四月の雨亭にて 2
御山は夏休みにはいり、一年生達はほとんどが一時下山している。勿論、ミュー達もだ。
だが、マオと以前から面識があった子達のなかで、四月の雨亭まで来たのは、アエッラ・マイファレットただひとりだけだ。彼女はこれまでに三度、四月の雨亭に来て、マオの捜索に進展がないかを訊いてくる。
アエッラは下まぶたが黒ずみ、これ以上失う余裕がないくらいに体重が減った。手首が骨のようで、リエナは彼女が来る度に食事を振る舞うのだけれど、アエッラはほんの何口か食べると、胸が詰まったみたいで食べられませんと云い、手をとめてしまう。
アエッラと違い、ミュー達は、一度も四月の雨亭へ来ていない。
ミューとサキは、五月のはじめに、夏休みは四月の雨亭にずっと泊まると、伝糸経由の手紙を寄越した。ミューもサキも、以前泊まっていた時の代金が残っていて、あいつらは手伝いしてくれるからこれだけで充分だな、とセロベルは機嫌がよかった。
それなのに、ふたりは来ない。
ふたりだけでなく、誰も。
サキからは丁寧なおわびの手紙が届いた。申し訳ないが、事情があって行けなくなった、と。
その事情がどんなものかは知らないが、警邏隊は「マオの関係者」としてサキや、その家族も、一応調べている。サキは昼間、宿にこもるか、武器屋や市場を巡り、夜になるとひとりでレントを出て、狩りをしているらしい。狩ったものはそのほとんどを還元してしまう。一部のものはお金に換えて、薪を買い、還元で無用な玉をつくっては、一番大きくて綺麗なもの以外は捨てる。
なにか、鬱屈したものを抱えていて、それを解消しようとしているようにも見えると、バルドは云っていた。もしくは自分を罰しているようだと。
ミューは、アエッラに伝言していた。四月の雨亭に行ける状態ではなくなってしまった、そうだ。
それを聴いて、リエナは納得ができず、まだやつれていなかったアエッラにどんな事情なのかと聴いた。そして、訊かなければよかったと思った。
ミューは、エンバーダート邸に滞在している。ジーナが体調を崩し、食事を拒んでいるからだ。
アエッラのように、ほんの少しでも食べようとする、その努力さえせず、まるで体が朽ちるに任せるとでもいうように、ジーナは日がな一日、寝台に横たわっている。ただ、ミューが口許へ運べば、少しの量なら口へいれるそうだ。だからミューは、ずっとジーナの傍に居て、燕息による治療を施し、粥やくだものの蜜煮、煮詰めた牛乳などを食べさせようとしている。
ミュー自身も、決して状態がよくはない。あれだけ可愛がっている弟のチェスにも会わず、ずっとジーナの傍に居て、ふたりきりのところを邪魔されるとひどく怒る。顔色は悪く、時折むちゃくちゃになんでも食べる。その所為か、体重は増え、浮腫が酷いらしい。
ジーナが心配なのですわ、ミューが片時でも離れたら、ミューが治療を辞めたら、ジーナはもしかしたら、と、アエッラはそれ以上云うことができず、むせび泣いた。
ユラは、お付きのサーパルティルク夫人を寄越した。夫人は毎月、レフオーブル邸へ、それと御山のユラへ、菓子を納入してほしいと、商談をした。
それから、レフオーブル家もマオさんをさがしていますの、と、眉を寄せた。ユラさまは不機嫌で、ずっとお部屋にこもって魔に関する論文を書いておいでです、マオさんのことはひと言も口にされませんけれど、四月の雨亭が潰れないようにしないといけないとおっしゃるのです……と、サーパルティルク夫人は、泣くような顔で云っていた。
そして、ユラからのたったひとつの伝言を、サーパルティルク夫人はセロベルへ云った。
御山で一番貴重な資料を閲覧するには、どれだけの働きが必要か。
セロベルは、少なくとも学生の閲覧できるものではないと答え、サーパルティルク夫人はお礼を云って、泣きながら帰っていった。
リッターの動向は、ヴェンゼからもたらされた。フォルクと結婚したヴェンゼは、ロヴィオダーリ邸に暮らしている。
やはり、マオが心配で四月の雨亭へ駈けつけたヴェンゼは、リッターもマオを心配していて機嫌が悪いと教えてくれた。
