友人達の
中央西寄り、ラスターラ家の馬車のなか、ファルは溜め息を吐いて、傍らのひとを見る。「申し訳ない。間に合いませんでした」
「ファルさまの所為ではありませんよ」
ファルの隣に座る、銀の髪がはっとするように美しいもと・娼妓、アーフィネルは、微笑んだ。「これも開拓者の思し召しでしょう」
「ええ……エヴィ」
ファルは窓から顔を出す。昼のお祈りの鐘が響いていて、立ったまま祈りを捧げるひとが散見された。
「北へ。これじゃあまったく、マオさんに不義理が過ぎる」
「解りました」
エヴィの返事がして、ファルが顔をひっこめると同時に馬車は動き出した。アーフィネルがファルへ倒れかかる。体力の低いアーフィネルは、馬車が向きをかえる時に、姿勢を保っていられない。
ファルは、相手に失礼でなく、周囲にも妙な疑念を抱かせない範囲で、アーフィネルの肩を抱き、体を支えた。相手は祇畏士さまの夫である。いかな、ファルといえども、誤解されるような行動はとらない。
馬車が完全に向きをかえて、まっすぐ正面へ走り出すと、ファルはアーフィネルから手をはなした。ふたりともなにも云わず、目礼を交わす。アーフィネルの奥床しい仕種に、ファルはちょっと赤面した。自分のような不品行の目立つ人間と馬車に同乗しただけで、アーフィネルには不名誉だと気付いたからだ。
しかし、アーフィネルをひとりで行動させる訳にはいかなかった。それに、ファルはじめ、ラスターラ家はマオに借りがある。
見事、奉公の試験に通り、晴れて御山へはいったマオに。
マオが試験に合格したという報せは、昨夜、ラスターラ邸にも届いた。勿論、兄のマーゴも、ファルも、エヴィも、客分のアーフィネルも、そしてラスターラ家に雇われている人間も、マオの合格を喜んだ。
が、間の悪いことに、昨夜は司教や司教補の子女を集めての宴があり、マーゴどころかファルまで出席が決まっていた為、お祝いを云いに駈けつけることはできなかった。
マーゴはマオに対して、枢機卿にする以上に丁寧に振る舞う。遣いをやって、おめでとうございますと口上を述べさせるのでは、礼儀にかなっていない。直にお礼を云いたい。そう考えていた。そして、その点に関して、ファルは兄と同意見だった。ファルの場合、遣いをたてて、というのは、礼儀云々ではなくなんとなく他人行儀で淋しいからいや、なのだが。
アーフィネルやエヴィも、直にお祝いを云いたいと表明した。それで、御山へはいるまでの短い時間になんとかマオに会い、お祝いを云う、と計画したのだ。
しかしそれは頓挫した。今朝になって、急にレントに居る枢機卿での会合が決まり、マーゴは場所の提供を頼まれ、ラスターラ邸では会合の準備で上を下への大騒動になったのだ。
エヴィには料理の手配という仕事があったし、ファルも花を買い付けたり、足りない椅子を揃えたり、前庭の植栽を整えるのを手伝ったりと、休む間もない。仕事を終えたのは正午過ぎで、やはり仕事を終えて別の料理人達に後を任せたエヴィと、アーフィネルをつれて馬車で出掛けた。間に合わないだろうと思いながらも、諦めたくはなくて、馬車を走らせた。
結局、間に合わず、こうやって北へ向かっている。四月の雨亭へ行く為だ。せめて、お祝いを届けたい。四月の雨亭経由でマオに届けてもらうこともできるだろう。
奉公人は、入山者と違って、多い時は月に二・三回試験が行われることもある。そして、通る人数はいつだって少ない。だから、入山者達のように、列をなして御山へ向かうこともない。勿論、皆でそれを見送ることもない。
奉公人の仕事を考えれば、入山者以上に激励され、盛大に送り出されてもいいようなものだが、奉公人というのはとかく、忘れられる。御山以外でも、御山でも。
