4
オーグ伯爵邸は高級住宅街の端に建つ一際大きな屋敷だった。
馬車が車止めに停車すると、すぐさま御者が馬車の扉を開けてくれる。ブランディーヌが降りる際には御者が恭しく手を貸してくれた。
馬車の音を聞き付けたのか、正面玄関の扉が待ちわびたように開かれたが、玄関広間には屋敷の主だった使用人たちが整然と並んで出迎えてくれた。
床には毛足の長い絨毯が敷き詰められ、正面の大階段にも同じく絨毯が敷いてある。吹き抜けの天井には彫刻が施されており、階段の手摺りは栴檀だ。壁には歴代の伯爵の威厳に満ちた肖像画が飾られている。
ブランディーヌ付きの侍女だという少女カティアが二階に用意された部屋まで案内してくれたが、小花を散らした壁紙の部屋は豪奢だった。居間と寝室、化粧室という三間続きの部屋で、寝室の窓の外には露台もある。家具はすべて一級品。こちらも床には絨毯が敷き詰められている。窓にかかったカーテンは天鵞絨だ。各部屋には六股の燭台が置かれており、真新しい蝋燭が六本ずつ惜しげもなく準備されている。その他の調度品も、新しい物が揃えられていた。
どう見ても、客間ではない。
わざわざブランディーヌのために整えられた部屋だ。
(なんかこう、オクタヴィアンの無言の圧力を感じるわ……)
これだけの準備をして出迎えてやったのだからそれに見合った働きをしろ、と言われているような気がする。
自分とギスランの護衛官就任に関してはオーグ伯爵が大きく係わっているらしい、という話をマルセルが出発の間際にそれとなく匂わせていたが、この様子だとほぼ確定だろう。オクタヴィアンは弟の王都帰還のついでに、単純にブランディーヌも歓待しているわけではなさそうだ。
(でも、わたしが王宮ですぐにオクタヴィアンは期待するような活躍ができるわけもないことは、彼だってわかっているでしょうに)
王都は訪れたこともなく、辺境の騎士団で騎士としての鍛錬を積んできただけなのだ。
ブランディーヌの父は王宮に出仕しておらず、ずっと領地に引き籠っているため、当然ながら宮廷内に人脈を持っているわけではない。ラペリーヌ伯爵令嬢という肩書きは、護衛官採用の際には有効だったが、出仕して実際に護衛隊隊長としての地位を確立する際にはあまり役に立たないだろう。どちらかといえば、オーグ伯爵の弟であるギスランの方が勝手が効くはずだ。
ブランディーヌが護衛隊の隊長に就任できるのは、あくまでも女であることが重要視されたからだ。王女の護衛隊には女護衛官が必要だと考えた国王が、腕が立ち、王女に仕えるに相応しい家柄の娘ということで、オーグ伯爵が推挙したブランディーヌを採用したのだ。
パンテール騎士団で騎士として叙任されていることも、決めてのひとつにはなったに違いない。国内の複数の騎士団の中でも、パンテール騎士団には歴史があると同時に、まだ周辺諸国との戦争が頻繁に行われていた時代は、国王に忠実な最強の騎士団として名を馳せたのだ。いまでは戦争など経験したことがない者がほとんどで、団長であるデュモンも戦争らしき戦争はしたことがないと話していた。
(そういえば、団長ってうちの騎士団では一番強い騎士ってことになっているけど、実際のところはどうなのかしら)
団長の従騎士をしていた頃は、よく団長に稽古をつけてもらったものだが、本気で試合をしてもらったことがないので、本当に彼が強かったのかどうかはわからない。
ブランディーヌも騎士団の中では強い方だが、護衛隊の他の隊士たちと比べてどうなのかが心配になってきた。隊長だから隊内で一番強くなければならないということはないはずだが、あまり弱くても家柄だけのお飾りになってしまう。いざとなれば男子禁制の場所まで王女に付き従い、護衛するために選ばれたはずの女護衛官だ。そこそこに剣ができるからというだけでは務まらない。
(少なくともギスランよりはわたしの方が強いけど、ギスランと比べてもねぇ)
ギスランは騎士団に入ったときにすでに十五歳となっており、他の従騎士たちよりも入団が遅かった。幼い頃から剣術に明け暮れていたわけでもなく、どちらかといえば身体を動かすよりも頭を使う方を得意としていた。体格は恵まれていたが、運動神経はそれほどでもなく、半年後にはブランディーヌの方がギスランよりも格上になっていた。武術は努力だけで上達するものではない、と団長は口癖のように言っていたが、ブランディーヌは剣においては特に素質を発揮した。
