目覚めた場所は
悪夢で目が覚めた経験はあるだろうか?
動悸が異様な程に高まり、呼吸が乱れ、全身から冷や汗が滲み出すあの現象。今のエリックは正にそういう状態だった。
目を開くと真っ先に映り込んできたのは、真っ白な天井だった。いつのまにか見知らぬ部屋に運び込まれていて、今までベットの上で眠っていたらしい。
天井も壁も、寝台に敷かれた布団までもが清潔感のある白一色で、暖かな陽光が窓から差し込んでくる。
エリックの現在の心境とは反して、穏やかな雰囲気の空間だ。
ほのかに香る薬品の匂いから、エリックはこの場所が病室なのだと推測した。
「ジョーさん、例の患者さんが目を覚ましたよ」
場所や服装からして、看護師だと思われる少女がエリックの顔を覗き込んでいた。
その風貌は一見すれば、どこにでもいる普通の少女にように見える。だが異質な点が一つ、それはツンと突き立った兎のような長い耳だ。
ピクピクと小刻みに動いている様から、それは装飾の類ではなく、彼女自身の生まれ持ったものだという事が分かる。
その異様な姿に思わず面を食らうエリックだが、そういう種族がいる事は知っていた為、すぐに平静さを取り戻した。
「ようやくお目覚めか、気分はどうだ?」
そう尋ねながら別室から入ってきたのは、金色の髪と金色の瞳を持つ男だった。
身長は百九十センチ半ばだろうか、背が高く、手足が長い。その体は光沢のある黒いジャケットに覆われているが、服の上から見ても分かる程に鍛えられている。
とても整った顔立ちの男だった。もっと温和な顔をしていれば、絵本に登場する王子様のような印象を抱いていただろう。
しかしその勇猛な顔つきから抱いたエリックの印象は、歴戦の戦士だった。
「ルルイカ、あいつらを呼んで来てもらえるか?」
「分かりました」
男の指示で、ルルイカと呼ばれた兎耳の少女は退出した。
去り際に彼女のスカートに隠れたお尻が不自然に盛り上がっているのが見えたが、あれはおそらく尻尾だろう。
「悪いが寝ている間に、色々と身体を調べさせてもらった。その上でとりあえず危険はないと判断したが、念の為にそいつは付けさせて貰う」
エリックは自分の腕を確認した。
動かす度に静寂な病室内に、ジャラジャラと鎖の擦り合う音が響く。彼の腕に手錠が掛けられていたのだ。
「――これは?」
「あまり気分は良くないだろうが、牢屋で過ごすよりはマシだろう」
鎖の先は何処とも繋がれていない。やろうと思えばこの部屋を出て、特に不自由もなく歩き回れるだろう。
だが気導師であるエリックには分かる。これは身動きを縛る為の拘束具ではない、闘気を縛る為のものだ。
その証拠に体表に闘気を放出しようと試みても、この手錠に阻まれてしまう。
「おいおい、あまり妙なマネはするなよ」
囚われの身であるにもかかわらず、許可なく闘気を纏おうとしたからだろう。
男は有無を言わさぬ圧力でエリックを睨みつけた。
「察してると思うが、今のお前は俺の監視下にある。場合によっては直接手を下す事にもなるだろうな。そいつは望むところではない筈だ――お互いにな」
「すみません……」
自分は今何処にいて、どういう立場に立たされているのか、分からない事が多過ぎる。
混乱しているし、不満もある。しかしここは大人しく従う他ないと、エリックはそう判断した。
エリックは目の前にいる人物を知っていたからだ。
彼の名はジョエル・シルバー。人という種族に於いて、最強と謳われている人物である。
彼と自分とでは、その力量に天と地ほども差があるだろう。
仮に衝突するとなれば、それはもはや戦いとすら呼べない、一方的な処刑になる。故に無駄な反抗は得策ではない。
(間違いなく世界最強の気導師の一人だ。だけど何故そんな人が俺を?)
このレベルの人物が出張るとなれば、それ相応の大事件が起きている筈だ。
そしてその騒動の中心にいるのは、おそらく自分である。
意味が分からなかった。それでも冷静さを損なわなかったのは、相手側からそれ程強い敵意を感じなかったからだろう。
この状況にしてもそうだ。
確かに闘気こそは封じられているが、それ以外は特に不自由はない。せいぜい手錠が少し邪魔に感じるくらいだ。
監禁と言うよりは軟禁に近いだろう。警戒されているのは確かだが、その対応は罪人に対するそれと比べれば些か緩い。
しかしそれがかえって不気味でもあった。
「何がなんだか分からない……と言った顔だな」
そんなエリックの心情を見透かしたのか、ジョエルがそう言った。
「その様子だと記憶が定かではないらしい。ここに来る前の事はどこまで憶えている?」
「えーっと……」
思えば確かに、つい最近の出来事が記憶からぽっかりと抜け落ちている。
エリックは眉間に指を当て、深く思考して自分の記憶を探った。
(そうだ、俺はアランやミナ達と黒の結晶を探しに来て、そして……)
少しずつだが記憶が蘇ってくる。
黒の結晶捜索の任務……その失敗によるチームからの追放……そしてミナの裏切り。
(そうだ……俺はあの時、怪物と戦って黒の結晶をこの手にしたんだ)
しかしその後ミナの奇襲を受け、重傷のまま暗い洞窟の奥深くに置き去りにされた。
(……何故、俺は生きてるんだ?)
