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六人の伝説が頭を下げる店  作者: パルパル


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11/57

第11話 伝説の暗殺者六人を面接したら、全員の志望動機が重すぎました

 朝霧透は、面接用の椅子を二脚、カウンターの前に並べていた。


 普段なら客が座る場所だが、今日は少しだけ配置を変えている。


 テーブルの上には、六人分の履歴書と、質問を書いたメモ帳。


 その隣には、面接のあとに出すつもりのクッキーが置いてあった。


「よし。準備はこんなところかな」


 透はメモ帳を開き、質問を読み返した。


 勤務できる曜日。


 希望する勤務時間。


 接客経験の有無。


 苦手な仕事。


 そして、志望動機。


 最後の項目を見て、彼は少し考えた。


「志望動機って、何を聞けばいいんだろうなあ……」


 求人を出したのは、忙しい時間に手伝ってくれる人が欲しかったからだ。


 特別な能力を求めているわけではない。


 客に笑顔で接することができて、仕事を少しずつ覚えてくれて、困ったときには相談してくれれば十分だった。


 透はメモ帳を閉じた。


「まあ、気楽に話してもらえばいいか」


 そのとき、入口の扉が開いた。


「おはようございます、マスター」


 No.1《王冠》が入ってきた。


 いつもどおり隙のないスーツ姿だが、今日は手に黒い書類ケースを持っている。


「王冠さん。早いですね」


「面接の十分前には到着するようにしております」


「そんなに早くなくても大丈夫ですよ。座って待っていてください」


「承知しました」


 王冠は椅子に座り、書類ケースを膝の上に置いた。


 その姿は、喫茶店のアルバイトに応募した人間というより、巨大企業の重要な契約を結びに来た経営者のようだった。


 透は苦笑した。


「そんなに緊張しなくても大丈夫ですからね」


 王冠の指が、書類ケースの持ち手をわずかに強く握った。


「……緊張しているように見えますか」


「ちょっとだけ」


「そうですか」


 王冠は短く答えた。


 彼は、数え切れないほどの修羅場を経験してきた。


 命のやり取りをする場面で、手が震えたことはない。


 だが、今は違う。


 この店では、過去の実績も、裏社会での地位も、何の役にも立たない。


 問われるのは、ここで働けるかどうか。


 それだけだった。


 王冠は、こんなにも自分の立場が心細くなる経験を、ほとんどしたことがなかった。


     *


 面接は、午前十時に始まった。


「それでは、よろしくお願いします」


「よろしくお願いいたします」


 王冠は深々と頭を下げた。


 透は履歴書に目を通した。


「ええと……組織運営と人員管理の経験が長いんですね」


「はい」


「すごいですね。人をまとめる仕事って、大変じゃないですか?」


「……大変ではあります。しかし、責任を持つ者が全体を把握し、適切に役割を分担することが重要だと考えております」


「なるほど」


 透は頷いた。


「でも、うちの場合はそんなに大勢いるわけじゃないので、そこまで難しく考えなくても大丈夫ですよ」


 王冠は、一瞬だけ言葉に詰まった。


「……はい」


「忙しいときに、手が空いている人が食器を下げたり、注文を確認したり。そういう感じです」


「理解しました」


「それと、困ったことがあったら、周りの人に相談してくださいね」


 王冠の表情がわずかに変わった。


 祖父の帳簿に書かれていた言葉が、脳裏をよぎる。


 ――No.1は、何でも自分で背負いすぎる。たまには誰かに任せること。


 透は、そんな事情など知らない。


 ただ、仕事をするうえで必要なことを伝えているだけだった。


「……ひとつ、質問してもよろしいでしょうか」


「はい、どうぞ」


「自分で判断できないことがあった場合、すぐに相談するべきでしょうか。それとも、まずは自分で考え、答えを出すべきでしょうか」


 透は少し驚いた。


「うーん。内容によりますね」


「内容による、ですか」


「はい。すぐに確認したほうがいいこともあるし、自分で考えてみていいこともあります。でも、お客様に迷惑がかかりそうだったり、失敗すると困ることだったりしたら、早めに聞いてくれたほうがいいです」


