第46話 店主が「焼きそばのソースは、あとから足してもいいですよ」と言った結果、灰都の裏社会で味付けの主導権を巡る論争が勃発
人は、何かを決めるとき、どこまで先のことを考えるべきなのだろう。
最初から正解を選べば、失敗は減る。
準備を整え、必要なものを揃え、あらゆる可能性を検討してから行動すれば、無駄も少なくなる。
それは、間違いではない。
しかし、最初に決めたことが、最後まで正しいとは限らない。
やってみて初めてわかることがある。
途中で気が変わることもある。
最初は十分だと思ったものが、あとから足りなくなることだってある。
朝霧透は、そんなとき、少しずつ足していけばいいと思っていた。
料理なら、なおさらだ。
味が薄ければ、調味料を足す。
濃すぎたら、次は少し減らす。
それだけのことだった。
だが、灰都の裏社会には、途中で何かを変更するという行為に、必要以上の意味を見いだしてしまう人々がいた。
そして今日、その人々の前に並んでいるのは、一本の焼きそばソースだった。
*
「……店主」
午前十一時。
CAFE 灯の厨房で、王冠が鉄板を見つめていた。
「はい?」
「確認したいことがある」
「何でしょう?」
「今日の焼きそばについてだ」
「はい。今日は焼きそばですよ」
「ソースは、いつ入れる?」
透は、手にしていたキャベツをまな板に置いた。
「そうですね。麺と具材を炒めて、最後に全体へ絡める感じです」
「……最後に」
「はい」
「では、味が薄いと感じた場合は?」
「あとから足せばいいと思いますよ」
王冠の眉が、わずかに動いた。
「……あとから?」
「はい。最初から濃くしすぎると、戻すのが大変ですから。少しずつ味を見ながら調整すればいいんです」
王冠は、黙り込んだ。
それは、料理としては合理的な考え方だった。
最初から濃くしすぎれば、修正が難しい。
ならば、少し控えめに味付けし、必要に応じて調整する。
単純明快だ。
しかし。
「……店主」
「はい?」
「それでは、最初に決めた味付けが、完成形ではないということか」
「ええ。味見をしてから、好みに合わせて変えてもいいですから」
透は、ごく普通に答えた。
「そのほうがおいしく食べられる人もいますしね」
王冠は、静かに息を吸った。
最初に決めたものを、あとから変える。
それを失敗と考える必要はない。
最初の判断が間違っていたということでもない。
単に、実際に食べてみて、もう少し調整したほうがいいとわかっただけなのだ。
王冠は、これまで何度も、決断を下してきた。
状況を分析し、最善と思われる案を選ぶ。
一度決めたなら、簡単には覆さない。
変更するなら、明確な理由を求める。
それが責任ある判断だと思っていた。
もちろん、今でも必要な場面はある。
だが、すべてのことに同じやり方を適用する必要はないのかもしれない。
「……なるほど」
王冠は、頷いた。
「今日の焼きそばは、まず薄めに作ってくれ」
「わかりました」
「そして、ソースを別に用意しておいてほしい」
「もちろんです」
王冠は満足そうに頷いた。
これで問題は解決した。
そう思った。
ところが。
「……つまり、店主は」
背後から、道化師の声がした。
「味付けの決定権を、調理者から喫食者へ一部移譲するということだな」
王冠は、ゆっくりと振り返った。
「……お前は、いつからそこにいた」
「最初からだ」
「聞いていたのか」
「聞いていた」
「なら、余計な解釈を加えるな」
「しかし、重要な視点だ」
道化師は眼鏡を押し上げた。
「従来の調理方式では、調理者が全員の味付けを決定する。だが、あとから各自がソースを足せるなら、最終的な味は個人の判断に委ねられる」
「焼きそばの話だ」
「焼きそばだからこそ、わかりやすい」
王冠は、頭を抱えた。
今日もまた、普通の昼食が、普通ではない議論に発展しようとしていた。
*
昼食の時間。
透が焼きそばをテーブルへ運ぶと、六人の伝説と鷹宮宗一郎は、それぞれの皿を見つめた。
焼きそばには、キャベツ、にんじん、豚肉が入っている。
