32,「赫然と輝く」
いつの間にか、もう冬服でも暑く無くなった。もうすっかり秋の虫が鳴いてるっていうのに、まだ、ひとりで夏の蝉のようにキンキンと横山がうるさい。
「せめて、帰る時は帰るって言ってってよ、青野、分かってるの」と、執拗に言われているので、大人しく従う事にした。
最近は色々あったし、この前も遠藤や山田に怪我させてしまっているので、流石に心なしか反省して見せているつもりだ。
『もう問題を起さない』と言うのが、停学が開ける時の約束だった。義務教育なので『停学』じゃなくて『登校禁止』とかだったったか。
いくら義務教育でも、あんまり酷いと転校させられるのよと、親に脅されているので、従う他に仕方が無い。
かといって、教室にいても周りは受験の話ばかりだし、皆ナーバスになってるから刺激するような事は控えてくれと、体育教師から言われちゃってるから肩身が狭い。別に教室の奴らの受験を邪魔するつもりはないんだけど。もう、いつの間にか高校行かない感じになってるし、どうにも教室に居ずらくて仕方ない。
そんな言い訳を装備して、職員室の扉を開けると、入口に松田菜穂がいて、驚いた。
先週、渡り廊下の階段で、交際宣言されてから初めて会った。もう4日も経っている。
横山が奥から「ちょっと待って」と声を殺して、変な仕草で伝えてきた。
あれから4日間、あんな事言われて意識しない訳が無い。ずっと彼女の事ばっかり考えていた。だから緊張した。本人が目の前に現れたんだから緊張しない訳がない。
職員室の入口に二人並んでいるのに、無言だった。何か話さなくちゃと焦るだけで、結局は無言だった。何とも歯痒い空気が流れた。
内心で、横山に早くしろよ、なんて思いながらも、まだ来るな、と、念じていた。右上に目線を泳がせてしまうような空気の中で、今喋るから、喋るからと、浮ついた事を巡らせていた。そう、ビビッていた。
「先輩」
アルミ箔を噛んだような沈黙の中、松田菜穂が口を開いた。
あの時のような笑顔は無いが、嬉しさで胸が高鳴る。情けなさで恥ずかしくなる。見透かされない様に、彼女の方を向いた。
「私と付き合うの、嫌だったですか?だったら、この前言った事忘れてくれていいです」
なぜ悲しい顔をする。身体の中心に血が集まって来る。心臓が早鐘を打つってのはこの事だ。鉛みたいなものがズシリと刺さる。殴られた時の痛みとは全く違い、身体の奥に効いた。
少し前に、保健室で絡まれてるのを助けた事があったけど、別にそういうつもりで助けた訳じゃ無かったから、その子が告白してくるなんて冗談にしか思えなかった。保健室の一件から意識しだしていたのは認めるし、階段で告白された時には、もう惚れていた。恥ずかしい話、恋に落ちたって言うのか、その音が聞こえる程だった。情けないけど、急に告白されたって、どうすれば良いかなんて知らない、分からない。
『おれ今、フラれたのか?』そう思っても何も言い返せなかった。
松田菜穂が職員室から出て行っても、まったく動けなかった。多分だが、間抜けな顔をしているんだろうと、変な自信があった。
「なに青野、また帰る気なの」横山が入口まで来ていう。ちゃんと職員室まで顔を出した事が満足なのか、機嫌が良いのが腹立つ。
「いや、帰らない」
「えっ、なに?」横山が顔をしかめて聞き返す。
「帰らないよ」そう言って、職員室を飛び出して廊下に出た。後で「ちょっと、アオハル」横山が叫んでいる。
廊下に出て、どっちに行ったかと、千切れるほど首を振ったが、探す程でもなく、廊下を歩く背中がすぐ先にあった。
「松田」
横山を無視して声を張った。先を歩く松田菜穂が振り返った。
廊下の端の彼女に走り寄る。彼女は、少し顔を強張らせているけれど、自分の方がよほど緊張していた。そう思うと少し落ち着いた。
彼女の傍まで行って言った。「嫌じゃ無いって」と告げるけど、上手く声が出なかった。
「えっ」と、聞き取れなかったのか、彼女が驚いた様子で聞き返してきた。
「だから、嫌じゃないよ。忘もしねーし」
彼女が俯いた。肩が震えている。泣いているのか。
