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21,タクティクス

 タクティクス。勝利へ道を進んでいくように、蒸し暑さの残る駅前通りを歩く。駅へと坂道を下りて行くと、誰かが階段を駆け降りてくるのが見えた。

「先輩!」

「春彦くん」

 そう叫んで駆け寄り、そのまま春彦の胸に飛び込む。

「おい、良太、どうしたよ」

 御木本良太を抱えて、春彦にも笑顔が戻る。

「大丈夫?なんともない?」

「何ともねえって、大丈夫だから離れなさいよ」

「ご、ごめん」

良太が顔を真っ赤にして慌てて離れると、その横から真次郎が顔を出す。

「先輩、おれ・・・おれ・・・」

堪えきれずに、涙が真次郎の頬を伝った。春彦が真次郎の頭をくしゃくしゃと撫でて、殴られて腫らした顔を見て言う。

「随分格好良くなったじゃねーの」

真次郎の頬の痣を軽く撫でると「イテッ」と声をあげる。もう涙は止まっていた。

 その後ろから、高階伸二に御木本沙希と松田菜穂が遅れて来る。皆が言葉を飲み込んで向かい合う。沈黙を察して沢田が顔の前で拳を握って見せる。

「勝ったよ、もちろん」

皆が揃って破顔する。

「やったー!」

高階が両手を掲げて声を上げると、皆も歓喜の声を上げた。高階が興奮のままに春彦に言う。

「銀行の方は宇田川先輩が、もう今ごろは、いや、すげえんすよ」

「何言ってんだか分からねえよ」と、春彦が落ち着けと窘める。

「すいません。これ宇田川先輩からです。立川とかいうのが持っていた奥山真次郎名義の通帳とキャッシュカードです」

「そんなもん出されてもなあ、困っちゃうなあ僕。次郎のなんだから次郎に渡せよ」

「いや、でも」高階が躊躇う。

「青野くん、これ結構な額が入ってるよ」

沢田が横から入って通帳の中身を見て言った。

「え、そうなの」と、目を見開いて欲に眩んだ顔をするが、がぶりを振り、打ち消して言い直す。

「いやいや、俺の金じゃあねえし興味ねえよ」と、少しだけ目を泳がせて強がって見せた。

「おれ、それ持って警察行きます」

警察という言葉に反応して、皆が一斉に真次郎を向く。それぞれが、どこかで警察に通報するという事は、頭にはあった。通報など考えてもいない者も、警察というワードに、一瞬思考が固まる。

「警察って、何言ってるんだよ」

真次郎と同級生の市村が、慌てて近寄り、肩を掴ん揺さぶる。

「もう青野先輩がシメちまったんだから、今さら警察なんて必要ねえだろ」

高階が先輩風を吹かせて。真次郎を窘める。

「そうだよ真次郎くん、君が責任を感じる必要はないよ」

良太が言いなだめ、沙希が「そうだよ奥山くん」と賛同する。

皆が必死に、真次郎の考えを改めさせようとして口々に思いを発した。

「次郎、お前、警察行くような悪い事したの?」

必死に説得するみんなの言葉と対照的に、ぶっきら棒に言った春彦の問いに一同が黙り、俯いていた真次郎が顔を上げる。皆が真次郎の言葉を待ち、少しの沈黙が続いた。

「お、おれ・・・」

消えそうな声を絞り出すようにして話し出した。

「コンビニで、そこの東口のヨンチェーンで、万引きしたんです」

「万引きって、そんなの誰でもするって」市村が言うが、「しないわよ」と、沙希が指摘する。

「コンビニなんかで何盗ったんだよ、食い物か?」と、高階が訊く。

「いえ、あの、コロンです。タクティクスが売ってて、ヨンチェーンなんかで売ってるの珍しいから、前からずっと欲しくて、でも、なかなか売ってなくって、どうしても欲しくて。家に帰ってから次の日にでも銀行いってお金下ろせば良かったんだけど、もう週末で月曜まで無理だし、売り切れちゃうと思うったら、つい・・・」

「つい、じゃねーよ。だけど万引きで警察って、大袈裟だろ」と、市村が言う。

「いや、万引きはダメだよ、けど・・・」良太が言い淀む。

「コロンなんて、色気づきやがって。確かにタクティクスは人気だけど、そんなに欲しかったのかよ」と、高階が言うと、真次郎がコクリと頷いた。

「おれ、強く・・・強くなりたくて、先輩みたいに・・・タクティクスつけたら、少しは強くなれるかなって、あのコロンつけたら強くなれるんじゃないかって・・・少しでも、先輩みたいになりたくて・・・」

