闇の王
気導師の兄妹、ライナス・アーラースとシンディ・アーラースは浮かない顔で歩いていた。
二人に与えられた任務は、端的に言えば後始末である。
目的は大きく分けて二つ、一つは残党狩りだ。
黒の結晶はアラン・フルーガーら5人によって回収されたが、その影響によって凶暴化した魔獣が、未だに僅かながら残っている。
現場からそう遠くない場所には人里もあるため、被害が出る前に駆除が必要との事だ。
そしてもう一つが、先の任務により殉職したエリック・アルデライトの遺体の回収である。
と言っても、こちらの方はあまり優先度は高くない。既に死後3日は経過しており、洞窟内にはアラン達が取りこぼした魔獣が徘徊しているためだ。
つまり遺体が無事である保証がないのだ。誰なのか判別不能な程に、ズタズタにされた死体が散らばる、惨憺な光景が広がっている可能性が高い。
それを理解しているからこそ、二人の表情には影がかかっていた。
「所詮は赤の他人、と言ってしまえばそれまでだが……こういう話を聞かされると、あまりいい気分にはならないよな」
と、そうライナスがポツリと呟いた。
その視線は、遺体の確認のために渡された、エリック・アルデライトの顔写真に向けられている。
「18歳……僕達と同じような歳だね。状況が状況だから仕方ないとは言え、こんな暗い洞窟で置き去りか……彼に家族は?」
「いない。天涯孤独の身と聞いてる」
「そっか……」
ミナ・カーテナルの報告によれば、彼女とエリック・アルデライトの両名は大型の魔獣と対峙したとされている。
その際魔獣の体内から黒の結晶を摘出するも、エリック・アルデライトは魔獣との戦闘で致命傷を負い、やむなく彼女は一人で洞窟内を離脱、その後他のメンバーと合流し帰還した。
黒の結晶を持って無事に帰還する。それが目的を達成した時点で彼女達に課せられる最優先事項だ。
人一人を抱えたままでそれを行うのは困難だと、彼女はそう判断したのだろう。
黒の結晶を紛失、または破損してしまえば全てが水の泡になってしまう。黒の結晶は一つとして世に残してはならない。
とある理由により黒の結晶は破壊できない。いや、正確には破壊してはならないと言うべきだろう。
故に黒の結晶は全て回収し、完全に隔離するしか対処法はない。
彼女の判断は非情と呼べるものかもしれない。
しかし黒の結晶の根絶は全ての人類の存亡に関わる。その為の犠牲になり得る事は、エリック・アルデライト本人も覚悟していた筈だ。
だからアーラース兄妹は、この結果に対してミナ・カーテナルら4人を責める気にはなれなかった。
思う事はあるが、彼らの立場からすれば妥当な判断でもあったからだ。
――もっとも、それは彼らの報告が本当に正しければの話だが……
2人は事の真相を知らない。
「ここかぁ……この中を探し回るとなると、シンディがいなければかなり時間がかかってただろうな。まぁ、だからこそ俺達が呼ばれたんだろうけど」
あいも変わらず不気味な雰囲気が漂う洞窟を前に、ライナスが気怠げにそう言った。
「それじゃあ頼むぞシンディ。……シンディ?」
返事が返ってこない。疑問に思いライナスが振り返ると、シンディは青い顔で震えていた。
完全に怯えきっている。暗い洞窟内に入る事に抵抗があるのだろうか。と一瞬思ったが、この程度で彼女がここまで怯えはしないと、ライナスはその考えを除外した。
「どうした?」
「洞窟の奥に何かがいる……とてつもなく強大で、暗くて冷たい闘気を纏って、こっちに近づいて……」
震えのあまり吐き気を催したのか、シンディは口に手を当てて小さくえずいた。
ライナスが洞窟内を睨みつける。
これは彼女の闘気の性質によるものだが、シンディは闘気を感じ取る感覚に関しては人一倍鋭敏だ。
今まで様々な気導師に会った事がある。だが闘気に触れただけ、それだけでここまで動揺する彼女の姿は見た事がない。
ライナスにとって、警戒心を露わにするには十分な状況だ。
やがてコツコツと足音を立てながら、そいつは暗闇の中から姿を現した。
「え……?」
2人は驚愕した。暗闇の中から現れた男……その風貌は、死んだ筈のエリック・アルデライトにそっくりだったからだ。
「どういう事だ?」
生きていたのかと、素直に喜べるような状況ではないだろう。
確かにその姿形はエリック・アルデライトにそっくりだ。だが人相は全く違う。写真で見た彼の顔はもっと穏和な表情だったが、目の前の男は目つきが鋭く獰猛な印象だ。
何よりも大きな違いは、エリック・アルデライトの目は淡い緑色だったのに対し、男の目は赤と黄色のオッドアイだという点だ。
