10.隠居します!
女王陛下の話し相手として引き止められたり、冒険者協会で依頼完了報告ついでに高ランク依頼をいくつか片付けたり、俺の王都滞在を聞きつけた魔法師の研究所関連があちこち押しかけてくるのをあしらったりしつつ、お願いしたドラングーンに付ける鞍の完成を待つこと1週間。
王城から用意ができたと知らせがきた。
その1週間の間に我が家の前庭には立派な竜の巣が出来上がっていた。というか、前庭の半分が林に変わった。葉の大きな落葉樹が庭の半分を覆うように半円を描いて植えられ、その下には柔らかな種類の草が適度に刈り揃えられた状態で敷き詰められている。中に入らせてもらったら気持ちいいくらいフカフカだった。
「てか、明日明後日には移動するんだが?」
『ここも主の自宅であれば、訪れる機会も多かろう。なに、所詮は仮宿よ。我が住処は定住の地に作る予定ぞ』
「ちなみに、定住の住処だとどうなるんだ?」
『巣穴だ』
「……あぁ、そういえば」
この中位竜、土属性だった。しかも、名前からして岩石竜。むしろ岩場に洞窟の巣穴でも自然だ。
「それで、今日の昼食をと女王陛下から誘われていてな。ドラングーンも一緒に直接中庭へどうぞ、だそうだ」
『昼時となれば間もなくであるな』
そのために俺が外出着で庭に出てきたのだと悟ってくれたドラングーンが背を伏せてくれるので、尻尾からよじ登った。背中を踏んで歩いているのだが、背中の鱗は特に硬いそうで、痛みはないのだそうだ。それを聞いてからよじ登るのに遠慮がなくなったのだが、やはり気にした様子もない。
既に定位置となった肩に跨がれば、中庭だな、と再度確認したドラングーンが肩を揺らさないように飛び上がり、またたく間に王城上空に至った。
いや、空路は速いな。
既に準備万端で待っていた女王陛下が、満面の笑みで空を仰いでいた。
「いらっしゃい。待っていたわ」
「ご招待ありがとうございます」
『世話になる』
庭には大きな絨毯が敷かれていて、これはドラングーンのためらしい。食事の用意されたガーデンテーブルの一角が空いていて、そこに面して僅かに高さを上げた台と平皿に盛られた肉料理が運ばれてくるので、そこはドラングーンのために用意された席のようだ。
ここに待っていたのは、要人では女王陛下と宰相閣下、護衛の近衛騎士隊は不在のかわりに副隊長殿だけが列席だった。
「おじいちゃまは今日は来られないそうなの。神殿にも遊びに来なさいと伝言を預かったわ」
「神殿は遊びに行くところではないですよ」
「そうねぇ。迂闊に行くと遊ばれちゃうものね」
同意の観点が違う気がする。いや、陛下にも猊下にも立場の弱い俺では太刀打ちできないのでスルーするが。
庭ということと昼食という時間帯のおかげで、コース料理のように1品ずつではなくセットの全てが供されているテーブルは、3人分の食事が用意されていた。
宰相閣下は仕事中に俺を迎えるためだけに抜けてきていたそうで、すぐ戻るのだとか。飯くらいはゆっくり食べれば良いのに、と思うが、余計な世話か。
「先日はご助力をいただきありがとうございました。時に、あの過去を映す魔石は実に有用な物ですな」
「時空魔法と光霊魔法があれば誰でもできますよ?」
「ご冗談を。時空魔法はもとより、光霊魔法でも扱える魔法師はゼフォン殿くらいのものですよ。また、それが入り用な際にはご協力いただけますか?」
「指名で依頼くだされば。自宅でゆっくり隠居暮らししようと思っていますから、必要な時に呼んでください」
「承知致しました。その際はどうぞよろしくお願い致します」
礼を言うよりも録画魔石の商談がメインだったような会話を終えて、宰相閣下がそそくさと仕事に戻っていった。思わず全員で見送ってしまった。
