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 振り返ると、さきほどまで眠っていた男が、上半身を起こしてブランディーヌを直視している。(けん)(たい)(かん)が漂う表情で、頬にかかる髪を()()げる男の目は、死んだ魚のように(うつ)ろだ。

「わたし、刺客ではありません」

 はっきりとした口調で否定すると、男は軽く目を見開いた。それまで、目の前に立つ相手が若い娘だとは気づかなかったようだ。辺りが闇に包まれているため、男装したブランディーヌの背格好からは男だと思っていたのだろう。

「女か」

「そうです」

 男は尊大な態度で訊ねてきたが、不思議と腹は立たなかった。

「なんだ。てっきり死神の使いがようやく来たのかと期待したんだが、外れか」

 ブランディーヌから視線を外すと、男は再び寝転がった。

(自分を殺してくれる人を待っているのかしら。それとも、刺客に狙われすぎて()(ぼう)()()になっているのかしら)

 どちらにしても、辺りには人の気配がなく、目の前の男を殺そうと(ひそ)んでいる者もいない。

「邪魔だ。さっさと立ち去れ」

 男は(あお)()けになると、片手を振って追い払うような仕草をした。

「では、失礼します」

 変な人、と見切りをつけて今度こそ歩き出そうとしたときだった。

 遠くから人が駆ける靴音が響いてきた。回廊から迷いなく真っ直ぐにこの庭園を目指して走っている。

「今度こそ、来たか」

 (かん)(まん)な動作で上半身を起こした男は、期待に満ちた眼差しを向かってくる人影に向けた。

「いえ、あれは……」

 わたしの知人ですよ、と告げる前に、ギスランが目の前まで迫ってきていた。

「お前、こんなところにいたのか」

 周辺を全力疾走したらしい。息は上がっており、髪は乱れている。

 すぐに、逃がさないとばかりにブランディーヌの腕を掴んだ。

「なんだ。貴様の男か」

 (らく)(たん)した様子で顔を俯かせると、男は忌々しげに呟く。

 男の声で初めて、ギスランは四阿の長椅子に座る人物に気づいた。

「――誰だ?」

「知らない人」

 (かん)(けつ)にブランディーヌが答えると、なぜか男は心外そうに顔を歪め、立ち上がった。

「貴様ら、私を知らないのか?」

 はっきりとお互いの顔が判別できる距離まで歩み寄ると、険しい表情で二人を睨み付ける。

「いやに偉そうな男だな」

 ()(しつけ)にじろじろと男を一瞥していたギスランは、ふっと顔を(こわ)()らせた。

「……さっさとこの場を離れるぞ。あの男は無視しろ。会ったことも忘れるんだ」

 ブランディーヌの耳元で囁くと、腕を強く引っ張って立ち去ろうとする。

「ここにいるはずのない私とは関わり合いたくない、といったところか。貴様は私の顔を知らないわけではないようだな」

 喉を鳴らして笑うと、男はギスランを睥睨した。

「残念ながら、まだ私は生身の人間だ。出てくるなら幽霊になってから出てきて欲しいと考えている連中もいるようだが、生憎まだ誰も私を殺すことができずにいる。しかも私は、本来いるべき場所ではなくこの王宮内を(さま)()っている。これほどおかしいことはなかろう?」

 ギスランの前に立ちはだかると、男は口角を上げて不気味な笑いを浮かべた。

「我々はなにも見ていない。誰にも会っていない」

 呪文のようにギスランは男に言い放ったが、相手は納得しなかった。

「私に死んでほしい連中はこの王宮にごまんといる。しかし自分で手を汚したくない()(きょう)な連中だ。奴らは私をここに放ち、私を見つけた他の輩が私を殺すのを待っている」

「……この人、誰か知っているの?」

 狂気を帯びた男の態度に眉を顰めつつ、ブランディーヌはギスランに訊ねた。

(はい)(ちゃく)された王子だ」

 溜息混じりの回答が耳打ちされる。

「この人が?」

 王子の肖像画など見たことがないブランディーヌは、息を飲んだ。

 ルイ=ノエルは彼女が勝手に頭の中で想い描いていた姿とはまったく違っていた。

 離宮に幽閉されたことでもっと落胆し、気力を失って老け込んだ(ふう)(さい)を想像していたのだが、やたらと生気に(あふ)れている。

「なんでこんなところに?」

「知らぬ」

 答えたのはルイ=ノエルだった。

「夕刻、私の部屋にやってきた見知らぬ男たちが、私に目隠しをしてここまで無理矢理連れてきたのだ。(かん)(ごく)(しゅう)(かん)されるのかと思いきや、王宮で放り出されたものだから、反対に困ってしまったのだ。私がここにいることを望まない者は陛下や新たな王太子となった妹を含め、大勢いる。どうせそのうち誰かが私を殺しに来るだろうと思い、少々相手を困らせるつもりでここに隠れていたのだが……誰も来ぬ」

