第8話
「ただいまー」
家の玄関の扉を開けて無事に帰宅した私は安心感に包まれていて、きっと油断しきっていたんだと思う。
親が帰ってくるまで静かな時間を過ごすんだと思うと、体の力が抜けていく。学校での騒がしい一日が嘘のように感じられる。
「霙ちゃんが転校してきて決闘を挑んできたり、すーちゃんと喋ったり、いろいろあったなあ……」
すーちゃんと一緒に家路を歩いたあの時間ももう遠く感じられる。
「明日も騒がしい一日になりそう」
私はそんな事を呟いている間にさっさと家に入ってドアを閉めるべきだったのかもしれない。
ほっと一息ついていると、いきなり背後から鋭い声がして背中に何かを突き付けられた。
「動かないで! そのまま何も喋らずに家に入るのよ」
「ひうっ!」
こんな時間から強盗だろうか。私はなすすべもなく言う事を聞くしかない。
言われるままに家に入り、背後で玄関のドアが静かに閉まる音がした。そこで正体不明の謎の人物は静かに突きつけていた筆箱を下ろして話しかけてきた。
「もう振り返っていいわよ。言っておくけど、勇者のくせに魔王に助けを求めたりしないでよ」
私は正体不明の襲撃者の正体を知って、思わず息を呑む。
「霙ちゃん!? 帰ったんじゃなかったの!?」
振り向くと、そこに立っていたのはすーちゃんに見つかって去っていったはずの霙ちゃんだった。何の気配もなく、気づかぬうちにすぐ背後に忍び寄っていたらしい。
「うるさい声を出さないで、魔王に見つかるでしょ」
霙ちゃんは人差し指を立てて静かに抑えるように言った。
その目はいつになく真剣で、焦りが見え隠れしている。私は言われるままに息を殺して、目を見開いて霙ちゃんを見つめた。
「まさか、家までつけてきたの?」
「そうよ。この隠蔽マントを使ってね。普通の尾行では気付かれたけど、これにはさすがの魔王も気付かなかったようね」
霙ちゃんは自慢げにそれをひらめかせると、丁寧に畳んで鞄にしまった。この世界の冒険者とやらはどうやら私の知らない不思議なアイテムを持っているらしい。
「あがらせてもらうわよ」
「…………どうぞ」
霙ちゃんに帰る気は無さそうだし、無言で立っていても仕方がない。私は仕方なく彼女を家にあげるしかなかったのだった。
静かなリビングで二人きり。学校の中庭で彼女に挑まれた事はまだ記憶に新しい所だったが、今の霙ちゃんは静かに座っていた。
私の出した麦茶を飲むと霙ちゃんはすぐに本題に入った。
「魔王について知ってる事を教えてもらえるかしら」
彼女の声には、何かしらの迫力があった。冒険者のプライドというものだろうか、その言葉には少しも柔らかさがない。
もちろん、私だって魔王と戦う勇者と呼ばれる存在だ。霙ちゃんの意図が分からないわけではない。
圧倒的な実力を見せる魔王と戦う術を知りたいと思っているのだろう。
しかし、私は釈然としない思いを感じていた。
(すーちゃんを負かしたい気持ちは分かるけど、冒険者を信用していいのか……)
そう思いながら、口には出せなかった。すーちゃんと一緒にいると、どうしても襲ってくる霙ちゃんの方が敵に感じられるのだ。
「私は魔王と戦う勇者だけど、霙ちゃんに協力するのは……」
私は言葉を切った。霙ちゃんが私をじっと見据えている。その視線には一切の妥協が見られない。
「あなたがどう思おうが関係ないわ」
霙ちゃんは冷静に言い放った。
「魔王は世界にとって脅威になるの。あなたはあいつがどんなに危険な存在なのか分かってないわ」
その冷たくも強い言葉に、私は言葉を飲み込むしかなかった。彼女の思いが強いことは分かっている。だけど、その考え方がどうしても私には引っかかる。
「確かにすーちゃんは危ない所もあるけど、でも……」
隣に住む幼馴染としてずっと一緒に過ごしてきた。
私は彼女との事を思い起こしながら少し考えてから言った。
「魔王と戦うように聖剣を授かったのは私だから。だからこの町での活動は控えて欲しい」
私の決意の言葉に、霙ちゃんは一瞬黙ったが、その後に小さく鼻で笑った。
「勇気があるのは結構なことだわ。でも、その聖剣抜けないんでしょ?」
冷ややかに言うと、彼女は立ち上がって睨んできた。
「あたしにも勝てないあなたがどうやって魔王を倒すの? その聖剣に頼れば何とかしてくれるのかしら。それならあたしが使った方がずっといい」
霙ちゃんは今だ鞘に入ったままで抜けた事がない聖剣へと目を向けるが、私にはそれを渡すつもりはなかった。
彼女が言った通り、霙ちゃんが聖剣を扱えば、私よりずっと優位に魔王に立ち向かう力になるのだろう。彼女は素人の私とは違ってプロの冒険者なのだから。
だが、私にはこれを渡すつもりはなかった。心の中で何かが引っ掛かるのを感じていたから。
霙ちゃんはしばらく睨みつけてきていたが、やがて息を吐いて座りなおした。
「あなたがびびるような奴ならあたしもやりやすかったんだけどね。勇気がある者とはよく言ったものだわ。でも、諦めたわけではないからね」
私は霙ちゃんに協力していいんだろうか……?
彼女に帰る気配はなく、その問いは私の心の中でしばらく響いていた。