「一つ聞きたい、ここから一番近い町はどこにある? 規模は問わん、一定以上人の集まる場所なら何処でもいい」
男は笑みを浮かべながらも、獲物を見定める猛禽のような目で2人に問いかけた。
「お前は誰だ。エリック・アルデライトじゃないのか?」
「質問をしてるのはこちらだと言うのに、困ったやつだ。まぁいい、答えてやろう」
男はやれやれと、わざとらしく肩をすくめながら話を続けた。
「半分正解で、半分ハズレだ。確かにこの肉体はエリック・アルデライトのものだが、今は俺が主導権を握っている」
「どういうことだ? お前がエリック・アルデライトじゃないというなら、お前はいったい誰なんだ?」
ライナスは出来る限り平静を装っていた。
ここまで近づけばシンディでなくても分かる。目の前の男が、常軌を逸した存在であるということが。
少しでも気を抜けば、男の放つ重圧に押し潰されてしまいそうだった。
「別に本名を名乗ってもいいが、こちらの方が通りがいいか……」
そんなライナスの感情を読み取ったかのように、男は二色の目で2人を見据えた。
2人は思わず後退りする。
「闇の王……そう呼ばれている者だ」
男は何の気無しに堂々と名乗った。
誰もが忌避するその名を……この世界で最も恐れられている者の名を。
「ふざけてるのか?」
ライナスが言った。明らかに怒気が含まれた声だった。
「別にふざけてなどいない」
「なら気狂いかなにかか? その名の意味を知らないわけじゃないだろ!」
「俺に付けられた渾名を名乗っているだけだ。何かおかしな所でもあるか?」
怒るライナスの言葉を、男は嘲笑いながら受け流した。
完全にイカれている。闇の王を名乗る男に対し、ライナスはそう思った。
だがその一方で、この男から依然として感じられる圧倒的存在感と、強大で禍々しい闘気から、その言葉を完全に否定できないでいた。
「さて、今度はこっちが問う番だ。人間の住む町は何処にある?」
「そんな事を聞いてどうする? 何をする気だ?」
闇の王を名乗る男はその問いに、さも当然のようにこう答えた。
「殺す。老若男女問わず全てな。理由はそうだな……特に無いが、闇の王復活の宴、ということにしておくか。共に祝おうじゃないか」
――その瞬間、2人の行動は決定した。
もはや相手の正体が誰かなど関係ない。こいつは野放しにできない、絶対に倒すべき敵だ。と、そう判断したのだ。
「1人でやってろ!」
2人は闘気を纏った。普通の人間ならその場にいるだけで威圧される程の、敵意の混じった激しい闘気だ。
「なるほど気導師か……軽い運動にはなるな」
男は愉快そうに笑うと、ゆったりとした足取りで歩き始めた。
完全に隙だらけ、慢心しきった動きだ。
ライナスはすかさず詰め寄り、その顔面に拳を放った。
動きといい闘気の流れといい、どちらを取っても見事な一撃だったと言えるだろう。
しかし闇の王は拳が触れる寸前に首を捻り、その衝撃を受け流した。
そしてそのまま体ごと回転させ、ガラ空きになった横っ面に手の甲を叩き込んだ。
しかしその瞬間、ライナスの影から人型の何かが飛び出していき、その攻撃からライナスを守った。
「人の形をした気獣か……なるほど、それがお前の闘気の性質というわけだな」
気獣とは気導師の造り出す、生物の姿を模した闘気の総称である。
それは気導師の分身とも呼べる存在であり、使い手の意思で自由自在に操る事が可能だ。
「……だがそれにしては少し妙だな」
闇の王はライナスの気獣を興味深そうに観察しながら、後ろへと大きくジャンプした。
シンディが背後から、足元を崩そうと蹴りを放っていたからだ。
闇の王はシンディの頭上を通過し、彼女の背後へと着地した。
攻撃を回避すると同時に、2人を同時に射程に収められる位置へと移動したのだ。
「避けてみろ。“シレル”」
鋭い斬撃が宙を走る。回避しようと、シンディとライナスは慌てて左右へ飛び退いた。
恐る恐る背後を見て、2人は顔を青ざめる。地面は大きく抉られ、後ろにあった木は真っ二つに引き裂かれていた。
「なんの強化もない、基礎的な気言でこの威力かよ……!」
確実にこちらを殺傷できるほどの一撃。しかも相手にとってそれは、なんの苦もなく連発できる程度の細やかな攻撃に過ぎない。
たった今のやり取りだけで、2人は相手との絶望的な力の差を実感した。
殺そうと思えばいつでも殺せる。遊んでるだけだ。自分達の命など、この男の前では意図も容易く砕け散るだろう。
(ーーだけどそれでも、ここで引く訳にはいかない!)