しぶとく足掻こうとしていた事は憶えている。だが自力でどうにかなる状況ではなかった筈だ。
にも関わらず、こうして生きている。引き裂かれた胸の傷も、今はほとんど塞がっている。あの時何かが起こったのだろう。誰も予期し得ない何かが……
(そうだ、あの時声がしたんだ。聞いたことのない誰かの声が、そしたら意識がーー)
瞬間、エリックは目を見開いてジョエルに詰め寄った。全てを思い出したのだ。
「あの2人は無事なんですか――」
「……落ち着け。お前の言う2人というのが俺の予想通りなら、どちらとも大した怪我はない。もうすぐここに来るはずだ」
エリックは悶絶した。反射的に伸びたジョエルの拳によって、鳩尾に強烈な一撃を貰ったからだ。
「連れてきました」
先の兎耳の少女が帰ってきた。目的の人物を連れてきたのだろう。
背後に控えていたのは少年1人と少女1人。どちらも美男美女だった。
少女の髪は水色であるのに対し、少年の髪は深緑。両者ともに全く違う髪色ではあるが、その顔立ちや、動きやすさを重視した、肩を露出した服装までもがどこか似通っている。
そして何よりも共通しているのが、双方ともオッドアイだという点である。
先ほどエリックがその安否を心配していた、アーラース兄妹だ。
「……なんかあったんすか?」
苦しそうに咽び喘いでいるエリックと、それを尻目に涼しい顔でふんぞりかえっているジョエルを見て、ライナスは怪訝そうな顔で尋ねた。
「少し興奮気味だったので、大人しくさせただけだ」
「あぁそういう事……あんたいつも手が出るのが早いんだよ」
今の言葉で大体の事情を察したのか、ライナスは呆れたような顔でそう言った。
「ーー事前に断っておくが、いまから話す内容は全て機密事項だ。口外する事は許さん」
兎耳の少女が再び退室し、残ったのはエリックとジョエル、アーラース兄妹のみとなった。
エリックはベッドの端に腰掛け、ジョエルとシンディと対面している。
2人は各々が運んできた椅子に座っていたが、ライナスだけは以前として立ったままだった。
彼は出入り口の扉にもたれかかり、外の様子を探っていた。誰かが聞き耳を立てていないか注視しているのだろう。
「今のお前は非常に危うい立場にある。その理由については、既に察しているだろうがな」
「はい……」
ジョエルの問いに、エリックは小さく、暗い顔で答えた。
「闇の王の受肉……黒の結晶の存在が周知されて以来、最も危惧されていた悪夢が現実のものとなったわけだ。
お前を処刑するか否かで、議会でも意見が分かれている」
「分かれてる……? 確定ではないんですか?」
エリックは驚いた。死刑執行はとっくに決まっているものだと思っていたからだ。
その身に闇の王の魂を受肉させた者が現れた場合、取るべき行動はたった一つである。
力を完全に取り戻す前に、速やかに器となった者を殺す。そうすれば中にいる闇の王の魂も死に、復活を先延ばしにする事ができるからだ。
もちろん容易いものではない。受肉した闇の王の意思は、器が殺されまいと抵抗するだろう。
だがエリックは今まで無防備に眠っていた。殺すチャンスはいくらでもあった筈だ。
現在だって変わりはない。エリックの中にいる闇の王は依然として沈黙している上、ここにはジョエル・シルバーという強大な戦力がいる。
それをやろうと思えば、簡単にできる筈だ。
エリックとて死にたくはない。
死にたくはないが、人類の為にはそれが最も適した方法だと、彼自身そう思わざるを得なかった。
「本来ならそうなる、だが今回は特例だ。
順を追って説明するが……まずはシンディ、こいつの闘気は少し特殊でな」
困惑するエリックに対して、シンディが自身の能力についての説明を始めた。
「僕の闘気の性質は「探知」。僕は自分の闘気で触れた闘気の情報を、より詳しく調べる事ができるんだ」
エリックは首を傾げた。
「あはは……と言っても分かりづらいよね。
えーっと、気導師には闘気の気配を読む能力があるでしょ? ようはそれをより詳しく、精密に読み取れるようになるのが僕の性質なんだ」
シンディは困ったような苦笑を浮かべながら、頬を掻いてそう答えた。
感覚的なものである故、口で説明するのが難しいらしい。
「それでこの闘気で調べたところ、お前の身体には2種類の闘気が宿っている事がわかった」
