表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/32

29,慟哭

「やだあ、昌ちゃんどうしたの、久しぶりじゃない」

「美保子さん、真次郎はどうしたの?」

「なに、あんたのところじゃないの、知らないわよ」

「最近の真次郎はどんなだったの、何か変わったところは無かった」

「どうかしら、別に変わらないんじゃないの、いつも愛想のない子だから」

「どこか、真次郎の行きそうなところに心当たり無いかな」

「無いわよ、たいして口も利かないんだから分からないわよ。もういいかしら」

「親父は、真次郎の亡くなった母親の実家の場所って知らないかな」

「さあ、どうだか知らないけど、お父さんが帰ってきたら訊いておくわよ」

 それは次第に機嫌が悪くなっていくのが、目で見ても分かるほどで、突き放すように会話を終わらせた美保子は、ピシャリと音を立てて玄関の戸を閉めた。

「なんだよあれ」

「子供が帰って来ないで平気なのかよ」

「はらたつなあ」

「奥山くんどこ行っちゃったのお」

 不安と焦りが苛立ちになり、口に出して愚痴ることで、少しばかり発散する。

 余計な事を言わないようにと、奥山に話を任せて黙っていたけれど、どうにも歯痒くて仕方なく、怒鳴りつけたくなる衝動を必死で押さえた。やはり、冷静な奥山に任せたのは正解だったのだろう。

 父親に伝えて貰えるかなんて、怪しいものでどうだか分からない。信用できないから、奥山はまた出直すといっていたけれど、そもそも奥山の母親が言っていた通りで、真次郎が千葉にある母親の実家に行ったとは思えない。かと言っても、他に宛もないのだから、それでも行くんだと紗希と市村は瞳を潤ませて、ダメもとで連絡を待った。

 真次郎の家出は、すぐに噂になった。市村たちは思い付く限りに連絡して行方を訊いたりしていたのだから、話が広がるのは当たり前だった。けれど、一番に話を広めたのは美和子だ。

 訪ねていった次の日には、警察に捜索願を出した。涙を流して見せて周囲の野次馬の同情を誘った。

「もう二週間も帰って来ないんです。ええ、夏休みだしてっきりお兄ちゃんの家に行っているものだと。ええ、難しい年頃なのであまり刺激しない方がと、はい、思い当たるところはいろいろ探したんですけど、もう心配で心配で」

 噂はあっという間に広がった。表向きは、子供が行方不明になった可哀想な義母。美保子の思惑はきっとそうだったけれど、あざとく見えたのか、近所付き合いが希薄だったせいもあって、あそこの家はねえ、と始まり、よく怒鳴り声していて喧嘩していたもの、だとか言っては、きっとこうだ、きっとああだ、と、勝手な憶測の話を付け加えて広められた。数日後には町中に広まっていた。堪らず耳を塞ぎたくなるほどに尾ひれを付けて。

「なに、奥山帰って来ないんだって?」

「そういえば、ほら例の、あの金あるから結構遠くまで行ってるんじゃねえの」

「なに、金って」

「知らねえの、あいつ大金持ったままなんだってさ」

「じゃあ、しばらく帰って来ないじゃん」

「そもそも、何で家出したの」

「仲悪いみたいよ、しょっちゅう親子喧嘩っていうか、親父が怒鳴ってたりするんだってさ、うちの母ちゃんが言ってたよ」

「ああ、あそこの親父怖いよな」

「知ってる、怖いよな、目付きがマジでヤバイよ」

「殺されてんじゃねえの」

「まさか、さすがに無いだろう」

「嫌ねえ、奥山さんの家に警察が来て色々調べてるらしいわよ、部屋を調べたら行き先とか分かるのかしら。だいたい離れの部屋なんて、いつも何しているか分かったものじゃ無いものね」

「離れの部屋なんて良くないわよね。うちは庭が狭いから離れなんて置けないけど」

 

