃねえって何だよ」
「高校生相手に俺の名前出しても効果無いっすよ、実際、小銭程度しか取ってないんですよ、まあ、金額の問題じゃないけど。まあ、俺が気に入らなくて、誰かに俺を潰させたかったんでしょう。誰かに」
橘がソファーからゆっくりと立ち上がる。
「亘高、犯人わかった時点でなんで俺らに知らせなかったのよ。理由はともかく、テメーがムカついてのモンに手を出したんだろ」
ゆっくりと立ちながら近づく橘の視線が冷たく刺さる。室戸は気圧されて返す言葉が無い。
「吉村と山倉だっけ、奴らも、やり方はともかく、お前の事がムカついてやったんだろ、お互い様じゃん。って事はよ」
「恭一」
室戸に近づく橘に宮本が声を掛けるが、軽く手を上げて答えて、宮本をどけて室戸の前に出る。また、緊張が走る。体格は室戸の方が大きい筈なのに、近づく橘がずっと大きく感じて、重たい空気が圧し掛かる
「希望通り『赫耶王』に手え出したケジメとって貰うかよ」
橘が左腕を振って、室戸に肩を組んで、室戸に体重を預ける。
「なんてな、流石に中坊にヤラれてアタマが仕返ししたなんて笑われちまうよ。奴らだって恥ずかしいだろ」
橘が笑って肩を揺する。周りの緊張が解れる。揺すられる室戸は身体を強張らせたままだった。
「まあ、でも亘高も気合入れて来たんだから、そこは汲んどかねえとな、返しとかケジメとか関係なく、俺がムカついただけだから」
橘が室戸の顔を覗き込んで笑う。
「な、亘高」
その、子供みたいな笑顔を見て、春彦みたいな笑い方だなと思って、やっと緊張が解れた。その瞬間、腹部に激痛が走った。足に力が入らなくなり身体が沈んでいく。頭が重く視界が黒く染まっていく。
「おい、恭一」
宮本が声を掛けたと同時に、ドサっと音をたてて室戸が倒れた。
「わりいミヤ、西村と山岡とか、シメといて、その後の事どうするかは任せるから」
橘が、室戸の腹に打ち込んだ右手をヒラヒラさせる。
「吉村と山倉な。室戸はわざわざヤラれに来たって事だろ」宮本が何で手を出すんだよと呆れる。
「たいした根性だよな」
室戸を抱え起こそうとする宮本に振り返って笑って「亘高にコーヒー入れてやってくれよ」
「飲めたらな」
店に流れるBGMのオールディーズナンバーがミスターロンリーに変わっていた。一人戦地に赴いたという男の孤独な悲愛の歌が、静かに流れていた。