ソースは控えめで、麺の色も濃くなりすぎていない。
その横には、小さな容器に入った追加用のソースが置かれていた。
「今日は、少し薄めにしてあります。足りなかったら、好きなだけ足してください」
透は笑った。
「あと、マヨネーズもありますよ」
全員が、マヨネーズの容器を見た。
王冠が、低い声で言った。
「……今日は、そこまで議論を広げるつもりはない」
「まだ誰も何も言っていないわよ」
黒百合が笑った。
「あなたが一番気にしているんじゃないの?」
「気にしてはいない」
「そう」
黒百合は、にこりと笑った。
「じゃあ、マヨネーズをかけても平気ね」
「……好きにすればいい」
「そうするわ」
黒百合は、焼きそばに少しだけマヨネーズをかけた。
王冠の眉間に、深い皺が寄った。
「……何だ」
「何が?」
「いや……」
王冠は口を閉じた。
他人が自分と違う味付けをする。
それだけのことだ。
わざわざ口を挟む必要はない。
王冠は、自分の焼きそばを一口食べた。
「……少し、薄いな」
そして、ソースの容器に手を伸ばした。
ほんの少しだけ足す。
もう一口食べる。
「……これでいい」
透が頷いた。
「よかったです」
王冠は、ふと気づいた。
自分は今、誰にも相談せず、自分の好みに合わせて味を調整した。
最初に用意された味付けを否定したわけではない。
透の作り方が間違っていたわけでもない。
ただ、自分にはもう少しソースが必要だった。
それだけだ。
王冠は、焼きそばをもう一口食べた。
「……なるほど」
「何がなるほどなの?」
黒百合が尋ねた。
「いや、何でもない」
「あなた、最近『なるほど』って言えば何とかなると思っていない?」
「そんなことはない」
「そう」
黒百合は笑った。
「じゃあ、ソースを足す前とあとで、味がどう変わったか教えてくれる?」
「……それは」
王冠は、少しだけ考えた。
「足す前は、素材の味がわかりやすかった。足したあとは、ソースの風味が強くなった」
「普通の感想ね」
「普通で何が悪い」
「悪くないわよ」
黒百合は、楽しそうに答えた。
「普通の感想を言えるようになったのが、いいことなんじゃない?」
王冠は、返事をしなかった。
だが、否定もしなかった。
*
一方、葬送は別の問題に直面していた。
「……足りない」
彼は、自分の皿を見下ろしていた。
「ソースがか?」
渡り烏が尋ねる。
「いや、量だ」
葬送は、焼きそばを食べながら答えた。
「肉が、もう少し欲しい」
「なら、追加してもらえばいいだろう」
「……そうか」
葬送は、透のいる厨房へ向かった。
「店主。豚肉を追加してもらうことはできるか」
「もちろんです。まだ残っていますから」
「すまない」
「いえいえ。足りないなら、言ってもらったほうが助かります」
透は、追加の豚肉を炒め始めた。
葬送は、その手元をじっと見ていた。
「……店主」
「はい?」
「最初に出されたものだけで、我慢する必要はないのか」
透は、少し驚いたように顔を上げた。
「えっ?」
「足りないと思ったら、追加してほしいと言ってもいいのか」
「もちろんですよ。足りないのに無理して我慢する必要はないでしょう?」
葬送は、黙った。
これまで彼は、自分の分を後回しにすることが多かった。
必要なものがあっても、他の誰かが先に使うなら譲る。
自分が食べたいものがあっても、仲間が足りないなら渡す。
自分が休みたくても、誰かが働いているなら手を止めない。
それが自然だった。
誰かを守ることに慣れすぎて、自分が何を必要としているのかを考える習慣が薄れていた。
「……俺は、肉が好きだ」
葬送は、ぽつりと言った。
「はい」
「だから、もう少し食べたいと思った」
「いいと思いますよ」
透は笑った。
「好きなものなら、少し多めに食べたい日だってありますから」
葬送は、静かに頷いた。
「……そうか」
追加の肉が皿に盛られた。
葬送は、それを見つめてから、ゆっくりと頭を下げた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
