四月の雨亭にて
マオが居なくなった、と連絡をうけたのが、正確には何日前だったか、リエナは覚えていない。
何日前でも同じだ。連絡が来たのは、マオが居なくなってから、すでにだいぶたったあとだったそうだから。
リエナは厨房の椅子から立ち上がり、寸胴を覗きこむ。オーブンで軽く焼いた牛の骨が、濁りはじめたお湯のなかで、かすかに揺れていた。
マオの教えてくれたとおり、麻糸で括った香草や薬草を一緒にいれてある。あれがあるとないとでは、大きな違いだ。なくてもおいしいが、いれた場合はそうしない場合とはまったく違う料理にもつかえる。
ディファーズの料理人がすることらしいと、マオが居なくなってから、そんな話になった。マオは、生まれ故郷へ戻ったのではないか、もしくは生まれた地域が同じ人間のところに隠れているのではないか、という話のついででだ。
お握りは、シアイルの田舎の料理だ。ツァリアスは知っていたが、ベッツィは直に見たことがなかった。シアイル人でも知っている人間と知らない人間が居る。マオはシアイル人らしい外見をしているが、だとすると、シアイル貴族に対して遠慮がなすぎる。だから、シアイルの出というのは平仄が合わない。
香りのいい草や野菜を、だしをとる時に一緒にいれるのは、ディファーズのやりかただ。だが、マオの見た目はディファーズらしくない。祈りを捧げるのも、皆の前では食前だけだったし、茨の冠すら知らないようだったとティーが云っていた。
サッディレの好物の、木の実のパイは、ロア料理である。マオはあれが得意だ。マオはたしかに、ロア人らしい顔立ちに見えたけれど、それにしては娼妓に対する偏見が一切ない。
そもそも、ロア人が娼妓になったり、そのような格好をするなんて、信じられない。かりに、一時期そういった稼業をしていても、足を洗い次第すっぱりと、その時期の関係を絶つだろう。そうして、娼妓を見れば、自分がされていたように差別する。
ならば荒れ地の人間か、といえば、おそらくそれも違うらしい。
マオが居なくなったと聴いて、ダストとハーバラムがやってきた。レントに出す店のことで話し合いがあるのだと、そんなふうに云っていたが、それは建前、というか、不安をごまかしているに過ぎない。自分達がマオのことで騒ぎたてたら、マオが居なくなったことが本当になるみたいに、ふたりは怯えていた。
マオが居ないのは事実なのに。
マオの所在に関して、四月の雨亭の面々、それからマオに関わりがあり、なおかつ心配している者らは、集まっては議論を交わした。その度、マオの出自が話題になる。どこの出身と考えても、無理がある。
荒れ地の出では、という意見には、ダストが頭を振った。ハーバラムもだ。
マオは多分、なにかまずいことを知ったか、見たかして、荒れ地に遺棄されたのだろう。ダストはそう語った。
理由は単純だ。荒れ地へ収穫に行き、怪我をして動けなくなったダストを、マオが救った。それがふたりの出会いだった。
だが、その時マオは、信じられないような軽装だった。細身のずぼんと、かわった形の靴とローブだったそうだ。ローブは前で閉じていて、その下には薄手のチュニックを着ていた。
およそ、荒れ地をうろつく格好ではない。だから、マオは騙されて、荒れ地に捨てられたのだろうと、ダストは云っていた。ハーバラムもそれに同意した。荒れ地では、稀にだが、あることらしい。
体が自由に動かなかったり、四肢が足りなかったり、獣のような耳や尾がついていたり、魔力がなかったり、うすのろだったり……理由は様々だが、そういう子どもは、親が持て余して捨てていく。
荒れ地で生きられなければ、それはもう、しようのないことだ。収穫にいきあって助けられれば、主のご加護があった。
そういう考えだ。親としても責任を放棄し、すべてを開拓者の所為にする愚かな行いだが、警邏隊でもとりしまりが難しい。子どもが居なくなったことは、親が届けなければ大概、わからない。
なかには荒れ地に捨てた帰りの井で、子どもが居なくなったと届ける者もある。親の不注意で見失ったのか、誰かにさらわれたのか、それとも親が捨てたのかは、簡単に判断できることではない。だから見過ごされる。
ハーバラムの親は、そうやって捨てられた子どもだったそうだ。荒れ地で拾った子どもは実存者の子どもであるという考えがあり、荒れ地では、拾った子どもを自分の子として大切に育てる。
そうやって子どもを捨てるように、悪党同士で仲間割れをして、痛めつけた仲間を捨てる連中も居る。