 当惑顔でルイ=ノエルは告白した。

「王子様が離宮を脱出したなんて話、誰も知らないんじゃないかしら。そういう噂が流れていれば、もっと(きん)(ぱく)した空気が流れているはずだけど、ちっともそんな感じじゃないわ。オクタヴィアンだって、普通だったわよね」

「兄上は腹黒で大嘘つきだから、知っていたとしても顔には出さないはずだが、周囲はもっと慌ただしいはずだ。兄上の従僕の落ち着き具合からすると、特にそんな話はまだ届いていないのだろうな」

 顎に手を遣り、ギスランは頷く。

「この王子様って、殺されなきゃいけないことをしたの?」

「エルブロンネル伯爵令嬢を見初めた時点で、(ばん)()に値するって判断されたんだろ」

 言いたい放題の二人の態度にも、ルイ=ノエルは怒りはしなかった。

「じゃあ、王子様をここに連れてきた人は、なんで王子様が王宮にいるって噂を流さないのかしら。離宮から逃げたっていうだけで陛下に(はん)()(ひるがえ)したと判断されても仕方ないのに、警備兵たちだって王子様がこの王宮内にいることにはまったく気づいていないじゃないの」

「知るか。宮廷の連中ってのは複雑怪奇な思考回路をしてるから、俺たちには想像できないような理由で王子を離宮から連れ出したりしたんだろ」

 殺すつもりはないが、目的もなしに、ということもないはずだ。

 王子を廃嫡した以上は、彼が王宮に戻れる日もこないと考えるのが一般的だが、なぜかこの王子を離宮から連れ出したかったらしい。

「格好が王子様らしくないから、気づかれないのかしら」

「確かに、背格好はともかく、こんな地味な格好をしている男がここにいるはずのない王子だなんて誰も気づかないよな」

 自分の意志に反して逃げ惑う羽目になったルイ=ノエルは、()(ぜん)と顔を顰めた。

「これは、離宮から連れ出される際に着替えさせられたのだ。私もこのような格好は不本意だが、着替えようにも衣装がない」

「着替える必要はないと思いますよ。あなたがすぐに王子様だって気づかれるといけないので、誘拐犯はあなたを着替えさせたんだと思いますから」

「まだこちらまでは報告がなされていないだけで、離宮ではなにかが起きるんだろうな。多分、王子の逃亡以外のなにかが」

「王子様が離宮にいては都合が悪い事件が起きるってこと?」

「多分。誰がなにかを仕組んでいるんだ。その際、王子が離宮にいては困るが、かといって市中に解放するわけにもいかないから、ここに連れてきたんだろう。ここに王子がいると誰かに見つかっても構わないと考えているのか、それとも実は別の計画があるのかはわからないが」

 王宮内に連れてきた王子が失踪したと慌て、探している気配はない。

 離宮から王子を連れ出した者は、王子の行動には興味がないのか、それともなにか想定外の事態が起きているのか。

「それで、どうしたらいいの? この王子様には会わなかったことにした方が良いのかしら」

「できることなら、王子の存在は忘れた方がいい。面倒事どころではなくなるかもしれない」

「それもそうね。わたしはイロー……っ」

 素早い動きでギスランがブランディーヌの口を塞いだが、遅かった。

「お前たち、イローナの知り合いか?」

 ルイ=ノエルの目つきが心中や探るようなものに代わる。

「いや。まったく」

 きっぱりと断言すると、そのままギスランはブランディーヌを喋らせずに引きずってこの場を離れようとした。

「待て。なにか隠しているだろう」

「あんたに隠していることはあるが、洗いざらい教えてやる気はない。あと、俺はあんたを(しっ)(きゃく)させたひとりであるオーグ伯爵の弟だ。警備兵にあんたがここにいることを通報されたくなかったら、とっとと姿を消せ」

 とても王族に対しての態度とは思えないものだったが、オーグ伯爵の一言でルイ=ノエルの身体が(こわ)()った。

「じゃあな」

 捨て台詞(せりふ)を残すと、ギスランはブランディーヌを黙らせたまま庭園を離れた。

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