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1話

 瞼の裏に強い光を感じて目を開けた。しかしすぐに目を閉じることになる。差し込んできた日差しが、想像以上にまぶしかったのだ。

 柔らかな寝具の感触を感じながら上半身を起こし、軽く目をこすった。

 ゆるゆると目を開ければ、温かみのあるブラウンとベージュを基調とした家具が並ぶ部屋が目に飛び込んできた。自分は今、天蓋付きのベッドの上で目を覚ましたようだ。


 ――ここはどこだろう。


 記憶を探り、自分の首元に手を当てる。当たり前だが、頭部と胴体が切り離されているというようなことはなかった。

 少し首を傾げたところで、ノックの音がする。反射的に「入って」と口にしていた。

 ドアから入ってきたのは、使用人の服を着た初老の女性だった。女性は身を起こしている私を見て、深く一礼する。


「おはようございます、お嬢様」


 その言葉に、私はまた首を傾げた。今の言葉は私に対するものだ。ということは、私は"お嬢様"と呼ばれるような身分の人間だということになる。

 そこでようやく、私は自分のことが何も分からないことに気が付いた。名前も年齢も思い出すことができない。記憶を探り、「ユーフィリア・メディウム元公女」という人物名を引っ張り出す。あれが私の名前だったのだろうか。


「……あの」

「どうかなさいましたか?」


 陶器製のボウルを手にこちらに近づいてきていた女性に声をかける。何と言うべきかしばし悩み、何度か口の中で言葉を転がしてからようやく言葉を発した。


「ここはどこなのでしょうか?」






「――原因は分かりませんが、記憶が失われてしまっているようですね」


 白衣を着た女性の言葉に、曖昧に頷いた。初老の女性――私の侍女らしい――に現在地を問いかけた後、私に記憶がないということが伝わったようで、すぐに医者が呼ばれた。

 医者の質問に答え、診察を受け、記憶喪失だという結論が下される。室内には侍女の他に、私の家族だという三人の男女がいて、固唾を飲んで診察の様子を見守っていた。


「そんな……!」


 衝撃を受けたらしいドレスを着た女性を、隣に立っていた茶髪の男性が支える。三十代ほどの見た目のため、おそらく私の母と父なのだろう。


「俺たちのことも分からないか?」


 兄と思しき青年に問いかけられ、首を横に振る。家族なのだと言われても、まったく実感が湧かなかった。悲し気な顔をした家族に、ツキリと胸が痛んだ。これは記憶を失う前の私が家族を大切にしていたからなのか、あるいは人間として普通の感情の機微なのか。

 思わず俯いた私の隣に、誤魔化すようなほほ笑みを浮かべた母親が座る。柔らかく抱きしめられ、私は目を瞬かせた。想定外の行動に体が硬直するが、すぐに体から力が抜ける。安堵感、だろうか。少なくとも、私は母親に悪感情は抱いていなかったし、きっと母親もそうだった。そう確信できる暖かさがあった。


「じゃあ、自己紹介をしましょう。……初めまして、私はマーガレット。あなたの母親よ。あなたはいつも『お母さま』と呼んでくれていたから、よければそう呼んでちょうだい」

「……はい、お母さま」

「私はグウェンダル。お前の父親だ。……好きなように呼んでくれて構わないが、『お父さま』と呼んでくれると、嬉しい」

「はい。……お父様」


 母は濃いブラウンの髪に緑の目をしている。視界に映る自分の髪と同じ色のため、髪は母親譲りなのだろう。父はアッシュグレーの髪に赤い目をしている。難しい顔をして私の方を見ている、おそらく兄だろう青年と同じ髪色だった。そう考えていれば、青年の緑の目がこちらを向く。思案するように細められていた目は、すぐに優し気に目じりが下がる。


「俺はジルフリート。リアの兄だよ。『お兄さま』と、そう呼んでくれ」

「はい、お兄さま。……リアというのは、私の愛称ですか?」

「ああ。ユーフィリア・メディウムというのが君の名前だ。年齢は17歳で、大公家の一人娘だよ」


 その言葉とともに、兄は手鏡を差し出してくれた。それを受け取り、のぞき込む。白い肌に真っ赤な目の少女が映っている。実感はないが、母譲りの髪色と父譲りの目の色を考えるに、確かに私はこの家の娘なのだろう。

 自分の身元が確定したところで、唯一覚えている記憶が気にかかる。私は国家転覆の罪で処刑されたはずだ。おそらく、ギロチンでの断頭。であれば、こうして生きていられるわけがない。


「私……処刑されたと思うのですが」


 思い切ってそう口にすれば、家族は困惑したように顔を見合わせた。その様子を見るに、そういった事実はないらしい。ならばあれは夢だったのだろうか。そう思うしかないのだが、思い出す冷たさは現実のものとしか感じられなかった。