「マオ、大丈夫でしょうか」
思索から覚めた。ファルはくすっとする。「大丈夫、とは……御山で、巧くやれるか、ということですか?」
「はい」
「マオさんならまず間違いなく、奉公人として巧く行きますよ。教授に気にいられて、誰かの専属になるかもしれないな。彼はとても忍耐強いから」
アーフィネルが心配そうにこちらを見る。ファルはもう一度、くすっとした。
「勿論、いかがわしい仕事はありませんよ、ええ。もしそんないい思いができるんなら、僕は頑固親父の居る家なんて捨てて、御山で仕事をもらったでしょうから。下働きの人間は、大体顔が整っていて、勘違いしそうになるくらいに親切な者ばかりなのでね。いや、実際のところ、教員になる話はあったんです。検査官は色々と、役に立ちますから」
それは事実だ。奉公人がいかがわしい業務をこなす必要がない、というのも、間違っていない。寧ろ、教員達は、そういった諸々から奉公人を……。
ファルは頭をふる。僕が下山したのは、エヴィに会いたいからだったな、と思って。御山はそこそこ、面白いところではあるが、エヴィから引き離されていた二年間は耐えがたいものだった。見境を失って、同期の学生に襲いかかったこともある。はっきり記憶はないが、髪を食べようとしていたそうだ。目が覚めると医務室で、ファルは三日間、手洗い以外は寝台に縛り付けられていた。文字通り。
「忍耐が要るんですね」
「ええ、そりゃあ。僕には到底真似できない、まったく辛抱強いひと達です、彼ら彼女らは」
馬車が停まった。ファルはぱっと、外へ飛び出す。「エヴィ、アーフィネルさんを頼む。僕は先に行く」
「はい、ファルさま」
エヴィが御者台からおりてくるところだった。その頬にちゅっと口付けてから、ファルは四月の雨亭の門を走って潜った。最近、にげあしが速くなったのだ。
四月の雨亭は普段通り、だった。今日も繁昌している。食堂に這入ったファルに、給仕のひとりが気付いて、駈け寄ってきた。名前は慥か……。
「グエン、ご亭主にとりついでもらえるかな? ラスターラ卿のふざけた弟が来たと」
「ファルさま、よしてください、そんなことを云ったら僕が叱られますから」
そう云いながら、グエンはくすくす笑う。下らない軽口にこうやってとりあってくれるのが嬉しくて、からかってしまう。自分は厄介な人間だ。
グエンは微笑む。
「おとりつぎできません。セロベルさん、でかけてるんです。マオ達を御山へつれていったんです」
「おお、そうか、それは考えていなかったな。では……とりあえず、食事を三人分もらおう。セロベルさんを待つよ。もし、手があいて、僕のお喋りの相手をしてやろうと思えたら来てほしいと、リエナさんに」
「かしこまりました。あちらの席にどうぞ」
くすくす笑って、グエンは厨房へひっこんだ。
エヴィがアーフィネルをつれてきて、ファルはふたりに経緯を説明し、三人揃って席に着いた。運ばれてきた今日のお昼は、若い黒角のステーキがどんと、トレイのなかで目立っている。バターがひと切れのせてあり、付け合わせのふかしたじゃがいももおいしそうだ。
黒角というのは、その名の通り角が黒い鹿で、魔物だ。若いうちは群れをつくって自分達をまもり、体が非常識に大きくなると一匹か雌雄一対で行動する。体が大きくなった黒角は相当に手強く、熟練の傭兵でも数人がかりでやっと仕留められるようなものだ。気性は荒く、田畑を荒らすので、若いうちに駆除してしまわないと大変なことになる。
黒角がレントの近くに群れであらわれたと聴いてはいたが、セロベルも討伐に参加したのだろう。でないと、お客に出せる程の量、肉を確保できまい。