 王冠は、じっと透を見た。


「自分一人で全部解決しようとしなくてもいい、ということでしょうか」


「そうですね。みんなで働くんですから」


 透は笑った。


「一人で頑張りすぎて、倒れちゃったら大変ですし」


 王冠は、静かに息を吐いた。


 それは、あまりにも当たり前の答えだった。


 だが、自分にとっては、長いあいだ忘れていた答えでもあった。


「……ありがとうございます」


「いえいえ。それでは、次の質問ですが」


 透はメモ帳に目を落とした。


「週に何日くらい働けますか?」


 王冠の思考が止まった。


「……週に、何日」


「はい。無理のない範囲で教えてください」


 王冠は、これまでに経験したどんな交渉よりも真剣な顔で考え始めた。


 週に一日。


 週に三日。


 あるいは、もっと働けるのか。


 だが、裏社会の組織運営を担う自分が、どれほどの時間を店に使えるのか。


 彼は初めて、自分の生活を仕事の側からではなく、自分のために考えなければならなくなった。


「……週に二日から三日程度であれば、安定して勤務できると思います」


「わかりました。ありがとうございます」


 透は何の疑問も持たずに記録した。


 王冠は、ほっとしたように肩の力を抜いた。


 面接は続いた。


 最後に透が尋ねた。


「それでは、どうしてうちで働きたいと思ったんですか?」


 王冠は、すぐには答えなかった。


 用意していた言葉なら、いくらでもある。


 マスターの近くで店を守るため。


 店の運営状況を把握するため。


 不審な人物の接近を防ぐため。


 どれも、理由としては間違っていない。


 しかし、それだけではなかった。


「……この店で過ごす時間が、好きだからです」


 王冠は、まっすぐに透を見た。


「ここでは、何かを成し遂げなくても、誰かの役に立たなくても、座っていることが許される。私は、それをとても大切なことだと思っています」


 透は、少し照れたように笑った。


「そう言ってもらえると、嬉しいですね」


「だからこそ、客として通うだけでなく、店を支える側にもなってみたいと思いました」


 それは、王冠が初めて口にした、本当の志望動機だった。


 透は履歴書を閉じた。


「わかりました。今日はありがとうございました。採用については、皆さんの面接が終わってから連絡しますね」


「承知しました」


 王冠は立ち上がり、丁寧に頭を下げた。


 店を出るとき、彼は振り返った。


「マスター」


「はい?」


「……面接をしていただき、ありがとうございました」


「いえいえ。こちらこそ、応募してくれてありがとうございます」


 その言葉を聞いて、王冠はほんの少し笑った。


 誰かに評価されるためではなく、自分が望んだからここに来た。


 そのことが、彼には不思議なほど嬉しかった。


     *


 次に来たのは、No.2《黒百合》だった。


 彼女は王冠ほど緊張している様子を見せなかったが、履歴書を渡す指先には、わずかな硬さがあった。


「よろしくお願いします」


「はい。よろしくお願いします」


 透は履歴書に目を通した。


「情報収集や状況判断が得意なんですね」


「……ええ。人の様子を見たり、変化に気づいたりすることは得意です」


「それは助かりますね。お客様が困っているときに気づけるのは、大切だと思います」


 黒百合は、少しだけ目を見開いた。


 彼女は、人の変化に気づくことで生き延びてきた。


 呼吸の乱れ。


 視線の動き。


 言葉の裏に隠された意図。


 それらを見落とせば、自分だけでなく、仲間の命まで危険にさらすことがあった。


 だが、ここで求められているのは、そんな極限の観察力ではない。


 水を欲しがっている客に気づくこと。


 迷っている客に声をかけること。


 困っている人を、そっと助けること。


 黒百合は、その違いを考えていた。


「何か、苦手な仕事はありますか?」


 透の質問に、彼女は少しだけ視線を落とした。


「……人と、必要以上に親しくなることは得意ではありません」


「なるほど」


「接客に向いていないと思われますか?」


 透は首を横に振った。


「そんなことはないですよ。無理にお客様と仲良くなる必要はありませんから」


「……え?」


「挨拶をして、注文を聞いて、必要なことを伝えて。困っているようなら声をかける。それができれば十分だと思います」


 黒百合は、しばらく黙っていた。


「無理に笑顔を作る必要もないですし、話したくないときまで話す必要もありません。ただ、お客様に失礼にならないようにしてもらえれば」


