↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
六人の伝説が頭を下げる店  作者: パルパル


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
53/57

第53話 祖父を知る男

 人は、知らないことよりも、知っているつもりでいたことに裏切られたとき、深く傷つく。

 私は、祖父のことを知っているつもりだった。

 口数は少なく、料理の味には妥協しない。困っている人を見かければ、余計なことを言わずに手を差し伸べる。誰かが店で泣いていても、無理に理由を聞くことはなかった。

 ただ、温かい食事を出す。

 それが祖父だった。

 けれど、祖父が亡くなってから、私は何度も思い知らされている。

 私が知っていた祖父は、祖父のほんの一部分にすぎなかったのだと。

「店主」

 カウンターの向こうから声がした。

 顔を上げると、No.1《王冠》がこちらを見ていた。

 銀色の髪。皺ひとつないスーツ。いつも冷静で、何事にも動じない男。

 裏社会でその名を知らない者はいないとされる六人の伝説。その筆頭に立つ人物が、今では私の店でコーヒーを飲んでいる。

「どうしました?」

「少し、確認したいことがある」

「コーヒーのおかわりですか?」

「……それも頼む」

 私は笑って、カップを手に取った。

 この人たちは、何かを話そうとするとき、妙に深刻な顔をする。

 もっとも、彼らにとって深刻なことと、私にとって深刻なことが同じとは限らない。

 コーヒーを注ぎながら、私は尋ねた。

「祖父のことでしょうか」

 《王冠》の指が、カップの取っ手に触れたところで止まった。

 ほんの一瞬。

 それだけで、答えは分かった。

「……ああ」

「やっぱり」

「なぜそう思う?」

「皆さんが祖父の話をするとき、いつも少しだけ顔が変わりますから」

 彼は答えなかった。

 私はカップを置いた。

「祖父は、皆さんにとってどんな人だったんですか?」

 これまでにも何度か尋ねたことがある。

 そのたびに、六人は言葉を濁した。

 恩人。

 忘れられない人。

 人生を変えた人。

 どれも間違いではないのだろう。

 けれど、私が知りたいのは、もっと具体的なことだった。

 祖父は、何をしたのか。

 なぜ、この人たちは、これほどまでに祖父を敬っているのか。

 そして、なぜ祖父は、そんな人たちに私の店を託したのか。

「店主」

 《王冠》が静かに言った。

「君の祖父は、誰かを救うために、自分が悪人だと思われることを恐れない人だった」

「悪人だと思われる?」

「ああ」

「それは、誰かを助けるために嘘をついたということですか?」

「……それだけではない」

 その声には、重いものが混じっていた。

「時には、真実を話さないこともあった。誰かを守るために、誰かから恨まれることもあった。君の祖父は、それを選べる人だった」

「それは、正しいことだったんでしょうか」

 問いかけた瞬間、《王冠》の表情が変わった。

 責められたような顔ではなかった。

 むしろ、ずっと誰かに聞かれるのを待っていたような顔だった。

「分からない」

 彼は答えた。

「少なくとも、我々には、その答えを決める資格がない」

 そのときだった。

 店の扉が開いた。

 カラン、とベルが鳴る。

「いらっしゃいませ」

 反射的に声をかけた私は、入ってきた男を見て言葉を止めた。

 黒いコート。

 顔の半分を覆うように落ちた影。

 年齢も、表情も、はっきりとは読み取れない。

 男は店内を見回し、カウンターの《王冠》を見つけると、わずかに口元を動かした。

「相変わらず、ここに集まっているのか」

 《王冠》が立ち上がった。

 椅子が床を擦る音が、静かな店内に響いた。

「……なぜ、お前がここにいる」

 その声を聞いた瞬間、私は理解した。

 この男は、ただの客ではない。

 《王冠》が警戒している。

 それだけで十分だった。

「お客様、コーヒーでよろしいですか?」

 私は尋ねた。

 男は私を見た。

 その視線には、奇妙なものがあった。

 私を観察しているようでいて、私の向こう側にいる誰かを見ているようでもあった。

「君が、朝霧透か」

「はい」

「……そうか」