毎日、なにかをふりまわすか自分の四肢をつかって、家具のどれかを壊す。でなくば、庭に出て植栽をむちゃくちゃにする。かと思えば、殺したい人間が居ると云いだして、どこかへ行こうとする。兄ふたりで自分達の体をなげうつようにして停めるが、怒っていて手がつけられず、ふたりともに怪我をさせる。瞑瞑でなんとか眠らせるしかない。
マオのつくった握り飯を食べたいとごね、使用人の些細な失敗にマオならそんなことはしないと怒鳴り散らし、書庫にある本を引き裂いて燃やす。書庫まるごと火をかけようとしたことさえある。こんなものは嘘しか書いていない、と激昂していたそうだ。
ヘアツォークやアーデルが宥めても、フォルクが文句を云っても、父親が叱りつけてもどうしようもない。あまりに荒れているので、父親の判断でユラの護衛の任を解かれ、今はフォルクがそれを担当している。といっても、ユラはレフオーブル邸を一切出ようとしないので、フォルクは毎日レフオーブル邸へ行って、控えの間でじりじりと、時間がすぎるのを待っている。
四月の雨亭のお握りをヴェンゼが持って行くと、リッターは黙ってそれを食べるらしい。その時しか落ち着いていないので、家族は毎日、怯えている。お握りを買いに来たヘアツォークに拠れば、家族はそれに加えて、リッターとヴェンゼになにか間違いが起こりはしないかと、気をもんでいるそうだ。
リオは、商会員を数回寄越した。四月の雨亭の菓子や、弁当を買う為だ。リオもマオを心配しているようで、その度に商会員が、マオが見付かったかどうかを訊いてくる。
リオはレントの商人協会にいりびたり、資料庫で片っ端から資料を閲覧しているそうだ。加えて、傭兵協会に登録し、そちらの資料も読みあさっている。更に、熟練の傭兵を捕まえて、魔に関してなにか知らないかと訊いてまわっている。
すでに引退した傭兵にも、現役の傭兵に推薦状を書いてもらっておしかけ、魔に関して訊いている。リオがどうして突然、魔に関して調べているのかはわからないが、ユラも魔に関する論文を書いているらしいとサーパルティルク夫人から聴いていたから、それに関わりがあるのではとリエナは思っている。
だが、常に一緒に居るミューとジーナを除き、皆、レントに居るのに、接触はない。あれだけ親しくしていたのが嘘のようだ。ジーナの見舞に行くひともないらしい。
一番、リエナが納得していないのは、フォージ・ティヴァインのことだ。
あの祇畏士みならいは――いや、もう祇畏士だ――、マオをあれだけ追いまわしていたのに、マオが居なくなっても四月の雨亭に来ることもなく、警邏隊になにか訪ねることもなく、一時下山するや兄と一緒に行に出て、それきりらしい。
「リエナさん」
ウイザリオがまっさおになって、第二の厨房からやってきた。寸胴の中身を睨むだけだったリエナは、笑みをうかべてそちらを向く。
「どうしたの? オーブン、調子が悪かったけど、焦がしちゃった?」
「そうじゃないんです。そうじゃなくって……」
アルラがウイザリオを追ってきた。サーレも一緒だ。リエナは微笑みを崩さない。わたしは四月の雨亭の若女将なのよ。従業員達を不安にさせちゃ行けない。絶対に。
アルラは今、四月の雨亭に戻っている。リーニが、マオが行方不明になったことで、おもてに出る気力をとりもどしたからだ。皮肉だが、マオが居なくなって、リーニはみんなの前に姿を出すようになった。そのリーニが、四月の雨亭は大変だろうからと、アルラを戻したのだ。
「ウイザリオ、だから、確実な話じゃないって」
「でもそうかもしれないだろ」
ウイザリオは喘ぎ、サーレがその肩を優しく撫でた。ウイザリオは血走った目でリエナを見る。「リエナさん、マオが姿を消した時、ミューさん達が一緒に居たんですって。それで、あの祇畏士みならいがマオを殺したんじゃないかって……」
ウイザリオがその場に倒れ、サーレが甲高い悲鳴を上げた。
アルラは、祇畏士になじみが居たらしい。その祇畏士がたまたま、四月の雨亭に来ていて、確実じゃないけれど、と、教えてくれたそうだ。
「マオが居なくなったのは、その祇畏士サマの宣言の日で……」アルラは、爪をぱちぱちとはじきながら云う。「みんなで待ってたんだって。マオとか、その……」
