天牢の闇に伏す者(2)
室内に、不穏な空気が微かに漂い始める。
二人が水鳥信奉者だと知ってあまり良い気分がしなかったサマラフは無理解そうに眉間に皺を寄せ、二個目を包む。
「エリカはシュノーブに居て幸せでしたか?」
質問の仕方を変えただけで、執拗に言わせようとする。
ティックは、嘲笑にも見える小さな笑みを浮かべた。
「あの娘のためだけに質問を消費するなんて、とても馬鹿げた行為だと思わないか?」
「思いません」
時間も訊ける数も限られてるのに。滑稽で、逸そ清々しいとティックは思った。
「幸せになるとは何を指すのか、我々も君もあらゆる答えを知っている。どうすれば形にできるのか、その方法さえも。
クリストュルは彼女のために尽くした。餌を運んでくることは彼でなくともできるが、食べるか食べないかは雛が決める。食べなければいけない理由も食べ方を考えるのもすべて雛自身であって、君でもクリストュルではないということだ」
煙に巻くような表現。サマラフは(翼竜を彷彿とさせる会話だ)と思った。
水鳥信奉者は水鳥信仰者とは違い、哲学者に近い言葉を口に出す。他者を試し、心を操作して弄び、洗脳さえもする。
サマラフは三個目を包んだ。
「リラ殿が左遷されたそうですね。どうされてますか?」
「良い方向に転ぶか、悪い方向に転ぶか、それもまた本人次第だ。エリカ殿との違いは、外側に問題があると考えるか、内側に問題があると考えるか、その差だろうな」
三つ目にして、ようやく回答らしい物が得られた。
外側に問題があるとは、置かれてる環境や周りのせいにすること。他者が接触の仕方を誤ると、余計な刺激をリラに与えてしまう。当人の親さえもできることは何も無い。
「有難うございました」
サマラフは座ったまま一礼。体感としては、魔力の三分の一を消費した気がする。
「……質問以外なら、少しは話せるが?」
「…………。私はエリカを苦しめました。彼女が幸せだったか聴きたかったのは後悔をしてるからです」
「幸せでなければ強気に出て、幸せと言うなら何もしないのか?」
「いいえ。できることをするだけです」
ティックは立ち上がり、ソファーの後ろにある棚の前まで行くと、引き出しから紐付きの小袋を取り出して、テーブルの近くまで戻る。魔力が注入された三個の飴玉を袋に入れ、サマラフに渡したら、また同じ席へ座った。
「クリストュルも君も変わらない。エリカ殿を苦しめ、愛する。同じだ。恋とはそういうものだ。君たちが被害者であり加害者である事実もまた、地位を捨てても変わるものではない。苦しませても愛し抜くことができるか否かだ」
「ティック殿は雲みたいな方ですね」
掴むのが難しいという意味。
「君は、わかりやすい答えを欲しがる。クリストュルにも似た所はあるが、エリカ殿は感情的になって突っ走るのを抑えていた」
「意外です。彼女は俺たちと居るとき、自分の意思をはっきり言う子でした。嫌なことは嫌、好きな物は好きだと」
ロアナで追い詰めさせるまではーー、の話だが。
ティックは間を置いてから、僅かに憂いを帯びた声音で教える。
「エリカ殿は、自分のことを未熟で子どもだと言ってたよ。大人になれなかったと自己卑下をした」
「……」
「彼女の此処での暮らしは、一度立ち止まって考える良い機会になったと思う。シュノーブは良くも悪くも何も無いからね」
得られる楽しみ、人との関係、環境。それらは触れることのできる範囲が限られている。加えて、夜と早朝は聴こえる音も少ない。気持ちを散らせない分、心を見つめやすくなる。
サマラフは渡された小袋について、
「これは?」
と、訊ねた。
ティックは右の手のひらを上にし、人差し指で袋を指す。
「自分の体に合った魔力の純度のほうが、体に馴染みやすく回復量が増す。治験済みだ。使ってみるといい」
「俺たちは、あなた方の理想を叶えるために振り回されるのを望んでいません。エリカの人生も、そうあってほしいです」
サマラフはテーブルの上に袋を置いて立ち上がり、セティナ、カニヴととも娼館を出た。
宿屋を目指して夜道を歩く。
「拙者はあの者、苦手でござる。セティナ殿はどうでござったか?」
「微かにエルフの匂いがした」
「王は知ってるのか?」と、サマラフは右隣りを歩く彼女に訊ねた。
「エンとやらはそのような匂いはしなかったが、守護がエルフを指すのなら……」
「エリカを囲っているのは王ではなく、……!!」
暗躍する『世界』の味方。
当時のサマラフたちは、織人の刺客が死族を使ってクォン・タユの王城を襲撃したときに、翼竜が忍び込んだと思っていた。
それは勘違いで、真実は異なる。
先王ヴレイブリオンを殺めるための手引きを内側からした者が居た。ティックだった。
セティナは、足を止めて固まるサマラフの右肩に左手を乗せる。
「現王が懐に何を飼ってるのか知らぬなら、儂らは放置すべきじゃ。アイネスに対抗すべくエリカを選んだ時点で、奴は初めから捨てておる」
自ら人質になり、いずれ自滅するということ。
「止めようとすれば、」
サマラフが憶測を口にしかけたところで、突然、目の前に壺が落ちてきて割れた。見上げると、三階建ての家屋の屋根の上から此方を見下ろす一体の黒い影。それは逃げるように背中を向け、闇に溶けて消えていった。
サマラフは呟きを零す。
「……なるほど。わかりやすいな」