「いやいや良太くん、またまた助かっちゃったよ」

 自転車の荷台で春彦が揺れ、良太がハンドルを強くもってペダルを踏み込む。小さな公園の樫の木が、旺盛に茂った光沢のある常緑樹の葉を、これ見よがしに揺らして見せる。

「夏休みに塾ばっかりで大変だよなあ」

「そんなでもないよ」

「そういえば隣の家の猫がさあ、うちの中に入ってきちゃってさあ」

「それは大変だね」

 ペダルを踏み込む度に自転車が軋んで進む音が大きく感じる。

「今日は沢田くんたちと一緒じゃ無かったの?」

「そうだよなあ」

「沙希がさ、珍しく原宿になんて買い物に行ったみたいで、春彦くん行った事ある?」

「さあ、あったかなあ」

「すごい買い込んで来てたよ。お土産にTシャツをくれるって言うから手に取ったら、これは真次郎くんのだからって、すごい勢いで奪い取られて・・・」

 湿気を帯びた弱い風が、肌にまとわりつくように吹いていった。それでもほんのりと涼を感じたけれど、ほんの弱い風だったので、皮膚に張り付いている憂いまでは引き剥がしてくれなかった。

「・・・ほんと、どこ行ったんだろうな」

 少し坂の傾斜がキツくなり出し、良太がペダルから腰を浮かせて漕ぎ出す。自転車が大きく揺れながら坂を上る。

「降りようか、良太」

「だ、大丈夫だよ、これくらい」

 息を切らしながらも坂を上ると、公園の入り口の電話ボックスに中学生が溜まっていた。

 良太は、思わず自転車のブレーキを握り、後ろの春彦は足裏を擦ってブレーキをかける。ハッとして前のめりに顔を出す。そこにいたのは市村たちだったけど、真次郎の姿はなかった。そこに居るように見えたのだけど、居なかった。

 春彦たちに気付いた市村が、いつもの兵隊のような挨拶もそこそこに、よろけた足で近づいてくる。

「せんぱい、青野せんぱい」

顔を涙に濡らした市村が、力なく春彦の名を呼ぶ。しょっちゅう泣き言を言う市村だが、いつもとは違う様子に嫌な胸騒ぎがした。市村が、自転車の前に崩れるようにしゃがみこむ。

「真次郎が、真次郎が」

 春彦が自転車を飛び降り、市村を掴んで立たせる。

「おい、今なんて言った。次郎が何だって!」

 声を荒げた春彦の腕で、市村が力なく揺れる。

「すいません、おれ」

市村の嗚咽が言葉を消した。

「すいませんじゃねえよ、次郎がどうしたんだよ」

 気づけば後ろの皆も涙をながしていた。

「どうしたんだよ!」

 少し強い風が吹いて、公園の茂った葉を強く揺らす。その音に、咽び泣く声と怒声が混ざって響た。


「奥山さん家、凄い人だかりだったよ、もうシートで覆われてて見えなくなってるけど、警察の車に乗せられて行ったわよ、ええ、父親よ」

「テレビ局来てたわよ、ニュースでやってるでしょ。離れの部屋から血痕が出てきたらしいじゃないの。怖いわねえ」

「息子さん、まだ中学生でしょう。可哀想に」

「庭に埋めたんだってよ、シートで囲われて見えないけど、掘り起こしたら出てきたってよ、遺体が」

「あの後妻さんも警察に連れていかれたよ」


「おれ、許せないっすよ、ぶっ殺してやりたい」

「おれも許せねえです」

「おれもです」

 市村たちが、涙声で怒りを吐き出すように言う。

「なんだテメエら、僕悲しいです、ってか」

春彦が切り捨てるように言った。

「春彦くん」と、良太が心配そうに声をかけるが、構わず言う。

「こんな所でメソメソ泣いてんじゃねえよ」

 春彦の勢いに市村たちが、身を竦める。

「ぶっ殺すだあ、じゃあ、さっさと殺って来いよ、あっ!」

「そんな、おれ、すいません」市村が消え入りそうな声で言った。

「おめえらは、ここで泣きながら傷でも舐め合ってろ、俺が()っといてやるからよ」

 春彦が怒りを圧し殺した声で唸るよう言った。

「そんな、せんぱい」

「春彦くん」

 静かに激昂している春彦に気圧されながらも、静めようと声をかける

「どこにいるんだ」

「はい?」

「真次郎を殺ったクソ野郎はどこにいるんだよ」

「け、警察に逮捕されたって聞きました」

 眉間を深くし、目尻を吊り上げた春彦がゆっくりと静かに息を吐いた。「警察だな」呟いて結んだ口から歯を食いしばる音が聞こえそうで、踏み出そうとする春彦の腕を良太がそっと掴んだ。

