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ガルデニア王国の王都ロワジャルダンは、大陸内でも有数の大都市だ。
都の周囲を取り囲む城壁の内側に入ると、途端に大通りの両側は無数の建物で溢れる。歩道や公園には屋台が建ち並び、馬車や馬、歩行者で道は大渋滞だ。石畳を走る馬車の車輪の音、呼び込みの声、どこからともなく聞こえてくる歓声、と騒々しい。
「なにあれ! とっても大きな時計塔ね!」
馬車の中から外の景色を眺めていたブランディーヌは、声を張り上げた。
「すごい! 噴水だわ!」
窓に張り付くと、大広場の中央に設けられた噴水に目を瞠る。
青空を背景に、真っ白い水しぶきを上げる天馬の彫像が美しい。その周囲を裸になった幼児たちが走り回り、母親たちは井戸端会議に忙しそうだ。
王都を訪れるのは始めての彼女にとって、僻地である騎士団の駐屯地デュソールとはまったく違う光景に興奮していた。
「今日はお祭りかなにかかしら!?」
着飾った人々がそぞろ歩いている。女性は皆華やかなドレスに身を包んでいるし、花売りは色とりどりの花を売り歩いている。子供たちも楽しげに笑って駆けている。
「ねぇ、ギスラン! 見て!」
窓に張り付いたまま、手を伸ばしてギスランの肩を勢いよく叩く。
「痛い」
低い抗議の声が車内に響いたが、ブランディーヌはまったく気にしない。
「曲芸をしている人がいるわよ! すごい身体が柔らかいのねぇ」
大男の肩の上で背中を反らしては拍手喝采を浴びている子供に、彼女の目は釘づけになったが、馬車は無情にも前へ前へと進むばかりだ。
「特になにもないはずだ」
ブランディーヌの向かいの席に座ったギスランは、読んでいる本からは顔を上げず冷ややかに告げた。
頬にかかるていどの長さの癖のある銀髪に空色の瞳、白い肌と整った容貌はまるで人形のようだ。今日は騎士団の制服ではなく私服であるため、貴族の子息らしく三つ揃いで着飾っている。刺繍入りのウエストコートの上に紺色のコートを羽織り、首元にはクラバットを結んでいる。天鵞絨の黒いブリーチズに黒い靴を履いているので、全体が濃い色でまとめられている。
男装をしているブランディーヌは、数年前にギスランが着ていた私服のお下がりだ。背丈が伸びて着られなくなった彼の服のほとんどは、ブランディーヌがもらっている。別に頼んでいるわけではないのだが、勝手に押しつけてくるので、有り難く受け取っているのだ。亜麻布のシャツは袖にたっぷりとレースがあしらわれており、上衣のコートには金釦がたくさんついている。ウエストコートには小花の模様がちりばめられている上質なもので、気に入らないからという理由でギスランは一度も袖を通すことがなかった服だ。
ギスラン自身は服装にこだわりを持つ方ではないのだが、実家から仕立てられた新しい服が季節毎に届くので、衣裳持ちだった。その半分以上は、着ることなく衣裳櫃にしまい込まれていたものがブランディーヌに譲られる。明らかにギスランが好みそうもない爽やかな黄緑色や緋色の服などは、届くと同時にブランディーヌに引き渡されることもある。
おかげでいまやブランディーヌもかなりの衣裳持ちだ。男装用の服には困らない。騎士団に入って以来、ドレスとはまったく無縁になってしまっている。日常でも剣を下げていることが多いので、男装をしている方が都合が良いのだ。反対コルセットを締めることを考えただけで、憂鬱になる。
「たくさん人がいるわね。こんなところを歩いたら、迷子になりそう」
「ひとりで出歩くな」
「でも、町を案内してくれるような知り合いがいないし。休日に一緒に出掛けられるような友人ができるといいのだけど」
「うちの者に案内させればいいだろう」
ギスランは憮然とした表情を浮かべ、ブランディーヌを睨んだ。
その隣で、オーグ伯爵家の年配の従僕が微妙な顔をして口を引き結んでいる。
デュモンから護衛隊への配属を告げられた翌日、ブランディーヌはギスランとともにデュソールを出発した。オーグ伯爵家から迎えの馬車がきており、ブランディーヌが同乗を辞退する隙を与えず、ギスランは箱馬車の中に彼女を押し込んだのだ。そのまま馬車は二日間街道を走り、王都に入った現在はオーグ伯爵邸に向かって進んでいる。二人が王宮へ出仕するのは十日後だが、それまでオーグ伯爵家に滞在し、王宮のしきたりや礼儀作法を学ぶことになっているのだ。