「あなたは昨日まで、普通に…………ええ、普通に、生活をしていたわ。学園に通っていたのだけれど、覚えていないわよね」


 母の口調に引っ掛かりを覚えるが、父も兄も否定しなかったため、私は首を横に振る。学園と聞いても想起される風景や人物はいない。首を横に振った私を見て、母は安心させるように背中を撫でてくれた。


「分かったわ。無理に通う必要はないから、しばらく家で休みましょう。記憶が戻るかもしれないもの」

「はい、ありがとうございます」


 その後、私のお腹が小さく鳴ったことにより話は一時中断される。初老の侍女――レアという名前らしい――に着替えさせてもらい、食堂で朝食をいただいた。食事が終われば兄は学園へ、父は王宮へ仕事に出かけていき、私はリビングで母に話を聞くことになった。

 母はテーブルの上に地図を広げ、この国について説明をしてくれる。

 ここはスフェラ王国。400年前に建国された歴史ある王国で、西大陸と呼称されている大陸の西に位置している。王国の西には海が広がっており、東には山脈が、南には大森林があり、北には巨大な渓谷がある。四方を自然に囲まれているおかげで他国からの侵略を免れているのだそうだ。

 メディウム大公家は、スフェラ王国の建国に関わった魔法使いを祖に持つ一族で、王国の西側に領地を有している。祖先に由来するものなのか、メディウム家は魔法に長けており、父や兄、そして私もとても強力な魔法使いなのだそうだ。

 大公家は王国にもう一つあり、そちらは王国の北に領地を有している。フィラカス家といい、建国に関わった騎士を祖に持つ一族で、人間離れした剣技を扱うのだそうだ。

 スフェラ王国は王家が治めており、次いで大公家が権力を有している。王国には他にも二つの公爵家と四つの侯爵家、そして伯爵家や子爵家、男爵家が存在している。

 そういった貴族家の子供たちが通うのが、王都に存在する学園だ。十三歳から十八歳までの六年間の通学が義務づけられており、子女たちは学園で教養を身に着け、交友関係を広げるのである。


「確か、学園には留学生が来ているのですよね」


 ふと脳裏をよぎった知識を口に出す。母は私の言葉を聞き、頷いてもう一枚の地図を広げた。今度は世界地図だ。


「ええ、東大陸の傍の島国である火之本(ひのもと)から留学生の一団を受け入れているわね。今年卒業し、帰国される予定のはずよ」

「火之本…………」


 母が指さした島国に視線がくぎ付けになった。狂おしいほどの郷愁――そう表現するしかない感情で胸が締め付けられる。だが、それもすぐに戸惑いによって上書きされる。私はこの国で生まれ、この国で育っている。そのはずだ。船で数カ月かかる地にある異国に郷愁を感じるなど、おかしな話である。


「……私は、火之本に何か関わりがあるのでしょうか?」

「いいえ、留学生の方と交流しているという話は聞いていないけれど」


 返答を聞き、私は思案する。留学生たちとの交流はなく、母が私の質問の意図とは違う回答をしたことを考えれば、火之本を訪問した経験があったり、先祖に火之本出身の者がいたりするわけではなさそうだ。より一層戸惑いは増すが、そんな私の様子を見てか、母は慎重に、言葉を選ぶようにして口を開いた。


「でも、リアは火之本の香や小物を好んで使っているわね」

「そうなのですか?」

「ええ。後で部屋を確認してみるといいでしょう」

「はい、そうします」


 私の返答を聞いて、数秒じっとこちらを見つめていた母はどこか安堵したように小さく息を吐いた。

 ――――何か隠している。

 しかし、隠し事を問うことはしなかった。教えてもらえないという確信があったからだ。もしかしたら、記憶を失う前から何か隠していることがあり、私は何度かそれを家族に問いただしたのかもしれない。


「リア、魔法は使えるかしら?」

「はい、なんとなく使い方は覚えています」


 あからさまに話題を変えられたことには言及せず、私は頷く。魔力と呼ばれるエネルギーを用いて自身が望む事象を引き起こすのが"魔法"と呼ばれる技術だということは覚えており、私は試しに手のひらの上に小さな水球を発生させてみる。魔法は問題なく使用することができるようだった。