まず気を取り直して苦笑したのは近衛副隊長殿だ。流石、女王陛下の秘密の恋人をしているだけあって、肝が据わっている。それから、女王陛下も呆れたようにため息を吐いた。
「うちの宰相がごめんなさいね。昨日から年甲斐もなく興奮しちゃってしょうがないのよ」
「男の好奇心に歳は関係ないですからね」
「あら、悟りでも開いたみたいね」
「ただの人間観察による経験則ですよ」
コロコロと女王陛下が笑ってくれる。あまりフォローになっていないフォローだったが、それで良かったようだ。
改めて席に促されて、未婚のご夫婦と昼食のテーブルを囲む。
おかしい。俺は招待客のはずなのだが、微妙に落ち着かない。せめてもうひとりいて欲しい。
「それで、トアくん。隠居と聞こえたのだけれど、本気なの? まだ若いのに」
「外でやりたいことは大体やり尽くしましたから。後は畑仕事でもしながらゆっくり過ごしますよ」
「ご主人はこんなことを言ってるのですけれど、従魔としてそれで良いのですか? ドラングーン殿」
『元より土属性の竜種は巣に篭ってのんびり生きることを良しとする種族。何も問題はない』
契約したばかりの従魔として冒険したいだろうという意図だったのだろうから、ドラングーンの返答はまさに肩透かしだ。むしろ隠居宣言した俺より乗り気だった。俺の地元が崖下の窪地と知って巣作りが楽しみで仕方がないらしいからな。
そうですか、と陛下がガッカリしているが。
「自宅に戻るとは聞いていたから、せっかくだから頼もうと思っていたのだけれど、駄目かしらねぇ」
片手を頬に当て、ほう、とため息がひとつ。おっとりした熟女には似合いすぎな仕草だが、これで天然ものらしいから凄い。隣の旦那さんも苦笑している。
それにしても、自宅に戻ることが前提の頼みとは何だろうか。畑仕事に影響がない範囲なら請けても良いのだが。
「冒険者を辞めるつもりはないですから、自宅から通いの仕事であれば請けますよ?」
「そう? だったら、話すだけしてみようかしら」
聞いてちょうだいな、との前置きをして、女王陛下が打ち明けてくれたのは次のようなものだ。
前述の通り、女王陛下の在位は弟王子が20歳になるまでの期間限定である。その王太子殿下は現在19歳で、宰相の下で実地で下積み中であり、来年か遅くとも再来年には譲位の予定になっている。
その後、退位された女王陛下は直轄地の離宮へ移られるわけだが、そうはいってもまだ30歳そこそこの若い年齢で、それでも結婚の予定こそあれ出産は難しい年頃という微妙な年代だ。
そこで、自分の子どもは無理でも子育てに携わる仕事を始めよう、という方向に進んだのは、国家運営経験からくる経営者資質も影響していると思われる。
ちなみに、旦那さんは前王の警護を理由に近衛騎士隊から分隊を出した隊長になって付き従うとのこと。
「それでね、せっかくこうして深淵の魔法師殿とご縁があるのだから、魔法師養成学校を作って教師をお願いしようかと思っていたのよ」
「場所はサデナ地方王家直轄領が決まったから、ゼフォン町郊外なんかどうかなって、今調整中なんだ」
おっとり話す女王陛下によくお似合いの旦那さんも、落ち着いたテノールでふわっとした口調だ。が、その口調で俺にとっては爆弾発言だった。
つまり、うちの近所に学校を作ろうとしているわけだ。俺を教師として囲い込むためであることも隠す気が全くない。
「深淵の魔法師に師事できるとなれば、宣伝にもなるし」
「俺の存在を使い切る勢いですね」
「あら、トアくんにも利点はあるわよ? 定期的に収入が得られるし、後継者も育てられるでしょう?」
「弟子なら自宅で留守番をしてますよ」
とはいえ、だ。
実現の予定はおそらく早くても再来年。その頃には俺も隠居暮らしに飽きて何か新しい事を始めようとしているだろう。自分の年齢を考えても、自宅から離れずに新しい仕事が始められるなら願ってもないことだ。