 男は、どこか疲れたように笑った。

「よく似ている」

「誰にですか?」

「君の祖父に」

 その言葉を聞いた瞬間、《王冠》の目が鋭くなった。

「余計なことを言うな」

「余計なこと?」

 男は笑った。

「二十年も黙ってきたお前たちが、今さら何を守るつもりだ?」

 店内の空気が変わった。

 そのとき、奥の扉が開いた。

 黒髪の女性、《黒百合》が現れる。

 彼女は男の姿を認めると、表情を消した。

 続いて、傷だらけの大男、《葬送》。

 眼鏡をかけた青年、《道化師》。

 白髪の老人、《渡り烏》。

 そして、小柄なフード姿の人物、《零》。

 六人全員が、男を見ていた。

 誰も動かない。

 誰も口を開かない。

 その沈黙こそが、男の正体を何よりも雄弁に語っていた。

「久しぶりだな」

 男が言った。

「お前たちは、あの日から何も変わっていない」

「……何をしに来た」

 《葬送》が低く尋ねた。

「決まっているだろう」

 男は、私に視線を向けた。

「この店の主人に、教えに来たんだ」

「何をですか?」

「君の祖父が、何をしたのか」

 私は思わず、カウンターの縁を握った。

 祖父のことを知りたい。

 そう願っていたはずなのに。

 いざ、その扉が開かれようとすると、胸の奥が冷たくなった。

「君の祖父は、善人だったのかもしれない」

 男は言った。

「だが、善人だからといって、誰も死なせなかったわけじゃない」

 その言葉は、刃物のように静かだった。

「二十年前、一人の男が死んだ」

 六人の顔が強張った。

「その男は、お前たちを信じていた。君の祖父も、あの男を知っていた」

 男は一歩、カウンターへ近づいた。

「そして、あの男が死ぬことを、誰も止められなかった」

「やめろ」

 《王冠》の声が響いた。

 だが、男は止まらなかった。

「朝霧透。君は、自分の祖父が何を守ったのか、知っているか?」

「……知りません」

「そうだろうな」

 男は薄く笑った。

「ならば、知るべきだ」

 そして、最後にこう告げた。

「君の祖父が守ったもののために、死んだ男がいたということを」

 私は、何も答えられなかった。

 祖父の記憶が、頭の中を巡る。

 厨房で鍋をかき混ぜる背中。

 閉店後にコーヒーを飲む横顔。

 私に店を任せたときの、少しだけ寂しそうな笑顔。

 そのどこにも、誰かの死につながるものなど見えなかった。

 けれど、目の前の男は、嘘をついているようには見えなかった。

「お名前を、伺ってもいいですか」

 私は尋ねた。

 男はしばらく黙っていた。

 それから、首を横に振った。

「今は、まだ言えない」

「なぜですか?」

「名前を知れば、君は次に何を聞くべきか分かってしまう」

 男は扉へ向かった。

「だが、一つだけ教えておこう」

 ベルが鳴る直前、男は振り返った。

「六人の伝説には、七人目がいた」

 扉が閉まった。

 店内に、静寂が戻った。

 私は六人を見た。

 《王冠》は目を閉じていた。

 《黒百合》は唇を噛み、《葬送》は拳を握りしめていた。

 《道化師》の眼鏡の奥では、普段の冷静さが失われている。

 《渡り烏》は、まるで長い年月を一度に思い出したかのように、深く俯いていた。

 《零》だけは、男が去った扉を見つめていた。

「……七人目って、誰なんですか?」

 誰も答えなかった。

 私は、もう一度尋ねた。

「皆さんは、その人を知っているんですよね?」

 長い沈黙のあと、《渡り烏》が口を開いた。

「知っているとも」

 その声は、ひどく弱々しかった。

「忘れたことなど、一度もない」

 私は、祖父の残した古い帳簿を思い出した。

 そこに記された、いくつもの名前。

 そして、まだ開くことのできていないページ。

 もしかすると、あの帳簿には、七人目の名前も記されているのだろうか。

 祖父は、何を残したのだろう。

 何を隠し、何を伝えようとしたのだろう。

 答えは、まだ見えない。

 ただ一つ、確かなことがあった。

 祖父の過去は、私が思っていたよりも、ずっと深い場所につながっていた。

 そして、その中心には。

 六人の伝説が、決して忘れることのできない一人の男がいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。