「……そう、ですか」


「はい。得意なことも苦手なことも、人それぞれですから」


 彼女は、胸の奥に小さな温かさが広がるのを感じた。


 誰かと親しくなることが苦手だと言えば、冷たい人間だと思われることがあった。


 人を警戒する癖が抜けないと話せば、信用できない人間だと見なされることもあった。


 しかし、透はそれを欠点として責めなかった。


 無理をしなくていい。


 できることを、できる範囲でやればいい。


 その考え方が、黒百合にはひどく眩しかった。


「……ありがとうございます」


「いえいえ。では、週に何日くらい働けそうですか?」


「週二日ほどなら」


「わかりました」


 透は記録した。


 志望動機を尋ねると、黒百合は少し迷ったあと、静かに答えた。


「……ここでは、自分を偽らなくてもいい気がしたからです」


 透は、彼女の顔を見た。


「そう思ってもらえたなら、嬉しいです」


 黒百合は、それ以上何も言わなかった。


 だが、面接を終えて店を出たあと、彼女は自分が思っていた以上に、ほっとしていることに気づいた。


 誰かに自分を理解してもらおうと、必死に説明する必要はなかった。


 苦手なことを苦手だと言っても、すぐに否定されるわけではなかった。


 それだけで、少しだけ前に進めた気がした。


     *


 No.3《葬送》の面接は、開始早々に問題が起きた。


「よろしくお願いします!」


 彼は、勢いよく頭を下げた。


 その拍子に、履歴書を机から落とした。


「あっ、すみません!」


「大丈夫ですよ」


 透が拾おうとすると、葬送も同時に手を伸ばした。


 頭がぶつかった。


「痛っ」


「申し訳ありません!」


「いやいや、僕もすみません」


 面接開始から三十秒。


 葬送は、すでに額を押さえていた。


 透は苦笑しながら、椅子を勧めた。


「落ち着いてくださいね」


「はい!」


 彼は、今度こそ慎重に座った。


 透は履歴書を見た。


「体力には自信があるんですね」


「はい。重い荷物を運ぶことも、長時間動くことも問題ありません」


「それは助かります。仕入れた食材を運ぶこともありますからね」


 葬送の目が輝いた。


「食材を運ぶ!」


「はい。ただ、重いものを持つときは無理をしないでください。腰を痛めたら大変ですから」


「……腰を」


 葬送は真剣に頷いた。


 戦場では、負傷しても動き続けることが求められた。


 痛みを我慢できることが、強さの一部だった。


 しかし、この店では違う。


 怪我をする前に、無理をしないことが大切なのだ。


「それと、調理を勉強中とありますね」


「はい!」


 葬送は、ここぞとばかりに背筋を伸ばした。


「将来的には、料理を任せていただけるようになりたいと思っています!」


「おお。いいですね」


「現在は、米を炊く練習と、野菜を切る練習をしております!」


「そうなんですね。包丁は、もう慣れましたか?」


 葬送の表情が曇った。


「……まだ、少々」


「最初は難しいですよね。僕も祖父に教えてもらったとき、何度も失敗しました」


「マスターも、ですか?」


「もちろんです。いきなり上手にはできませんよ」


 透は笑った。


「少しずつ覚えていきましょう。もし採用になったら、簡単なところから教えますね」


 葬送は、深く頭を下げた。


「ありがとうございます!」


 その声が大きすぎて、店内の客が何事かと振り返った。


「あっ、すみません。声が大きかったですね」


「ははは。少しずつ慣れていけば大丈夫ですよ」


 葬送は、耳まで赤くなった。


 彼は今、人生で初めて、誰かに料理を教えてもらう約束をした。


 それがどれほど嬉しいことなのか、自分でもうまく説明できなかった。


     *


 No.4《道化師》は、面接の前に質問を二十七個用意していた。


 勤務条件の確認。


 研修期間の長さ。


 接客時の判断基準。


 クレーム対応の手順。


 衛生管理の基準。


 さらには、繁忙期における業務分担まで。


 透は、彼が取り出したメモを見て、思わず笑った。


「すごい。ずいぶん準備してきたんですね」


「不明点を残したまま業務に就くのは、双方にとって望ましくないと判断しました」


「それはそうですね。でも、全部を今すぐ決めなくても大丈夫ですよ」


「……そうなのですか?」


「はい。実際に働いてみないとわからないこともありますから」


 道化師は、しばらく考え込んだ。


「事前に完全な手順を構築することは不可能、ということでしょうか」


「うーん。そこまで難しく考えなくてもいいと思いますけど」