「リアは王国で最も魔力量が多くてね、そのせいで体調を崩すことも多かったの。だから、体調が悪くなったらすぐに伝えちょうだいね」

「分かりました」

「魔法は使えるけれど、基礎的な知識は覚えているのかしら?」

「ええと…………」


 魔力というのはエネルギーで、人、動物、空気、水、炎など、この世界に存在する万物に宿っているものだ。

 そして魔法の成立は遥かな太古、神話の時代まで遡る。かつてこの世界は古神(こしん)と呼ばれる神々によって支配されていた。古神たちは邪悪かつ強力な存在であり、この世界の生物にあらゆる暴虐を働いていた。そんな中、虐げられていた生物たちの祈りから生まれた神々が長い戦いの末に古神たちを討伐したが、神々も深い傷を負い、眠りにつかざるを得なかった。神々は古神の復活を予言し、来るその日のために人間をはじめとした生物に魔法という技術を与えたのだ。

 記憶を探りそう答えれば、母は笑みを浮かべて頷いた。


「ええ、その通りよ。古神たちの肉体は世界各地に散らばり、長い時間を経てダンジョンを形成したの。ダンジョンには古神の体から流れ出る高濃度の魔力から生まれた魔物たちが棲んでいて、古神の意思に従ってダンジョンの外に出ようとしてくる。それを討伐するのが騎士団や魔法師団、冒険者の仕事ね」

「確か、メディウム大公領の海と、フィラカス大公領の渓谷にダンジョンがあるのですよね?」

「ええ。そもそもこの国の周辺はダンジョンの密集地帯で、王都――今いる場所ね、ここにも巨大なダンジョンがあったとされているわ。その最深部に潜り、古神の遺骸を破壊したのが初代国王陛下と、二つの大公家の祖である魔法使いと騎士なのよ」


 母の説明に頷いた。ダンジョンが領地に存在しその対処を行うため、メディウム家とフィラカス家は“大公”という貴族の中でも特別な爵位を戴いており、軍事組織である騎士団や魔法師団の所有を認められているのだ。

 メディウム大公領に存在するダンジョンは『海墟(かいきょ)』と呼ばれており、普段は海中にあるが周期的に海上へと浮上するダンジョンだ。海中にある際は大公領近海に住む人魚族が、海上に浮上しているときは大公領の魔法師団と冒険者たちがダンジョンに入り、魔物を討伐している。

 ダンジョンが領内にあることで発生するのはデメリットばかりではない。ダンジョンで倒した魔物からは貴重な素材が得られ、それは高値で取引される。そのおかげで二つの大公領は交易が盛んで、非常に栄えているのだ。


「学んだことは覚えているのね。不幸中の幸いかしら……」

「そうかもしれません。……友人や同級生のことは全く思い出せないのですが」

「……そうなのね。でも、心配することはないわ」


 眉を下げて微笑んだ母は知識のおさらいをする必要はないと判断したのかお茶に誘ってくれた。その誘いを受け庭でお茶をし、現在地――王都のタウンハウス――の案内をしてもらい、私室に戻った。


 私室に入ってすぐ、母から聞いた火之本の香や小物を探す。香はベッドサイドテーブルに香炉が置かれており、すぐに分かった。手で仰いで匂いを嗅いでみれば、独特な木の香りがした。自分が好んで使っていたようだが、あまり好きな匂いとは思えない。一瞬頭に痛みが走り、私は慎重に香炉を元に戻した。

 ぐるりと部屋の中を見渡し、ドレッサーに目を留める。ドレッサーの上にはいくつかの化粧品と、組み木細工の小箱が置いてある。あの中に装飾品を入れてあるのだと思い出し、手に取った。開き方は思い出そうとするまでもなく、体が覚えていた。開いた箱の中には、櫛や簪が綺麗に並べられている。どれも小ぶりな宝石や、精工な細工のついた品の良いものだった。


「……?」


 箱を見て、違和感を覚える。外見上の大きさに対して収納スペースが小さい気がしたのだ。しかし覚えている限りでは、この小箱に他に引き出しなどはないはずだし、試しに様々な箇所を触ってみてもどこかが開くといったことはなかった。

 ――やっぱりこれはカラクリ箱ではないのかしら。

 そう思考し、眉をひそめる。カラクリ箱、自分で思いついたのだから、知識としては当然知っている。特定の手順で操作しなければ開かない箱のことだ。だが別に、私はこれがカラクリ箱だなんて一切疑っていなかったのだ。

 ――もしかすると、記憶を失う前の私はこれがカラクリ箱ではないかと疑っていたの?

 だが、それもおかしな話である。この小箱は間違いなく私のもので、記憶を失う前の私が自分で選んで購入したはずだ。これがカラクリ箱なのであれば、購入の際にその開き方まで教えてもらっているはず。

 

 「……思い出せない」

 

 そうこぼして、ため息をついた。記憶の大部分が失われているという状況を改めて自覚し、言いようのない不安が胸中に渦巻く。

 慣れない環境だからか、急に疲労感が全身を包んだ。母に聞いた夕食の時間まではまだ時間がある。少し眠ってもいいかもしれないと思い、ベッドに横になる。

 意識はすぐに暗闇に落ちた。

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