【ピークエンドの法則】最高の結果を出す「去り際」と「追撃」 2/4
「やりすぎた……? でもシレーヌ先輩、さっきまでエルロンド院長、すごく楽しそうに大笑いしてくれていたんですよ!? なのに、どうして急に……」
アリサは呆然としたまま、エルロンド院長が消えていった方向を見つめていた。
オープン・クエスチョンも完璧だった。ギブの精神も見せた。会話は今までで一番盛り上がっていたはずなのに、最後には「喋り疲れた」とあっさりと見捨てられてしまったのだ。
「それが、あなたの『勢い(モメンタム)』の最大の弱点よ、アリサ」
シレーヌはパタンと扇子を閉じ、アリサの額を軽く小突いた。
「いいこと? こういった大規模な交流会では、有力者たちは数十人、数百人という人間と挨拶を交わさなければならないの。つまり、彼らにとって一つの会話に割ける『集中力』と『時間』はごくわずか。……それを、あなたは自分が気持ちよくなってしまったからといって、ダラダラと会話を引き延ばし、相手の貴重なエネルギーを吸い尽くしてしまったのよ」
「うっ……! 確かに、院長が別の方を気にしている素振りに、まったく気がつきませんでした……」
「相手が『少し疲れたな』『そろそろ別の人と話したいな』と思った瞬間に、その交流は『楽しい時間』から『苦痛な時間』に変わるわ。……アリサ、人間が過去の経験を振り返る時、脳の記憶の仕組みがどうなっているか知っているかしら?」
シレーヌの問いに、アリサは首を横に振った。
「人間の脳はね、すべての時間を均等に記憶しているわけじゃないの。一番感情が動いた『絶頂』の瞬間と、最後の『終わり(エンド)』の瞬間。……この二つのポイントだけで、その出来事全体の印象を決定してしまうのよ」
「一番盛り上がった時と、最後の瞬間……」
「これを、第五の魔法【ピークエンドの法則】と呼ぶわ。さっきのエルロンド院長との会話を思い出してごらんなさい。途中のピーク(絶頂)は『君の提案は面白い!』と大笑いした瞬間だった。……では、エンド(終わり)はどうだった?」
アリサはハッとして、青ざめた。
「『君の話は長くて喋り疲れた。もう他の人のところへ行く』……最悪の終わり方です……!」
「その通り。途中でどれだけ魔法を使って会話を盛り上げても、終わりの瞬間に相手に『疲労』や『退屈』を感じさせてしまえば、相手の脳内には『王都ギルドの受付嬢=長話で疲れる面倒な小娘』という最悪の記憶しか残らないのよ。当然、名刺交換なんてしたくなくなるわね」
シレーヌの容赦ない解説が、アリサの胸にグサグサと突き刺さる。
無敵だと思っていた自分の『勢い』が、まさか最後の最後で自分の首を絞めることになるとは思ってもみなかった。
「じゃあ……どうすればよかったんですか? 会話が一番盛り上がっている時に、急に終わらせるなんて、そんなのもったいなくて……」
「もったいないからこそ、切るのよ!」
シレーヌは扇子でビシッとアリサを指差した。
「会話が最高潮に達し、相手が『もっとこの娘と話したい、もっと詳しい情報を知りたい』と前のめりになったその瞬間! それこそが、自ら会話を断ち切る絶対のタイミングよ!」
「盛り上がっている、ど真ん中で!?」
「ええ。そこであなたはこう言うの。『……ああ、いけない。私としたことが、〇〇様との会話が楽しすぎて、つい長居をしてしまいました。他の方も〇〇様へご挨拶したがっているようですし、私はここらで失礼いたします』とね」
シレーヌは実演するように、優雅に身を引き、美しい微笑みを浮かべた。
「相手が名残惜しそうにしている絶頂のタイミングで、相手の時間を気遣う言葉をかけ、潔く身を引く。そして去り際に『本日はありがとうございました。また後日、改めて詳しい資料をお持ちしてもよろしいでしょうか?』と名刺を差し出すの」
アリサの目の前が、パッと明るく開けた。
「それなら……相手の記憶には、『もっと話したかった名残惜しさ』と『時間を気遣ってくれる配慮への好感』という、最高に美しい印象しか残らない……!」
「その通り。交流会での会話は、すべてを語り尽くしてはいけないの。常に『腹八分目』で切り上げること。相手の心に【渇き(もっと知りたいという欲求)】を残したまま去る者が、名刺交換を制し、次の仕事への切符を手に入れるのよ」
「……腹八分目で切り上げて、渇きを残して去る。それが『ピークエンドの法則』の去り際……!」
アリサは手帳を取り出し、震える手でその魔法の極意を書き殴った。
自分の「勢い」にブレーキをかける勇気。盛り上がっている最中に、自ら背を向ける冷静さ。それは、ただがむしゃらに突撃するだけだったアリサにとって、一段階上の『大人の駆け引き』の領域だった。
「よしっ……分かりました! シレーヌ先輩、私、もう一回挑戦してきます! 今度こそ、最高の絶頂の瞬間に、最高に美しい去り際をキメてみせます!」
「ふふっ。いい気合ね。さあ、行ってきなさい。……でも、一つ前の『ギブ』の魔法を忘れて、テイカーにすり寄らないように気を付けるのよ」
「はいっ!」
アリサはバインダーを抱え直し、深呼吸をして己の『勢い』をしっかりとコントロール下に置いた。
華やかな大交流会の会場の中へ、洗練された筆頭受付嬢が再び歩みを進める。狙うは、相手の記憶に一生残る、完璧な「去り際」だ。




