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アーフィネルくんの通り名は当てもののだ。でも、さっきその話をしたひとは居ない。
「ジーナ」ミューくんが声を低めた。「まさか、ラスターラ邸で聴いたのか?」
「いいえ」
ジーナちゃんは即答した。俺はほっとする。ミューくんもだろう。ファルさんが俺達を騙す訳はない。ただ、ラスターラ家は当主が枢機卿で、いろんなしがらみがある。だから、やむをえず嘘を吐いたということはなくはないのだ。
でも違った。ほっとした。とても。
「じゃあ、どこで?」
「……わたし、たまに、出掛けるの。ずっとこもっていると、息が詰まるでしょう?」
それはよく解る。自分の意思でこもっているのならともかく、外的要因でこもらざるを得ないのはきつい。ジーナちゃんも、それに近い状態だと思う。
俺達は自然と、歩く速度が落ちている。気持ちいい風が吹いてきたが、堪能するような心の余裕はない。
「勿論、遠くへは行けないわ。だから、ラスターラ邸からでて、前の通りを中央へ向かって、中央でお店をひやかして、来た道を戻るくらい。それから、中央の辺りをぶらついたりね。ファルさま達をつけたこともあるわ」
「ジーナ、君ってやつは、まったく!」
ミューくんが嘆いた。ジーナちゃんは淡々としている。
「少しくらいいいでしょう? ……昨日のお昼のお祈りの後、やっぱりあなたが心配で、わたし、頭を冷やそうと、ラスターラ邸を出たの。でも、中央まで歩いても落ち着けなくて、今まで這入ったことのない路地へ這入ってみたらどうかしらって思ったわ」
ミューくんはうっすらあおざめて、今まさにそのことが行われようとしているみたいに、ジーナちゃんをもっとひき寄せる。「君が無鉄砲なことをした話なら、俺は聴きたくないよ」
「それだけじゃないの」
無鉄砲、は否定しないようだ。ミューくんはしかめ面。
「ジーナ……」
「わたし、西のほうへいったわ。少しだけ南。そうしたら、馬車がとってもゆっくり走ってきて、停まったの。黒檀と金でできた馬車よ。ひいているのは、大きなトゥレトゥススで、御者が銀の装飾品を沢山つけてたわ。車輪に紋章が刻んであって、停まっているとよく見えた」
なんだか覚えのある描写だ。それって、もしかして。
ジーナちゃんは低く続ける。
「それで、そのなかから、めしつかいらしい男のひとに手をひかれて降りてくる、灰色の髪のひとが居て……お邸の門を潜って、やっぱりめしつかいらしい男のひとが出てきて、云ったの。当てもののアーフィネルさま、よくお運びくださいましたって」
サキくんが乾いた笑い声をたてた。「ジーナ、そんな、まさか」
「やっぱり、その、アーフィネルなのね」
ジーナちゃんの声が沈む。ミューくんが云った。
「ジーナ。頼む。はっきり云ってくれ。君はなにを仄めかそうと?」
「お邸の誰が買ったかは解らないけれど、めしつかいと云うことはないでしょう。だって、主人の馬車をつかう筈がないわ。特に、他国にまでその名の響いている、ロヴィオダーリ家だもの」