「どこ行くの?」良太がすがるように訊く。

「どこって」春彦はその手をゆっくりと剥がす。

 良太が自転車を春彦に差し出す。少しの躊躇のあとでハンドルを掴んで跨がった。すると、良太が後ろの荷台に乗り込む。

「良太、おまえ」

春彦が後ろを向くと、良太は横に口を結んで頷いた。ペダルを力強く踏み込み、二人乗った自転車が走り出す。来たときと逆に坂道を勢いよく下る。

「せんぱい」

市村の掛けた力無い声など、とても追い付かない程の早さで坂を下り、張り出した公園の緑に消えていく。


 警察署の前に投げ出すように自転車を置いた。一緒に付いてきた良太が気になった。自転車の後ろで、ほとんど喋らなかったし、腰を掴んだ手が少し震えているようだった。それでも、抑えられない怒りが込み上がってくる。良太は止めたいのだろうけれど、何も言わなかった。

 良太を外に待たせて警察署の中に入る。息が荒くなるのを感じる。身体から蒸気が出ていそうだ。一階はカウンターで何かの手続きをしている人たちで混雑していた。古い建物の臭いと、制服警官の醸し出す臭いが、警察署独特の空気を漂わす。階段前の案内板を見るけど、漢字ばかりでなんだか良く分からない。

「これ、留置管理課じゃないかな、二階だって」外に居る筈の良太が横に居たので、少し驚いた。

「良太、おまえ」

「本当に行くの?行ったところで・・・」と、良太が小声で言った。

「悪いな、分かってんだけど、じっとしていられねえんだよ。今何か、しねえと、どうかなっちまいそうなんだよ」

 良太は声を出さずに、静かに目で頷いた。

「君たち、どうしたの、どこに用で来たのかな」

 不意に制服の警察官に声を掛けられて驚いた。

「いえ、あの、母が免許の手続きで来たんです」と、良太が咄嗟に嘘をついた。

「お母さんは」と、警察官が訝し気に顔を覗き見る。

「いま、トイレに行っていて」と、良太が警察官の相手をしている隙に階段へ向かう。

「あ、君」と、警察官の声を置き去りに走り出す。良太が「あの、教えてほしいんですが」と、警察官に話し掛けているのが後ろで聞こえた。

 階段を駆け上がり廊下の留置管理課の案内を追っていく。課名の表示を追って廊下を行き、留置管理課の部屋を覗き込む。中は職員室のような、何だかの書類が積まれた机が並ぶ事務室で、数人がその机に向かって仕事をしていた。廊下に出る。

 突き当たりに何も書かれていない扉があった。誰に訊いた訳でもないけれど直感だった。駆け寄ってドアノブを掴んでガチャガチャと回すが鍵が掛かっている。

「おい、何してるんだ」

背後で野太い声がした。事務室にいた警察官が気づいて外に出てきたのだろう。腕を捕まれてドアから引き離された。捕まれた腕を払い除けて突き飛ばした。不意を突かれてよろける警官の後ろに、さっき一階の階段の下で声を掛けてきた警察官が追って上がって来たのだろう「おい!」と、怒鳴り声を上げて加勢に駆け寄って来る。

「春彦くん!」良太が呼んでいる声もした。

 構わずに、ドアを力一杯に蹴った。ノブを回すが開かない。ドアを揺すってドンドンと叩く。警察官がドアから引き剥がそうと体を抑える、振り払ってドアを叩く

「開けろ!開けろ、コノヤロウ!」

 警察官が何か怒鳴っていた。良太が、「もういいよ」とか言ってる気がした。ドアを叩くと、胴体を捕まれて後ろに引きずられた。警察官の肘が顔や脇腹に当たって締め上げて来る。

「次郎を殺ったクソ野郎出せよ」

 体を掴まれながらドアを蹴る。金属のドアの固い感触が足裏に走ると、壁に顔を打ち付けられて抑えられる。

「放せえ、コノヤロウ!」

 逃れようともがくが、警察官にしっかり抑えられている。警察署の、コンクリートの無表情で温度のない廊下の景色が滲んでいる。あのドアの向こうに真次郎を殺した奴がいると思うと、心臓が破裂しそうに震えて、身体が熱くなるのに、目の前が滲んでいく。涙が流れているのに気付いた。

