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婚約破棄された美容職人令嬢の変身サロン 〜見返すためではなく、あなたがあなたを取り戻すために〜  作者: 他力本願寺


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第27話 鏡は嘘をつきません

王国中の貴族の視線が、刃のように突き刺さる。


 ヴェロニカ、オルド、神殿保守派、そしてクラウスという四方向からの激しい公開告発を受けたセリーナは、広間の中央で静かに口を開いた。


「私が、皆様のお顔を壊す魔女であるというのなら」


 セリーナは、居並ぶ貴族たちをまっすぐに見た。


「どうかこの場で、鏡の前に立って確かめてみましょう」


 その言葉を合図にしたように、少し離れた場所にいたアレクシスが、衛兵たちに目配せをした。


 彼らは素早く動き、広間の中央に、サロン・ミロワールで使われているものとよく似た、大振りの姿見を運び込んだ。


 さらに、先ほど控え室で拘束された一人の侍女が、怯えきった様子で引き出されてくる。


「何をするつもりだ! 見苦しい言い訳など……」


 クラウスが声を荒げた。


 だが、セリーナは彼を一瞥すらしなかった。


 手元の革鞄から、一つの小箱と、封じられた小瓶を取り出す。


「言い訳などいたしません。事実を提示するだけです」


 セリーナは、小瓶を広間の人々に見えるように掲げた。


「こちらは、先ほど控え室で、この侍女がすり替えようとしていた小瓶です。外側は王宮備品に偽装されていますが、私が安全を確認したものではありません」


 ヴェロニカの目元が、わずかに動いた。


 セリーナは続ける。


「中身には、紅斑草の抽出液が混入されています。肌に塗れば、数時間後には焼けるような痛みとともに、赤みと腫れを引き起こす成分です」


「な、何を馬鹿な! そんなものを、なぜあなたが……!」


 ヴェロニカが声を荒げる。


 セリーナは、畳み掛けるように、分厚い記録帳を大鏡の横のテーブルに広げた。


「これは、私がつけている仕入れと保管の記録です」


 その声は、よく磨かれた刃のように澄んでいた。


「百花夜会で使用する化粧品の容器には、すべて底に特殊な印を施しました。通常の灯りでは見えませんが、試薬を当てれば浮かび上がる印です。誰が、いつ、どの容器を、どの場所へ運んだかも記録しております」