「今日、一緒に帰ろう」そう言って、彼女の頬に手を当てる。震えが伝わってきた。
彼女が抱きついて、俺の棟に顔を埋めた。
中庭を挟んで、廊下の反対の教室のベランダで、俺たちに気付いた生徒が「あ、アオハル先輩が抱き合ってる」と、騒ぎ出す。
釣られて他の生徒も顔を出すから、ベランダが生徒でいっぱいになる。
こちらから見ると、学年別のジャージの色がフロアごとに別れていて、まるでどこかの国旗のようで可笑しかった。
こんなに年の瀬を感じた事は無かったかもしれない。十二月の終わりは冬休みだし、もちろん毎年クリスマスは楽しみにしていたし、年越しの除夜の鐘をついたり、初詣も。中学に入ってから着物で行くようになった。お正月は一代イベントだ。欲張る程ではないけど、お年玉は子供を一年勤め上げた報酬なので、しっかり回収する。
今年はいつもと違っていた。初めて家族以外の人たちとクリスマスを過ごす予定だ。来年がどんな年になるのか今から楽しみだし、その為にも報酬は少しでも多くほしい。周りが忙しなく変化していくので、本当の意味で年の瀬という言葉をこんなに感じたのは初めてだろう。冷たい風が襟元から射し込むから、そんな考えを更に強くする。
ついこの前までは、焼けるような陽射しが、忘れる事のない夏を照らしていたのにと、襟元のマフラーを正す。
「菜穂せんぱい」
明るく澄んだ声に振り返ると、御木本沙希が小走りで、この公園の入り口に向かって来るのが見えた。
「遅れちゃった、ご免なさい」笑顔を浮かべる沙希をみて、思わず頭を撫でてしまう。
「え、なんですか」と、照れて嫌がってみせる沙希をみてホッとする。
真次郎くんの事件の後の沙希は、塞ぎ込んでしまって、もう掛ける言葉が無かった。反応はする様になっても、何を言っても聞いているようには思えなかった。
「聞いている?」と、訪ねると「ええ、聞いてますよ」と、答えはするけれど、言葉にも表情にも生気が無かった。まさしく脱け殻のようだった。
更に、沙希の家では、お兄さんの御木本良太先輩が、警察沙汰になりかけた事で親と言い合いになったらしい。良太先輩は、何をした訳でもなくてその場に居ただけなので、大したお咎めは無かったようだけれど、両親は激怒して、「友達を選びなさい」「あんな不良と付き合うんじゃない」と、青野春彦との付き合いを否定した。けれど、良太先輩は猛反論して、自分にどれだけ青野春彦が必要なのかを訴えた。それでも両親も中々折れなかったので軋轢は深まっていった。
「あなたの事を思って言っているのよ」
「僕の事を思っているなら友達を悪く言わないでよ」口論の繰り返しに成るだけだった。
「僕は自分が何だか分からない。どう有りたいのかも分からない。そんな中途半端な僕の事を春彦くは認めてくらたんだ。『男とか女とかって、良太は良太だろう』そう言ってくれたんだ」と、良太の有りのままの告白を、戸惑いながらも両親は徐々に受け入れていった。
良太先輩とのいさかいの中でも、塞ぎ込んだ沙希の様子は両親には気がかりだっただろう。あの事件が御木本家に与えた影響はかなり大きかった。
真次郎くんの遺体が帰って来たのは、一ヶ月も経ってからだったらしく、彼の叔父さんが人知れず、しめやかに供養したのだと聞いた。市村くんがどこかで調べて、お墓の場所を知ることが出来たのは。お寺の参道の木々が赤く色付いた頃だった。真次郎くんのお墓は地元のお寺だったけれど、その頃、沙希に真次郎くんのお墓参りに行こうと言っても、首を横に振るだけだったけれど、紅葉した葉が落ちて、参道がその落ち葉が敷き積まれて、裸になった枝に冷たい風が吹くようになった頃に、沙希の方から言い出した。
「真次郎くんのお墓に行きたいんですけど、菜穂せんぱい一緒に行ってくれませんか」
少しずつ笑顔を見せるようになって来てはいたけれど、あの事件以来、沙希から真次郎くんの話をするのは初めてだった。冬休みに入ってしまう前に、月命日に合わせて行くことにした。
公園を抜けてお墓のある寺院へ向かう。時々吹いた風は十二月の冷たさを持っていたけれど、沙希の温かい笑顔が忘れさせる。いちいち言うつもりも無かったけれど、少し気持ちが和らいだせいで口をついた。