 透は笑った。


「わからないことが出てきたら、そのときに一緒に考えましょう」


 道化師は、手元のメモを見つめた。


 彼は、物事を分析することが得意だった。


 あらゆる可能性を想定し、失敗の原因を特定し、最適な手順を構築する。


 その能力によって、数え切れないほどの危機を乗り越えてきた。


 だが、ここでは、すべてを事前に決めておく必要はないらしい。


 予想外のことが起きても、その場で考えればいい。


 誰かに相談してもいい。


 失敗したら、やり方を変えればいい。


「……承知しました」


 道化師は、二十七個の質問のうち、十六個に線を引いた。


 残りの質問も、今すぐ尋ねる必要がないと判断したものから順に消していった。


 最後に透が志望動機を尋ねると、彼は少しだけ困ったように笑った。


「……何も考えずに過ごせる時間が、必要だと思ったからです」


「何も考えずに、ですか?」


「正確には、すべてを分析しなくてもいい時間、でしょうか」


 透は頷いた。


「そういう時間も大切ですよね」


 道化師は、メモ帳を閉じた。


 その瞬間、彼はようやく気づいた。


 この面接では、正解を導き出す必要などなかったのだ。


     *


 No.5《渡り烏》の面接は、終始穏やかだった。


 彼は丁寧に受け答えし、質問にも落ち着いて答えた。


 接客経験もあり、人との交渉や調整を得意としている。


 透は、履歴書を見ながら感心した。


「いろいろな人と話すお仕事をされてきたんですね」


「ええ。人の話を聞き、互いに納得できるところを探すのは、嫌いではありません」


「それは、うちでも役に立ちそうですね」


 渡り烏は、優しく笑った。


「そうだといいのですが」


 だが、透が勤務希望日を確認すると、彼は少しだけ言葉に詰まった。


「週三日程度を希望しております」


「わかりました。ほかのお仕事との兼ね合いもありますよね」


「……ええ。少々、調整が必要な仕事がありまして」


「無理はしないでくださいね。こちらも、勤務できる日を相談しながら決めたいと思っています」


 渡り烏は、目を伏せた。


 彼は長年、他人の事情を優先してきた。


 誰かが困っていれば手を貸し、誰かが争っていれば仲裁し、誰かが行き場を失えば逃げ道を用意してきた。


 それを、自分の役目だと思っていた。


 しかし、自分が何を望んでいるのかと問われると、答えに困ることが多かった。


「……ここで働くことで、自分のための時間も大切にできればと思っています」


 透は、穏やかに頷いた。


「いいと思います。仕事も大事ですけど、自分の時間も必要ですからね」


 渡り烏は、しばらく目を閉じた。


 祖父が、かつて同じようなことを言っていた。


 ――他人の人生を支えるのはいい。だが、自分の人生まで他人に預けるな。


 あの言葉を、彼は何十年も覚えていた。


 それでも、実践することはできなかった。


 今日、彼は初めて、自分の時間を確保するために働き方を選んだ。


 それは小さなことだった。


 だが、彼にとっては、長く忘れていた自分の願いを拾い上げるような出来事だった。


     *


 最後にやってきたのは、No.6《零》だった。


 彼女なのか、彼なのか、初対面の人間には判断が難しい。


 今日も表情をほとんど変えず、静かに椅子へ座った。


「よろしくお願いします」


「よろしくお願いします」


 透は履歴書を見た。


「清掃や整理整頓が得意なんですね」


「……うん」


「掃除って、意外と大変なんですよ。営業中も、閉店後もありますから」


「……平気」


「それなら助かります」


 透は、少しだけ考えてから尋ねた。


「ちなみに、苦手なことはありますか?」


 零は、しばらく黙っていた。


「……説明すること」


「説明ですか?」


「自分のことを、言葉にするのが苦手」


 透は、頷いた。


「そうなんですね」


 それだけだった。


 もっと詳しく聞こうともしない。


 苦手を克服するように求めることもない。


「それなら、最初は実際に仕事をしながら覚えていきましょう。わからないことがあったら、指差して聞いてくれてもいいですから」


 零は、透を見た。


「……それで、いいの?」


「もちろんです。言葉だけが伝える方法じゃないですから」


 零は、ほんの少しだけ表情を緩めた。


 自分の中にあるものを、うまく言葉にできないことがある。


 何を考えているのかと尋ねられても、答えが見つからないことがある。


 そのたびに、周囲からは何を考えているかわからない人間だと思われてきた。


 だが、透は違った。


