第14話 流行の最先端という名の失敗
シャンデリアの眩い光が降り注ぐ王宮の社交場は、この夜も華やかな熱気に包まれていた。
サロン・ミロワールの顧客の一人である令嬢から、化粧崩れが心配なので会場で控えていてほしいと頼まれ、セリーナは目立たない侍女の装いで会場の隅に立っていた。
あくまで、付き添い兼化粧直し係。
壁際に控えていれば、誰も彼女を主役として見ることはない。
王都の権力と虚栄が交差するこの場所は、美容職人にとって、人々の見られ方への執着を観察する最高の舞台でもあった。
ふと、会場の入り口付近でざわめきが起きた。
人々の視線を集めて登場したのは、ベルナー伯爵家の次男クラウスと、その新しい婚約者であるジゼルだった。
ジゼルは、今宵の誰よりも目を惹く装いをしていた。
王都の美容の権威とされる白粉商会が打ち出した最新の流行を、頭の先から爪先まで完璧に纏っている。
だが、セリーナが彼女を一目見た瞬間、その端正な眉が微かにひそめられた。
(……あれは、痛ましいですね)
セリーナの職人としての目は、一瞬でジゼルの装いの破綻を見抜いていた。
真っ白に塗り込められた白粉は、彼女の本来の血色を完全に殺し、首元との境目で不自然に浮き上がっている。
高く結い上げられた複雑な髪型は、彼女の顔立ちの柔らかさを消し去り、表情をひどく硬く見せていた。
身を包むのは、目も眩むような鮮やかな真紅のドレス。
胸元には、これ見よがしに大粒のルビーのネックレスが輝いている。
そして何より、彼女が歩くたびに広がる、むせ返るほど強い薔薇の香油の匂い。
すべてが高価な品であり、流行の最先端であることは間違いない。
しかし、そのどれもが、ジゼルという一人の女性には合っていなかった。
極めつけは、彼女の瞳の色だった。
ジゼルが本来持っている、美しく透き通った琥珀色の瞳。
それが、強すぎる真紅のドレスと過剰なルビーの輝きに押し負け、ひどくくすんでしまっている。
セリーナの彩眼には、ジゼルの全身から立ち昇る薄紫色の靄が、以前すれ違った時よりもはるかに濃く、彼女を窒息させるように絡みついているのが視えていた。
「……最新の流行だそうだが、なんだか目が疲れるな」
「それに、少し香りが強すぎないか? 頭が痛くなってきそうだ」
周囲の貴族たちからも、ひそひそと戸惑いの声が漏れ始めていた。
以前なら、ただ流行の最先端だ、華やかだと称賛されていたかもしれない。
しかし、エリスの静かな知性や、リディアの太陽のような健康美など、サロン・ミロワールが手がけた本人に似合う美しさを目の当たりにしてしまった貴族たちは、無意識のうちに、画一的で不自然な流行に対して違和感を抱き始めていたのだ。
「おい、ジゼル。お前、少しやりすぎじゃないのか」
周囲の微妙な空気を察知したクラウスは、焦りと苛立ちを隠せない声でジゼルに耳打ちした。
彼は、華やかな女を自分の隣に置くことで、自分の価値を証明したいだけの男だ。
自分の選んだ女が手放しで称賛されない現状は、彼の浅薄なプライドをひどく傷つけていた。
「え……? そんな、私はただ、一番高価なものを……」
「白粉が浮いているぞ。もっと上品に装えないのか。これではまるで、悪趣味な飾りじゃないか」
クラウスの心ない言葉に、ジゼルの顔がさっと青ざめた。
白く塗りつぶされた仮面の下で、彼女の唇が小刻みに震える。
(違う。私は間違っていない。これが、白粉商会の教える正解のはずよ)
ジゼルの心臓は、不安と恐怖で早鐘のように打っていた。
彼女は、自分の素顔に自信がなかった。
平凡な顔立ち。
これといった取り柄もない自分。
そんな自分が、美しいクラウスの隣に立ち、人々の羨望を集めるためには、流行という絶対的な正解にすがるしかなかった。
肌を限界まで白く塗れば、安心できる。
一番高価な宝石を身につければ、誰にも見劣りしない気がする。
強い薔薇の香りで自分を包み込めば、誰かが振り返って、自分に価値があると認めてくれる気がする。
だから、どんどん化粧は濃くなり、香油の量は増えていった。