 真次郎の嘆きが一同を黙らせた。溜息を吐く者、あきれる者、同情する者と、それぞれだけれど、皆、しっかりとその弱音を受け止めた。

市村は小学生の頃、強くなりたいと人一倍に野球の練習をしていた真次郎を知っていた。中学に入ってからは、少しは身体も大きくなって力だって付いた。努力を惜しまなかった真次郎が、安易な物に縋るなんて信じがたかったし、何だか悔しかった。

「そんなもんで強くなれる訳ねーだろ」

高階には少し理解できた。コロンなんかで強くなれないのは分かっている。けれど、髪型をディップでビシっと決めて、ハイウエのバギーにお気に入りのボーリングシャツを着込んだときは『強くなった』と、までは思わないけど『俺も悪くない』くらいは思うし、他の奴らにナメられないように虚勢も張る。家には通販で買った警棒だってある。持ち歩いて無いし、使った事も無いけど、家の鏡の前で三段伸ばして振り回すと、格好いいと思うし、強くなった気分もする。それに小遣いがもっとあれば、タクティクスだってほしい。不良の憧れみたいな物だし、ある程度は認められないと使えないコロンだ。それでも・・・。

「パクった物じゃ意味ねえんじゃねーの」

沙希にはまったく理解できなかった。小さい頃は、幼稚で無下な差別にも屈しない真次郎の姿に好感があった。好意もあった。強い人だと思っていたし、彼の仕草には、人に当たるような苛立ちは感じずに、優しさもあった。だから悔しかった。だから思った事をそのまま言い放った。。

「香水なんてバカみたい。奥山くんに似合わないよ」

「でも真次郎くん、香りしないよね、つけてないの」と、皆の言葉を俯いて受け止めていた真次郎に、良太が訊いた。

「は、はい。一回だけつけたけど・・・やっぱり違ってて、高階先輩が言うとおりで、盗ったものだってのが、おれの中で消えなくって、駄目でした。それからは、もう使って無いです」

 真次郎が自身の恥を、絞り出す様に語った。目を伏せたまま、力のない声だけど、正直に語った。

「そうだよ、コロンなんて関係ねえよ」

「そうだよ」

 慰めるような言葉を遮る。

「いやあ、別に良いんじゃねえの、タクティクスでもギャッツビーでも何でもよ」

 ずっと黙っていた春彦の声に、皆が言葉を呑込んで注目した。皆の視線を感じて少し照れくさそうに、襟足を雑に掻いて続けた。

「なんつうの、別にコロンじゃなくても何でもいいんだけどよお、それで強くなったと思えるんなら良いんじゃねえの。実際はそんな物なんかじゃ、何も変わらねえってのは自分が一番分かってんだろ、それでも勇気が出るって言うかよ、力が出るって言うかよ、コロンが切っ掛けで頑張れるって言うか、踏ん張れるって言うかよ、なんつうか、それで力になるなら、強くなったって事で良いんじゃねえの」

 春彦が言い終えても、皆が黙ったままで、口を半開きに呆けていた沢田に、春彦が「なんだよ」と、横目で睨んだ。

「いやいや、別に、何も」

沢田が慌てて含み笑いで答えた。沢田に限らずに、春彦が真面目に語った事に驚いた。しかも『くだらねえ』と、切って捨てるかと思っていたけど、むしろ、擁護するような事を言った驚きで言葉が出なかった。

菜穂にも少し理解できた。真次郎だって、コロン一つで強くなんてならないのは分かっているだろうし、そうした物が力になるというか、自信をくれるのも分かる。新しいシャーペンを手にしただけで、少し頭が良くなった気分になるし、苦手な科目のテストでいい点を取れれば自身になる。でも、それがカンニングだったら。

