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そう。
御山って主に、というか神さま達に敬意を払いはするけれど、必要以上の儀式を強要することはない。お祈りなんかも個人の自由だから、無神論者も居た。学生さんのなかにもだし、先生がたのなかにも。
勿論、そのことで議論することはあっても、憎み合うことはほとんどない。相容れない主張をしているのに普通に友達、ということも、ままある。
いい意味で、他人へあんまり干渉しないんだよね。入山者という人種は。
賢いひとが多いから、他人の宗教観をどうこうするという無駄な行為に注力しない。自分は自分、あいつはあいつ、と、自己とそれ以外の線引きがしっかりしている。
山道掃除とか、西の一の門とか、あるしなあ。
実際のところ、天罰をくらったことが、御山は何度もある訳だ。だからじゃないかなと思う。必要以上に儀式をさせようとしないの。
山道掃除は必要な儀式だし、西の一の門に触れないのは当然のことだ。だってどっちも死に直結する。
ただ、食前の祈りをさぼることが即座に死につながるかというと、そんなことはない。だから注意もしない。
現に、正しい食前の祈りを知らない俺だって、これまでそのことで天罰をくらっていない。
この間不用意な発言で天罰をくらって継続中なので、「異世界出身の人間には天罰を落としたくてもできない」なんてばかなこともないだろう。食前の祈りはまったくもって個人の自由、神さまにとっては些末な事項、ということだ。
それに御山のことだから、用意周到である。
食前の祈りについて、裁定者に質問させていたり、もしくはなんだか凄く時間のかかる検証をしていたり、するのだろう。可能性は高いと思う。食前の祈りはなくても問題ないよ、と答えがあれば強要はしないだろう。食前の祈りを拒否するグループの観察をして、天罰がなかった、としても、同様だ。
御山の自由さは、無責任さでも、無謀さでもない。きちんとした証拠があって、いろんな物事を行い、反対に、御山以外ではあたりまえにやっていることでもやらないことがあるのだ。
情報を隠蔽していたり、多々腹のたつことはあれど、「預かった子どもをきちんとまもる」ことに関しては御山はプロフェッショナルである。先生がたも奉公人もなによりもそれを優先する。無神論者の学生さんがいないとは限らないんだから、御山としての公式見解を持っていない訳はない。
ダストくんの行動はだから、とても入山経験者らしい、というか、御山らしいのだった。