少しでも足りなければ、彼に見捨てられてしまうという強迫観念に追い立てられるように。
「ごめんなさい、クラウス様。でも、これが今の王都の一番の……」
「言い訳はいい。少し離れて歩け。香りがきつすぎる」
冷たく突き放され、ジゼルは扇で顔を隠しながら、一人で会場の隅へと追いやられた。
派手な装飾の中で身を縮こまらせ、周囲の冷ややかな視線に耐えている彼女の姿は、誰よりも虚勢を張っているのに、誰よりも脆く見えた。
壁際からその様子を静かに見守っていたセリーナは、決して彼女を嘲笑うことはなかった。
ジゼルは、ただの派手好きで愚かな令嬢ではない。
彼女もまた、王都の特権階級が作り出し、押し付けてきた美の規範に縛られている一人なのだ。
正解に従わなければ価値がないと思い込まされ、必死に自分を消して鎧を重ね着している、痛ましい一人の女性。
「……あれでは、ジゼル様ご自身の色が見えません」
セリーナは、誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟いた。
まだ彼女は、自分のサロンの客ではない。
自分から助けを求めてこない者に、手を差し伸べることは職人の領分を超える。
それでも、自分に似合わない重い鎧に押し潰されそうになっているジゼルの姿に、セリーナは確かな危うさを感じ取っていた。
*
同じ夜会の会場。
二階に設けられた貴賓席の暗がりから、冷ややかな眼差しで広間を見下ろしている一人の女がいた。
白粉商会と深く結びつき、王都の貴族美容における絶対的な権威として名を知られる女。
ヴェロニカ・ダルクール。
黒のビロードに銀の刺繍が施された重厚なドレスに身を包んだ彼女は、年齢不詳の、研ぎ澄まされた刃のような美しさを持っていた。
皺一つ見せない肌は完璧に白く整えられ、血の通った人間というより、よく磨かれた磁器の人形のようでもある。
「……愚かな娘ですこと」
ヴェロニカは、手元の扇をぱちんと閉じ、眼下で孤立しているジゼルを冷笑した。
ジゼルが流行を着こなせずに失敗し、恥をかいていることなど、ヴェロニカにとっては路傍の石ころほどの価値もない。
彼女の怒りの矛先は、まったく別のところに向いていた。
(問題なのは、あの程度の失敗で、この会場の空気が私たちの提示した流行そのものを疑い始めていることですわ)
ヴェロニカは、苛立たしげに細い指で椅子の肘掛けを叩いた。
最近、社交界で妙な噂が広がりすぎている。
眼鏡をかけた令嬢が、その知性を活かして称賛された。
ふくよかな令嬢が、丸みを魅力に変えて茶会の中心になった。
日焼けした辺境の令嬢が、白粉を拒否して、その強さを絶賛された。
それらはすべて、王都の外れにあるという小さなサロン――サロン・ミロワールの仕業だった。
ヴェロニカにとって、それは決して見過ごせない異物だった。
美には秩序が必要だ。
皆が同じ基準を目指し、同じ流行に従うからこそ、社交界の価値は保たれる。
白く、細く、若く、華やかに。
その基準に従えない者は、せめて従う努力を見せるべきだ。
そうして初めて、女は社交界の中で居場所を得る。
ヴェロニカは長い年月をかけて、その秩序を築き上げてきた。
それを、王都の外れの小さなサロンが、まるで優しい言葉一つで覆せるかのように振る舞っている。
許されるはずがなかった。
「……あの店を、このままにしておくわけにはいきませんわ」
ヴェロニカの赤い唇が、氷のように冷たい弧を描く。
「美には、絶対的な秩序が必要なのです。秩序を乱す鏡は、社交界に置いておくべきではありません」
彼女は傍らに控えていた腹心の部下に向かって、微かに指を動かした。
ジゼルのような末端の客を通しての間接的な嫌がらせなど、もう終わりだ。
取引先、招待状、噂の流れ、貴族夫人たちの茶会。
締め上げる手段はいくらでもある。
華やかな音楽が鳴り響く夜会の裏側で、王都の美を支配する巨大な影が、小さな鏡のサロンへと、その冷たい指先を伸ばそうとしていた。