「沙希が真次郎くんのお墓に行く気になってくれて、本当に良かった」
沙希は、少しはにかんだ後に、ゆるく唇を噛んで言った。
「本当は、今も怖いです。真次郎くんが死んじゃった事を認めちゃうみたいで」
「沙希・・・」
私の視線に気付いた沙希が、少し苦く笑って言った。
「分かってるんです。菜穂さんにそんな顔させてしまってるのも。お母さんにも何だか気を使われてるみたいだし。だから、もう受け入れなきゃいけないって。真次郎くんが、もういないって事を」沙希の目が少し潤んでいる。「時間かかっちゃったけど、年の瀬ですから、せめて今年中には、って」
沙希が、頑張って口角を上げて照れ笑いを見せる。
「本当に、真次郎くんが好きなんだね」菜穂が言う。
「自分でも驚いてます。ああ、こんなに好きだったんだなあって。真次郎くんが死んだって聞かされた時に、すうーっと世界が閉じてくみたいで、そうそう貧血の時みたいに、暗闇に呑み込まれて行くのに、抗えない感じで怖かった。真次郎くんも怖かったのかな。・・・殺された。この言葉を口にするだけで、今も鼓動が早くなるし、吐き気が襲ってくる。真次郎くんはどんな思いだったのかとか。ああ、ダメダメ、こんな考えはしないって決めたのに」沙希の頬を涙が伝い落ちる。
菜穂が沙希の腕をそっと取る。私も、死を実感する言葉を耳にすると、胸がざわついた。今までに、こんなに生生しく死を感じた事など無かった。小学生の頃に、祖父が死んで葬儀にも出席したけれど、もっと厳かで儀式的だった。もちろん悲しみはあったけれど。今回の様に生と死をごちゃ混ぜにして、感情を引きちぎるようなものとはまったく違った。それでも皆、言い聞かせるように過ごした、生きる事を意識して。憎しみも怒りも消えない、抱えたまま生きるのだと彼も決めたようだった。
「だって、真次郎くんの生い立ちとか聞いちゃったからって訳じゃないですけど、真次郎くんは絶対に幸せにならなきゃいけない人だったのに、なんでこんんな・・・ごめんなさい」
沙希が足を止めてしまい、菜穂に凭れ掛かる。小さな震えが伝わって来る。沙希の涙が手に落ちる。十二月の寒さを忘れる程の、その暖かい雫が、皮膚を通って沁みてくる。
持ってきた仏花を、お寺の事務所で借りた手桶に入れて、無数に並んだ墓石の間を抜けていく。彼と一緒に何度か来ていたのですぐに奥山家とある墓石を見つけた。側面に、奥山真次郎享年十五歳とあった。それを読むと、沙希はその場に崩れて泣いた。声を震わせ、咽び泣いた。菜穂も釣られて涙を流した。しばらくそうして、二人泣いた。
「真次郎くんは幸せだった、なんて言いたくも思いたくもない。でも、不幸じゃなかったですよね。そういう時もあったかもしれないけど、だって、笑ってたもん。きっと、皆さんに会ってからは、不幸じゃ無かったですよね」
沙希が祈るように言った。
「沙希もだよ、沙希たちにに会って、不幸じゃ無くなったんだよ、真次郎くんは」
「だといいけど」沙希が拗ねたように口を尖らせて、立ち上がった。
「真次郎くんの事は忘れない、忘れられないけど、前に進まなくちゃ。だって、彼は小さい時から必死に生きてきた強い人だから、私も負けない」
「そうだね、ホントに、そうしなくちゃね」私もと、重ねて思う。
「実は、菜穂せんぱいの彼氏の請け売りでして」
「えっ。春くんの」彼の話になって反射的に言ってしまう。
「やだあ、はるくんだってえ。もう、妬けちゃう」沙希がお道化て揶揄う。あまり人前で春くん、なんて言った事が無かったので、恥ずかしくて赤面した。
「赤くなってる。菜穂さんかわいい」と、冷やかす沙希に「そんな事、いつ言われたの」と訊いた。
「青野先輩が家に来たんです。お兄ちゃんのところに」
ああなるほど、という顔をしたところに沙希が続ける。
「家で結構揉めてた時期があったじゃないですか、その事とかわざわざ謝ってました」
「えっ、彼が謝ったの」驚きのあまりに声が大きくなった。
「はい、ぶっきら棒にですけど、いろいろ悪かったな、って言ってました」
