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婚約破棄された美容職人令嬢の変身サロン 〜見返すためではなく、あなたがあなたを取り戻すために〜  作者: 他力本願寺


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13/15

第13話 日焼け令嬢は太陽の女神

初夏の陽気が王都を包み始めた頃。


 サロン・ミロワールの重い木の扉を押し開けて入ってきた令嬢の姿に、セリーナは微かな違和感を覚えた。


 彼女は、季節外れの厚手の手袋をはめ、首元や肩を大判のショールで厳重に覆い隠していた。


 背筋はすっきりと伸び、歩く姿には一切のブレがない。


 しかし、その顔は伏せがちで、どこか王都の視線に怯え、縮こまっているように見えた。


「いらっしゃいませ。私が店主のセリーナです」


「……リディア・グレンと申します」


 名乗った彼女の家名を聞き、セリーナは納得した。


 グレン辺境伯家。


 王国の国境を護る、武門の名家だ。


 セリーナはいつものように、真正面の鏡を避けた斜めの小机へとリディアを案内し、温かなハーブティーを差し出した。


 ティーカップを受け取る際、手袋と袖の隙間から、彼女の本来の肌の色がわずかに覗いた。


 王都の令嬢たちが血眼になって求めるような、白粉で覆われた肌ではない。


 太陽の光をたっぷりと浴びて育った、健康的で美しい小麦色の肌だ。


 セリーナの職人としての観察眼が、リディアの素材を静かに分析していく。


 健康的な血色。


 厳しい自然の中で鍛え上げられたであろう、しなやかで強い足腰。


 しかし、彼女の本来の美しさは、今、厚い布と深い自己否定によって覆い隠されていた。


 セリーナの彩眼には、リディアの全身から発せられる太陽のような黄金色が、重く沈んだ灰色の膜に包まれているのがはっきりと視えていた。


「あの……」


 リディアは、ティーカップを見つめたまま、絞り出すように口を開いた。


「私の肌を……王都の令嬢たちのように、真っ白にすることはできますか」


「白く、ですか」


 セリーナはすぐには否定せず、穏やかな声で問い返した。


「当サロンには、分厚い白粉で肌を覆い隠す技術もございます。ですが、なぜ白くしたいのか、理由をお伺いしてもよろしいでしょうか」


 リディアはぎゅっと唇を噛み締め、やがてぽつりぽつりと語り始めた。


「辺境では、馬を駆け、弓を引くことは私の誇りでした。領民たちも、そんな私を頼もしいと言ってくれていたのです。……けれど、王都の社交界では違いました」


 彼女の肩が微かに震える。


「皆、私の肌を見て、野蛮だ、女らしくないと嘲笑いました。そして……婚約者だった伯爵令息からは、隣に置くには強すぎて見栄えが悪い、もっと儚げで白い肌の令嬢がいいと……婚約を破棄されたのです」