指導者が良かったのか、同時期に入団した従騎士たちの中では一番に騎士に叙任された。
女だから贔屓されたんだ、という厭味が一時期騎士団内に流れたこともあったが、そういった騎士たちは試合で打ち負かして黙らせた。
ギスランは皮肉屋ところがあるものの、ブランディーヌの実力は認めてくれていた。能力がない者に対してはとにかく辛辣だったが、筋違いなことは言わない。
今回、ブランディーヌの副官としてギスランが任命されたのは有り難かった。苦手な相手ではあるものの、自分をよく把握してくれている人物が補佐してくれるのは心強い。
(ギスランだけは敵に回さないようにすれば、なんとかなるんじゃないかしら)
護衛隊隊長という仕事がどのようなものかよくわからなかったが、ひとまずは難しく考えないことにした。
侍女のカティアが、応接室でオクタヴィアンが待っているのできて欲しい、と伝えにきた。
部屋の中を見て回っているだけで、いつのまにかかなりの時間を費やしてしまっていたらしい。着替える暇もなく、慌ててブランディーヌはカティアに案内され、応接室に向かった。
すでに応接室にはギスランがいた。
「久しぶりだね、ブランディーヌ」
応接室には、芸術家が作り上げた彫像のように完璧な美貌のオクタヴィアンが待ち構えていた。白い光沢のある三つ揃いを着ており、上衣のコートやウエストコートには宝石が縫い付けられてある。ギスランと同じ銀髪に空色の瞳をしているが、兄であるオクタヴィアンの方が眼光が鋭い。
「お久しぶりです、オーグ伯爵」
慇懃な挨拶をブランディーヌが返すと、オクタヴィアンはわずかに頬を緩めた。
「そう堅苦しくならなくていい。私のことは、弟と同様に名前で呼んでくれると嬉しい」
そんな滅相もない、と内心焦ったが、はい、とブランディーヌは殊勝な返事をした。
部屋の中央に向かい合わせに置かれた長椅子には、オクタヴィアンとギスランの他に女性がひとり、座っておっとりと微笑んでいる。
年齢はブランディーヌとそう変わらない十代後半くらい。栗色の髪を鏝で巻き、背中や肩に垂らしている。榛色の瞳は大きく、長い睫が目を彩っている。かなりの美人だ。薄紅色のレースがふんだんにあしらわれたドレスを身に纏い、黒い繻子のリボンを腰に巻いている。白い絹の手袋をしており、ドレスの裾から覗いている靴は絹に刺繍が施されたものだ。首飾りや耳飾り、髪に挿している簪にはどれもすべて宝石がついている。手袋の上からはめている指輪に紋章が彫られているが、遠目ではよく見えなかった。
ただの貴族令嬢ではなさそうだ。
(なんて綺麗な人……)
同性のブランディーヌでも惚れ惚れとしてしまう美貌だ。
わざわざオクタヴィアンが会わせようとしたのだから、意味はあるのだろう。
「初めまして」
女性は軽く目を細めると、ブランディーヌに視線を向けて柔らかな声で話しかけてきた。
「わたくしのことはアリナと呼んでください」
「お初にお目にかかります、アリナ様」
オクタヴィアンの美貌には見慣れているブランディーヌも、緊張のあまり声が上擦る。
「様なんてつけないで、ブランディーヌ。わたくしはあなたとお友達になりたいのです。オクタヴィアンは、あなたがわたくしのお友達に相応しい方だから紹介してくださるというので、とても楽しみにしていたんですよ」
アリナはわずかに拗ねたような顔を浮かべる。
(か、可愛い! でも、どう見ても、わたしよりもかなり身分が高い方のようにしか見えないんだけど)
戸惑いオクタヴィアンに助けを求めると、彼はアリナを擁護するように軽く頷いた。
(礼儀作法の先生ってわけでもないようだけど、この人がどういう人なのかは教えないつもりね)
ギスランの方は、面白くなさそうな顔をして、部屋の隅に立っている。どうやら彼はすでにアリナを紹介されているようだが、彼女の興味はギスランには向かなかったらしい。
「では、アリナ、と呼ばせていただきます。よろしくお願いいたします」
ブランディーヌが渋々答えると、アリナは満面の笑みを浮かべて立ち上がった。巻き毛がさらりと音を立てて背中で流れる。身長はブランディーヌよりも頭ひとつ分、背が低い。ブランディーヌは女性にしては背が高いので、アリナの方が平均だ。
「よろしく、ブランディーヌ。わたくしとお友達になってくださいね」
「はい、喜んで」
ほとんど棒読みでブランディーヌは答える。