相手は大量殺戮を宣言している。見過ごせば不特定多数の罪のない人間の命が奪われる事になる。
それを黙って見過すなど、この兄妹にはできなかった。
(舐められてるならそれでいい! むしろ好都合だ! その足元を掬ってやる!)
気獣を従え、ライナスは再度特攻を仕掛けた。それに倣いシンディも格闘戦に参加した。
詰めて、囲み、攻め続ける。
決して引いてはならない。距離を開ければ即死級の気言が飛んでくるからだ。
前方左右からライナスとその気獣が、背後からはシンディが闇の王に襲いかかる。互いに互いの動きを阻害しない完璧な連携だ。
目の前の敵に集中すれば、死角から拳が飛び込んでくる。足に踏ん張りを効かせれば、ピンポイントでその場所を狙われる。
やられている側はさぞ動きづらい事だろう。相手に反撃の隙を与えない、それを重点に置いた攻め方だった。
「ハハッ! 変わった踊りだな」
だがそれでも、この男の前には全く意味を成さなかったのだろう。闇の王は涼しい顔で全ての攻撃を捌き切っていた。
最低限の動きで攻撃を回避し、避けきれないものは掌で受け流す。その顔には余裕の笑みすら浮かんでいる。
「そろそろ反撃するぞ、ちゃんと耐えろよ」
ライナスの腕が掴まれた。
そんな隙など与えていない。だが闇の王は滑るように攻撃の隙間を潜り抜け、意図も容易くライナスの動きを抑え込んだ。
グイッと、力強くライナスの腕が引き寄せられる。
僅かにバランスを崩した次の瞬間、彼の身体は宙に打ち上げられていた。
「かはっ!?」
腹部に激痛が走る。気付けば一瞬の内に景色が反転している。
しばしの間混乱していたが、数秒間の滞空の後、ライナスは自分が空高くまで蹴り上げられていた事に気がついた。
「まずい……!」
地上では闇の王が、ライナスに追撃を加えようと狙い澄ましている。
空中では逃げ場がない。その上呼吸すらまともにできないほどの痛みで受け身も取れない。
ライナスは無抵抗のまま落下し続けていた。
闇の王はその場で石を拾い上げ、落ち続けるライナスにそれを投げ放った。
石は弾丸の如くスピードでライナスに迫っていく。その弾道は正確無比に彼を捉えている。
しかし石がライナスに当たる事はなかった。
不思議な事に、石は彼の身体を素通りしたのだ。
(すり抜けた……?)
ライナスは地面に叩きつけられた。ドスっという鈍い音が地を走る。
やはり受け身は取れなかったらしい、投石は回避できたが、そのダメージは深刻だ。
ライナスは全身を強く打ち付け、その痛みに悶えていた。
「妙な技を使うな。だがそのザマを見るに、そう何度も使えるものではなかろう」
闇の王は地面を這うライナスに手を伸ばした。今度こそ、確実に仕留める為に。
「させるか!」
すかさずシンディが阻止しようと動いた。
それを横目で確認しつつも、闇の王に目立った動きはない。彼女の妨害など意に介さないという事だろう。
「“シレル“!」
シンディが斬撃の気言を放った瞬間、そこでようやく闇の王は動いた。
恐るべき反応速度で後ろに跳ね、飛んできた斬撃を回避する。
「……む?」
だが避けきれなかった。
まるで引き寄せられて行くかのように、斬撃は闇の王に襲いかかった。
闇の王は闘気の流れから、シンディの次の行動を予測していた。一流の気導師ならばそういった事も可能だからだ。
だがシンディはそれを上回っていた。
行動を先読みする闇の王の、その更に先を読み、避けた方向へと気言を放ったのだ。
侮っていた相手からの想定外の一撃に、闇の王は驚いたように目を見開いていた。
だがその顔はすぐに元の薄ら笑いへと戻る。
「……ほう、よく当てたな。だからどうという事ではないが」
確かにシンディは闇の王を出し抜いた。
だがそれだけだ。彼女の攻撃では闇の王にダメージは与えられない。その体にはかすり傷一つ付いていない。
シンディの気言は闇の王の闘気に阻まれ、金属を打ち付けたような甲高い音だけを空しく響かせていた。
(だけど、一瞬だけでも動きは止まった!)