「ミュー」
「そう、そのひと達と」
アルラは叱られているみたいに伏し目がちで、リエナの眼差しから逃れようとしている。リエナはやわらかく、問う。
「それで?」
「祇畏士サマは、宣言したらすぐに、マオに会いに行くって、居なくなっちゃって、それでラスターラ卿が慌てて追いかけて、追いついたけど、もうマオは居なくて」
「それでどうして、ほーじがマオを殺したことになるの」
アルラは項垂れる。「俺だって信じてないです。でも、ヤ……なじみだった祇畏士が云うには、その場に居た七人が口裏を合わせてるんじゃないかって。祇畏士がひとごろしなんて、黙っていたくなるのもわかるし、あの……サキさん、還元が得意だから、死体でも還元できるだろうし」
「理由としては、根拠に乏しいわね」
「はい。だから俺も、そんなのお芝居よりもおかしな話だって云いました。そしたら、でも実際、その祇畏士サマが、神聖公から罰せられたんだって。そういうことは、余程じゃないと、ないらしくて」
リエナは頷く。ほーじになにか処分があったのなら、マオの失踪にほーじが関わっているかもしれない、というのは頷ける。
それが、殺人かどうかは、わからない。信じたくはないが、単なる殺人なら、裁定者が質問してなにもわからないなんてことはない筈だからだ。だから、ほーじがなにかして、マオが居なくなったとしても、マオは死んでいないと思う。
そう思いたい。
サーレが戻ってきた。リエナが目を向けると、サーレは首をすくめるみたいにする。「メイラさんに治療してもらいました」
「ウイザリオは明日もお休みにしましょう」
「ありがとうございます……」
「あの、すみません、確実なことじゃないのに俺」
「ううん、アルラも心配なんでしょ。いろいろ云ってしまっても仕方がないわ。ただ、ちょっと軽はずみだったわね」
「すみません。気を付けます」
頷いて、リエナはふたりを促し、第二の厨房へ戻らせた。
ほーじがマオを……? あり得ない。
あの子は、マオを崇めるみたいに愛していたのよ。それが、どうして、マオを傷付けるの。
「お義母さま」
洗ってまっしろになった布巾を運んできた義母へ、リエナは云う。そちらを見ることはない。小さく揺れる、牛の骨を見ている。
「なあに?」
「ほーじがマオを傷付けるなんてこと、ありえないわよね……」
リエナはあくを掬い、ボウルの水へ放つ。ぱっとあくが散る。
義母は低声で云う。
「なにか、そんなような話があったんですか?」
リエナはアルラから聴いた話を、ぽつぽつと喋った。自分の口が、自分のものでないように動く。
義母は、すべて聴くと、小さく息を吐いた。
「筋が通らないように思うけれど……」
「そうですよね」
「でも、もしかして」
義母は言葉を切る。リエナは義母を見る。
義母は、踏み台の上で、小さく震えていた。「お義母さま?」
「いえ、そんなことありえないわ。マオさんに限って」
「ねえ、お義母さま、なにかわかったんですか?」
義母は目を伏せ、頭を振る。
「よくないわね。入山経験者というのは、なんだって、可能性、可能性って、余計なことまで考えてしまう」
「お義母さま……」
「リエナさん、これはセロベルには云わないでね。叱られてしまう」
義母は苦笑して、踏み台を降りた。リエナは頷く。
「マオさんが魔につかれていたのなら、つじつまは合います」
リエナはしばらく、呼吸を忘れた。
それから、ははっと笑う。「お義母さま、それはあんまり……」
「ええ、あくまで可能性の話ですよ。わたしだって、そんなことありえないとわかってる。この世の誰が一番、魔から遠いって、それはマオさんだわ。あんなに善良で、良心に従って生きているひとは居ません」
リエナは頷く。そうだ。マオは、お義母さまの云うように、善良で、優しくて、とてもいい子だ。
だから、開拓者がマオに、酷い仕打ちをする訳がない。もしそんなことがあったら、理不尽がすぎる。
リエナは呼吸を整え、杓子をボウルのなかで揺すった。どれだけやっても、杓子から完全にあくがとれることはなかった。