場合によっては、知らずに悪事に荷担させられていた子どもが、悪事と知って逆らい、捨てられることもある。助かっても、悪事に手を染めていたとは云えない。荒れ地で過ごし、死ぬ間際に自分は昔悪いことをしていたと告白する、そういう話が、荒れ地の村では幾つも云い伝えられている。
マオもそういういたましい例だったのだろうと、ハーバラムは悔しそうに涙ぐんでいた。だから、なにかの拍子に自責の念に駆られ、逃げ出したのではないか、と。
マオは、ダストの怪我を、薬で治したそうだ。骨折が見る間によくなった。
その薬の話になった時、やはりマオを心配して来ていたサローが、はっとした。彼女は、実はマオの薬でラシェジルが快復したのだと、そう話した。
セロベルは驚いたけれど、すぐに納得した。エラフィーブの魔法は凄いが、ラシェジルを治せたというのは違和感があった、と。
それからサローがその事実を隠していたことについても、セロベルは納得していた。リエナには理解できなかった。たしかに、今まで聴いていた話でも、マオの手柄というのはかわらないが、傭兵協会にさえ嘘の報告をするのは奇妙に感じる。
苦い顔で説明してくれたのは、レントでのマオの捜索の指揮を執っている、バルドだ。バルドはマオが居なくなってから、マオと面識のある貴族や枢機卿の邸へ何度もあしを運び、マオから音沙汰がないかを訊いている。毎回、収穫はない。どこの邸でも、マオはまだ見付からないのかと心配そうに訊き返され、バルドは消耗している。
バルドは小さい頃、親に盗みをさせられたことがあるらしい。
親の命令だ。幼い子どもは逆らえない。ある日、きょうだいみんなで逃げ出して、警邏隊に助けられた。盗みに関しては、親が命じたことだからと不問に付された。すぐにゆるされたのは、バルドとそのきょうだいが痩せこけて、不潔な格好をしていたからだ。
生きる為にはしようのなかったことだし、盗みをしたくなくても親から逃げる方法はわからない。
なのに、自分達は悪くないと心の底から思うことはできない、らしい。
マオの薬は、尋常ではないききめだった。それがなにかしらの悪事で得られたものだったら、マオはそれを云いだせないし、云わないでほしいとサローに頼んでもおかしくない。
この世には、薬効が高くても、許可なしには採集・取引できない薬剤が、幾らでも存在するのだ。そういった材料を用いた薬だったら……? マオがそのことを知ってしまい、良心の呵責から云いだせなかったのだとしたら……?
マオは、強い時間停滞の、それも特大の容量の収納空間を持っている。
薬剤の違法採集、違法取引をさせられていて、それに気付いて口封じで荒れ地に捨てられた。
そう考えれば、マオがかたくなに能力証を見せなかったこと、出身地を隠していたこと、ダストを助ける以前のことはほとんどを明かさなかったこと、貨幣の価値さえいまいち理解していなかったことなど、すべてに説明がつく。
能力証を見せなかったのは、これまで能力証をとった井がどこか、調べられるおそれがあるから。
名前、年齢、職業、特殊能力、能力値、等級が書いてあるのだ。井に照会すれば、どこで発行されたかはわかる。辿っていけば、家族の存在もわかる。
出身地を隠していたのも、ダストに会う以前をほとんど明かさなかったのも、同じ理由だ。それまでの人間関係を知られたくなかったのだろう。ダスト達に云った「なかい」という職業も、嘘の可能性が高い。
犯罪組織との関わりを隠すのと、そいつらに見付かって再び命を狙われないようにする為に、マオは口を噤んでいた。それが、一番納得できる仮説だ。
貨幣の価値も、ずっと薬剤採集だけをさせられ、外界から隔絶した暮らしをしていたのなら、頷ける。
まったくもって気分の悪い話だけれどと前置いて、もしかしたら最初は別の目的で買ってきた子どもが、時間停滞の収納空間持ちで、利用したのじゃないかなと、バルドは云った。本当に気分の悪い話で、義母が食堂から駈けだしていったのをリエナは覚えている。
あくを掬う。杓子を、水を張ったボウルへいれる。あくがぱっと、水の表面に散る。
八月にはいって、レントはむし暑い。厨房では火を扱うから、暑さはもっと酷かった。それでもリエナは、ストックをつくっている。厨房から動く気はない。
食堂へ行けば、ソルとコーラが神妙な顔で帳簿をつけているだろう。ふたりはようやく、少しは微笑むようになったけれど、マオが居なくなって以来声をたてて笑うことはついぞない。
グエン達は、そつなく、普段通り給仕をこなしている。でも、お客から見えないところで顔をしかめ、聴こえないように溜め息を吐く。