「奥山の親父出せよ、コノヤロウ」

 もう涙声になっていた。とても自分の声には思えなかった。その事も悔しくて、更に涙が出た。その事が理由か分からないけど、一瞬、少しだけ警察官の抑える力が緩んだ。その隙に力一杯に振り払い、警察官を足蹴にして離し、ドアを再び叩き、ドアノブを蹴飛ばす。

「開けろコノヤロウ!」

子供のように泣きながら叫ぶけれど、すぐに怒声をあげて掴み掛かる警察官に倒されて、廊下のリノリウムの冷たい床に顔を打ち付けられた。

「放せ、放せコノヤロウ、奥山の親父だせよ」

 暴れてもがくと、後から来た警官も加わって三人掛かりで抑えられる。

「出てこいよ、殺してやるよ」

悔しくて気が変になりそうだ。真次郎の顔がちらついた。

「殺してやる、殺してやるよチクショウ」

もう気が変になっているのかも知れない。奥山の部屋に顔を出しては生意気な事をばかり言っていた真次郎。そのくせ小さい子供みたいに笑うもんだから、つい許してしまう。

「あおの、ゲーム下手だなあ」

「うるせえよ、次郎」

 真次郎が笑う。

「何で、次郎なの?」

「まだまだ真次郎なんて百年早えよ、次郎で十分だ」

「なにそれ、別にいいけど」

 真次郎が笑う。

「あおのみたいにケンカ強くなったら真次郎って呼んでくれる?」

「強い男になったらな」

 真次郎が笑う。

 茶髪に染めた真次郎が、涙を溢して言う。

「強く、なりたいです」

 真次郎は、俺のように強くなりたいと言った。俺は強くなんかない、何の力もない、守ってもやれない。いつも、大人には勝てない。俺だって、強くなりたい。

 何度も床に押し付けられた頭がきしむ。警察官の体が重く圧し掛かる。

「チキショウ」

「暴れるな」とか「大人しくしろ」とか言った声が、肘と一緒に飛んでくる。流石に鍛えられている警察官に数人で押さえ込まれてはどうにもできない。

「うおおおおおおおお」

 力の限りに抵抗するが、もう、どうにも出来なかった。廊下に響いた叫び声は、扉の向こうに届いたのだろうか、聞こえたのだろうか。

 どうも目がチカチカすると思ったら、ドア横の壁にあった、緊急を示す小さな赤色灯が点灯していた。無力さと悔しさで滲んだ視界に赤い光が射し込んできた。


 連れていかれた小さな小部屋で机に向かい合い、上申書と書かれた紙に警官が聞き取って書きこむ。

 生まれてからの事や、自分がどんな人間なのかを確認しながら、警官が文章に起こす。「僕は」で始まって、その「僕」に寄せた言い回しで事細かに書かれている人物は、時系列こそ合ってはいるけれど、俺ではない。この様な事はもうしませんと反省の弁で締め括られる。

 他人が書いた反省文に何の意味があるのか分からないけれど、下らなさに怒りも静まってきて、まるで自分が悪いことをしたのだと錯覚しそうになる。その上申書と題された紙にサインと拇印を押させられていると、警官が報告するように入って来た。

「大変です、一階に中学生が大勢で押し掛けて来てます」

 戸口に立った警官に開けられたドアから、微かに「先輩」と、何度も呼ぶ声が聞こえる。

「入り口の所で座り込んでるんですよ」

「まったく、お前らは」と、向かいに座って上申書を書いていた警官が、こっちを睨んでからため息をついて立ち上がると、部屋を出て行った。

 飾りのない部屋に一人残されたが、すぐに別の警官が来て、別の部屋に移動させられる。部屋を出ると、はっきりと呼ぶ声が聞こえた。何度も、何度も。

 会議室の様に長テーブルのある部屋に連れられて行くと、すぐに良太が入って来た。部屋に入るなり、無言のまま駆け寄ってきて抱きついてくる。良太は音が鳴るほどの勢いで強くしがみつく。

