黒の結晶
この世界はかつて『闇の王』と呼ばれる存在によって脅威に晒されていた。
全てを侵食する黒い闘気を操る存在。その力は強大で、誰一人として敵う者はいなかった。
生きとし生けるもの全ての恐怖の象徴。その力を前に、人々は恐れ慄く事しか許されない。
だがそんな存在に、終止符を打たんと立ち上がった者がいた。
その名は『勇者リヒト』。
闇の王の邪悪な闘気を浄化し、払い除ける力持つ者。
彼は様々な種族から同志を募り、仲間達とともに闇の王に立ち向かった。そして見事、彼の者を討ち倒したのだ。
それは今から、約400年も昔の話である。
闇の王は倒された。しかし彼の死後から半世紀後、人々は恐るべき事実を知ることになる。
黒の結晶。勇者リヒトによって討伐される前に、闇の王が世界中にばら撒まいたとされている、とある物質の名だ。
その正体は彼の持つ禍々しい闘気の塊であり、彼の魂の情報を記録した分霊である。
これが一つでもこの世に存在する限り、闇の王が完全に滅びる事はない。
そう、この物質の存在は、闇の王の復活の可能性を示すものだったのだ。
それに対し、勇者リヒトは既にこの世にいない。
闇の王の脅威は健在な中、世界はこの危機に対抗できる救世主を失ったのだ。
しかし終わりではない。彼の意志は多くの者達に引き継がれている。
闇の王復活という厄災を防ぐ。この一つの目的の為に、今も多くの者達が、国境や種族という垣根すらも越えて、歩みを続けていた。
勇者リヒトの子孫、アラン・フルーガーもその一人である。
リヒトという英雄の血を引き継ぎ、またそれに恥じぬ程の才能に溢れた彼は、正にこの世を照らす希望と呼べる存在だ。
多くの人々がアラン・フルーガーという人物に期待を寄せている。そんな彼と知り合いになれた事は、エリックにとっては幸運な事だった。
エリック・アルデライトの悲願、それは黒の結晶の完全な無力化だ。
アランの元には、黒の結晶に関する情報が多く入ってくる。それだけ彼への期待が大きいのだろう。
そしてアランにはそれに応えられるだけの実力がある。エリックはそう確信していた。
アランと共に行動すること、それがエリックの夢を成就させる最善の道なのだ。
だがそれも泡沫の夢となりつつある。
どれだけ崇高な志を抱こうとも、現実はいともたやすくそれを打ち砕く。
悲しいかな、エリックにはアランと並び立てるだけの力は無かった。
別に英雄願望がある訳ではない。他の誰かがこの悲願を叶えてくれるというのなら、それならそれで構わない。
それを成し遂げるのが、自分である必要はないのだから。
これはエリックの心の問題だ。
例え自分の力が必要ないのだとしても――だからと言って、ただ黙って見ている事はできない。
理屈ではないのだ。
だからどこまでも頑なで、だからどこまでも往生際が悪い。諦めるつもりなど毛頭なかった。
「ここか……」
一同が集っているのは、シロッコの町の北西に位置する、大自然の中に佇むとある洞窟の前だった。
「この洞窟の周辺で、魔獣が凶暴化していると報告があった。黒の結晶が内部にある可能性が高い」
黒の結晶は不定期で活性化と沈静化を繰り返している。
普段は大人しいが、一度活性化すると周囲の環境に悪影響を及ぼしてしまう。魔獣の凶暴化というのもその一つだ。
活性化した黒の結晶は、ただそこに存在するだけで害を振り撒く激物に等しい。
当然回収するとなれば、大きな危険を冒すことになるだろう。
しかしこの時こそが最大の好機でもある。基本的に非活性時の黒の結晶は、そこらの石ころと判別がつかないからだ。
見つけ出すのは困難を極めるだろう。
だが活性化した黒の結晶はその限りではない。
黒の結晶の活性化とは即ち、闇の王の闘気が漏れ出している状態の事を指す。気導師が見れば、その異常性を嫌というほど実感できるだろう。
「エリック、もう一度確認しておくか?」
「大丈夫だ、分かってる」
エリックに与えられたチャンスは一度きり、合格条件はたった一つ。エリックの手で黒の結晶を持ち帰ること、これのみだ。
シンプルだが、それ故に難しい。他のメンバーのうちの誰かが発見したら、その時点で即アウトだ。
そもそも本当に黒の結晶がここにあるのかどうかも分からない。
