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王宮内のテオドールに連れていかれた部屋を探し、さきほどの棟に二人が戻ったのは、明け方近くのことだった。
ブランディーヌが庭園に迷い込んだため、警備兵の目を盗んでここから出るまでにかなりの時間を要したのだ。方向感覚はあるが、庭園内が植木や垣根によって迷路のような構造になっていたことも影響している。東の空がうっすらと白み始めた頃になり、ようやく二人は庭園を出ることができたのだ。
疲労と睡眠不足が重なり、ギスランの機嫌は最悪の状態だった。
「さすがにもう、あの部屋には誰もいないでしょうね」
またしても窓から建物の中に忍び込むと、二人は王女に謁見した部屋の前まで辿り着いた。
ブランディーヌが扉の取っ手を掴み、そっと動かしてみる。
意外なことに、蝶番が軋む音を立てて、扉は開いた。
中を覗くと、数時間前と同じく、緞帳が垂らされている。それをさらにくぐってみると、円卓と椅子が置かれているだけで人気がないことが確認された。窓はカーテンで覆われており、朝日が差し込まないため薄暗い。
「いないわね、さすがに」
「当たり前だろう」
部屋に入ると、椅子に腰を下ろしてギスランは天井を仰ぎ見た。
「寝る」
腕組みをすると、そのまま目を閉じてしまった。
「どうぞ。おやすみなさい」
睡眠不足のギスランは機嫌が悪いので、一緒にいると面倒だ。
「お前もここにいろ」
「わたしはイローナ殿を探しに行くわ」
「こ、こ、に、い、ろ」
「……はいはい」
鬱陶しいので、適当に返事をすると、数秒後には寝息が聞こえてきた。
不機嫌なギスランには逆らわないに限る。
窓に掛けられたカーテンを指で摘み、外を覗いてみる。
空は徐々に明るくなってきている。芝生が広がる庭と、白い石畳が並ぶ回廊。整然と形作られた花壇。さらに先には、別の建物がある。
「なにしているんですか」
窓の下にうずくまる人影に気づき、両開きの窓を開けと、ルイ=ノエルに声を掛けた。
「もしかして、ついてきたんですか」
顔を上げたルイ=ノエルは、首を縦に振った。
「あのままあそこにいて警備兵に捕らえられるのが面倒になってきた」
「とりあえず、誰にも見られないうちに中に入って下さい」
ブランディーヌが手招きすると、ルイ=ノエルは素直に窓枠を乗り越えて部屋に入った。
「刺客に襲われるのを待っていたんじゃないんですか?」
「さきほどまでは殺されてもいいと思っていたが、気が変わった。お前たち、オーグ伯爵の身内だと言ったな」
「わたしは違います。そこで寝ている彼はオーグ伯爵の弟ですけど」
ギスランは椅子に座って腕組みをした体勢で、すでに熟睡している。賑やかな騎士団で鍛えられたおかげが、周囲で話し声がしても少々のことでは目が覚めない。
「弟と親しいなら身内も同然だろう」
「その定義はどうかと思いますが、オーグ伯爵に恨み辛みを抱いているはずのあなたがわたしたちになんの御用ですか」
あれだけはっきりとギスランが拒絶を示したというのに、ルイ=ノエルはまったく気にしている様子がない。王族というのはかなり厚顔でなければやっていけないのだろう。
「別に私はあの男を恨んだりはしていない。どうせあいつも宰相の使いっ走りでしかないのだ。いずれは宮廷を牛耳るつもりでいるのだろうが、次の王がジュヌヴィエーヴではそうもいくまい」
「なぜ?」
「妹は、正論や理屈で納得させられるような性格ではない。あれが王になれば、側近は苦労することは目に見えている。ただ宰相は、私がイローナを妃にして王になるよりは、妹を王にした方がましだと判断したのだ。その選択の後始末をさせられるのは次の世代であり、伯爵もそのひとりとなるだろう。私はその頃にはもうこの世にはいないかもしれないが」
理屈好きはギスランも同様だ。
ブランディーヌは懇々と理詰めで説明されると途中から聞いているのが厭になるので、自分から折れる。よほどのことでない限りは、自分の意見を主張することはない。「はいはい」と言っていれば、しつこいギスランを遣り過ごすこともできる。
オクタヴィアンはそんな弟を上回る弁舌家のはずだ。それに論破されず、持論を貫き通せる意志を王女が持っているのであれば、かなりの強者だ。
「宰相は、あなたがイローナ殿と結婚して、王家の血筋に彼女の祖先である亡国の王家の血が入ることを阻止するために、あなたを廃嫡したのだと聞きました。あなたがイローナ殿と結婚しないようにすればそれで済む話のはずなのに、わざわざ廃嫡なんていう醜聞にまで発展したわけがよくわからないのですが」
「私が宰相の説得に応じなかったからだ」
ふんと鼻で笑いながら、ルイ=ノエルはすぐそばにあった椅子を引き寄せ、座った。
「こうと決めたら命を賭けてでも信念を曲げない頑固なところが私にはある。陛下と宰相に丸二日間、いかにイローナを妃とすることが国益に反するかをしつこく説明されたが、私は全部を聞き流してやったのだ」
王と宰相の二日間は無駄に費やされたということになる。
理詰めでは納得しないという点は、王女とどこも違わない。さすがは兄妹だ。
「王女殿下と同じなんですね」
「そうだな。たった一つ違うのは、ジュヌヴィエーヴが惚れている相手がオーグ伯爵という、国益にかなう相手だということだ」
「王女殿下はやはりオーグ伯爵がお好きなんですか」
驚きはしないが、物好きだとは思う。
ブランディーヌが知る限り、オクタヴィアンは仕事人間だ。結婚したところで、家庭を顧みるような性分ではない。父親の死後、爵位を継いで以来、彼は領地と都を往復する生活を続けているが、くつろいでいるところは見たことがない。多忙を極めて、そのうち過労死するのではないかというくらい、よく働いている。たくさんの見合い話も持ち込まれているようだが、そのすべてを断っているので、結婚をする気がないのだろうとブランディーヌは考えていたくらいだ。まさか王女の婿候補になっているとは三日前まで知らなかったが、相手が王太子である王女ならば、ほとんど仕事と結婚するも同然だ。ますます仕事に励むことだろう。




