第9話 喫茶店で会議をしたいと言われたので、普通に席を予約しました
喫茶店を経営していると、いろいろな客がやって来る。
仕事の打ち合わせをする人。
友人と雑談を楽しむ人。
一人で本を読みながら、ゆっくりコーヒーを飲む人。
俺としては、誰にとっても居心地のいい店にしたいと思っている。
だから、その日も特に深く考えずに答えた。
「会議ですか? ええ、もちろん大丈夫ですよ」
カウンターの前に立っていた男性は、ほっとしたように息を吐いた。
「ありがとうございます。明日の午後二時に、三名でお願いできますでしょうか」
「はい。三名ですね。午後二時で承りました」
俺は予約帳に名前と時間を書き込んだ。
「席は、少し離れたところのほうがよろしいですか?」
男性は一瞬、言葉を失った。
「……そこまで配慮していただけるのですか」
「え? ああ、会議なら、ほかのお客様の話し声が気になることもあるでしょうし」
「なるほど……」
男性は、何かを理解したように深くうなずいた。
いや、そんな大げさな話ではない。
静かな席がいいかどうか、確認しただけだ。
「では、できるだけ落ち着いて話せる席をご用意しますね」
「よろしくお願いいたします」
男性は、丁寧に頭を下げて帰っていった。
俺は予約帳を閉じた。
明日の午後二時、三名。
それだけの話だった。
*
その日の夜。
CAFE 灯の奥では、いつもの六人が静かにコーヒーを飲んでいた。
俺は洗い終えたカップを拭きながら、ふと思い出したことを口にした。
「そういえば、明日は午後二時に会議の予約が入っているんですよ」
六人の手が、ほぼ同時に止まった。
「……会議、ですか」
王冠が静かに聞き返した。
「はい。三名のお客様です。打ち合わせみたいですね」
俺は予約帳を確認した。
「ほかのお客様の迷惑にならないように、少し落ち着いた席を用意しておこうと思ってます」
六人は顔を見合わせた。
黒百合が、ゆっくりとカップを置いた。
「店主。相手の身元は確認されましたか」
「え? いえ、普通の予約ですから」
「そうですか……」
黒百合は、それ以上何も聞かなかった。
俺は首をかしげた。
「何か問題でもありますか?」
「いえ。店主がそう判断されたのであれば、私たちから申し上げることはありません」
「そうですか。なら、よかったです」
俺は安心して、カップを棚に戻した。
その背後で、六人は一度だけ視線を交わしていた。
けれど、俺は気づかなかった。
*
翌日。
午後一時五十分。
店の入口に、黒い車が一台止まった。
降りてきたのは、昨日予約を入れた男性だった。
その後ろには、二人の男が続いている。
三人は周囲を警戒するように視線を巡らせたあと、店へ入ってきた。
「いらっしゃいませ」
俺はいつもどおりに挨拶した。
「昨日、ご予約いただいたお客様ですね」
「はい。本日はよろしくお願いいたします」
「こちらへどうぞ。ご予約の席をご用意しています」
俺は三人を、店の奥にある落ち着いた席へ案内した。
「お飲み物はどうされますか? コーヒーや紅茶、軽食もありますよ」
三人は顔を見合わせた。
まるで、予想していなかった質問を受けたようだった。
「……コーヒーを三つ、お願いします」
「かしこまりました」
注文を受け、俺はカウンターへ戻った。
豆を挽き、お湯を注ぐ。
いつもどおりの作業だ。
けれど、店の奥では、三人が小声で話し始めていた。
「本当に、ここでいいのか」
「ほかに選択肢はない。あの方が指定された場所だ」
「店主は、何も知らないようだが……」
「だからこそだ。余計なことはするな」
俺には、その会話は聞こえなかった。
コーヒーを三つ運び、テーブルに置く。
「ごゆっくりどうぞ。何かあれば呼んでください」
「……ありがとうございます」
三人は、そろって頭を下げた。
俺は少し不思議に思ったが、深く考えなかった。
礼儀正しいお客様なのだろう。
それだけのことだ。
*
午後二時。
予約の三人が話し合いを始めると、店の空気が少しだけ変わった。
声は小さい。
言葉も慎重だ。
けれど、ときおり聞こえてくる単語は、どう考えても普通の会社の会議とは違っていた。
「東側の組織が動いた」
「こちらから先に手を出せば、全面衝突になる」
「連絡が途絶えた人間の所在も、まだつかめていない」
俺はカウンターで布巾を動かしながら、ちらりと奥を見た。
何やら深刻そうな話をしている。
仕事の会議というのは、大変なんだな。
そう思った俺は、追加の水を持っていった。
「お水のおかわりはいかがですか?」
三人が一斉に顔を上げた。
「……ありがとうございます」
「いえいえ。ごゆっくりどうぞ」
俺は水差しを置き、カウンターへ戻った。
その直後、三人は互いの顔を見合わせた。
「今の言葉……」
「いや、ただの水の確認だろう」
「わかっている。だが、こちらが焦っているときに、あの落ち着き……」
「深読みするな。店主に迷惑をかけるな」
彼らは再び話し合いに戻った。
もちろん、俺はそんなことを知る由もない。
*
午後三時前。
三人は話し合いを終え、席を立った。
「本日は、ありがとうございました」
代表の男性が、会計の際に深々と頭を下げた。
「いえ、こちらこそご利用ありがとうございます。また必要でしたら、いつでもご予約ください」
俺は笑顔で答えた。
男性は、何か言いかけてから口を閉じた。
「……承知しました」
三人は店を出ていった。
俺は予約帳に、利用済みの印をつけた。
これで今日の予約は終了だ。
次の予約はまだない。
午後の仕込みを少し早めに始めよう。
そんなことを考えていると、カウンターの向こうから王冠が声をかけてきた。
「店主」
「はい?」
「本日の会議は、無事に終わったようですね」
「ええ。何か難しい話をされていたみたいですけど、落ち着いて話せたならよかったです」
王冠は、わずかに目を伏せた。
「……そうですね。場所があるというのは、ありがたいことです」
「そう言ってもらえると、店をやっている甲斐があります」
俺は笑った。
店というのは、コーヒーを飲んだり、話をしたり、 少し休んだりする場所だ。
誰かが必要としてくれるなら、それで十分だと思う。
六人は、静かにうなずいた。
俺はその意味を深く考えず、次のカップを用意した。
ただの喫茶店の予約。
ただの会議。
俺にとっては、それだけの一日だった。
けれど、灰都の裏社会では、その日の会議について、別の噂が広がり始めていた。
――CAFE 灯なら、誰にも邪魔されずに話し合いができる。
――店主は、こちらの事情を聞かず、必要な場所だけを用意してくれる。
――あの店は、余計な詮索をしない。
噂は、少しずつ形を変えていく。
俺が知らないところで、CAFE 灯の評判はまた一つ広がっていた。