 言葉が少なくても、伝える方法はあると言った。


 その言葉は、零にとって、思っていた以上に大きな意味を持っていた。


「……ここで、働きたい」


 零は、小さく言った。


 透は笑顔で頷いた。


「ありがとうございます。ちゃんと検討しますね」


     *


 六人の面接が終わったのは、夕方だった。


 透はカウンターに座り、六人分の履歴書を並べていた。


「……どうしようかな」


 正直に言えば、全員を採用したい気持ちはあった。


 それぞれに得意なことがあり、真面目に働こうという意欲も感じられた。


 だが、アルバイトを募集した理由は、忙しい時間帯を手伝ってもらうためだ。


 六人全員を雇うほどの仕事量があるわけではない。


 そもそも、時給を六人分支払えるのか。


 透は電卓を叩いた。


「……いや、無理だな」


 彼は正直に認めた。


 気持ちだけで採用して、十分な仕事を用意できなかったり、給与の支払いに困ったりするのでは意味がない。


 透は、六人の履歴書を丁寧に揃えた。


「ちゃんと考えて決めよう」


 その夜、六人はいつものようにBARの部屋に集まっていた。


 全員が、いつもより静かだった。


「……面接はどうだった?」


 葬送が、ぎこちなく尋ねた。


「問題なく終わった」


 王冠が答えた。


「採用されるかどうかは、まだわからないが」


「そうか」


 葬送は、少しだけ肩を落とした。


 道化師が言った。


「当然だろう。応募したからといって、採用される保証はない。店の規模を考えれば、全員が採用される可能性は低い」


「わかっている」


 葬送は、低い声で答えた。


「だが……少し、期待してしまった」


 誰も笑わなかった。


 黒百合は、カップに視線を落とした。


「私も」


 渡り烏が、静かに頷いた。


「ええ。私も同じです」


 零は何も言わなかったが、膝の上に置いた手をそっと握った。


 彼らは、採用されることそのものを望んでいたのだろうか。


 もちろん、それもある。


 だが、それだけではない。


 この店で働いてみたい。


 自分の手でコーヒーを運び、食器を洗い、誰かの役に立ってみたい。


 客として過ごすだけでは得られない時間を、ここで過ごしてみたい。


 それぞれの胸に、そんな願いが生まれていた。


 そして、その願いが、採用されるかどうかという結果に結びついてしまったことに、彼らは戸惑っていた。


「……もし採用されなくても、ここに来てはいけないわけではない」


 王冠が言った。


「我々は、これまでどおり客として通えばいい」


「そうね」


 黒百合が答えた。


 だが、その言葉には、わずかな寂しさが混じっていた。


 彼らは、誰かの役に立つことでしか、自分の居場所を確かめられない時期を長く生きてきた。


 だからこそ、ここで働きたいという願いを持ったこと自体が、彼らにとって新しい経験だったのかもしれない。


     *


 翌朝。


 透は六人を店に呼んだ。


 全員が、少しだけ緊張した様子でカウンターの前に並んでいた。


「皆さん、来てくれてありがとうございます」


 透は、六人を順番に見た。


「面接をしてみて、皆さんが真剣に考えて応募してくれたことが、よくわかりました」


 王冠が、静かに頭を下げた。


「ありがとうございます」


「ただ、今の店の規模だと、六人全員に十分な仕事をお願いするのは難しいんです」


 六人の表情が、わずかに引き締まった。


「それに、採用するからには、きちんと給料を払って、仕事を覚えてもらう時間も用意したい。中途半端な形ではお願いできません」


 透は、正直に説明した。


「そこで、まずは一人、試用期間という形で働いてもらえないかと思っています。仕事内容や相性を確認して、店の状況を見ながら、必要があれば改めて募集を考えたいです」


 沈黙が落ちた。


 一人。


 六人のうち、一人だけ。


 誰もが、その意味を理解していた。


 そして、誰もが、簡単には口を開けなかった。


 自分が選ばれたい。


 だが、他の五人が選ばれなかったからといって、ここにいられなくなるわけではない。


 それでも、選ばれたいという気持ちは、確かにそこにあった。


 透は、少し困ったように笑った。


「……皆さん、本当に真剣ですね」


「当然です」


 王冠が答えた。


「我々にとって、この店は大切な場所ですから」


 透は、その言葉を聞いて、嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとうございます。じゃあ、採用する人を発表しますね」


