決裂
最初に動いたのはリッターだ。進行方向に居たサキとリオを、横合いへ突き飛ばすようにして押し退け、フォージへ向かって走ってきた。
リッターのやったことは、至極単純だった。佩いていた剣をぬき、フォージへ切りかかってきたのだ。鈍い銀色の刃が陽光をうけてぬらぬらと光った。リッターからは、凶暴な気配を感じる。殺そうという意思を感じる。「お辞め!」
魔力の奔流がリッターを襲った。ユラが風の、それも特大の魔法で、リッターの体を道の脇へと吹き飛ばした。リッターはせなかから芝生へ倒れ、呻く。
フォージはユラを見る。ユラは両手を前へつきだして目を瞠り、肩で息をしていた。
「リッター」
ミューがはっとして、リッターへ駈け寄る。どれだけのことがあっても、ミューは怪我人を放置できない。彼はそういう人間だ。底抜けに優しくて、尋常ではなく正しい。
ぼくは?
ぼくは正しいことをした。
ユラが、つかつかと歩いてくる。ジーナがそれに駈け寄る。「ユラ、ああ、ユラ、落ち着いて」
「落ち着いているわ。安心して、ジーナ。わたしはあいつに危害を加えない。リッターと一緒にしないで頂戴」
ユラはジーナを見てそう返し、再びフォージを見詰める。ユラは他人をあいつと云うけれど、今の「あいつ」には、なにかしらの感情がこもっていた。それは憐れみのように、フォージには感じられる。
ユラはフォージの、少し前で停まった。小さな体だが、威圧感はある。感情が彼女の魔力を増大させている。憐憫、怒り、戸惑い、哀しみ、狼狽、憤り、幻滅、どれだろう。
絶望かもしれない。
「フォージ・ティヴァイン」ユラはひび割れた声で云う。「あんた、なんてばかなことをしたの」
ばかなこと?
そうじゃない。これは正しいことだ。
サキとリオが、呆然と、幽霊のようなあしどりでやってくる。まるでフォージがひとを殺したみたいな、そんな、おそれるような目で見てくる。ぼくはそんなことしていない。ぼくはまちがったことなんてしていない。
ふたりは道から外れて、芝生の上に立った。「フォージ卿、ああ、なんてことだ……」
「ね、ねえ、どうしたの? マオさんはどうして、居なくなったの、ねえ、なにをしたの?」
リオが声を裏返しながらそう云い、フォージは小首を傾げた。みていたくせに、どうしてそんなことをきくんだろう。
ぼくがやったのは正しいことだ。
魔を封印したんだ。
フォージは昔から、「魔」を敏感に感じとる。
ティヴァインの誰よりも強い察知の力だ。それは、大概の祇畏士よりも強いという意味でもある。
だが、幾らひとよりも魔に敏感だと云っても、限界はある。
「魔」というのは「匂い」だ。それが一番近いと、フォージは考えている。
魔が遠すぎれば、うすれてはっきり感じない。
それよりも少し近付けば、方角はわかる。
もっと近付くと、所在がだんだんとはっきりしてくる。
だが、近付きすぎると、途端にわからなくなる。
部屋にある匂いが充満していたら、どこがその匂いの発生源かは、部屋中のあらゆる場所で匂いを嗅ぎとろうとでもしない限りわからない。それと同じだ。
それでも、行や魔物の討伐へ行くのには、役に立つ。おおまかな位置であってもわかるのは、大きな強みになる。
フォージは自分の鼻が――魔を察知する能力が、あまりにも強大な魔の前では、正常に機能しなかったのだと、知った。
宣言で、フォージは祇畏士になった。これまで、なりたいと特に思っていた訳ではない。それしかないからそれを選ぶ。消極的な理由だ。
だが、マオがあらわれて、フォージの世界はかわった。
どうしても、誰にも邪魔をされずに、マオと一緒に居たい。
フォージの頭はそれでいっぱいになった。お祈りの時間も、そのことを神に祈り続けた。
どうしてマオにこんなにひかれるのかわからない。
先生達に怒られても、フォージはマオをおもいつづけた。髪が短く、耳飾りをしていない男は、どういう稼業をしているのかを聴かされても、フォージは平気だった。いや寧ろ、その時は喜んだ気がする。それじゃあ、お金を稼げばマオが手にはいるんだ、と。
誰になにを云われても、フォージは心をかえなかった。ただマオをおもった。マオに好きになってほしかった。マオを自分のものにしたかった。マオに自分だけを見ていてほしかった。マオのすべてがほしかった。マオのなにもかもを自分のものにしたかった。マオが見ているのが自分だけならいいのにと思った。
マオだけが生きる理由だった。
フォージは一番上の兄の気持ちを理解した。出身を理由に結婚を邪魔され、兄の恋人は執拗ないやがらせに心を壊して居なくなった。それからは兄も壊れた。明朗快活で優しい兄は居なくなり、行をこなして、あとは最低限の食事と沢山の祈りに時間を費やすだけになってしまった。
ぼくにはそんなふうになる理由はない。
宣言して、祇畏士になって、魔をもっと感じるようになった。もっとはっきりと感じるようになった。
