今日の欠片
「主殿……もう終礼は終わったでござるよ?」
「ん……ああ、もうそんな時間か」
王に心を抉られてから、俺はどこか宙に浮いているような感覚がして、現実感がなかった。
今日起きた事件も、授業の内容も、全然覚えていない。
……これが俺だと、まだ言えない。
「帰りましょう?」
「……悪いけど、今日は一人で帰っていいか?」
「主殿、昨日から様子がおかしいでござるよ? どうかしたので――」
踏み込もうとした三首の肩を、静枷が掴んだ。
フルフルと首を振って、無言で教室から出ていく。三首も心配そうにこちらを見ていたが、やがて静枷と一緒に先に帰っていった。
「……主殿を傷つけた者を殺しに行きましょう」
「それが、ちょっと事情があってですね」
去り際に不穏な単語が聞こえた気がしたが――まあ気のせいだろう。
もう俺以外誰もいなくなった教室で。バカでかい溜息をついて、机にうつ伏せになった。
「……何だよ、自分って」
昨日色々言われたが、仮に今からカラオケに行って歌いまくったとしても、この問題だけは解決しない気がする。
自分……自分なんてないよ。人よりちょっと秀でたことがあっても、それより上を行く人が絶対にいる。
ユニークな考え方なんて持ってない。
人の前に立ったりする勇気もない。――俺はどうしようもなく普通なんだよ。
一人頭を抱えている中――静寂が訪れないことに気づいた。
「……雨、降ってたんだ」
さっきまでは降ってなかったのに、いつの間にか結構な勢いになっていた。
調べてみたところ、今日はずっと降りっぱなしらしい。
「道がグチョグチョになる前に帰るか」
鞄の中に折り畳み傘があることを確認しながら、階段を降りていく。
……まあ、あそこで幾ら悩み続けても悩みが解決することはなかっただろう。
気分転換に、たまには雨の中を歩くかと、傘を広げたところで――校門までの道に、傘も差さないで佇む人影を見つけた。
アレは、帽糸か。傘を忘れた……いや、あいつ海坊主だし、濡れることに何の抵抗もないのだろう。
むしろ、ちょっとしたシャワーくらいの感じなのかも。
声を掛けようかな……。でも、三首と静枷と一緒に帰らなかったのに、帽糸と共に帰るのは失礼か。
困った様子でなければスルーさせて貰おう。
そんなことを考えながら、彼女に近づいていた時、違和感に気づいた。
「なんか……デカくね?」
かなり大柄な帽糸だが、いつもよりさらに大きい。大型車と同じくらいの大きさになっている。
「あのー、帽糸さん?」
「……」
俺の呼びかけに応じず、手を広げたまま、校門――町の方へ、のっそりと歩いていく。
そして――その身体は、膨張を続けていた。
脳裏に過ったのは、山で見た百メートル級の海坊主の姿。それが今、町を踏みつぶそうとしている。
「おい、帽――」
「待て」
駆けだそうとした俺の行く手を、一人の男が遮った。
顔は知っているが、話したことはないクラスメイト、リョウ・ドラジョー。
長い前髪のせいで感情が読み取りにくいが、切羽詰まっているというのは伝わった。
「お前にやれることは一つもない。校舎にひなあああ」
「何て?」
「校舎に避難してろ」
顎が外れてたように見えたけど……気のせいか?
「……避難って――このままだと、帽糸が町を踏みつぶすぞ!」
「知ってる。俺が対処するから、おとなしくしてえええ」
「だから何て!?」
「っン、おとなしくしてろ」
リョウは外れた顎を無理やり戻してから、雨を気にせず踏み出した。
対処するって――リョウの細長くて折れそうな身体からは、どうにかできると思わないんだが……。
そんな俺の考えは、次の瞬間に蹴散らされることになった。
バサッとシャツを脱ぎ捨て、上半身裸になり――身体に鱗が生え出し、背中に翼が生えた。
ズボンも脱げて体中に鱗が生えしきり、段々大きくなっていく。
顔はいつの間にかその風貌を変え、巨大な角、牙、そして――顎が外れた口。
「ヴァアアアアアアアアアアア!」
咆哮を上げながら飛び上がり、上空で数十メートル級の巨大なドラゴンに変身した。
「……ドラゴン高校って、マジだったんだ」
「アアアアア!」
言葉にならない声を張り上げ、空中で旋回し、校門を踏みつぶそうとしていた帽糸を体当たりで押し返した。
バランスを崩した帽糸は校庭に倒れ込む。
『あ さ ご は ん じゃ』
ドラゴンになったリョウを敵だと認めたのだろう。
のっそりと立ち上がった帽糸は口を開け――莫大な水を圧縮し、水のレーザービームを放った。
それに対し、リョウも開けっ放しの口から闇のブレスを放ち、二つの高エネルギー体が衝突。大爆発を引き起こした。
「うおおおおおおおおおお!?」
その余波だけで、校舎の入口で戦いを見守っていた俺は吹き飛ばされそうになった。
水と闇が入り混じるシャワー。闇って概念が分からなかったけれど、触れてみて予測がついた。光を飲み込む力場のことだったんだ!多分!
『生 き の 良 い 魚 じゃ の う』
「ヴァアアアアアアアアア!」
巨大な手を振り回す帽糸に対し、リョウはそれを紙一重で躱しながら、闇を纏った爪を撃ち込んでいく。
攻撃が当たっている分、現状はリョウの方が有利か。しかし、帽糸の腕はその質量から、傍目からも一撃で相手を沈めてしまいそうな破壊力が感じられる。
どっちが勝つんだ、この戦い……。
いや、リョウが勝たなきゃ不味いんだった!