「非常勤もしくは研究職として自宅勤務で良ければ」
「引き受けてくれる? ありがとう! その方向で話を進めるわね」
「ちなみに、現地住民の視点から見て、学校を作るオススメの土地はあるかな?」
「町から我が家までの道沿いは大岩のゴロゴロした坂なので、整備してもらえたら助かりますが」
『整地なら我の力を頼むと良かろうに』
「その上に何か建てるなら建物に合わせて整地した方が効率的だろう?」
『ふむ、然り』
何も建つ予定が無くて俺の土地なら、ドラングーンに頼んで好きに整地するし、草原にしてやるけどな。
家の周りは荒涼としていて埃っぼいんだよ。
「でしたら、学校を建てる際にはご協力いただけますか?」
『主が許すならば』
「従魔ならば当然ですわね。けれど、トアくんは断らないでしょう?」
「いや、まぁ、確かに断りませんけどね」
女王陛下に頼まれたら嫌とは言えないでしょうに。彼女の友人としても嫌とは言わないけども。
「ふふ。退位後の楽しみが確定できて嬉しいわ。トアくん、末永くよろしくね」
「こちらこそ」
「まるで嫁入りの挨拶だねぇ」
「あら、やだ。私の輿入れ先はアレンの元よ?」
「うん、分かってるから大丈夫。ただの感想だからね」
失言だったと謝る副隊長殿と可愛らしく詰る女王陛下がそのままイチャイチャモードに入る。一応傍観者がいるんだけどね、ここに。独り身としては少し控え目を希望だ。
昼食会のあと、オーダーメイドの鞍を着けて俺を乗せたドラングーンがそのまま中庭から飛び上がる。見送りは女王陛下とその恋人のふたりきりだが、王宮上空を舞う中位竜の姿は王都内どこからでも見られるだろう。
俺の姿形と肩書に、従魔が中位竜というところもあっという間に噂が広がったようで、街の様子に変わったところもない。むしろ、子どもたちがあちこちで笑顔で指を指してくるという、微笑ましい光景が見えている。
『では、参ろう。主の住まいは遠いのか?』
「あの山の麓だ。ドラングーンならひとっ飛びだな」
『承知』
バサリと大きな翼を羽ばたかせ、ドラングーンは王都上空を1周してから目的地へ向かって進み始めた。
オーダーメイドの鞍は半分ほどの背凭れが付いていて、乗っていて楽チンだ。それに、スピードが出ても安定している。鞍という道具の威力は流石だな。乗馬の必須アイテムなのも納得だ。
ドラングーン自身は、鞍が間に挟まる事で主を乗せている感覚が薄れて怖い、と言っていたが。そこは、慣れてもらうしかない。
目的地は視界に入る山の麓。馬車でも朝の便が昼過ぎに着く距離だ。空を飛べばあっという間で。
留守番を頼んでいた甥と姪が中位竜の姿に慌てて塔から飛び出してくる。そのふたりに、俺は手を振った。
「弟子たちよ! 今帰ったぞ!」
「「帰ったぞじゃないですよ、バカ師匠!!」」
身内の気安さから出てくるいつもの暴言に、俺は久しぶりに大笑いしていた。
※
あれから2年。
俺は朝から日課の畑仕事に精を出す。隣には人化したドラングーンが鍬を振るっていて、先ほど収穫したばかりのキュウリを口に咥えたままだ。いや、もぎ取ったキュウリが美味そうだとかほざくから、俺が口に突っ込んでやったのだが。
従魔契約した時は人化できなかったドラングーンは、我が家である塔に入れない自分の身体が邪魔に思えたそうで、1年ほどの猛特訓で人化に成功してみせた。動機が俺の料理を熱いうちに味わいたいという食欲から来ているのだから、不純と言うべきか欲求に素直というべきか。
旅の最中は留守番を任せていた双子の甥と姪だが、甥はできたばかりの魔法学校で初級魔法理論を教える教師として就職したため我が家から職場に通い、姪は独り立ちして冒険者協会に登録し、魔法剣士への道を歩み始めた。