闇の王は咄嗟に背後へ振り向いた。何者かの奇襲を受けたからだ。
ライナスは治癒の気言で傷を癒しながら、ゆっくりと立ち上がっている最中だった。奇襲を仕掛けたのは彼の気獣だ。
「驚いたな、主人がそんな状態でも動くのか」
闇の王は瞬時に闘気の出力を上げ、気獣の攻撃を弾き、頭を掴んでそのまま勢いよく地面に叩きつけた。
頭を半分潰され、気獣は完全に沈黙する。
完璧に不意をついた攻撃だった。だがそれでも防がれた。やはり闇の王にダメージはない。
格闘も、気言も、奇襲も、全て通じない。もはや打つ手はなかった。
「……もう終わりか?」
闇の王は静かな声でそう問うた。
その目は「もう飽きた」と言わんばかりに冷めきっている。
「分からんな、その程度で何故挑んだ? 自分達の手に余る相手である事くらい、理解していただろうに」
とんだ笑い話だ。目の前の相手を止めるどころか、傷一つ負わせることすらできやしない。
勝てない事は分かっていた。だが挑まずにはいられなかった。
ある日唐突に、理不尽に、大切なものがゴミのように踏み躙られる恐怖を、この兄妹は嫌というほど理解していたからだ。
だが結局は何もできなかった。
重すぎる代償を払っても、目の前の厄災を止める事はできない。
アーラース兄妹は無力な自分達に怒った。
「万策尽きたか、つまらんな」
闇の王の闘気が更に大きく膨れ上がった。
もう遊びはない。自分達の命運はここまでなのだと察し、アーラース兄妹は静かに目を閉じた。
――そのまま十数秒は経過しただろうか。
いつまで経っても攻撃が来ない。
荒々しく吹き荒れていた闘気の嵐も、今は鳴りを潜めている。明らかに異様な状況下だ。
アーラース兄妹は恐る恐る目を開けると、目の前にいる闇の王は硬直していた。
近くにいたライナスから先に殺そうとしたのだろう、彼の眼前で立ち止まったまま、ピクリとも動かない。
2人もまた、その場で縫い止められたように固まっていた。
状況が理解できず、ただ呆然と眺めている事しか出来なかったのだ。
「……存外、早い目覚めじゃないか。エリック」
闇の王は笑みを浮かべ、そう呟いた。
そして次の瞬間、闇の王は糸の切れた人形のように脱力し、そのままパッタリと地面に倒れてしまった。
その場に沈黙が訪れる。
誰一人、物音一つ立てなかった。ただ心臓の鼓動だけが、バクバクと胸の中で響いている。
2人は以前として、状況が飲み込めなかった。
おそらく闇の王だけがこの状況を理解していたのだろうが、この様子では聞き出す事はできない。
ただ一つ、確かなのは――
「い、生きてる……」
あの時、2人は命を諦めた。
嫌でも死というものを突きつけられた。
だが、生きている。
極度の緊張が解かれ、2人は膝から地面に崩れ落ちた。
「……そいつは、どうなった?」
地面に倒れている闇の王を見て、ライナスがシンディにそう尋ねた。
「彼も生きてるよ。気を失っているだけ。でもさっきみたいな冷たくてドス黒い闘気はもう纏ってない」
シンディが身を屈めたまま近づいた。それを見たライナスが制止しようと手を伸ばすが、彼女がやる事ならば危険はないのだろうと判断し、すぐにその手を引っ込めた。
手で触れられる距離まで近づいたが、それでも彼が目覚める様子はない。
シンディは自分の手を、彼の背にそっと重ねた。
「……むしろ、今はとても穏やかで、暖かい闘気を纏ってる」
シンディは安心しきった顔でそう言った。
闇の王……いや、エリック・アルデライトは憑き物が落ちたような穏やかな顔で、泥のように眠っている。
「……いったいどうなってんだよ」
嵐が過ぎ去った後のような静寂の中、満身創痍で虚空を見つめながら、ライナスが1人そう呟いた。