「信じられない。待ち合わせに遅れて、どころか、約束すっぽかしても一っ言も謝らないのよ、あの男」思わず不満が漏れた。
「ええ、信じられない」
「ねえ、ひどいでしょう」
仏花を変え清掃をして、改めてゆっくりと合掌した。
「菜穂さんは、春くん先輩のどこが良かったんですか」
沙希を目で叱ると、とぼける様に視線を逸らす。沙希は今日ここに来る前と、大分違っていた。整った可愛い顔は、目を晴らして浮腫んでいるのだから、見た目にも違っているのだけれど、月並みでも、何か取れたというのが一番しっくりくる。纏ていた何かを脱いだような。十二月の寒さでも、着込んでいれば言い訳でもなくて、少し脱いでも丁度いいくらいの時がある。今日も、コートを脱いでしまうと風が吹いた時はさむいけど、冬晴れの陽射しが届く時には、薄着でも気持ちいいかもしれない。
「沙希が大好きな真次郎くんが憧れた人だよ、好きになるに決まってるでしょ」そう、得意気に言って見せた。
「ははは」と、沙希が声に出して笑う「確かにそうかも」
「あげないわよ」
「顔がタイプじゃないです」
「ちょっとお」
沙希がお道化て笑うので、私も笑った。
「じゃあ、お兄ちゃんがライバルですね」
沙希の言葉に、家であった揉め事を含んだ笑みがあった。
「ホントに、沙希より強敵だわ」
「ですよねえ」
十二月の寒空に、生き生きとした笑い声が響いた。
「高校行くことにしたって、今は勉強がんばってるのよ、嘘みたいでしょ」
「時々、兄ちゃんが勉強教えてるみたいです」
「良太先輩も受験生なのに、申し訳ないわ」
「お兄ちゃんは大丈夫みたいですよ、優秀ですから。頭よくて、顔も美形だし、面倒見もいい。スペック高いんです」
「ホントに、負けそう」
公園の通りを並んで町を歩いていく。住宅地の右側のは削られていた丘がどんどん平らに固められてコンクリートで囲われていっている。大きく谷の様に削られた所は、大きい道路が通るらしいけれど、まだ想像もできない。重機が行き交っているのを見つめていて呟いた。
「どんどん変わって行くのね、町も人も」
「センチですね」沙希が笑う。
「そういう訳じゃないけど、本当に色々あった年だったもの」
「本当に色々あったですよね」
この坂道を境に、ちょうど目の前の右半分がまだ家もない新しく造成された町で、左半分が、自宅のある古い住宅地だった。
「真次郎くんのお墓に行けて良かったです」
沙希の言葉を乗せて、古い町から新しい町に向いて風が吹いた。それを目で追った。
終業式も終わり、夕暮れの体育館裏で、二人が向かい合っている。
「あの、誕生日のプレゼント、貰ってください」と、少女が顔を赤く染めて包を差し出す。
「俺、彼女いるんだけど、知らないかな」
青野春彦が、気まずそうに答える。
「知ってます。ダメでも伝えたくて、ごめんなさい」
「こっちこそ、ごめんね」
少女が振り返って走り去る。
春彦が大きく溜息を着く。
「いやーモテルねーハルちゃんは」冷やかしながら室戸亘高が顔を出す。
「泣いてたんじゃないか」宇田川健が、さも心配してる風で続いて来る。
「春くん」松田菜穂が春彦に近付いて「ちゃんとフッて上げた?」
そう言って覗き込んだ菜穂の頭を春彦が撫でると、菜穂の笑顔が弾ける。
「誕生日おめでとう。春くん」そう言って春彦に腕を絡めて歩き出す。
「何あれ、2人の世界。冷たくないかー、宇田よー」亘高がふて腐れて宇田にすがる。
「クリスマス生まれなんて残念だよなあ、おめでた感半減じゃん」亘高が茶化す。
「うるせえ、おめでた倍増だってえの」春彦が面倒くさそうに反論する。
「でも、12月生まれは、堅実で優しいんだ」
「なに、宇田、占いかよ」
「当たるんだって」
「引くわー」こちらも2人でジャレている。
時に激しく赫然と怒り、時に眩しいほどに赫然と輝く。
「たくっ、『アオハル』よー、青春だねー」
腕組んで前を歩く2人を茶化す。
「見てらんねーぜー」
二人が振り返る。
「ほっとけよバカヤロウ」
二人の声が揃って、笑い声になり、冬の赫い夕焼け空に響いた。
了
若くして命奪われた彼と、不慮に亡くなった彼の兄に。




