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「本当にまたこうやってお会いできるとは思いませんでした」

 自室で読書をしていたテオドールは、ブランディーヌとギスランの姿を認めると、軽く目を細めて会釈をした。

 寝台の上で上半身を起こした格好で座る彼の横には、松葉杖が置いてある。

 彼が王都を出る際は服の上からでもはっきりとわかるくらい、胸部と右足を包帯と板で固定していたが、いまは足の包帯も薄く巻かれているだけだ。

「怪我の具合はいかがですか」

「おかげさまで、順調に回復してきています。こちらのお医者様にも、早ければあと二十日ほどで包帯も取れるだろうと言われています。今は骨を丈夫にするため、毎日牛乳を飲んでいるところですよ」

 よくあの重傷からここまで蘇ったものだと感心するくらい、テオドールの顔色は良くなっていた。のんびりとした田舎での療養生活が合っているのか、頬は紅潮し、肌の色艶も良い。以前のように澱んだ瞳ではなく、穏やかな空気を身に纏っていた。顔にも肉がつき始めており、隈も薄くなっている。

「ユーグ殿が、ぜひ近況を手紙で知らせて欲しいと言っていましたよ。あなたのことをとても心配して、デュソールを訪ねたいとまで言っていました」

「あの仕事馬鹿の兄にそこまで気に掛けて貰えるとは、かなり嬉しいものですね」

 本に栞を挟んで閉じると、テオドールはブランディーヌに視線を戻した。

「王都はどうなっていますか? ルイ=ノエル王子が王太子に復位したという話は新聞で読みましたが」

「イローナ殿との婚約がもうすぐ整うようですよ。まだ新聞では公式発表はされていませんが、今月中には伝えられるはずです。あ、これはあなたのご家族からのお手紙です」

 はい、と封筒の束を紐で縛ったものをブランディーヌは差し出した。

 エルブロンネル伯爵家の中で、テオドールがデュソールのパンテール騎士団に身を寄せていることを知っているのは、ユーグの他には誰もいない。それでもイローナは王都を去るブランディーヌに「もし兄に会うことがあれば」と手紙を託してきた。彼女も薄々は兄がしていたことに気づいていたらしい。それに関しては恨み辛みは一切言わなかった。

「イローナ殿は、すでに成立していた他国の方との婚約を破棄したそうです。エルブロンネル伯爵家ではいろいろとすったもんだがあったそうですが、まぁしかたは無いですよね」

「……そうですね」

 手紙を受け取ると、テオドールはじっと封筒に書かれた文字を見つめた。

 テオドール・ドリュ・ライ殿、と宛名が綴られている。

 彼は現在でもエルブロンネル伯爵の息子だ。王都からはこっそりと姿を消したが、彼の不在に気づいている者は少ない。

「今回の件について、サンノール州の独立運動家が数名逮捕されたと聞きましたが、彼らから僕の名前は出ていないのですか?」

「あなたの名前がですか? いいえ。だって、彼らの罪状はサンノール州の独立運動の最中に、新たな王太子となったジュヌヴィエーヴ王女暗殺計画を立てたことです。ルイ=ノエル王子様を陥れたり、エルブロンネル伯爵家の家系図にちょっとした細工を施した人のことなんて、どこにも名前が出てくるはずがないじゃないですか。それに、ルイ=ノエル王子様が廃嫡されたのは、不品行が原因です。あなたが王子様の側近として彼に悪い遊びを教えたわけでもないのですから、誰もあなたを責めたりするはずがありません」

 テオドールはあくまでも世間で報道されているルイ=ノエル王子の廃嫡、宮廷内で噂されているエルブロンネル伯爵令嬢の母方の血筋に関する事件には無関係ということになっている。デュソールに滞在している理由だって、田舎で療養するため、というのが建て前だ。

「ルイ=ノエル王子は、僕がしたことをご存じなんですか?」

「さぁ。多分、詳しくはご存じないんじゃないですか。今回の件に関しては、すべてを把握している人なんていないかもしれませんし。ギスランは、どう思う?」

「どうせ、一年も経てば、ルイ=ノエル王子だってあんたがしたことを忘れているさ。宮廷は過去を振り返って余韻に浸っていると、すぐに揚げ足を取られる場所らしいからな。目の前の敵を攻略することで忙しく、あんたの名前なんて妃の三番目の兄だとしか認識しないようになるだろう」

「それもそうだね。国王だって、僕の名前など覚えていないだろう」

 自嘲気味に顔を歪め、テオドールは俯いた。

「世の中には、誰も記録しない、忘れ去られていく出来事がたくさんあるんだ。これまでだって、実は国を揺るがすような大事件に発展しかねないなにかが起きていたかもしれない。でも、誰も公式にも非公式にも記録せず、そのまま月日が流れて知る者はいなくなった。あんただって、百年もすれば、エルブロンネル伯爵家の家系図に名前が一行書かれているだけの存在だ。それでいいんじゃないか?」

「僕のしたことは、皆がいつかは忘れてくれるのかな」

「生きている間は忘れられない奴だっているだろうけど、ずっと胸にしまい込んで墓の中まで持っていくだろう」

「あ、わたしはそうしますよ?」

 テオドールの顔を覗き込むと、ブランディーヌは微笑んだ。

「わたしって日記は一切付けていないんです。ギスランは結構細かく毎日の記録を付けているようですけど」

「俺のは、ただの生活記録だ。誰が読んでも興味が沸かないようなことしか書いていない。あんたの名前は一行も書いていない。それに、俺が死ぬ前に焼却することにしている」

 なんのために付けているのかよくわからない記録だが、本人は毎日せっせと書き込んでいることをブランディーヌは知っている。

「どうせあんたの名前は、誰の日記にも登場しない。後世、ガルデニア王国でテオドール・ドリュ・ライの名前を確認することは難しくなるだろう」

「あ、そういえばこれ、ユーグ殿からの餞別だそうです」

 紐でグルグル巻きにした紙包みをブランディーヌは差し出す。

「新しい身分の旅券だと言っていました。この名前で旅をして欲しいって。そうすれば、いつか外国を旅するあなたの噂がガルデニアに届いたとき、自分たちだけでもそれがあなただとわかるからって言っていました」

「……ありがとうございます」

 紙包みを強く握りしめると、テオドールは深々と頭を下げた。

「僕は、ここを出て国境を越えたら、二度とこの国に戻らない覚悟でいます」

 目を潤ませ、声を詰まらせる。

「王家を崇拝し、国王陛下に忠誠を誓い、命を捧げているあの兄が、この僕を殺さずに許してくれて、ここまでしてくれたのです。その恩に報いるつもりでいます」

「家族なんだから、恩だなんて考えない方がいいですよ」

 肩を震わせるテオドールを眺めつつ、ブランディーヌは告げた。

「甘えさせてくれる家族には甘えておけばいいんです。別に恩義を感じる必要はありません。けど、もしユーグ殿やイローナ殿が困っていると外国にいるあなたのところまで伝え聞こえるようなことがあれば、あなたは自分の信念を曲げてでもガルデニアに戻ってくるべきです。それでいいと思いませんか?」

「……そうですね」

 力強く、テオドールは首を縦に振った。

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