このところ、いつだって三人以上は居る警邏隊は、テーブルをひとつつかって、角突き合わせて談義している。マオはどこに居るのか、どうしてなにも云わずに消えたのか、どうして裁定者にもなにもわからないのか。
そうだ。マオの行方は、裁定者でもわからない。だから、御山から使者が来た。セロベルと話して帰ったが、ツァリアスがなにか関わっているのではと、そういう話だったらしい。ツァリアスは開拓者だから、裁定者の質問でも答えが出ない以上は、疑われる。
リエナは杓子とボウルを洗い、ボウルに水を張ってもとの場所へ戻す。マオは、あくはすべてとったら味気ないし、栄養も少なくなるし、なにより面倒くさいと、あくをすべてとることはしなかった。ある程度とったら放置して、しばらくたったらまたあくをとって、そういう地味で単純な作業を、気長に楽しくやればいいと。
リエナは椅子に腰掛ける。おなかを撫でた。
はじめ、マオのことで動揺したら赤ん坊に悪影響かもしれないと、セロベル達はリエナに、マオの失踪を隠そうとした。でも、ベッツィが反対した。そうやってみんなに隠しごとをされるほうが、リエナさんにはよくないと、云ってくれたそうだ。
リエナはそれを、ありがたいと思っている。マオが行方不明だと知らずに、のんびり過ごしていたなんてことになったら、自分で自分をゆるせなかっただろう。
子どもの名前は、マオにも案を出してもらうつもりだった。マオのおかげでセロベルと結婚できたのに、どうしてなにも云わずに消えてしまったの? マオ?
リエナは椅子で、うとうとしてしまった。気配がして、はっと目を覚ます。タグが、ストックのあくをとってくれていた。
「タグ……」
「ああ、リエナさん、寝てていいですよ。あたし、できます」
タグはにこっとするが、少し目がくぼんで、やつれている。このところ、食事の量が減っているのだ。
タグも、ソルやコーラも、それに勿論セロベルも、四月の雨亭で動ける人間は、レント中をさがした。
リータや、ティーやリーニの私兵達、カイザサイグ家の人間、サローやルッタ、マルクティシアス家エンバーダート家ラスターラ家の私兵、マイファレットの塾の関係者、ユス商会にミスラ商会、それに四月の雨亭と取引のある農家の人間まで、マオを見付けようと、それぞれのできる範囲でさがしてくれた。サローとルッタは、自分達では見付けられそうにないからと、傭兵を何人も雇ってくれている。
タグは、めずらしい料理を教えてくれたマオに対して、恩義を感じている。だから、どうしても見付けだしたいらしい。そのことで、家族と喧嘩し、一番上のニェララが来て、今回のことは全面的にお前が正しいと、タグをはげましていた。
やはり面やつれしたグエンが、食堂から走り込んできた。「リエナさん、マオに似たひとが南の十二番に居たんだって! 僕さがしてくる!」
停める間もなく、グエンは庭へ出て行く。リエナは追いかけようとして、自分が身重であることを思いだした。
タグが前掛けを外して調理台へ置く。「リエナさん、すみません、お休みもらいます」
そう云って、タグはグエンを追って走っていった。
つやがなくなったタグの髪が揺れた。
リエナはあくをとっている。対流するストックを見ている。
御山は、傭兵協会は、なにをしているのだろう? どうして誰も、マオの影さえ見付けられないの。
「リエナさん」
義母がとことことやってきた。リエナは一瞬、ぼんやりする。
「……お義母さま」
「少し、横になったら? わたしは、セロベルを妊娠していた時、眠くて仕方がなかったの」
義母の声は明るいが、それが無理をした明るさだと、リエナにはわかった。義母も、マオを心配しているのだ。単純に、潰れる寸前だった四月の雨亭をどうにかもとの通りに、そしてもとよりも繁盛させてくれた、ということだけで、心配しているのではない。
マオの人柄が、みんなを心配させている。不安にさせている。
「大丈夫です」
リエナはにこっとしてみせた。「いつ、ミュー達が来るか、わかりませんから。おいしいものを用意しておかないと、がっかりさせちゃうわ」
義母は口を少し開け、鼻先をふよふよさせた。それからゆっくり、頷く。自分で自分を説得しようとしているみたいに云う。
「そうですね。あの子達が来たら、おいしいものを食べさせてあげないと。マオさんのことで、気落ちしているでしょうから」
リエナは頷く。それから思う。どうして、ミュー達は来てくれないのだろう、と。