オクタヴィアンの指示だと言われれば、ブランディーヌも従わないわけにはいかない。現オーグ伯爵であるオクタヴィアンには、今後王宮で護衛官として働く上でいろいろと世話になることになる人物だ。
ブランディーヌは数えるほどしかオクタヴィアンに会ったことはないが、ギスランが凡人に見えてしまうくらいの美貌と冷徹な頭脳の持ち主で、彼女が勝てることといえば家柄の古さと剣術くらいだろう。
「ギスランは都にはきたことあるの?」
二人とも騎士団に入る前は西部にある領地で暮らしていた。オーグ伯爵領はラペリーヌ伯爵領のすぐ隣であるため、距離は離れているがいわゆる『お隣さん』なのだ。オーグ伯爵家は王都にも邸宅を構えているが、ブランディーヌが覚えている限りでは、騎士団に入るまでギスランが領地の屋敷を不在にしたことはなかったはずだ。
「ずいぶん昔に一度だけだ。子供だったから、町の中を巡ったりはしていない」
「ふうん」
ギスランの隣に座る従僕がなにか言いたげに口を開き掛けたが、思い直したらしくそのまままた口を閉じた。
この従僕はオーグ伯爵家の領地屋敷にいた者なので、ブランディーヌもなんどか顔を見たことはあった。伯爵家から荷物が届けられる際に運んでくるのも、この従僕だった。
騎士団を出たときから、旅の手配はすべてこの従僕がしてくれていた。昨日泊まった宿や、途中で食事を摂る食堂での支払いなど、旅慣れないブランディーヌたちのために世話を焼いてくれたのも彼だ。
たまにギスランの顔色を伺うような素振りを見せるこの従僕が、感情を見せないギスランに対してどのように接すれば良いのか戸惑っていることはブランディーヌにも察せられた。
(ギスランってなにを考えているのかよくわからないところが、たっくさんあるものね)
彼女がギスランを苦手とするのも、一番の理由は彼の表情から感情が読み取れないことだ。常に冷静さを失わず、淡々とした態度を崩さないので、心のうちを読むことができない。付き合いは長いものの、彼が怒ったり笑ったりしているところはほとんど見たことがないのだ。喜怒哀楽が乏しいので、騎士団内でも浮いていたが、幼馴染みのよしみでブランディーヌにはあれこれと絡んでくるのが厄介ではあった。
(オクタヴィアンはギスランよりも表情があるけれど、あの人は口角が上がっているから笑っているように見えて実は目が笑っていないという怖い人だし)
オーグ伯爵家の兄弟は、かなりの曲者なのだ。
よくあのギスランと付き合えるな、と騎士団の団員たちからは感心されたものだが、彼女だって自分のどこが気に入られているのかはよくわからずにいる。とりあえず、困ったときには不思議と頼りになる兄弟だ。
「王宮って見えないのかしら」
窓に貼り付きブランディーヌは外を窺うが、王宮らしき建物は見えない。
「ここからは見ていただくことはできません」
ようやく従僕が口を開いた。今日は朝食と昼食の際に、準備ができました、と知らせにきてくれた以外は声を聞いていない気がする。
「ティユール宮殿はここよりもさらに通りを進んだ先にございますが、どの建物もそれほど高いものではなので、伯爵家からでも王宮の物見の塔くらいしか見ることはできません」
「あら、そうなのね。残念」
王城であるティユール宮殿は、平地に建てられた城館だ。
ガルデニア王国の始祖であるジョスリン王がこの地を都とさだめ、ロワジャルダンと名付けてからすでに三百年以上が経っている。平野を開拓し、王城を中心として都市を造り、やがて円を描くように町が広がり、発展した。
王宮に近い場所ほど、地価は高いため、王侯貴族の屋敷が集う高級住宅街となっている。
新興貴族であるオーグ伯爵家は、高級住宅街の中の外れに邸宅がある。ブランディーヌの実家であるラペリーヌ伯爵家もかつては邸宅があったが、すでに売り払ってしまっている。王都で寝泊まりできる屋敷を持たないブランディーヌは、オーグ伯爵家に当分の間は居候させてもらうことになっていた。
「都って見るところがたくさんありすぎて、一日二日では到底観光し尽くせなさそうよね」
景色を眺めているだけで、目移りしてしまう。
「心配せずとも、どうせしばらくはここで暮らすんだ。厭でも都の隅々まで仕事で見て回る羽目になる」
素っ気ない口調でギスランが言い捨てた。