「ごめんな、お前まで」と、良太に言う。

「・・・ばか」

良太は、涙に濡れた顔を胸に埋めたままで呟く。その光景を見守るように横山先生が立っていた。横山の表情は硬い。当然今の状況も、俺よりもよほど詳しく知っているのだろう。学校に連絡が行ったのかと知ると、ため息が出るような脱力があった。

「まったく、あんたは」と、横山はため息と一緒に言葉を吐くと、歩み寄ってきて腕を掴む。ほとんど反射的に腕を振り払う。

「何やってるのよ、こんな所で暴れたって何にもならないのよ」

 横山は抑えて言ったけれど、後の方は憤りを抑えきれていなかった。横山の言うことは分かっていた。十分に痛感していたけれど、悔しくて言い返した。

「許せるかよ、ぶっ殺さなきゃ気が済まねえよ」そう声を荒げた瞬間に、パチンと平手が飛んできた。

「いい加減にしなさいよ!」

 たいした強さじゃなかったけど、打たれた所が物凄くヒリヒリして、胸まで痛んだ。横山に叩かれたのは初めてだった。

「あんたが殺したら、あんたも一緒じゃない。あんたが許せないって言ってる相手と一緒じゃないの」

 まだ痛んだ。ヒリヒリと沁みるように効いた。横山が腕を掴み直して揺さぶる。揺さぶられて、痛みが中の方まで入ってくるみたいだ。

「許せなくったっていいわよ、私だって許せない。でもね、殺すなんて言うんじゃないの。その言葉の意味が分かったんでしょう。命が消える事の意味が分かったんでしょう」

 横山の目に涙が滲んでいた。腕を掴む力が強かった。反対の腕を良太が握っていた。優しく握られた腕も痛かった。

 鼻を啜って横山が「ほら、帰るわよ」と背中を押して促した。照れ臭くて「分かったよ」と舌打ちをして手を払った。

 階段を下りていくと、賑やかな声が聞こえてきた。入り口で警官に囲まれて、斎藤や高階たち二年に沢田。たいして知らない奴らばかりの、市村たち一年もいる。

 まるで試合終了の高校球児を迎える客席のようだった。市村なんて泣いて叫んでいた。

「先輩」とか、「青野先輩」とか、歓声のように叫んでいたけれど、なぜか罵声の様に聞こえた。

 さっき横山が言った「あんたも一緒じゃない」という言葉が響いて、後輩が心配をして掛けてくれた言葉を悪罵に変える。息苦しい。

 横山に連れられて歩き、その後ろに皆が連なって、ぞろぞろと建物から出る。外の空気が入って少し楽になる。入り口から離れたところに、室戸と宇田川がいた。見透かしたように笑っている。腹がたったが放っておく。

 もう身体は抵抗する事を諦めていたから、促されるままに、横山の小さい車に良太と乗る。後輩たちが車にまで群がるのを「ちょっとお」と、横山が舌打ちするのが笑えた。

 見かねた警察官が誘導をして、警察署を車で出た。

「明日また家に行くからね、それまで家で大人しくしてなさいよ」

 ハンドルを固く握った横山が、前を向いたまま言う。良太と二人乗りで来た道を、車がなぞるように戻っていく。いくら道を戻ったところで、決して巻き戻らないのだと分かってはいる。


 川名富士は、江戸時代の頃の富士講によって作られた富士塚だが、ニュータウン開発で発見された遺跡の調査の一環とかで、元々あった場所から、中学校の向かいの今の場所に移された。地元の連中も、さすがに幼稚園くらいの事で、以前の姿も移転した事も覚えていないという者がほとんどだ。いわゆる郷土富士で、標高七四メートルの頂上からは、川名の町が見下ろせる。公園として整備されてはいるが、周囲には中学校と数えるほどの住宅があるだけで、公園としての利用者はそれほど多くない。