そうして、マオのこともわかった。
どうして、マオの居場所はわかるのか。
どうして、マオが危険になると、自分はその場所へ向かうことができるのか。
どうして。
なんのことはない。
マオは魔につかれているのだ。それも、大きな魔に。
それがわかった。理由なんてない。わかったのだからわかった。誰かが絵を描いているのを後ろで見ていて、ある瞬間なにを描いているのかわかる、その程度の理解だ。なにも不思議ではない。
ただそこには絶望があった。それだけにすぎない。
フォージは自分が、封印をつかえると、わかった。
わかったとも云えない。「呼吸ができる」と理解している人間は少ない。当然できるのだと気付いた。それくらいのことである。
強大な魔があり、自分は封印をつかえる。
そのような情況で、魔を封印する以外に祇畏士がとるべき行動はない。
それが正しい。
間違っていない。
道理にかなっている。
筋が通っている。
そしてなによりも、そうすべきだ。
だからフォージはとんでいった。とても愛しくて恋しくて大切で大事でかけがえのないマオの許へ行った。
自分の生きる理由を消し去る為にフォージは必死ではばたいた。
そうして、マオを見付けた。
マオは無垢な、純粋そうな顔で、フォージへ向かって走ってきた。まっくろの髪がさらさらして、瞳がきらきらして、唇はうっすら赤い。
彼が自分を信じきっているのはわかった。
なにも疑ってなんていない。
ぼくもそうだった。
フォージは、怒ってはいなかった。騙されたとも思わなかった。マオが近付くにつれて、このひとはとても純粋なんだと、そう考えた。
主を冒涜した。
魔につかれた者へ口付けた。
フォージは云う。
「ぼくは正しいことをした」
「もう一度云ってみろ」リッターが起き上がり、ミューを乱暴に押し退ける。「もう一度でも自分を正当化したら、俺はお前の一族郎党、すべてをこの手で殺す。根絶やしにする」
「リッター、冗談でも云っていいことと悪いことがある」
「冗談など云わない!」
ミューがたしなめても、リッターはそう喚き、立ち上がってこちらへやってくる。「封印を解け。今すぐに!」
「できない」
そうだ。できない。それもはっきりしている。これは不可逆だ。封印はできても解けない。
リッターは落ちた剣を拾う。「そうか、余計なお喋りは必要ないということだな」
「リッター辞めろ、祇畏士さまになんて」
「そのようなことは関係ない」
「あるよ」
サキがぼそりと云う。「今のは、封印だろう。封印は、魔につかれた者にしかきかない。だから……」
「だからなんだ」
動揺した様子でミューの腕に縋るジーナや、サキのローブを掴むリオと違い、リッターとユラは平然としていた。
リッターはまだ、フォージを睨んでいる。
「マオが魔につかれていた。それがなんだ。そんなものはマオに関わりなどない。こいつが善なる魂を持っていながら俺からマオを奪って恬然としているのと同じで、悪しき魂だからといってマオはなにもしていない」
「それに関しては同意見ね」
ユラもフォージを見ている。睨んではいない。
「魔王、黒騎士、魔神。そういうやつらが何度も世のなかを混乱させてきたけど、そんなことをしてもいないのに捕まって殺された悪しき魂がどれだけ居るか、あんた達は知らないのよね。マオは誰に迷惑をかけた訳でもない。色々と不自然なところはあったけれど」ユラはちょっと、笑う。「そうね。あんた達はなんにも知らない。ばかだわ。殺人犯や強盗犯が全部悪しき魂だとでも思っているの?」
「それは論理の飛躍だ」
ミューが静かに反論した。
「たしかに、悪しき魂を持っていなくても悪さをする人間は居る。だからって、悪しき魂が安全だっていう証拠はない」
「悪しき魂がすべて危険だっていう証拠を持っているみたいな口ぶりねミュー?」
ユラは寧ろ、愉快そうだ。「マオがあんたになにかした? 親でも殺されたのかしら? まあそれならあんたはマオに感謝しそうだけど。少なくともわたしは、マオからなんにも危害を加えられちゃいないわ。今度はわたしの記憶力は信用ならないとでも云う?」
ミューは口を開けたが、反論できないようで口を噤む。
リッターの剣が震えた。彼は震えている。
純粋な怒りで。
「フォージ・ティヴァイン。お前は勝手にマオを好きになって、勝手にマオに近付いて、勝手にマオを封印した。だから俺は俺の勝手でお前を憎む。封印が解ける可能性があるのならお前を殺す」
「リッター」ユラが小さく、しかし鋭く云う。「気持ちはわかるけど、殺すのはよしなさい」
「何故?」
ユラは呆れた顔で、リッターを見る。「何故? 何故ですって? そうね、ひとつは、半分は封印の強化になるかもしれないからってのも理由だけど。ああ、わたしのまわりはばかばっかりなのかしら。マオがそんなこと望まないからよ」
マオが?