「それでも」

松田菜穂が声を上げて、皆が菜穂を向いた。沙希に寄り添うようにして、ここまであまり発言していなかった菜穂が、凛とした表情で言った。

「そんなの、万引きした言い訳にはならないよ」

 そんな当たり前の言葉が、すうと通り抜けて、思わず笑みが零れる。

「えっ、ちょっと、なんで笑うの」

「違うの、菜穂先輩。本当にその通りだから、その通り過ぎて」

 沙希が言い添えようとするけれど、上手く伝わらない。

「どういう事よ」と、菜穂が小さな不満をもらす。

 場の空気が軽くなり、臍を噛む思いもほんの少しだけ軽くなった真次郎に春彦が言う。

「本当にその通りだけどよ、肝心な話はその先の事だろ、次郎」

 思い出した様に皆がまた、真次郎を見つめて言葉を待つ。一つ唾を呑み込む。その音が聞こえる程に空気が張り詰めた。

「その、タクティクスを万引きした所を、江藤たちに見られていたんです」

「あちゃー」「なるほどね」と、口々に呟く。

その言葉で、事のあらましを十分に理解する事が出来て、思わずため息が漏れた。

「正確には、バレたというか、コンビニを出ていく姿が不審だったのか、単にカモだと思われたのか、とにかく目を付けられたみたいで、おれは、初めて万引きをして焦っていて気付かなかったけど、コンビニを出た所から後を付けて来てたんだ。裏の公園で盗ったコロンを開けて見ていた所で声をかけられました」


 江藤は、身体を揺らして近づいて来て、あの粘っこい口調で話し掛けてきた。

「おいおい、万引きは駄目だなあ」

「逮捕だ、逮捕」

 隣りの立川が、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべて続けて言う。

 急に声を掛けられた驚きと、いかにも柄の悪い連中に怯んだ。近寄る二人組が醸し出す空気に『ヤバイ』と感じ、万引きの背徳感から、変な汗が噴き出した。真次郎は、咄嗟に逃げ出そうと、立ち上ろうとしたけれど、肩を押さえ付けられてベンチに座り直させられた。

「おいおい、」どこ行く気だよ」と、江藤は真次郎の隣りに、どかりと音をたたせて座り、手にしていたコロンを取り上げた。

「タクティクスかよ、センスは悪くは無いが、お前みたいな小僧がつけるには、ちょっと早いんじゃねえの」と、手に取ったコロンを値踏みするように弄んだ。

後にいた立川が、ディバックを取り上げようとする。気圧されていたのもあるけれど、盗んだことを知られた事に凍りついていて、大した抵抗も出来ずにバッグを奪われた。立川は当たり前のように中身を漁り、財布を取り出した。

財布の中に金は入っていない。そもそも金が入っていればコロンを盗るなんて事はしなかった。盗んだ事を忘れてくれるなら、お金を払っても良いとさえ思った。真次郎の後悔が荒い波のように激しく打ち付けてきた。この男のいう通りだ。自分にはまだ早かった。それでも、どうしても欲しかった。憧れた、あの強さが欲しかった。

先輩はきっと「バカじゃねえの」と、言うのが像出来た「くだらねえ」と、吐き捨てられるとも思っていた。それなのに「いいんじゃねえの」なんて言われてしまった。涙が流れた。恥ずかしくて止めたかったけど、止まらない。後悔の涙。それもあったかもしれないけど、万引きなんてダサイ事をしたのが知られてたのが情けなかった。真次郎が思っていた反応と違った事に驚き、背伸びをしたところで、少しも近づけてやしないと思い知らされた。

金の入っていない財布を漁った江藤たちは、その時に奥山真次郎名義のキャッシュカードに気づいたのだろう。

「タクティクスに似合う男にならねえとなあ、オクヤマシンジロウくん」

ねばりつくように名前を呼ばれて、背中が気色の悪かった。名前を知られた事にぞっとした。江藤は、コロンとバッグを返して寄越し、これで解放されるのかと安堵したけれど、そんな訳はなかった。

 馴れ馴れしく肩に手を回して歩かされ、駅前のゲームセンターの方へ連れていかれた。江藤たちは、真面目過ぎなくて、トッポくもない、丁度いい適当な奴を探して狙いを付けると、ハイエナが獲物を狙うように、逃げられない距離までゆっくりと近づいて声をかけて、建物の裏に連れ出す。

見張っているように言われて、嫌がったら少し殴られ、結局は従った。建物の裏でしている事は見えなかったけれど想像はつく。抵抗しないでお金を出せば殴られる事はないだろう。その彼がせめて痛い思いをしない事を願ってみて、自分の情けなさに強く目を閉じた。

