↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
六人の伝説が頭を下げる店  作者: パルパル


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
54/57

第54話 七人目の名前

 その日の夜、私は眠れなかった。

 祖父の残した帳簿を、何度も開いては閉じた。

 古びた紙には、仕入れの記録や料理の配合、常連客の好みなどが書かれている。

 どこにでもある、小さな喫茶店の記録。

 けれど、その中には、時折、意味の分からない一文が混じっていた。

 ――腹を空かせた者に、理由を問うな。

 ――名を失った者にも、食事を出せ。

 ――過去を償うことと、幸せになってはいけないことは同じではない。

 最後の一文を読んだとき、私は手を止めた。

 祖父は、誰に向けてこれを書いたのだろう。

 六人の伝説か。

 それとも、七人目と呼ばれた男か。

 答えは、帳簿の中にはなかった。

 私はページを閉じた。

 明日、もう一度、六人に聞こう。

 そう決めたはずだった。

 けれど翌朝、店の扉を開ける前から、私は彼らが来ていることに気づいた。

 窓の向こうに、六人の姿があった。

 《王冠》が入口の横に立ち、《黒百合》が周囲を警戒している。

 《葬送》は落ち着かない様子で腕を組み、《道化師》は眼鏡を押し上げながら何かを考えていた。

 《渡り烏》は静かに目を閉じ、《零》は店の裏口を確認している。

 彼らは、私を待っていた。

「おはようございます」

 私が声をかけると、六人は一斉にこちらを向いた。

「……店主」

 《王冠》が口を開いた。

「昨日の男について、話をしなければならない」

「七人目のことですね」

 六人の表情が変わった。

「その前に、質問してもいいですか?」

 私は鍵を開けながら言った。

「昨日、あの人は、祖父が誰かを死なせたと言いました。皆さんは、それが事実だと思っているんですか?」

 《王冠》は、すぐには答えなかった。

 代わりに、《渡り烏》がゆっくりと頷いた。

「少なくとも、あの言葉には根拠がある」

「では、祖父は……」

「待ってくれ」

 老人は私を遮った。

「我々が語るべきことは多い。しかし、まだすべてを語れるわけではない」

「どうしてですか?」

「知らないことがあるからだ。そして、知っていることの中にも、我々が都合よく解釈してきたものがある」

 その言葉は、意外だった。

 六人は、何でも知っている人たちだと思っていた。

 少なくとも、私の目にはそう見えていた。

 だが、彼らもまた、過去のすべてを理解しているわけではないらしい。

「店主」

 《黒百合》が言った。

「あなたには、知る権利があると思う。ただし、これから話すことは、私たち自身にとっても、簡単に口にできるものではない」

「分かりました」

 私は頷いた。

「聞かせてください」

 六人は、店の奥にある席へ移動した。

 私はコーヒーを用意しようとしたが、《王冠》に止められた。

「今日は、我々が話をするために来た。君がもてなす必要はない」

「でも、ここは喫茶店ですから」

「……そうだったな」

 彼は、ほんの少しだけ笑った。

 結局、私は六人にコーヒーを出した。

 それから、自分も席に座った。

「二十年前のことだ」

 最初に話し始めたのは、《渡り烏》だった。

「我々は、まだ伝説などと呼ばれる存在ではなかった」

 六人は、今でこそ裏社会に名を知られている。

 しかし、二十年前は違った。

 若く、未熟で、自分たちの力を信じすぎていた。

 命令に従うことを正しさだと思い、疑うことを弱さだと思っていた。

 そんな彼らのそばに、一人の男がいた。

「久瀬真一」

 その名前が、静かに告げられた。

 私は、その名を繰り返した。

「久瀬……真一」

「ああ。彼が、七人目だった」

 《葬送》が、膝の上で拳を握った。

「俺たちより、ずっと弱かった。喧嘩も得意じゃなかったし、危険な仕事では足手まといになることもあった」

 彼は言葉を切った。

「それでも、怪我人を見捨てられない男だった」

 敵か味方かを問わず、倒れている者がいれば手を貸した。

 仲間の失敗を責めるよりも先に、何が起きたのかを確かめようとした。

 自分が損をすると分かっていても、誰かを助けることを選んだ。

「馬鹿な男だったよ」

 《葬送》は呟いた。

「だが、俺たちには、あいつの馬鹿さが必要だった」

 《道化師》が眼鏡を外した。

「当時の我々は、合理性を重視していました。命令の正しさを疑わず、情報の出所を確認することも十分ではなかった。久瀬は、そのやり方に何度も異議を唱えていたんです」