ここにあるという情報も、あくまでもただの推測に過ぎないからだ。
そしてこの手の推測が当たる確率は、僅か20%にも満たない。分が悪すぎる賭けだ。
だがそれでもやるしかない。もうエリックには後がないのだから。
「……ん? これは?」
力むエリックの鼻に、甘い香りが漂ってきた。
心地よい気分に包まれるような優しい匂いだ。ガチガチに強張っていた身体から、余分な力が抜け落ちていくのを感じる。
「リラックスできた?」
ミナが顔を覗き込みながら、エリックに微笑みかけていた。匂いの正体は彼女の闘気だ。
彼女の闘気の性質は『花』である。
花畑のように色鮮やかな闘気で、その香りは人の心を穏やかにさせる効力を持つ
「固くなり過ぎだよエリック。それじゃあ思うように動けなくなるよ?」
「あぁ、そうだな、ありがとうミナ。少し落ち着いた」
心身共に張り詰めていたエリックに対しての、彼女なりの思いやりなのだろう。
事実エリックの緊張はほぐれていた。
そんな二人のやり取りを横目で見つつ、アランが話を進める。
「……洞窟内は枝分かれしている。三組に別れよう。少し危険は増すが、纏まって行動するよりは、バラけて動いた方が効率がいいだろうからな」
「三組って言っても、俺達は5人だぜ? どうバラけるんだ?」
「俺は一人で構わない。後はお前たちで好きに組んでくれ」
カルロの問いにアランはそう答えた。
「ならエリックはパスだな。足手まといは御免だ」
「同感ね」
また始まった……と、うんざりだと言わんばかりにエリックが眉を顰める。
しかし彼が言葉を発するよりも早く、ミナが前へと躍り出た。
「なら私がエリックと組むわ。それで問題ないでしょ?」
「戦力的にもそれが一番バランスがいい、俺も文句はない」
ミナの提案にアランが肯定する。リーネとカルロも異議を挟まなかった。
「――ではこれより洞窟内を探索する。
黒の結晶の有無はまだ未確認だが、どちらにせよ、内部で異変が起きているのは確かだ。皆、慎重に事にあたってくれ」
リーダーの言葉に、四人は一斉に頷いた。
そして各々が自分の装備を確認し、こう唱える。
「エル・ブレア」
すると、空中に小さな火の玉が5つ現れた。この火の玉が暗い洞窟内を照らす明かりとなる。
これは気言と呼ばれる、気導師の基本技能の一つだ。
言霊に闘気を乗せることによって、事情を具現化させる技。所謂、魔術と呼ばれる類の技だ。
他にも多種多様な効果を持つものが存在しており、会得する難易度もそれぞれ異なる。
今使われたのは永続的に炎を発生させる気言だ。
「しかしこの中を探すとなると……」
「えぇ、骨が折れそうね」
カルロとリーネの二人がそう呟いた。
それに釣られ、その場にいる全員が洞窟の奥を見据える。
誰かが固唾を飲み込む音がした。
これから行くのは邪悪な気配が漂う、光も届かぬ闇の世界。狭く、足場も悪い。
おまけに凶暴化した原生物も徘徊している。恐怖心を煽るには十分な環境だ。
「――行こう」
纏わりつく感情を振り払い、エリックが一歩先へと足を踏み締めた。
それを見たカルロとリーネが、落ちこぼれに出遅れてたまるかと言わんばかりに歩みを始める。
任務は、奇しくもエリックに引率される形で始まる事となった。
そんな様子を、アランは複雑そうな顔で眺めていた。
彼がいったい何を考えているのか、その表情からは読み解く事ができない
しかし彼の思考の中心にあるのがエリックである事は、注がれている視線からして明らかだった。
「……ミナ、頼んだぞ」
何故ここでアランはミナにだけ声をかけたのか、それはエリックには分からなかった。カルロにも、リーネにもだ。
何か特別な意図があったのか、それとも何気なく声をかけただけで、特に意味などなかったのか……
ただミナにだけは、アランの言葉の意味が理解できたようだった。
「うん、任せて!」
いつものように明るい笑顔でそう答え、彼女はエリックの方へと駆け寄って行った。
何だったのだろうか……少々疑問には思うが、わざわざ質問する程の事でもないと判断し、エリックは正面へと向き直した。
今はそれよりも、やるべき事を成すべきだ。
エリック・アルデライトにとって、最後になるかもしれない任務が幕を開けた。