相変わらず、四月の雨亭の食事は文句のつけようのないおいしさで、ファルはパンをおかわりした。エヴィも、おかわりできるものはすべてしている。アーフィネルは、大根のはいった味噌汁を気にいったようで、それをおかわりしていた。
「あら、じゃあ行き違ったんですね」
トレイを片付けてもらい、カウンタで買ったお菓子を三人で山分けしていると、リエナが出てきた。お客もだいぶ帰ったし、アーフィネルの妹で厨房はなんとかなるのだろう。
ファル達が訪れた経緯を説明すると、リエナは困ったみたいに小首を傾げている。「もう少しはやくいらしてたら、間に合ったのに」
「直にお祝いを云いたいと思っていたんですが……」
「ええ、そうでしょうとも。ラスターラ家のかた達はとっても礼儀正しいですものね」
リエナは満足げに頷く。ファルは苦笑した。
「今、帰った」
セロベルだ。ファル達に気付くと、微笑んでやってくる。
「マオにご用ですか、ファルさま?」
「なんでもお見通しだな、セロベルさんは」
五人はちょっと笑った。
やはり、経緯を説明した後、ファルは肩をすくめた。
「一応、祝いの品も持ってきたんだが……間に合わなくてね」
「なにを持ってらしたんです? 手続きすれば、届けられますよ」
「それもいいんだが、御山にはあまりいい店がないだろう」
ファルはエヴィとちらっと目をあわせた。「昨日の今日だったんで、お金しか用意できなかった。貝貨で40枚、勿論経理の許可は得てる」
ぷっとセロベルはふきだして笑う。
それから席を立ち、出ていった。と思うと、羊皮紙の束を手に戻ってくる。テーブルにそれを置いて、セロベルは再び、ファルの向かいへ座る。
「それじゃあ、これはどうでしょう」
さしだされた羊皮紙を見る。「ああ、日用品の契約か。下働きにも必要だものな」
「全部で、年間に貝貨6枚。納入は来年から。その金があれば六年はマオが困らないって寸法です」
「成程。……うむ、それはいいな。とりあえず、金はこちらに預けよう。それから、マーゴに相談しておく。もし、マオさんが上でなにか必要になって、こちらに連絡があったら、その分はうちでもてるようにしよう」
「そりゃ、凄えや」
セロベルはにっこりした。「流石、天下の枢機卿さまだ」
「なにしろ、マオさんのおかげで生きているようなものなのでね」
ファルは片目を軽く瞑ってみせる。
セロベルには口止めしておいた。マオが遠慮する気がしたからだ。そもそも、酒や酢、レモンをつかった調味料などの売り上げから、幾らか渡すと云っても、なんだか困った様子で断ってきたひとである。
これでマオに、恩返しができた、とは思わない。
それは兄も一緒だろう。仮に先祖伝来の畑を潰し、山を無残な姿にしても、領民が苦しむかもしれなかった。その情況から、マオはいとも簡単に救い出してくれたのだ。それも、ご先祖さまが残してくれた、レモンをつかって。
あの時、レモンの山はご先祖さまがレモン好きで残してあるのだ、というような説明をしたら、マオはにっこりした。とてもいいご先祖さまですね、そのかたのおかげでおいしいものが食べられますね、と嬉しそうに。
後でマーゴは云っていた。レモンの山は維持費がかかる割に、レモンは売れず、ラスターラ領の経済の為にならないと本気で疎ましく感じていた、と。でもそれを、マオは宝の山にかえたのだ。そして、マーゴがご先祖さまに対して感じていた疎ましさと、罪悪感を、消してくれた。
それに対して、貝貨40枚程度で報いることができるとは、だから思わない。マーゴやファルだけでなく、マオはラスターラ領民の命も救ったのだ。
天の遣わした救世主さん、御山でもお達者で。
つらければすぐにおりておいで。今度こそ、エヴィの上司になってもらおう。