葬送は席へ戻った。
黒百合が、彼の皿を見て笑った。
「ずいぶん豪華になったわね」
「……肉が好きだからな」
「知っているわよ」
葬送は、少しだけ照れたように目をそらした。
「……なら、問題ない」
渡り烏は、その様子を見て、穏やかに笑った。
必要なものを求めることは、誰かから奪うことと同じではない。
自分が欲しいものを口にしたからといって、誰かの負担になるとは限らない。
それを理解するのにも、葬送には少し時間が必要だった。
*
道化師は、ソースの容器を前に、難しい顔をしていた。
「……どうしたの?」
零が尋ねた。
「ソースを足すタイミングについて考えている」
「食べる前でも、途中でもいいんじゃない?」
「それはわかっている」
「なら、どうして考えているの?」
「最も効率のよいタイミングがあるはずだ」
零は、首を傾げた。
「効率?」
「最初に少量を足しておけば、途中で味が薄いと感じる可能性を減らせる。一方、何も足さなければ、元の味を最後まで確認できる。しかし、途中で足す場合は、味の変化を比較できる」
「……好きなときに足せばいいと思うけど」
道化師は、零を見た。
「それでは、最適解がわからない」
「でも、食べたい味になればいいんでしょう?」
「……」
「最初から正解を知っていなくても、食べながら決められるよ」
零は、自分の焼きそばにソースを少し足した。
「私は、途中で足すことにした」
そして、一口食べる。
「……うん。こっちのほうが好き」
道化師は、彼女を見つめていた。
零は、ソースを足す前の味を覚えている。
足したあとの味も知った。
そして、自分の好みを決めた。
特別な計算も、複雑な分析もしていない。
ただ、食べて、考えて、選んだ。
「……なるほど」
道化師は呟いた。
「何がなるほどなの?」
零が尋ねる。
「最適解を事前に確定する必要はないのかもしれない」
「うん」
「実際に試した結果を踏まえて、その場で選択すればいい」
「うん」
「……それなら、俺にもできそうだ」
道化師は、ソースを手に取った。
そして、自分の焼きそばに少し足した。
一口食べる。
「……悪くない」
「よかったね」
零が笑った。
道化師も、ほんの少しだけ笑った。
彼は、ノートを開こうとした。
しかし、手を止めた。
今日は、記録しなくてもいい気がした。
自分が食べたいと思った味を、自分で選ぶ。
その感覚を、まずは覚えておこうと思った。
*
昼食の終わり頃。
鷹宮宗一郎は、焼きそばを食べ終えていた。
皿の端には、追加のソースが少し残っている。
彼は、それを見ながら、ふと口を開いた。
「……店主」
「はい?」
「最初に出された味付けを変えることに、抵抗はないのか」
透は、食器を片づけながら考えた。
「うーん……そうですね。僕は、特にありません」
「なぜだ?」
「お客さんにおいしく食べてもらいたいですから。僕が作った味が、その人の好みに合わないこともありますし」
透は、皿を重ねた。
「それに、好みって人によって違いますからね。全員に同じ味を好きになってもらうのは、難しいと思います」
「……なるほど」
鷹宮は、静かに頷いた。
「では、作り手の考えを押しつける必要はないということか」
「押しつけるというほどのことでもないと思いますけど……」
透は苦笑した。
「僕が作ったものを、そのまま食べてくれるのも嬉しいです。でも、自分で味を調整して、もっとおいしいと思ってくれるなら、それも嬉しいですよ」
鷹宮は、しばらく黙っていた。
彼は、多くの人間を率いてきた。
方針を決め、指示を出し、結果を求める。
組織が動くためには、一定の方向性が必要だ。
誰もが好き勝手に動けば、まとまらなくなる。
それは今でも変わらない。
だが、すべての人間に同じ味を求める必要はない。
同じ場所に集まっていても、望むものは違う。
同じ目的を持っていても、進み方は違う。
誰かが少し調整を求めたからといって、最初の方針そのものが否定されたわけではない。