その甥が働く学校は、提案通りに我が家と町の間に学び舎を建設中で、来年春から学生を迎えて本格開校の運びだそうだ。校長には女上皇陛下が就いた。譲位直後に婚姻を結んだ旦那さんは校長秘書として忙しく働いている。
その校長夫妻だが。
「やっぱりこの坂キツくなぁい!?」
「身重だから余計感じるんだよ。だから、背負うって言っただろう?」
「もう、うちの旦那様は相変わらず過保護ねぇ」
「いやいや、身重の奥さんを気遣うのは亭主の義務だからね!?」
お隣さんな自宅から丁度やって来たところのようだ。さらに後ろからは両手に荷物を抱えたうちの弟子が走って追いかけてきている。
「おはよう、トアくん! 打ち合わせに来たわよ!」
「おはようございます、校長。片付けて向かいますので先に部屋へどうぞ」
ただいま、集めた職員と開校準備の真っ最中である。
開校と前後しての出産予定なので、高齢での初産でもあるし心配は残るが、めでたいことが続くことになる。来春が楽しみだ。
先に居間に書類やら模型やらを並べている彼らに採りたての果物を持っていくと、紅茶を淹れていた弟子からカップが差し出された。まだ15歳の甥っ子だが、細やかに気の利く子に育って叔父としても嬉しい限り。
「そうそう。以前同行してもらった勇者一行なんだけどね。勇者が重傷を負って帰還したそうよ」
「他の仲間は?」
「聖女は心を病んで離脱、同行していた戦士が勇者を守って同じく重傷。命からがら帰還したのは唯一身動きの取れる状態だった仲間のひとりが馬車を走らせたおかげみたい」
だったら、一応全員生還だ。追い出されたとはいえ一時は仲間だった彼らが命を落としたとなれば気になってしまうが、生きてさえいれば薬作りを教えたドウの息子のカウが治すだろう。
何かあれば訪ねてこいとは言い置いたし、無理なら頼ってきてくれれば良いがな。
「それにしても、これで当代勇者が使えなくなると、魔王討伐が滞るわね。うちの国は魔王領から遠いから良いけれど、隣接する国の安全が心配だわ」
『なに、心配無用。当代魔王は外に興味のないいんどあ派よ。配下の魔物ともども魔王領に閉じこもっていよう。現に、当代になってよりこの方、魔族より他種への攻勢があったなど聞き及んでおらぬ』
「あら。そう言われればそうねぇ」
畑道具を片付けてこちらも戻って来たドラングーンが鼻で笑って言うのに、女上皇陛下もおっとりと片手を頬に当てて相槌を打つ。
そうなのだ。当代の魔王は討伐対象にするには危険度の低い相手で、だからこそ俺も追い出されるに任せて自宅に戻ってきたわけで。好戦的で危険な魔王なら、勇者を放置して魔王退治に先行したかもしれない。
『そも、魔王もまたこの世の理よ。当代が討伐されれば新たな魔王が選出されるだけのこと。永遠に終わらぬのだ。ならば、危険のない魔王にその椅子を守ってもらうこともまた、平和な世の維持には有効というものよな』
「考え方ひとつだわね。私は賛成」
「戦乱の世になるより余程良い。当代魔王の在位中のみといえど、平和が維持されるなら歓迎だな」
しかも、基本的に魔族は長生きなので、数百年は安泰だ。むしろ、そんなに長い間脅威に晒されないとそれはそれで今度は人間の国同士で戦争でも始めそうだが。
「ま、 いずれにせよ放っておけば良いさ 」
そうだねぇ、と夫婦揃って同意を貰い。それよりも、目の前に広げられた本題が当面の課題だ。
「平和が確定したところで、トアくんのお嫁さんはまだなのかしら?」
「う……。いや、俺のことも放っておいてください!」
目の前の仕事が当面の課題ですよ、女上皇陛下!
俺の従魔である ドラングーンにまで忍笑いされて、誤魔化し目的に目の前の書類を引っ掻き回す俺だった。
ヤマも無くこれでおしまいです。ありがとうございました。