「2種類の闘気……?」
「本来なら一人の人間に宿る闘気は一種だ。故に性質も一つだけ、二つ以上の闘気を併せ持つ者など存在しない……まぁ、何事にも例外はあるがな」
一瞬、ジョエルの視線がライナスへと動いたのをエリックは見た。
少し気にはなったが、話を脱線させる訳にはいかないと判断し、エリックは追求を諦めた。
「お前自身が生まれ持っている闘気と、闇の王の闘気。この二つの闘気が今、お前の中に流れている」
「だから俺の身体に、闇の王の魂が受肉したと――でも何故?」
「……これはあくまでも仮説だが、お前の身体には、これと同じものが埋め込まれているのだと思う」
そう言ってジョエルはポケットから小さな石を取り出し、それをベットのシーツの上に置いた。
光を吸い込んでいるかのような、どこまでも漆黒の奇妙な石だ。
それを見てエリックは跳ね起きた。
「黒の結晶!!? 何故これを!?」
「とある実験も兼ねてな、同盟が保管している六つの石の一つを、特別に借りてきた」
ジョエルはあっけらかんとそう答えた。
エリックはそれを見て唖然とする。
確かに非活性時の黒の結晶は無害だ。しかしそれはあくまで活性時と比較すればの話、危険物である事に変わりはない。
そんな物をそのままポケットに入れて持ち運ぶなど、正気の沙汰とは思えない行動だ。
しかしここにいるのはジョエル・シルバー。彼は色々な意味で普通じゃない。
「でも、まさか……こんなものが俺の身体に――摘出する事は、できないんですか?」
「無理だな。黒の結晶という物質そのものは、体内で確認できなかった。おそらく完全に同化してしまっているのだろう。仮説と言ったのはその為だ」
ジョエルは淡々とそう述べた。
「仮説ではあるが、ほぼ間違いなく当たってるだろう。でなければこの状況に説明がつかん」
エリックは血の気の引いた顔で俯いた。
天地がひっくり返ったような感覚だった。空っぽの筈の胃の中身が、喉奥まで登ってくるのを感じる。
信じ難い話だ。できれば否定したい、だがジョエルの言う通り現実がそれを物語っている。
受け入れるしかないのだろう。
(あれだけ求めていたものが、俺の中にあったなんてな……)
同時にこの世から最も消し去りたい代物でもあった。
だがそれを成すためには、自分自身が消えなければならない。元凶を取り除くどころか、脅威を振り撒く悪害そのものへと成り果てたのだ。
悲観を通り越して、もはや笑えてくる状況だった。
「こうなった心当たりはあるか?」
「いえ、まったく――いや、もしかしたら」
湧き上がる感情を飲み込みながらも、エリックは考え込んだ。
深く、深く記憶を辿っても、目的の情報は導き出せない。だが確かに心当たりはあった。
「俺には幼少期の記憶がありません。もしかしたらその時に――」
「なるほど記憶喪失か」
ジョエルは少し考え込む素振りを見せるも、すぐにそれを、現状は必要のない情報だと判断した。
「気にはなるが、忘れたものを詮索しても意味はない。その空白の期間については、何か思い出した時に話してもらおう」
「はい」
「今重要なのは、何故お前が生かされているのかだ。お前もそこが気になっているだろう」
エリックは無言で頷いた。
「というのも、全てはお前の闘気の性質に起因している。
この事を知った時は流石に俺も驚いたものだ。まさかこんな力を持った奴が、いきなり現れるとはな」
「ちょっと待ってください! いったい何の話を……俺の闘気には、性質はなかった筈です」
心底愉快そうに笑うジョエルに、エリックが食ってかかる様な口調で口を挟んだ。
もし自分の闘気に性質が存在していたなら、仲間から疎まれる事もなかった筈だ。
ミナから攻撃され、見殺しにされかける事も、きっとなかった筈だ。
「知らなかったのか? ――いや、だろうな。もし知っていたなら、凡俗な気導師として埋もれる筈がない」
ジョエルは一瞬だけ意外そうに目を見開いたが、すぐに何やら一人でに納得した。
「お前には特別な力がある。今まではそれに気づいていなかっただけだ」
ジョエルがニヤリと笑みを浮かべた。
その顔はまるで、サプライズプレゼントを手渡す時の様に楽しげだ。
ジョエルはまっすぐエリックを指し、堂々とこう言った。
「お前の闘気の性質は浄化。過去に闇の王を破った英雄、リヒトと同じ闘気を持っている」