「……店主」
「はい?」
「もし、組織の中で誰かが、今の方針では少し足りないと言ったら」
「はい」
「その者の意見を聞くことは、最初に決めた方針を否定することになるのだろうか」
透は、少し考えた。
「どうして足りないと思ったのか、聞いてみればいいんじゃないですか?」
「理由を?」
「はい。実際にやってみて、何か気づいたのかもしれませんし。最初はわからなかった問題が、あとから見えてくることもありますから」
透は、穏やかに続けた。
「もちろん、何でも言われたとおりに変えればいいわけではないと思います。でも、話を聞くことと、必ずそのとおりにすることは違いますよね」
鷹宮は、ゆっくりと息を吐いた。
「……そうだな」
「それに、変えたほうがいいと思ったら変えればいいですし、変えないほうがいいと思ったら、理由を説明すればいいと思います」
透は、最後の皿を持ち上げた。
「一度決めたからって、何も考えずにそのままにする必要はないと思いますよ」
鷹宮は、静かに笑った。
「……君は、いつも簡単に言うな」
「えっ? 難しい話でしたか?」
「いや」
鷹宮は首を振った。
「難しいのは、こちらのほうだ」
透は、不思議そうに首を傾げた。
「そうですか?」
「ああ」
鷹宮は、窓の外を見た。
彼には、まだ答えの出ていない問題がいくつもある。
簡単には変えられない方針もある。
慎重に判断しなければならないこともある。
それでも、すべてを最初の判断だけで決めきろうとする必要はないのかもしれない。
必要なら、途中で見直せばいい。
誰かの意見を聞けばいい。
そのうえで、自分で決めればいい。
それは、責任を放棄することではない。
むしろ、最後まで考え続けるということなのだろう。
「……ありがとう、店主」
「いえいえ。焼きそば、足りましたか?」
鷹宮は、思わず笑った。
「ああ。十分だった」
「よかったです」
*
その日の午後。
灰都情報管理連絡会では、またしても報告書が作成されていた。
『CAFE 灯にて、焼きそばのソースを別添えで提供。各客が自ら味付けを調整する様子を確認』
責任者は、報告書を読んでいた。
以前なら、こうした報告を見れば、何らかの意図を探していたかもしれない。
店主がなぜ別添えにしたのか。
客たちがなぜそれを受け入れたのか。
調味料の選択を通じて、どのような関係性が生まれたのか。
だが、今は違う。
「……問題なし」
責任者は、書類にそう記した。
調査員が、恐る恐る尋ねた。
「今回は、これだけでよろしいのですか?」
「ああ」
「ですが、複数の有力者が同じ料理を食べながら、それぞれ異なる味付けを選択したという事実は――」
「問題なし」
「鷹宮宗一郎は、店主との会話のあと、長時間考え込んでいたようですが」
「焼きそばがうまかったのだろう」
「……それだけでしょうか?」
責任者は、調査員を見た。
「君は、焼きそばを食べて考え込んだことがないのか」
「ありません」
「なら、試してみればいい」
「焼きそばをですか?」
「そうだ」
責任者は、書類を閉じた。
「人間は、食事をしながら何かを考えることもある。考えたからといって、すべてに組織的な意味があるわけではない」
「……承知しました」
調査員は頭を下げた。
そして、退室する直前に言った。
「責任者。今日の食堂は、焼きそばだそうです」
「……そうか」
「ソースは、別添えだそうです」
責任者は、静かに目を閉じた。
「……君は、わざと言っているのか?」
「いいえ」
「そうか」
責任者は立ち上がった。
「では、昼食に行こう」
その日の責任者は、ソースを最初にかけなかった。
まずは、そのまま一口食べた。
そして、少しだけソースを足した。
さらに一口食べる。
「……こっちのほうがいいな」
誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。
調査員は、何も記録しなかった。
ただ、自分の焼きそばにソースを足した。
*
夕方。
CAFE 灯の閉店時間が近づいていた。