 セリーナは、侍女が持っていた小瓶の底に試薬を塗る。


 本来なら浮かび上がるはずの淡い青の印は、どこにも現れない。


 広間に、小さなどよめきが走った。


「つまり、この小瓶は後から持ち込まれたものです」


 セリーナは、さらに小箱を示した。


「数日前、私のサロンにも、同じ紅斑草の成分が混入された下地粉が納品されました。私はすぐに異変に気づき、すべて安全なものに差し替え、証拠として保管しております」


 その時、アレクシスの合図を受け、王宮薬師が前へ進み出た。


 薬師はセリーナから小瓶と小箱を受け取り、用意された試薬を一滴垂らす。


 白い粉は、しゅわ、と微かな音を立て、赤茶けた色へと変わった。


 王宮薬師は、静かに頭を下げる。


「紅斑草の反応に間違いございません。肌に用いれば、強い炎症を起こす危険があります」


 その言葉に、広間の空気が変わった。


 疑念の色が、告発者たちへと向き始める。


 セリーナは、ヴェロニカを見た。


「私が危険な化粧品を使っているのではありません。誰かが、私の店が危険であるように偽装したかった。それが事実です」


 証拠。


 記録。


 王宮薬師の確認。


 その三つを突きつけられ、オルドの顔色が変わった。


 政治の管理者である彼にとって、これほど明確な物的証拠を前に、安易な告発を続けることは危険だった。


「そして、何よりの証拠がここにいらっしゃいます」


 セリーナが振り返ると、エリスが静かに一歩前へ出た。


「私は、セリーナ様に別人にされたわけではありません」


 彼女は、銀細工の眼鏡にそっと触れた。


「私はただ、自分の愛する本と、この眼鏡を恥じずに生きることを選んだだけです」


 次に、蜂蜜色のドレスを着たベアトリスが進み出た。


「私は、お菓子作りで荒れた自分の手と、この丸みを誇れるようになりました」


 ベアトリスは、ふっくらとした手を胸元に添えた。


「誰かに選ばれるためではなく、私が私のまま笑うために」


 コレットが、深い葡萄色のドレスを揺らして続く。


「誰かを見返すためでも、他人の好みに合わせるためでもない。私は、私のために装うことを彼女から教わったわ」


 リディアは、誇り高く胸を張った。


「王都の白粉で、私の辺境の誇りを塗り潰さずに済んだのは、彼女のおかげです」


 そして、王妃イザベラが、黒真珠の威厳を纏って静かに口を開いた。


「彼女は、私が恐れていた時間を、美しさへと変えてくれた」


 王妃の声に、誰もが背筋を伸ばす。


「私の皺は、私が笑い、悩み、愛し、この国と共に歩んできた日々の証なのだと」


 聖女ミレイユが、薔薇色のドレスで微笑んだ。


「白い服だけが、清らかさではありません。私は彼女のおかげで、自分の心からの言葉で祈ることができたのです」


 最後に、勇者レオンが深紅のドレスを翻し、力強く言い放った。


「俺の願いを、彼女は笑わなかった。強さと美しさは、両立できると教えてくれた」


 大剣を背負ったまま、レオンは堂々と広間を見渡す。


「俺は今、初めて自分の姿を誇りに思っている!」


 客たちの、短くも力強い証言。


 それは、ヴェロニカたちが主張した魔女の洗脳などでは決してなかった。


 彼女たちは皆、自分自身の意志で立ち、自分自身の言葉で、セリーナの仕事の尊さを証明してみせたのだ。


「……嘘だ! そんなはずはない!」


 一人、状況を理解できていないクラウスが、顔を真っ赤にして喚き散らした。


「お前は、粉や油にまみれたただの気味の悪い女だ! 俺に捨てられた腹いせに、この夜会を台無しにしようと復讐を企んでいたのだろう!」


「クラウス様」


 セリーナは、かつて自分を見下した男を、冷たい氷のような瞳で見据えた。


「私は、誰かを別人にしたのではありません」


 広間が静まり返る。


「皆様が心の中に押し込め、隠されてきたものを、ご自身の意志で選んで表に出すためのお手伝いをしただけです」


 セリーナは、わずかに首を傾けた。


「そして、当サロンは、見る目のない方の妄言に付き合う場所ではございません」


 その毅然とした一言に、クラウスは完全に言葉を失い、後ずさった。


 会場を支配していた疑念は、いつしか深い感嘆と称賛のどよめきへと変わっていた。


 告発者たちの足元が、完全に崩れ去った瞬間だった。


「……ええ。素晴らしい弁舌ですわね、セリーナ・マーロウ」


 しかし、ヴェロニカ・ダルクールだけは、まだ立っていた。


 彼女の完璧な白粉の顔は、怒りと、自らの支配が崩れ去ることへの恐怖でひどく強張っている。


 それでもなお、彼女は美の権威としての意地を見せつけるように、鋭く言い放った。


「客が満足すれば、それで良いというの?」


 その声は、理屈というより、叫びに近かった。


「身分も、役割も、女としての慎みも、すべてを無視して、ただ個人の欲望のままに着飾る。そんなものを認めれば、王都の美の秩序は崩壊するわ」


 ヴェロニカは、扇を握り締める。


「それでも、あなたのそのやり方は、この国の美の秩序を根本から壊す、許されざる冒涜よ!」


 ヴェロニカの叫びは、もはや論理ではない。


 自らの人生をかけた執念そのものだった。


 セリーナは、ゆっくりとヴェロニカに向き直った。


 古い価値観と、新しい自己奪還の戦い。


 その最後の対峙が、今、始まろうとしていた。

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