第5話 じいちゃんの古い帳簿を、なぜか全員が欲しがっています
祖父の遺品を整理していたら、古い帳簿が出てきた。
「……こんなの、あったんだ」
木箱の中に、何冊ものノートが収められていた。
表紙には、手書きで年号が記されている。
一九九八年。
一九九九年。
二〇〇〇年。
ずいぶん古いものだ。
俺は一冊を手に取り、ページをめくった。
そこには、日付や名前、注文した品、それから短いメモが並んでいた。
『砂糖は少なめ』
『苦いコーヒーが好き』
『雨の日は奥の席』
「……常連さんの記録かな」
祖父らしいと思った。
お客さんの好みを覚えるのが得意な人だったから。
ページの端には、ときどき妙な言葉も書かれていた。
『紹介あり』
『約束は守ること』
『この人には、こちらから連絡しない』
何のことだろう。
商売上の覚え書きだろうか。
さらに箱の奥を探ると、ほかの帳簿より分厚い一冊が出てきた。
表紙には、何も書かれていない。
開こうとしたところで、店の電話が鳴った。
「はい、CAFE 灯です」
『朝霧透さんでしょうか』
落ち着いた男の声だった。
「はい。そうですが」
『突然失礼します。お祖父様が残された古い帳簿について、お話を伺いたいのですが』
俺は手元の帳簿を見た。
「帳簿、ですか?」
『ええ。お持ちでしたら、一度お話しできればと思いまして』
「……どうして、そのことをご存じなんですか?」
電話の向こうで、短い沈黙があった。
『古い知人から、話を聞いたものです』
ずいぶん曖昧な答えだ。
とはいえ、祖父の知り合いなら、話を聞くくらいは構わないだろう。
「すみません。お客さんのことも書いてあるみたいなので、内容を見せることはできませんけど。それでもよければ、お話だけなら」
『承知しました。ありがとうございます』
通話はそこで終わった。
俺は受話器を置き、帳簿を見下ろした。
……祖父の知り合いって、思った以上に多いんだな。
◇
同じころ。
BARの奥では、六人が古い帳簿について話し合っていた。
「帳簿が見つかったらしい」と《道化師》が告げた。
《王冠》の目が細くなる。
「確かな情報か」
「はい。店主が遺品を整理していることは確認されています。帳簿らしきものを手に取っていた、という話もあります」
《黒百合》が静かに尋ねた。
「どの帳簿か、特定できたの?」
「そこまでは。複数冊あるようです」
《渡り烏》が深く息を吐いた。
「……店主にとっては、ただの古い記録かもしれん」
「だからこそ、慎重に扱う必要がある」と《王冠》。
「帳簿には、祖父が誰と会い、誰を紹介し、誰を信頼していたのかが記されている可能性がある。今の裏社会にいる者たちにとって、無視できない情報だ」
《葬送》が低く言った。
「だからといって、奪うわけにはいかん」
「当然だ」
《王冠》は全員を見回した。
「店主が自分で見つけたものだ。こちらの都合で取り上げることは許されない」
《道化師》が頷いた。
「問題は、ほかの組織も帳簿の存在を知り始めていることです」
「……《灰蛇》か」
「はい。明日、接触してくる可能性があります」
《王冠》は静かに目を閉じた。
「店主を巻き込むな。まずは相手の出方を見る」
◇
翌朝。
開店準備をしていると、スーツ姿の男が店に入ってきた。
「いらっしゃいませ」
「朝霧透さんですね」
「はい」
男は名刺を差し出した。
黒瀬、と書かれている。
「私は《灰蛇》の者です。少し、お話を伺いたい」
……《灰蛇》?
聞いたことのない組織名だった。
「何のお話でしょうか」
「お祖父様が残された、古い帳簿についてです」
やっぱり、その話か。
俺は少しだけ表情を引き締めた。
「すみません。帳簿には、お客さんの個人的なことも書いてあるようです。内容をお見せすることはできません」
黒瀬は、すぐには返事をしなかった。
「中身を確認するだけでも難しいでしょうか」
「はい。祖父が何のために書いたものなのか、俺にもまだわかっていません。勝手に人に見せるわけにはいかないと思います」
黒瀬は俺の顔を見つめていた。
やがて、静かに頷いた。
「……承知しました。無理にお願いするつもりはありません」
「すみません」
「いえ。こちらこそ、突然失礼しました」
黒瀬は名刺を置き、店を出ていった。
俺は、その背中を見送った。
ずいぶん丁寧な人だった。
ただ、わざわざ組織の名前まで出して帳簿を探しているのは、少し気になる。
「……じいちゃん、いったい何を書いてたんだよ」
そのとき、入口のベルが鳴った。
振り返ると、六人の常連がそろって立っていた。
「マスター」と《王冠》。
「先ほどの方と、何かありましたか」
「え? ああ、帳簿を見せてほしいって言われたんです。でも、お客さんのことが書いてあるみたいなので、お断りしました」
六人の間に、静かな緊張が走った。
「……そうですか」
《王冠》は深く頭を下げた。
「適切なご判断だと思います」
「えっ、そんな大げさな……」
俺は苦笑した。
「ただ、祖父の書いたものだから、ちゃんと大事にしたいだけですよ」
六人は、しばらく何も言わなかった。
俺には、その沈黙の意味がわからなかった。
ただ、祖父の残した帳簿が、思っていたよりずっと多くの人にとって重要なものらしい。
それだけは、少しずつわかり始めていた。