零は、厨房の片づけを終え、透の隣に立った。
「今日の焼きそば、おいしかったね」
「そうですね。みんな、好きな味にできたみたいでよかったです」
「……私、少し気づいたことがあるの」
「何ですか?」
零は、しばらく考えてから話し始めた。
「最初から、全部うまくやらなくてもいいんだね」
透は、彼女を見た。
「うん。最初はわからないことも多いですから」
「私、仕事でもそう思うことがあるの。最初にちゃんとできなかったら、だめなんじゃないかって」
零は、少しだけ目を伏せた。
「でも、今日の焼きそばみたいに、あとから直せることもあるんだよね」
「もちろんです」
透は、穏やかに頷いた。
「最初から全部わかっていたら、練習する必要もなくなっちゃいますからね」
「……そっか」
「それに、零さんが何かに気づいたなら、それは次に活かせることですよ」
零は、ゆっくりと顔を上げた。
「最初に間違えたことより、あとから気づけたことを大事にしてもいいのかな」
「そう思いますよ」
透は笑った。
「間違えたことに気づけたなら、次は変えられますから」
零は、しばらく黙っていた。
自分は、失敗しないことばかりを考えていた。
間違えないように。
迷惑をかけないように。
一度で完璧にできるように。
けれど、どれだけ気をつけても、初めてのことにはわからない部分がある。
それなら、最初から完璧であろうとするより、わからないことを確かめながら進めばいい。
足りなければ、相談する。
間違えたら、直す。
自分では直せないことなら、誰かに助けてもらう。
そうしても、自分の居場所がなくなるわけではない。
「……透さん」
「はい?」
「私、明日も頑張ってみるね」
透は、笑った。
「はい。でも、無理はしないでくださいね」
「うん」
零は頷いた。
そして、少しだけ考えてから付け加えた。
「……あと、明日はソースを少なめにしてみようかな」
「焼きそばの話ですか?」
「うん」
透は、声を立てて笑った。
「いいですね。明日も、好きな味を探してみましょう」
*
その夜。
六人の伝説は、それぞれの帰り道で、今日の焼きそばを思い出していた。
王冠は、最初に決めたことを途中で調整することについて考えていた。
黒百合は、違う好みを持つ相手と、同じ食卓を囲むことについて考えていた。
葬送は、足りないものを求めてもよいのだということを、少しだけ覚えていた。
道化師は、正解を事前に確定することばかりが合理的とは限らないと気づいていた。
渡り烏は、誰かの意見を聞くことと、すべてを相手に委ねることは違うのだと思っていた。
零は、失敗してからでも、やり直せることがあると知った。
そして鷹宮宗一郎は、明日、誰かの意見を聞く時間を作ろうと考えていた。
誰もが、何かを得た。
だが、朝霧透は、そんなことを知る由もなかった。
彼は、明日の仕込みに必要な材料を確認していた。
焼きそばは好評だった。
ソースも、別添えにして正解だったらしい。
なら、次も同じようにすればいい。
ただ、それだけのことだった。
「……明日は、何を作ろうかな」
透は、冷蔵庫の中を覗き込んだ。
そこには、卵と牛乳、少しのバターが残っていた。
「……ホットケーキでも焼こうかな」
その一言を、店の外にいた渡り烏が聞いた。
「……ホットケーキ?」
彼は足を止めた。
ホットケーキ。
生地の厚さ。
焼き色。
バターの量。
シロップの量。
そして、何を乗せるか。
渡り烏は、ゆっくりと空を見上げた。
「……明日も、忙しくなりそうだな」
翌朝。
CAFE 灯では、六人の伝説と鷹宮宗一郎が、ホットケーキの前に集まることになる。
そして彼らは、まだ知らない。
バターとシロップという、たった二つの選択肢が、灰都の裏社会に新たな問題をもたらすことを。
――ホットケーキは、焼き色が濃いほうがいいのか。
それとも、薄いほうがいいのか。
朝霧透にとっては、どちらでもおいしければよかった。
だが、六人の伝説にとっては、まだ答えの出ていない問題だった。




