第9話
照美と霙が家でやりあっていたその頃──
すーちゃんこと菫が部屋のドアを開けると、むわっとした妙な空気が漂ってきた。
「……なに、この空気、それにこの暗さ」
見回すとカーテンの上にさらに謎の暗幕が掛けられ、部屋全体が夜のように真っ暗にされていた。
魔王と呼ばれるようになった菫だったが、別に世界を闇に包みたいと願っているわけではない。このような光景は身に覚えのないことだった。
手探りで電気をつけると、蝋燭を並べられたテーブルの中央に魔法陣が描かれ、その周りで見た事のない謎の魔物たちが踊っていた。
彼らは敵対者ではなく、好意的に菫を出迎えた。
「お帰りなさいませ、魔王様っ!」
「いよいよ、立つ時が来ましたね!」
「今出陣の儀式をしていました!」
「世界を今度こそ闇に包みましょうぞ!」
ぼんやりと光る幽霊、小太りの小鬼、今朝見たのとは色の違うスライム、羽根の生えた猫のような魔獣……。
彼らは一斉にひざまずき、菫に向かって頭を下げた。
「……はぁ」
菫は静かに息を吐くと。
「私はまだ立つとは言っていない」
彼らを一斉に押し入れへと押しやりだした。
「しかし、魔王様は我らの希望――」
「勇者が目覚める前に動かなければ……」
「私は勇者など恐れていない。まだ時ではない」
菫は押し入れの扉に力を送ると、そこに遠方へのゲートを作って開いた。
「出ていけ」
まとめて押し込んで閉じて力を解除すると部屋には静寂が戻った。
残ったのはテーブルに描かれた魔法陣と並べられた蝋燭とほんの少しの黒いゴミ。
「……私が片付けるしかないか……」
力を使っても良かったが、家に魔力の痕跡を残すとまた変な冒険者が来そうだし、楽に慣れるのも良くない。
菫はため息をつきながら、ほうきと雑巾を手に取るのだった。
照美の家。
霙ちゃんにまだ帰る様子は無かったが、私はお母さんが帰ってくれば、霙ちゃんも諦めて帰るだろうと思っていた。
しかし、予想に反して霙ちゃんはそのまま家の中に留まる様子を見せていた。
「ただいま、照美。今日は誰かお友達が来てるの? 菫ちゃんでは無いようだけど……」
お母さんは帰宅するなり、不思議そうにリビングを見た。私を見て微笑み、その後、霙ちゃんを見つけると、目を丸くして驚いた。
「ん? あら、あなたもしかして霙ちゃん? 噂の冒険者じゃない?」
私には何が噂なのか分からなくて首を傾げるだけだったが、霙ちゃんはお母さんに軽くお辞儀をしながら、さっと笑顔を見せた。
「はい、そうです。初めまして、冒険者の星河霙です。今日は大事な役目があってお邪魔させていただいています」
霙ちゃんの自信に満ちた挨拶に、私は驚きつつも少し顔を赤くしてしまった。まさか、こんなタイミングで冒険者だと自己紹介をするなんて。でも、霙ちゃんの雰囲気はどこか凄みがあって、妙にお母さんに対しても堂々としている。
お母さんは不躾にも家に押し入ってきた冒険者を自称する彼女を追い出すどころか、逆に受け入れているようだった。
「へぇ、冒険者なんてすごいわね。お家に来てくれるなんて、嬉しいわ。それってやっぱり照美が手に入れたとかいう聖剣絡みの事なの?」
「この事はくれぐれも内密にお願いします」
「ええ、ええ、私は何も喋らないから。どうぞ、ゆっくりしていってね」
お母さんはまったく警戒することなく、霙ちゃんを迎え入れていた。私はまたしても驚いてしまう。だって、普通ならお母さんが不審な彼女を見て追い出しそうなところなのに。
もしかしたら冒険者というのは私の思っている以上に有名で権威のあるものなのかもしれない。
お母さんのあたたかな態度に、霙ちゃんも安心したようだった。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えてお世話になります」
霙ちゃんはにっこりと笑って、私の方をちらりと見た。その目は少しだけ謎めいていて、何かを企んでいるようにも感じられた。
お母さんとリビングで少し話をした後、私と霙ちゃんは私の部屋に移動した。霙ちゃんはまるで普段からここにいるかのように、部屋の中で落ち着いた様子で座った。
「さあ、照美さん。話を続けましょうか。魔王のこと、もっと教えてくれる?」
霙ちゃんが私に向けて微笑みかける。その笑顔の裏には、やはり何か隠された意図があるような気がして、私はどうしても警戒してしまう。
「でも、霙ちゃん。魔王のこと、どうして私に聞きたいの?」
私は心配そうに尋ねた。
霙ちゃんは一度目を閉じ、ふぅっと息を吐き出してから、静かに答えた。
「だって、あなたは勇者でしょ? それなら、魔王と戦うには何をするべきかくらい知ってるでしょ? 聖剣が扱えないにしても授かったのだから何らかの啓示ぐらいは受けているはず。だから、少しでも役に立つために、あなたに近づこうと思ったの」
その言葉には、やっぱり裏があるように感じる。どこか素直すぎる霙ちゃんの言葉は、逆に私を不安にさせる。
「だからって、急に家に押しかけてきてまで……すーちゃんだって部屋に上げた事が無かったのに……」
私は言葉を濁しながら、霙ちゃんを見つめた。
霙ちゃんは少しだけ息を吐いて優しく言ってくる。
「あなたが幼馴染としてあいつを慕っているのは分かっている。でも、今のあいつは魔王なの。その危険性があなたには理解できていない」
「本当に、霙ちゃんが言っていることが正しいのか、私にはわからない」
私は少し声を震わせながら言った。
「魔王との戦いは、ただの夢物語じゃない。大きな責任が伴うものだってわかってる。でも、私にはまだその覚悟ができてない」
霙ちゃんはしばらく黙っていたが、その後、ゆっくりと頷いた。
「わかるわ。あたしも最初は同じだった。でも、戦わなきゃいけない時が来るの。あなたが勇者として、魔王を倒すために動くべき時が。決断は早い方がいいわ。闇が迫ってからでは手遅れになる」
その言葉に、私は少しだけ気持ちが揺れた。でも、霙ちゃんの目の奥には、ただの冒険者じゃない何かが隠されているような気がして、簡単に信じられない自分がいた。
「でも、もし本当に魔王と戦う事になったら、霙ちゃんはどうするの?」
霙ちゃんは少し考えてから、笑みを浮かべながら答えた。
「私は私で、やるべきことがある。それに、あなたの力になれることがあれば、協力するだけよ」
その言葉に、私は一層迷いが深くなった。霙ちゃんが本当に信頼できるのか、それとも何か隠しているのか。明日のことも、今後のことも、私はまだ全てを知ることができていない。