 王都の、歪んだ美の基準。


 か弱く、白く、男に守られることだけを至上とする価値観が、辺境を護り抜いてきた誇り高き令嬢の心をへし折っていた。


「私、自分が女らしくないのだと、ようやく気づいたのです。辺境の誇りなど、この王都ではただの恥でしかない。だから……お願いです、私を白く塗ってください」


 悲痛な願いを聞き終え、セリーナは静かにティーカップを置いた。


 そして、リディアの手を取り、その厚手の手袋をゆっくりと外した。


「……セリーナ様?」


「リディア様。あなたのその肌は、決して隠すものではありません」


 手袋の下から現れたのは、弓を引き、手綱を握り続けてきた、力強く美しい手だった。


「これは、太陽の下で生きてきた方の色です。広大な大地を駆け、国を護る辺境の風を知っている方の、何よりも誇り高き色です」


「誇り……私の、この肌が?」


「ええ。王都の白粉に、あなたを従わせる必要などどこにもありません」


 セリーナは立ち上がり、リディアを大鏡の前へと導いた。


 そして、彼女の肩を覆っていたショールを取り払う。


 鏡の中には、小麦色の肌を強張らせたリディアの姿が映っていた。


「リディア様。白く塗ることは簡単です。ですが、それはあなた自身を覆い隠すことになります」


 セリーナは、リディアの背後から、鏡越しに彼女の瞳をまっすぐに見据えた。


「あなたの強さを、誇りを、なかったことにして白粉で覆い隠すか。それとも、辺境の太陽をそのまま纏って立つか。……決めるのは、あなたご自身です」


 鏡の中の自分を見つめ、リディアの瞳が揺れる。


 王都で浴びた嘲笑。


 元婚約者の冷たい言葉。


 それらに屈して、自分を白く塗りつぶすのか。


 彼女は、自分の手を見た。


 弓の弦で硬くなった指先。


 辺境の領民たちと笑い合った日々。


 やがて、リディアの瞳から迷いが消えた。


「……私は」


 リディアの背筋が、本来の力強さを取り戻して、すっと伸びる。


「私は、辺境の太陽を誇りに思いたい。この肌のまま、彼らの前に立ちたいです」


「承知いたしました。では、極上の仕立てに取り掛かりましょう」


 セリーナの口元に、職人としての静かな笑みが浮かんだ。




     *




 セリーナの技術は、肌を隠すことではなく、素材を極限まで活かすことにある。


 王都で流行している、毛穴を塞ぐような分厚い白粉は一切使わない。


 代わりに、植物由来の保湿油をたっぷりと馴染ませ、肌そのものの内側から光を含むような艶を引き出す。


 仕上げに、微細な黄金色の真珠の粉を頬の高い位置とデコルテにだけそっと乗せた。


 それだけで、小麦色の肌は健康的な輝きを帯び、まるで太陽の光を受けた大地のような美しさを放ち始めた。


 眉は流行の細く頼りない形ではなく、リディアの骨格に合わせた凛々しいアーチ状に整え、彼女の強い意志を宿した瞳を際立たせる。


 豊かな髪は、顔周りをすっきりと見せるために美しく編み込み、動くたびに生命力を感じさせるよう計算した。


 そしてドレスは、辺境の深い森を思わせる深緑色。


 そこに、太陽の光のような金糸の刺繍が施されている。


 首元や肩はあえて隠さず、引き締まった美しいデコルテと腕のラインを堂々と見せるデザインだ。


 さらにセリーナは、リディアが持ち込んでいた狩猟用の短いマントを、優雅な礼装のドレープへと仕立て直して肩に掛けさせた。


「目を開けてください」


 セリーナの声に、リディアはゆっくりと目を開いた。


 鏡の中にいたのは、王都の視線に怯える令嬢ではなかった。


 強さ、気高さ、そして圧倒的な生命力。


 それらすべてを肯定し、美しさへと昇華させた、一人の誇り高き辺境伯令嬢の姿だった。


 セリーナの彩眼の中で、リディアを覆っていた灰色の膜が静かにほどけていく。


 その奥から、眩いばかりの太陽の金色が、サロン中を照らすように花開いた。


「美しいです、リディア様。さあ、胸を張って歩いてください」




     *




 その夜、王宮で開かれた夜会。


 リディアが会場に足を踏み入れた瞬間、ざわめきに満ちていた広間が、水を打ったように静まり返った。


 誰もが、目を奪われていた。


 王都の令嬢たちがこぞって目指す、白く儚い美とは正反対の美しさ。


 深緑と黄金のドレスを纏い、小麦色の肌を輝かせながら堂々と歩を進める彼女の姿は、まるで神話から抜け出してきた太陽の女神のようだった。


「あれが、グレン家のリディア嬢か……?」


「なんて力強く、美しい方なんだ。あれこそが、我が国の国境を護る辺境伯家の真の姿だ」


 近衛騎士団の将校たちや、他国の武官たちが、次々と感嘆の声を漏らし、彼女の周りに敬意を持って集まり始める。


 嘲笑の的だった強さと小麦色の肌が、王都の中心で、誰もが息を呑む新たな美として示された瞬間だった。


 その光景を、信じられないものを見るような顔で見つめている男がいた。


 リディアを捨てた、元婚約者の伯爵令息だ。


 彼は、周囲の貴族たちがこぞってリディアを称賛する様を見て、慌てて人垣を掻き分け、彼女の前に進み出た。


「リ、リディア……? まさか、君なのか?」


 男は、リディアの圧倒的な存在感に見惚れ、完全に熱を帯びた視線を向けていた。


「そんなふうにもなれたのか。いや、君がそこまで美しくなるのなら、俺も考え直してやってもいい。もう一度、俺と……」


 あまりにも身勝手で、愚かな言葉。


 リディアは、すっと目を細め、かつて自分が愛を乞うた男を、静かに見下ろした。


 その瞳には、もはや欠片ほどの未練もなかった。


「お断りいたします」


「なっ……! 俺がせっかく折れてやっているのに! 少し綺麗になったからといって……」


「私は、何も変わっていませんわ」


 リディアの声は、夜会の音楽を切り裂くように、凛として響き渡った。


「私の肌の色も、乗馬で鍛えた体も、何一つ変わってはおりません。……あなたが、私を見る場所を間違えていただけです」


 毅然とした一瞥だけを残し、リディアは将校のエスコートを受けて優雅に歩き去った。


 残された元婚約者は、周囲の貴族たちからの冷ややかな視線と嘲笑を浴び、顔を真っ赤にして立ち尽くすことしかできなかった。




     *




 翌日、王都の貴族社会には激震が走っていた。


 辺境伯令嬢リディアが、これまで当然とされてきた美の基準を、堂々と打ち破ってみせたのだ。


 それは、単に一人の令嬢が美しくなったというだけの話ではない。


 王都の中心で語られてきた正しさが、辺境の誇りによって見事に揺さぶられたという出来事だった。


 サロン・ミロワール。


 そこはもう、ただの捨てられ令嬢専門サロンではない。


 王都の価値観を根底から揺さぶり、貴族社会に静かな波紋を広げる場所となりつつあった。


「……さて。次のお客様の準備をしなければ」


 サロンの片隅で、セリーナは一人、静かにメイクブラシの粉を払っていた。


 彼女は、自分がどれほど大きな波紋を広げているかなど気にする素振りも見せず、ただ淡々と、職人としての次の仕事を見据えていた。

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