 階段で頂上に登ると、遮るもののない陽射しが注いだが、風が吹いて熱を覚ました。

「おい、そこの不良少年、自宅待機中だろうが」

 室戸亘高の茶化すような声に振り返る。

「どこを彷徨い歩いてんだテメエは、探させるんじゃねえよ」

 宇田川健の、言葉の割には棘のない声が、胸を逆撫でた。いつもみたいに胸倉掴んでこいとは言わないが、大きなため息が出た。

「春彦くん」

 御木本良太が、息を切らせて登って来た。膝に手をついて息を整えている。まったく、良太まで、何なんだよと、結んでいた唇が少しだけ解れたのが分かった。

「今日、火葬されたよ」

 良太に向き直り、その言葉の意味を呑み込んで、ゆっくり息を吐いた。苦いものが胸の奥まで入って来る。両手足を縛られて動けない。逃げられない。その状態に、現実が流れ込んで来るのを拒めない。怖かった。認めてしまうのが、現実に起きた事を受け入れるのが、どうにも嫌だった。

「ご親族と僕らで見送ってきたよ。ベンちゃんが、春彦くんのこと、心配してたよ」

「ベンはどうしてた」

喉が張り付いて、声が少し掠れて聞こえた。久し振りに発した気がする。

「きつそうだった」

 良太の声にも力が無かった。眼下の景色に視線を戻し、その先に居るかもしれない何かに向かって呟いた。

「まったくよ、次郎のヤツ、あっけなさ過ぎんだろ、簡単に死んじまって」

「春彦くん」

窘めようとする良太の顔は、泣き出しそうに歪んでいた。

「いくらなんでも弱すぎんだろう、親父なんかにヤられやがってよお、強くなるんじゃなかったのかよ」

 そんなつもりは無かったけど、口をついて出たのは悪態だった。声が震えてるのが分かって、隠そうとしていきがった。

「本当だな、もっと鍛えてやればよかったな」

 割って入った宇田川の顔も歪んでいた。室戸が宇田川の肩を叩くと、宇田川がそっぽを向いた。照れ臭そうにしているのが笑えた。

「本当に、あっけねえなあ」と、室戸が呟く程の声で言った。

「本当に、早すぎるよね」

 良太の言葉が沈黙の合図だったかのように黙った。風の音が耳に届くほどに。真次郎は呆気なかったのだろうか、小さい頃から行き場がなく、居場所も無く、身勝手な大人と、ずっと戦っていた、孤高の戦士なんだ。真次郎は、しっかりと生きた。それは褒められた事ばかりじゃなかったけれど、拍子抜けするほどの終わり方なんかじゃない。それでも、もっと戦ってほしかった、今度は仲間と共に。

「ゆるせねえよ」ざらついた声が漏れて落ちた。自分の声の汚さに、沸騰しかけていた血が引いた。風が冷まし、陽射しが熱を運ぶ。

高台にある為、標高こそは七四メートルで、二十三階程度の高さから、緩やかに下る丘陵の町を見下ろせる。だが、実際の地上高は十五メートルで、ちょうど、向かいの中学校の四階建ての校舎と同じくらいの高さだ。夏休み中で校舎に生徒の姿は無かった。ここから見えない校舎の向こうの、グラウンドには生徒の気配があった。恐らくは運動部の、勢いのある声が微かに聞こえて、沈黙に割って入る。

「横山が探してたぞ、春彦」

 室戸の優しい声が嫌だった。

「知るかよ、毎日毎日、家に来やがって、鬱陶しい」

「お前のせいで、横山の夏休み無くなってるんだけど」

「そりゃあ、警察署を襲撃したらいかんよ」

「でも、室戸くん達もやったって聞いたけど」

「何で知ってんの?バレてないはずなのに」

「普通に後輩たちが話していたよ、爆竹がどうとかって」

「爆竹だあ」と、春彦が呆れる。室戸達がそんな事していたなんてまったく知らなかった。あの人だかりに紛れて、爆竹を投げ込む姿を想像したら可笑しかった。

「おお、一箱丸ごとな」

「警察署に放り込んでやったぜ」

 得意気の宇田川の顔は、もう歪んでいない。

「なにが、放り込んでやったぜ、だよ、ガキかつうの」

「ホントに、許せねえけどよ、まあ、俺らはガキだし、そのくれいしか出来ねえけど、ガキなりに一言くれえ言わねえとな。取り敢えずはアイツも、それくらいで納得してくれんだろ」

 室戸が馴れ馴れしく肩に手を回してくる。それももう慣れて来た。

「ガキって、もうそれ、テロ行為だよ」

「まさかあ?」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