ユラは鼻を鳴らす。
「わたしだって今すぐにでもこんなやつくびりころしてやりたいわ。マオにまといついてたくせに、悪しき魂だとわかったら簡単に掌を返して、封印なんてして」
ユラはそうやってフォージを詰るが、目からは憐れみしか感じられない。
「でもね。マオはそれでもこいつを好いてたと思う。あの子はこいつをとっても大切にしてた。そのマオの気持ちを踏みにじったら、わたしはこいつと同じ、唾棄すべき人間に成り下がる。そんなの絶対にいやだわ。だからわたしはマオの気持ちを尊重する」
「そうか。なら俺の気持ちは誰が尊重してくれる? 誰が?」
「リッター、ねえ、もうやめて、おこらないで……」
ジーナが怯えた声を出すが、リッターはそれを意に介さない。
「マオが慈悲深いのは知っている。こいつを特別扱いして甘やかしていたことも。だがそれはマオの気持ちであって、俺の気持ちではない。俺は俺からマオをとりあげたこいつをゆるすつもりはない。だから、少しでも可能性があるのなら、こいつを殺してでもマオをとりもどす。マオの気持ちなんて知ったことではない」
リッターは喚くように云ってから、剣を振り上げた。「還元」
剣がリッターの手のなかから消える。素がきらきらと舞い飛ぶ。
リッターはサキを睨む。サキは血の気を失った顔で、リッターを見ている。「やめろ。マオさんは君がそんなことをするのだって望んでいない」
「そんなものは知らないと云った。俺はマオの気持ちを踏みにじってでも、マオをとりもどす」
「君がマオさんを大切にしているのは知って」
「ああ。なにものにもかえがたい。マオが居なくては、俺は俺でなくなる」
「だから知っているってば!」
サキが大声を出し、リオがびくっと震えた。「サキちゃん?」
「君がマオさんを愛してるのは知ってるさ。だからだろ。マオさんを傷付けるようなことをするなよ! マオさんは君達が争ったらどう思う? そんなことも考えられないくらい君は愚かだったのか?!」
「マオを傷付けたのはこいつだ!」
リッターがフォージを指さし、そう糾弾した。フォージはなにも云わない。
ただマオのことを思いうかべている。
「ねえもう辞めて」
ジーナが喘いだ。
リッターが喚く。「こいつはマオを傷付けた。それを否定するのか、サキ? お前こそそんなこともわからないくらい愚かだったのか? こいつはマオに信用されていた。信頼を得ていた。それを裏切ったんだぞ。たしかにマオは優しいから、仕返しをしようとはしないだろう。望まないだろう。それはよくわかる。だがこいつがマオを傷付けたことは絶対に揺るがしがたい事実だ」
「それは……それはそうだけど」
「俺にとってはマオの気持ちなどどうでもいい。こいつが死んだことでマオが傷付いてもしらない。俺は俺の大切なものをまもる。それすらもできないでなにが万能だ」
「もう辞めて!」
ジーナが叫んで、ミューの肩口に顔を埋めた。ミューはジーナを片腕で抱き寄せる。
リオが泣くような声を出した。
「ねえ、ねえ、なにかの間違いでしょう? マオさんが悪しき魂だなんて、そんなのありえないわ。そんなの、違うわよ、絶対に」
「これは俺の手落ちだな」リッターはいらだたしげに云う。「マオは悪しき魂だ。絶対に。だが、だからなんだというのだ?」
「だからなんだだって? それは大きな問題だろうリッター」
ミューが掠れた声を出した。「悪しき魂は人間に害をなす。だから排除しないと」
「そうか、ならば何故、悪しき魂が存在する。慈悲深き開拓者は何故悪しき魂を完全に排除しない。何故悪しき魂を誕生させ続ける。開拓者は不敬に対して天罰を下し、皇帝や神聖公でさえその指先から逃れることはかなわない。開拓者は愛するこの世に対して害を成すしかない者を排除できないような無能ではない」
リッターに理路整然とやりかえされて、ミューは言葉を失った。
フォージは息をしている。ぼくはまだいきている。どうしてだろう。
考えるのはマオと、自分のことだ。
滅却ではなく、封印を選んだ。
それは逃げだ。きっと、本当に本気で挑めば、滅却だってできた。マオはか弱くて、ほんの少し力をこめれば折れそうな首をしていた。殺して、滅却することは、不可能ではなかった筈だ。
それなのにぼくはしなかった。
正しいこと。正しいことをしなさい。正しいことを。みんなそういう。みんな。ぼくだって正しいことをしたい。
封印だけじゃなかった。滅却もあった。
滅却と封印、どちらが正しかった?
どちらでも正しい。
そしてどちらも、したくなかった。
マオを封印なんてしたくなかった。
マオに酷いことをした。マオにゆるされないことをした。マオを傷付けた。正しくてでもしたくないことをした。
絶対にしたくなかった。
ぼくにはファズダ兄さまみたいに壊れる理由はない。
ファズダ兄さまと違って、ぼくはぼくの手で大切なものを壊したから。
マオが最後にうかべていた表情を、フォージはしっかりと覚えている。彼はたしかに微笑んだ。