 六人が、息を潜めた。


 透は一枚の紙を手に取った。


「今回、お願いしたいのは――零さんです」


 零は、動かなかった。


 まるで、自分の名前を呼ばれたことが理解できなかったかのように。


「……私?」


「はい。掃除や整理整頓が得意だと聞きましたし、仕事についても、実際にやりながら覚えていく形が合っていると思ったんです」


 透は、笑顔で続けた。


「もちろん、最初から全部できる必要はありません。わからないことがあったら、いつでも聞いてください」


 零は、ゆっくりと頭を下げた。


「……ありがとう」


 その声は、いつもより少しだけ震えていた。


 王冠は、零を見て頷いた。


「おめでとう」


 黒百合も、穏やかに笑った。


「よかったわね」


 葬送は、少しだけ残念そうな顔をしたが、すぐに笑顔を作った。


「……料理のことは、また教えてくれ」


「もちろんです」


 零が答えた。


 道化師は、冷静に分析するような口調で言った。


「清掃と整理整頓の適性を考慮すれば、妥当な判断だろう」


「道化師さん。悔しいなら悔しいって言ってもいいんですよ」


 透が笑うと、道化師は口を閉じた。


「……多少は、悔しい」


 その言葉に、店内に小さな笑いが広がった。


 渡り烏は、零に向かって優しく頷いた。


「いい機会ですね。どうか、自分のためにも楽しんでください」


 零は、もう一度、小さく頭を下げた。


     *


 その日の午後。


 零は、初めての勤務に入った。


 透から渡されたエプロンを身につけ、店内の清掃方法を教わる。


「まず、テーブルを拭くときは、汚れが残らないように端まで確認してください」


「……うん」


「床を掃除するときは、お客様が歩いているところに道具を置かないように。転んだら危ないですからね」


「……わかった」


「あと、洗剤を使うときは、種類を間違えないようにしてください。これは食器用、こっちは床用です」


 透が説明すると、零は一つひとつ丁寧に確認した。


 彼女は、仕事を覚えることに集中していた。


 誰かの命を守るためでも、任務を完遂するためでもない。


 この店を、きれいに保つために。


 客が気持ちよく過ごせるように。


 ただ、それだけのために。


 しばらくすると、透がコーヒーを淹れながら声をかけた。


「零さん。ちょっと休憩しませんか?」


「……まだ、終わってない」


「大丈夫ですよ。続きは休憩のあとでいいですから」


 零は、手を止めた。


「……でも」


「仕事は逃げませんからね」


 透は笑った。


「無理をして疲れてしまうより、休みながら少しずつ覚えていきましょう」


 零は、ゆっくりと頷いた。


「……うん」


 カウンターに座ると、透がコーヒーと小さなクッキーを出してくれた。


「どうぞ。今日の分です」


「……ありがとう」


 零はクッキーを手に取った。


 温かいコーヒーを飲み、甘いクッキーをかじる。


 何かを達成したわけではない。


 誰かを救ったわけでもない。


 特別な成果を上げたわけでもない。


 それでも、自分が働いた時間に対して、休む時間が与えられている。


 自分がここにいていいのだと、言葉ではなく、扱いそのもので伝えられている。


 零は、静かに目を伏せた。


「……ここで働けて、よかった」


 その声は、透には聞こえなかった。


 彼は厨房で、明日の仕込みについて考えていたからだ。


     *


 その夜、裏社会では、また新たな噂が広がっていた。


 六人の伝説がCAFE 灯の求人に応募し、そのうち一人が正式に採用された。


 しかも、選ばれたのは、六人の中でも最も口数が少なく、表立った活動が少ない《零》だった。


「店主は、何を基準に選んだんだ?」


「能力か? 忠誠心か?」


「いや、店主は戦闘能力など知らないはずだ」


「では、何を見て選んだ?」


 誰も答えられなかった。


 その情報を聞いたある幹部は、深刻な顔で言った。


「……選ばれなかった五人は、どう動く?」


「現時点では、特に動きはありません」