カモられた彼が、建物の裏から出て来て去っていく時に「すいませんでした」と、真次郎にまで頭を下げていった。自分より明らかに年下の中学生に頭を下げて行った。胸がギュウと縮んで痛んだ。

江藤たちは満足げに数枚の紙幣を手にし、べたつく笑顔を浮かべて戻ってきた。

「お前、この金ちょっと預かっておいてくれよ、銀行のカード持ってたろ」

 嫌がったら殴られ、銀行の口座を取り上げられた。

 それから、何度も見張りをさせられた。二つ隣の快速が止まる駅や、時には横浜駅まで足をのばした事もあった。その度にお金を口座に預けた。何度かに一度には、窓口へ行って、知らない口座に振り込みをさせられた。その時にはじめて、銀行で振り込み手続きというものを経験した。もう、事実上は真次郎の口座じゃなくなっていた。

逆らわない限りは仲間の様に扱われて、親し気に接してきた。一緒に悪さをしている中にいると、時々勘違いしそうになる自分を止めるのに必死だった。こんなの仲間なんかじゃない。強くなった訳でも無い。

金で仲間割れをしたりとか、盗まれたりしない為に管理する必要があると言っていた。そもそも仲間という連中の事を信じてなどいないのだろう。次第に江藤たちの仲間という面子も増え、口座の預金残高も増えていった。もともとあった真次郎の残高が眩むほどの金額だった。


「分かったからもう泣かないで」

 そう言った沙希も瞳を濡らしていて、真次郎は恥ずかしさがこみ上げてきて、簡単に涙が止められた。我に返ると、駅前を行き交う人達の注目を集めていて、人だかりにまではならないけど、遠巻きに見ている人もいた。駅の階段の下、数人で集まっているのだからそれは目立つだろう。誰もその事に、なかなか気づけなかった。

「ちょっと、目立ち過ぎじゃない、移動しようか」

沢田が背中を押して移動を促し、ひとまず階段を上ってさっきまで居た公衆電話のある方へ動き出した。

青野春彦、沢田智則、御木本良太。市村雅人と高階伸二。そして御木本沙希に松田菜穂。奥山真次郎を入れて8人もが寄り集まり、泣いている者までいたのだから。それは注目されるのは当たり前だった。

「でも、このお金どうしますか?」

 階段を上って戻りながら、高階が、解決していない話題に戻した。

「次郎の通帳なんだから、次郎のでいいだろうが」

 面倒くさそうに春彦が言う。

「それは、いろいろと悪くないですか」流石にそれはと、高階が言うが、そんな事は気にも留めずにあっけらかんと春彦が返す。

「いいじゃん悪くて。俺、不良だし」

 階段を上る足を止めて、皆が顔を見合わす。良太が最初に「ぷっ」と噴き出すと、皆も笑った。

春彦は「何笑ってんだよ」と、不貞腐れて文句を言う。

「いやあ、流石にそのままでは」と言いながらも、笑ってしまう。

「まあ、ともかくひと段落した訳だからさ、マックでも行って一息つこうよ」

「そうだね、もう物騒な話は終わりで、後の事はゆっくり考えようよ」と、良太が同意する。

「本当っすよ、こんな暑い日にする話じゃないよ、本当なら海行きたかったよ」

 沢田が汗ばんだシャツを摘まんでひらつかせて言う。

「あ、いいですね」と、市村が「いいじゃん、いいじゃん」と、高階が賛同して盛り上がっている。

「よし、マックで年密な計画立てようぜ」と、沢田が先導する。

 ちょうど階段を上った辺りで、不意に公衆電話がリリンと短く鳴って切れた。

 良太が慌てて電話機に近づくと、もう一度呼び出しベルが鳴り、素早く受話器を取った。

「も、もしもし、うん、はい。ちょっと待って」

 受話器を顔から外して、様子を見て近づいた春彦の顔を見上げると、一つ頷いて春彦に受話器を渡した。

「先に行ってますよ、早く来ねえとポテト冷めちゃいますからね」

 そう気を利かせて、皆を連れ立って行く沢田に、それに合わせて良太が「待って、待って」と後を追う。良太が振り返ると、小さく片手を上げて応えた春彦が、受話器を当てていた。

「もしもし・・・分かった今から行く」


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