「頼む、リョウ……」
神に祈りを捧げていると――上から何かが落ちてきた。
これは……大学ノート?
雨でビチャビチャになったそれを拾い上げると、表紙に大きな文字で『屋上に来てください』と書いてあった。
「これは……屋上から落とされたのか?」
屋上……行くしかない、か。
多少危険もあるだろうが、俺が何かできるとしたら、これだけだと思ったから。
一段飛ばしで階段を駆け上がり、屋上の扉を開くと――そこには、巨大な魔法陣が描かれていた。
「誠一さんだったんすか!?」
「スペラ!」
屋上にいたのは、雨でびしょ濡れになったスペラだった。魔法陣も彼が描いたのだろう。
まさか――
「大魔法で帽糸を攻撃するつもりか!?」
「違うっすよ! 雨を止ませて、帽糸さんを大人しくさせるんっす」
「なるほど。それで、俺は何をしたらいい?」
「爪をください」
「……は?」
スペラは両手を俺に見せ――その爪はギリギリまで切り詰められていた。
よく見ていないが、靴下まで脱いで裸足になっているということは、きっと足の爪もそうなのだろう。
「最近爪を切っちゃって……儀式魔法に必要な爪が足りないんっす……」
「あー」
「勿論、誠一さんが嫌なら僕の爪を剥がして……」
「いい! あげる! 余ってるから!」
ギターを弾くようになってから爪は整えていたが、少しは切る余地が残っていた。
一本切ったところで、必要量に達したらしい。
「両手分は必要かと思ったんすけど……良い爪っすね!」
「爪の質で褒められることってあるんだ……」
「アハハ。では、やります!」
大雨の中、スペラは屋上に描かれた魔法陣の中心に移動し、杖を掲げて詠唱を開始した。
「天よ。我らを包み、無限に広がる天よ。常に恵みを齎し、時に災禍を与える極天よ。其の意思に抗う、我が行いを許し給え。今、嵐槍によって天を穿つ!」
「天蓋嵐破!」
杖から細い糸が空に伸び――雲を破った糸を中心に雨雲が渦巻き、夕暮れの空が顔を現した。
「ヴァアアアア!」
『マ ン ボ ウ、ク ジ ラ……ぬ、わしは、何を……?』
雨が止んだことで帽糸は理性を取り戻したようで、身体が縮んでいき、いつものお姉さんの姿に戻った。
それに合わせて、リョウも元の姿に戻っていく。変身前に脱いでいたので、当然裸である。
「すまんかったのう、どうやら迷惑をかけたようじゃ」
「別に。久々に身体を動かせて楽しかあああ」
「……何をやってるのじゃ?」
「リョウさんは顎が貧弱で、二十音くらい喋ったら外れちゃうんっすよ。今念話繋げるっすね」
「これ、制服」
「うわ……感謝する」
俺とスペラも校庭に降り、二人と合流した。
途中で拾ってきたグチャグチャの制服を差し出すと、リョウは露骨に嫌そうな顔で受け取った。
「そんなになるなら、脱ぎ捨てるんじゃなくて畳んでおいとけば良かったのに」
『カッコつかねーじゃねーか、それだとよ。裸体の男がドラゴンに変身する絵を想像してみ? ただの変態だろ? それくらいなら脱ぎながら変身した方が絶対にカッコいいと思うんだ』
「……誰?」
『俺だよ俺、リョウ・ドラジョー。顎が外れると喋りにくくて敵わないぜ。俺ってさ、実はドラゴン・ゾンビなんだ。つまり一回死んでんの。まあ? 俺は偉大なドラゴンだったから当然ゾンビとして復活できたけど、自慢の顎がグズグズになっちゃったワケ』
話長!? 寡黙っぽいキャラしてた癖に、頭の中でこんな喋ってたの!?
というか、喋り過ぎたせいで顎が弱くなっているのでは……。
「アハハ……悪い人じゃないんっすよ? 魔法の材料の鱗とかくれるし」
「それは分かる、分かるけどさあ」
「わしももっと年を取るとこうなるのかのう……」
『そう、帽糸ちゃん千歳とからしいけど、俺からしてみれば全然若造。ひ孫にいてもおかしくないくらい。あ、このひ孫っていうのはドラゴン基準でだから。ドラゴンって数千年掛けて育つから、それのひ孫となるとどれくらい間が開いているかというと、まあ一万年くらい? 俺くらいになると自分の年齢なんて正確に覚えてないけど、俺の可愛い孫ちゃんがワザワザ数えてくて――』
あまりに長いので、スペラが人差し指を立てて念話を切った。
うん……あんまり繋がないで欲しいな。
「というか、帽糸はなんで暴れてたんだよ。雨に当たると暴走するのか?」
「雨にうたれた程度で暴走なんてせんよ。今日は、久しぶりの雨でテンションが上がって……誰かに会ってから、意識が虚ろになってのう」
「誰かって……誰っすか?」
「それが、思い出せんのじゃよ。年かのう」
必死に思い出そうとして首を傾げるが、どうも思い出せないらしい。
そういえば、俺も何か忘れているような……自分とは何か、だっけ。
分からないままだけど、あの海坊主VSドラゴンを見たら、どうでもよくなってきた。緊急事態じゃないし、少しずつ理解すればいいか。
今日は、魔術素材の適性があることが分かった。以上。
「やっぱ、大怪獣バトルは見ごたえあるねえ。次はどうしようかにゃ」




