ジーナの冒険・5
リッターの声だ。一年近く聴いていなくても、はっきり判別できる。試験で三人殺し損ねた、「万能」のロヴィオダーリ卿。レフオーブル嬢の腰巾着だ、ロヴィオダーリはレフオーブルが居なくてはなにもできない、なんて陰口をたたいていた愚か者が居たが、三次試験以降あのおぼっちゃんは見ていない。
ジーナはリッターを侮ってはいない。嫌ってもいない。試験でのことは不幸な事故だ。それは理解できた。だが、それがそのままリッターを好きになる理由にはならない。あれだけの力をまともに制禦できないなんて、分別のついていない子どもの竜みたいなものだ。エンバーダート領ではたまに、そういう厄介者があらわれて、大事な畑を無茶苦茶にする。悪意がなければゆるされるというようなものではない。
ジーナは怪我をした子とは無関係だし、あえて糾弾するつもりもない。けれど、ミューと親しくなってほしくはなかった。絶対にいやだ。ミューは繊細なぼたんのように、まもられていなくてはいけない。綺麗で豪勢な、木製の宝箱に、絹を敷き詰めて、その上にそっと置いておく。それくらいの扱いをうけて然るべきだ。
誰もそのことをまともに考えない。皆、知らないからだ。ミューはどこまでも強情に、頑固になれる。彼は死んでも節を枉げない。いや、死にそうになっても、だ。ミューが死ぬ? ありえない。
ミューは意固地になろうと思えばどれだけだってなれる。でも、周囲はそれに気付いていない。だから、皆ミューを軽んじ、苛立たせる。それは自分たちの首をゆっくりしめるのと同じだと、愚かだから気付かない。誰だって、最後の手段はとっておくもので、彼はひとより気が長いだけ。怒らせたらお仕舞なのに、本気で怒ったところを見ていないから、ミューは怒ると思っていない。そんな愚か者達。
部屋からきこえる声は三種類。リッター以外にふたり居る。低声でくぐもっていて、内容は解らない。が、険悪な雰囲気ではなかった。
お楽しみ、と、ヘアツォークが云っていた。昼日中から、……だろうか。
ジーナには判断がつかなかった。どういう行為をするのかは、母がおおよそのところを教えてくれたから、なんとなくは解っている。でも、どんな声をあげるのかは知らない。親に大切にされたあまり、初夜に花婿を部屋から叩き出し、泣き喚いて侍女に助けを求める娘のなんと多いことか、と、母は云っていた。そういう粗相をジーナがしないように、はじをかかずかかさずいられるように、母はとても気を遣ってくれるのだ。
ジーナはちょっと考える。あと……五十分前後。いや、四十分くらいか。そんなに余裕はない。
迷った末に、ジーナは隣の部屋へ這入った。ひとの気配がしなかったし、錠は降ろされていない。
建物に比べ、なんの華美さもない部屋だった。大きな書棚がひとつの壁を占領している。個人用の部屋にあるにしては大きなテーブルと、その上に並んだみっつのインクつぼ。椅子はない。それに準じたものは、部屋の隅に積み重なったふたつの木箱くらいか。扉の向こうには寝室があるのだろう。
目当てのものはあった。採光用のはめ殺し窓の上、開閉できる空気とりの窓。あの大きさならわたしでも通れる。




