幕間:零ノ壱
「公女様」
「え」
まさか自分に話しかけてくる相手がいるなんて。そんな思考が手に取るように分かる表情に、夏月はにっこりと笑みを浮かべ、カーテシーをする。
せわしなく周囲に視線を巡らせた後、観念したように夏月に向き直った少女は、ゆっくりと言葉を紡いだ。
人を寄せ付けず、時折悪い噂が耳に届くご令嬢に接触したのは明確な理由があってのことだ。これまで接触を試みること十三回。いつも笑顔で逃げられていたのだが、とうとう観念したようである。
「火之本からの留学生の方、ですよね」
「はい。お初にお目にかかります、輝宮夏月と申します」
「ご丁寧にありがとうございます。メディウム大公家のユーフィリアと申します」
さすがと言わざるを得ない完璧なカーテシーの後、ユーフィリアは一瞬眉間に皺を寄せた。すぐにそれは笑顔で上書きされるが、その代わりに手に持っていた教科書が何かをこらえるように強く握りしめられている。
その態度が気にかかるものの、夏月は気づいていないふりをして用件を告げる。
「懇意にしている商人の方から、公女様が火之本の品をお気に召しているようだと伺いまして」
「?……ええ。装飾品や……香が好みで、よく使用しておりますが」
「そうなのですね。では、よろしければこちらを贈らせていただけませんか?」
夏月はポケットから小さな箱を取り出し、ユーフィリアに差し出す。きょとんとした顔でそれを受け取った彼女は、説明を求めるように夏月を見上げた。
「公女様は桃をご存じですか?」
「モモ。ええ、火之本の国果だと記憶しております」
「その通りです。我が国の建国神話に縁を持つ果物で、桃には破邪退魔――悪いものを退ける力があると言われているのです」
「悪いものを、退ける…………」
夏月の言葉を反芻したユーフィリアは、表情を強張らせた。それに目を細めながら夏月は言葉を続ける。
「それは、古神を退けた神々が我が国を治める皇家に贈ったという逸話を持つ桃の木から作られた香です。公女様の歩まれる道に差し掛かる影を祓うことを願って――――と申し上げると少し大げさですね。日頃から我が国の文化を愛してくださっているお礼に、お受け取りいただけると嬉しく思います」
夏月の言葉に何も返答せず、ユーフィリアはぼんやりとした表情で箱を開いた。
ふわりと桃の香りが届いた瞬間、彼女はカッと目を見開き、乱暴にお守りの形を模した匂い袋を引っ掴む。そして匂い袋を地面に叩きつけ、鬼のような形相で踏みつけた。
次の瞬間、ユーフィリアの体から一瞬力が抜ける。深く息を吸う音が耳に届いたかと思えば、ユーフィリアは緩慢な動作で顔を上げた。
状況が飲み込めないような表情で空になった箱の中に視線をやり、そして靴の下の異物感に気が付いたのか一歩後ずさる。靴の下から現れた土塗れになった匂い袋だ。彼女はそれを見て青ざめた。
「あ……も、申し訳ありません!!」
「いえ、お気になさらず。大きな虫でしたもの。驚かれても無理はありません」
「……虫…………ええ、そう、ですね。お恥ずかしながら、昔から虫は苦手で…………」
戸惑ったように表情を曇らせつつどこか安堵したように息をこぼし、ユーフィリアは匂い袋を拾い上げて土を払う。
そして大切そうに、あるいは縋るように、それを握りしめた。
「ありがとうございます。大切にしますわ」
「とんでもない。新しいものを贈らせていただきたいです」
「い、いいえ!私の不手際ですし……どうしても、これがいいのです」
夏月が言葉を重ねようとしたところで、休憩時間の終わりを告げる鐘が鳴った。ユーフィリアはハッとし、教科書を抱えなおすとカーテシーをする。
「申し訳ございません。次の時間にも講義が入っているため、失礼させていただきます」
「……ええ。お時間をいただき、ありがとうございました」
小走りに去っていく後ろ姿を見送り、夏月は目を細める。
「当たりっぽいな」
「せやな」
廊下の柱の陰から現れた大柄な男は、夏月の言葉に同意した後に困ったように頭をかいた。
「どないすんねん!?大公家のご令嬢やぞ!?」
「ま、一旦は王家の人間じゃなかったことに安堵すべきか」
「そりゃまあ……そうやけど…………」
王家の人間ではないだけ"マシ"というだけで、状況が良くないことに変わりはない。加えて、先ほどのユーフィリアの様子を見るに、むしろ状況はかなり悪いといって差し支えないような気もした。
「本国での事例みたいに自殺なんてされたらたまったもんじゃねぇし、ちょっとやり方を考えねぇとな」
吹き付けた風にあおられ顔にかかった長い黒髪を払って、夏月は踵を返す。目的の人物が去ったのだから、いつまでもここに留まっていても仕方ない。ひとまず、目標だった退魔香を渡せたため、今日は良しとする。
「おーい、スカート履いてそない歩き方したらあかんて。もっとおしとやかにせえや」
「うるせえ。着物と違って足にまとわりついて歩きにくいんだよ」
とんでもない似非令嬢やなぁという軽口に鼻を鳴らし、着替えるために寮の部屋へと戻るための道を大股で歩いた。