「それで、皆さんと仲が悪かったんですか?」

「いいえ」

 《黒百合》が首を横に振った。

「彼は、私たちを責めるために言っていたわけではなかったから」

 彼女は、膝の上で手を重ねた。

「ただ、信じてほしかったんだと思う。人は、命令だけでは動かない。正しさだけでは救えない。そういう当たり前のことを、何度も教えようとしていた」

 私は祖父を思い出した。

 祖父も、同じようなことを言う人だった。

 何かを決める前に、まず食べろ。

 怒っているときに、大切なことを決めるな。

 人の話は、最後まで聞け。

 どれも、特別な教えではない。

 けれど、その当たり前を守ることが、どれほど難しいのかを、祖父は知っていたのかもしれない。

「久瀬真一さんと、祖父は知り合いだったんですか?」

「ああ」

 《渡り烏》が答えた。

「久瀬は、何度かこの店に来ていた。君の祖父は、彼のことをよく知っていた」

「では、祖父は、久瀬さんが亡くなることも……?」

「そこが、我々にも分からないところだ」

 《王冠》が口を開いた。

「二十年前、我々は一つの任務を与えられた。組織を裏切った者を追う任務だった」

 その情報には、不自然な点がいくつもあった。

 しかし、当時の六人は、それを疑わなかった。

 やがて、久瀬がその人物の逃亡を助けているという情報が入った。

 六人は久瀬を問い詰めた。

 彼は、詳しい説明をしなかった。

 ただ、一言だけ言ったという。

 ――信じてくれ。

「我々は、信じなかった」

 《王冠》の声は、静かだった。

「証拠を求め、説明を求め、彼が何を隠しているのかを問い続けた。だが、久瀬は最後まで、我々を裏切るつもりはないと言った」

「それで、どうなったんですか?」

「彼は、一人で現場へ向かった」

 《葬送》が目を伏せた。

「俺たちは、あとから追った。だが、間に合わなかった」

 誰も、すぐには言葉を続けなかった。

 私は、六人の顔を見た。

 そこにあったのは、恐怖でも、怒りでもない。

 長い年月を経ても消えない後悔だった。

「久瀬さんは、誰かを助けようとしていたんでしょうか」

「そうだったのだろう」

 《道化師》が答えた。

「少なくとも、我々が受け取っていた情報だけでは、彼の行動の本当の意味を理解できなかった」

「では、どうして……」

 私は言葉を探した。

「どうして、誰も信じなかったんですか?」

 六人は、何も答えなかった。

 その沈黙が、答えなのだと思った。

 彼らは、久瀬を信じなかった。

 そして、久瀬は死んだ。

 それだけの話なのかもしれない。

 だが、人が一人死ぬまでには、数え切れないほどの選択がある。

 誰かの判断。

 誰かの命令。

 誰かの沈黙。

 そのどれか一つでも違っていれば、結末は変わっていたのだろうか。

「店主」

 《渡り烏》が、私を見た。

「君の祖父は、我々を責めなかった」

「……どういうことですか?」

「久瀬が亡くなったあと、我々はこの店に来た。自分たちが何をしたのか、何を間違えたのか、説明しようとした」

 老人は、目を閉じた。

「我々は、言い訳をした。情報が足りなかった。敵の罠だった。判断する時間がなかった。そうするしかなかったのだと」

 そのとき、祖父は言ったという。

 ――お前たちは、あの男を救えなかったことを悔やんでいるんじゃない。

 ――自分たちが間違っていたと認めることが、怖いんだろう。

 私は、息を呑んだ。

「そして、こうも言った」

 《渡り烏》の声が震えた。

 ――本当に悔いているなら、これから何をするかで示しなさい。

 ――自分を罰することばかり考えて、誰かを救うことを忘れるな。

 祖父らしい言葉だと思った。

 けれど、その言葉を受け取った六人は、どれほど苦しかったのだろう。

 自分たちの過ちを認めること。

 亡くなった人を、二度と戻せないと知ること。

 それでも、これから先の人生を生きること。

 それは、簡単なことではない。

「それでも、昨日の男は言いました」

 私は、六人を見た。

「祖父が、誰かを死なせたと」

 《王冠》の顔が険しくなった。

「……ああ」

「それは、本当なんですか?」

「我々には、まだ分からない」

 その答えに、私は戸惑った。

「皆さんは、久瀬さんが亡くなったとき、現場にいたんですよね?」

「そうだ」

「それなのに、分からないんですか?」

「分からないことがある」

 《王冠》は、私から目を逸らさなかった。

「久瀬が亡くなる直前、何が起きたのか。誰が最後までその場にいたのか。そして、なぜ二十年も経った今になって、あの男が現れたのか」

 そのときだった。

 コン、コン、コン。

 扉が三度、叩かれた。