「そうか」


 幹部は、しばらく考え込んだ。


「つまり、あの店では、選ばれなかった者にも居場所があるということか」


 部下は困惑した顔をした。


「……と、申しますと?」


「採用されなかった五人も、引き続き店に通っているのだろう?」


「はい。そのようです」


「ならば、そういうことだ」


 幹部は深く頷いた。


「普通の組織では、選ばれなかった者は価値を失う。だが、あの店では違う。働けるかどうかと、そこにいていいかどうかが、切り離されているのだ」


 部下は、しばらく言葉を失った。


 その解釈が正しいかどうかは、わからない。


 ただ、ひとつだけ確かなことがあった。


 CAFE 灯では、採用されなかったからといって、追い出されるわけではない。


 働く者も、客として訪れる者も、同じ店でコーヒーを飲むことができる。


 それだけのことだった。


 そして、それだけのことが、裏社会の人間たちには、ひどく難しいものに思えた。


     *


 閉店後。


 透は、零が使ったエプロンを洗濯かごに入れた。


「今日はお疲れさまでした。初日なのに、いろいろ覚えてもらって助かりました」


「……ありがとう」


「明日も、無理のない範囲でお願いしますね」


「……うん」


 零は、少しだけ迷ってから口を開いた。


「……私、ここにいていい?」


 透は、きょとんとした。


「え? もちろんですよ」


「……仕事が、できなくても?」


「最初から何でもできる人はいませんから」


「……役に立てなくても?」


 透は、少し考えてから答えた。


「役に立つことは大事ですけど、それだけが全部じゃないと思いますよ。働いてもらう以上、覚えてほしいことはあります。でも、できないことがあるからって、いきなりいなくなってもらうわけじゃないです」


 零は、黙って聞いていた。


「困ったら相談してください。できるようになるまで、一緒に考えましょう」


 透は笑った。


「それに、零さんは今日、ちゃんと仕事をしてくれましたよ。助かりました」


 零は、顔を伏せた。


 その表情を、透はよく見ることができなかった。


 ただ、彼女の肩が、ほんの少しだけ震えているのがわかった。


「……ありがとう」


 零は、もう一度そう言った。


 それ以上は、何も言わなかった。


 透も、無理に聞こうとはしなかった。


 ただ、洗い終わったカップを棚に戻し、いつもどおり明日の準備を始めた。


 誰かが泣きそうなとき、理由を聞かなくてもいいことがある。


 言葉にできない気持ちを、無理に説明させなくてもいいことがある。


 そのことを、透は祖父から教わっていた。


 そして零は、今日、初めて知った。


 自分が何かを成し遂げたからではなく。


 誰かの役に立てたからだけでもなく。


 ただ、ここにいたいと願っていいのだということを。


 その夜、六人はそれぞれの場所へ帰っていった。


 五人は、次に募集があれば応募できるように、少しずつ準備を始めた。


 葬送は料理の練習を続け、道化師は履歴書の書き方を調べ直し、黒百合は接客の基本について資料を読んだ。


 渡り烏は、自分の予定表に休みの日を記入した。


 王冠は、仕事を誰かに任せるための計画を立て始めた。


 そして零は、明日着るエプロンを、丁寧に畳んで机の上に置いた。


 彼らはまだ、自分たちが何を探しているのか、完全には理解していない。


 ただ、少しずつ変わり始めていた。


 誰かの役に立つためだけに生きるのではなく。


 誰かに必要とされるためだけに存在するのでもなく。


 自分がここにいたいと思う場所で、自分にできることをしてみる。


 そんな、当たり前の生き方を。


 灰都の裏社会は、零の採用を重大な転換点として記録した。


 だが、朝霧透がその日の日報に書いたのは、たった一行だった。


『零さん、初出勤。掃除がとても丁寧で助かりました。明日もよろしくお願いします』


 その文字の隣には、小さなクッキーの絵が描かれていた。

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