束縛
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「不快だ」
時間は遡り、サマラフがクォン・タユの王城から離れて市街地へ戻った頃。城内にある執務室では、クリストュルが仮面の下で苛立った顔をしていた。
「私がエリカの運命を握り締めて何が悪い?感謝されても、文句を言われる筋合いは無い」
異性関係で腹を立てることはリラとの婚約の話が初めて出たときもあったが、特定の男に対して強い嫉妬心を露にするクリストュルの姿など、宰相のギルネアは仕え始めてからこの方、見たことが無かった。
(サラ様。いつになれば、エリカ殿を連れて報告に戻られるのか)
すぐにでも心を宥めてくれる唯一の存在からの吉報が新たに届けば、この澱んだ空気を和らげてくれるのに。
「見送りが終わりました」
「エン殿」
戻ってきた従者も微かにピリピリした空気を纏っているが、主君よりマシなほうだった。
「サマラフ卿はシュノーブを出国し、チャイソンへ向かう予定だと言ってました」
クリストュルは鼻でフッと嘲笑う。
「リュイ殿に泣き付いて、此方を牽制するつもりか」
「それについてですが、ご気分が優れないところ申し訳ございません」
「何だ」
「婚約を破棄して貰うために訪国するそうです」
執務用の机の上で、紙を強く握り締める音がした。
ギルネアは話題を逸らそうとする。
「チャイソンは、課題が多い国ですからな」
紙を握り締めてる手に、さらに力が加わる音がした。
サマラフの狙いをわかってるエンは、先手を打つための意見を仰ぐ。
それが不機嫌さを増幅させると知った上で。
「クリストュル様。エリカ様が記憶を取り戻してサマラフ卿をお選びになったときは、如何なさい……、」
空っぽのカップがエンの左頬を掠めそうな速さで飛んで行き、奥にある壁にぶつかって砕けた。
ギルネアは固唾を呑む。臣下に対し、此処まで短気になる主君の姿は、バーカーウェンから帰還後、初めてのことだ。
クリストュルは椅子から立ち上がった。歩いてエンに近付き、横を通り過ぎると、カップの破片を一枚拾う。そのままエンの背後に立って、尖った先を背中に触れさせた。
「君が私に、智慧を求めるのか?」
「ッ、」
痛みは無く貫通もしてないが、切っ先でぐっと押されたエンは、ぞっとした。
振り向かず、前を向いたまま訊ねる。
「…………では、サラ様がお相手になった場合は如何なさいますか?」
ギルネアは(これ以上、喋らないほうが御身のためですぞ)と、エンの顔に視線を向ける。
「……」
クリストュルは渋い表情をして黙った。弟となれば複雑な気分になる。手を下ろし、席へと戻ることにした。
冷静にさせてくれる者が居るうちは大丈夫だと、この場だけでも抑えることができたエンは胸を撫で下ろしたい気分になった。
ーー コンコン
通路側からドアを軽快にノックする音が室内に響く。
エンはクリストュルが椅子にすとんと座るのを見てから、ドアの向こう側に居る相手に話しかけた。
「どうぞ」
室内に居る三人は、入室した人物を見て目を丸くする。
サラだった。
「よっ。報告しに帰ってきたぜ」
噂をされていたとは露知らずの明るい声。サラは床の上に散乱しているカップの破片を一瞥して笑う。
「何だ、兄貴。腹立つことでもあったのか?」
以前の荒んでる姿を知っているサラは面白がった。
茶化されたクリストュルは気まずい気持ちから、口元に小さな笑みを浮かべる。
「僕も人間だからね」
「都合が悪いときそう返すの、変わってねぇな」
サラに、はははっ、と笑われた彼は、動揺を悟られないよう話題を切り替える。
「ユンリ殿とエリカは?」
「入浴中。旅の汚れを落とさせてから報告に来させたほうがいいと思ってな」
運命が引き合うなら、サマラフと出会ってしまう。
先に、執務室に居た三人の脳裏に、悪い予想が過った。
クリストュルは皺が寄った紙の上に、未使用の紙を乗せながら言う。
「わかった。食事の準備をさせよう。私への報告は今夜……、今日はおまえ一人でいい。ユンリ殿は兵舎のほうへ。エリカは以前使わせた客室に案内させる」
「了解」
「疲れてるところ悪いが、旅で得た情報や用意してほしい物は、書面で提出するように。明日以降でも構わない」
「じゃ、溜まってる仕事も片付けるか」
サラは退室しかけたところで、あることを思い出し、振り返る。
「ああ、兄貴」
「ん?」
「誕生日おめでとう。一日遅れだけどな」
「有難う」
ギルネアとエンは、サラ様、様々だと思った。
*
エリカの外出及び、騎士団領への移動を一時的に禁止にしたことで、クリストュルは安心した。運悪くサマラフと再会されたり記憶を取り戻されてしまっては困る。計画が台無しだ。
夕方、クリストュルは執務室を出る前に、体力を維持するために調合した粉末状の薬を口内に流し込んで溶かした。
エリカは十糸たちのチカラを、直接本人たちに会わずに半減させるという目的を順調に果たしてくれている。代償として、契約者であるクリストュルの体は僅かに疲れやすくなってることは、エリカは勿論、この城に居る者たちも知らない。
(今日、会うのは難しいか)
クリストュルはエリカ宛に「明日の夜、寝室に来てほしい」と手紙を書き、エンに渡した。
(まともに顔を見て話すのは、これが最後になるかもしれない)