 全員が顔を上げた。

 《零》が立ち上がり、静かに入口へ向かう。

 扉を開ける前に、足元へ何かが滑り込んできた。

 白い封筒だった。

 差出人の名前はない。

 《零》がそれを拾い、封を切った。

 中には、一枚の紙が入っていた。

 短い文章が、黒い文字で記されている。

 ――七人目の死について、真実を知りたければ、今夜、旧礼拝堂へ来い。

 ――店主だけで来い。六人を連れてきた場合、残された証拠はすべて燃やす。

 読み終えた《零》が、紙を《王冠》に渡した。

 六人の表情が、同時に変わった。

「店主を狙っている」

 《黒百合》が呟いた。

「そうだな」

 《王冠》は、手紙を折り畳んだ。

「我々ではなく、透を呼び出している」

「なぜ、私なんでしょうか?」

 私は尋ねた。

 答えは、すぐには返ってこなかった。

 やがて、《渡り烏》が静かに口を開いた。

「おそらく、君の祖父が最後まで守ろうとしたものに関係している」

「祖父が守ろうとしたもの?」

「ああ。だが、それが何なのか、我々にもすべては分からない」

 私は、祖父の帳簿を思い出した。

 何も語らず、何も説明せず、それでも私に店を残した祖父。

 その祖父が、二十年前の事件と関係している。

 そして今、誰かが私を旧礼拝堂へ呼び出している。

「行きます」

 私は言った。

「透」

 《王冠》が低い声で私を呼んだ。

「危険だ。相手が何をするつもりなのか分からない」

「それでも、行きます」

 私は、自分でも驚くほど落ち着いていた。

「祖父が何をしたのか、何を守ろうとしたのか。知りたいんです」

「君が知らなくてもいいことかもしれない」

「そうかもしれません」

 私は頷いた。

「でも、知らないままでは、祖父が守ろうとしたものを、私自身が守れるかどうかも分かりません」

 六人は黙っていた。

 私は、彼らを見た。

「皆さんも、ずっと後悔してきたんですよね」

 《葬送》が顔を上げた。

「久瀬さんを信じられなかったことを。救えなかったことを。二十年間、ずっと」

 誰も否定しなかった。

「だったら、今度は信じてください」

 私は言った。

「私が行くと決めたことを」

 《王冠》は、長いあいだ私を見つめていた。

 やがて、深く息を吐いた。

「……分かった」

 だが、その言葉に続けて、彼は言った。

「ただし、君を一人で行かせるつもりはない」

「手紙には、私だけで来いと書いてあります」

「読んだ」

「証拠を燃やすとも」

「それも読んだ」

 彼は、わずかに目を細めた。

「二十年前、我々は仲間の言葉を信じなかった。その結果、取り返しのつかないことになった」

 《王冠》は、六人を見回した。

「今度は、同じ過ちを繰り返さない」

 《黒百合》が頷いた。

 《葬送》は拳を開き、《道化師》は眼鏡をかけ直した。

 《渡り烏》は静かに目を閉じ、《零》は封筒を大切にしまった。

 彼らは、決めたのだ。

 私を守るために。

 けれど、私は一つだけ、条件を出した。

「その前に、皆さん」

「何だ?」

「お昼ご飯を食べていきませんか?」

 六人が、一斉に私を見た。

「……今、何と言った?」

 《王冠》が聞き返した。

「お昼ご飯です。お腹が空いていると、冷静な判断ができませんから」

 しばらく、誰も動かなかった。

 やがて、《葬送》が小さく吹き出した。

 《道化師》が眼鏡を押さえながら笑い、《黒百合》も口元を緩めた。

 《渡り烏》は、どこか懐かしそうに目を細めた。

 《零》だけは相変わらず無表情だったが、ほんの少しだけ、こちらに頷いたように見えた。

 最後に、《王冠》が苦笑した。

「……君の祖父も、同じことを言っていた」

「そうなんですか?」

「ああ」

 彼は、カウンターに置かれたコーヒーカップを手に取った。

「だからこそ、我々はこの店に来る」

 私は厨房へ向かった。

 今日の昼食は、いつもより少しだけ多めに作ろう。

 夜には、旧礼拝堂へ行く。

 何が待っているのかは分からない。

 祖父の罪が明らかになるのかもしれない。

 久瀬真一の死の真相が分かるのかもしれない。

 あるいは、今まで信じてきたものが、すべて覆されるのかもしれない。

 それでも、私は行く。

 祖父の孫としてではなく。

 この店を継いだ、朝霧透として。

 その夜、旧礼拝堂で私たちを待っている人物は、祖父の秘密だけでなく、私自身の出生に関わる真実も知っていた。

 七人目の死。

 祖父が守ったもの。

 二十年間、誰も口にしなかった最後の約束。

 それらすべてが、今夜、一つにつながろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。