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「お前、わかってるのか。あれはかなりやばい仕事だぞ」
来る際はテオドールに案内された迷路のような廊下を、ギスランは迷いもせずに進んだ。
肩を怒らせ、珍しく歩調も荒い。歩幅も広いので、すぐ後ろを歩くブランディーヌは小走りにならなければならなかった。
「あの連中は、自分たちがどれだけ危険な仕事をしようとしているのか、わかっていないんだ。関わったことが発覚すれば、俺たちだってただではすまない。兄上だって見逃してはくれないだろう」
「はいはい。ギスランがそう言うならもう関わりません」
掴まれた手首が痛かったので、ブランディーヌはおとなしく従った。
「……わかっていないだろう」
立ち止まり振り返ったギスランは、渋い表情でブランディーヌを見下ろす。
「わかってないわよ。わからないことだらけだもの」
肩をすくめてブランディーヌが答えると、ギスランはますますしかめ面になった。
「わたしにわかったのは、あのお嬢さんが塔に閉じ込められた元恋人に一目会いたいって願っていることくらいかしら」
恋をしたことがないブランディーヌには、イローナの気持ちは想像すらできない。
「事情があって恋人と引き離されて、全然知らない人と結婚させられて可哀想よね。でも、政治的なあれこれが絡んでいるから手を貸したらこちらの身が危ないのよね。仕方ないのよね。ということで、首を突っ込んじゃいけないんでしょ。だから、お金に目は眩んだけど、なにもしません」
「わかっているならいい」
大きな溜息をつくと、ギスランは目を伏せた。それから思い出したように、ブランディーヌの手を放す。強く掴まれていたせいで、手首には跡が付いていた。
「さっさと帰りましょう。明日も朝から講義があるんだから、少しでも寝ておかないと、授業中に寝てしまいそうだわ。わたしたち、ここから屋敷まで歩いて帰らなければならないのかしらね」
ギスランの背中を叩いて促すと、ブランディーヌは先に歩き出した。
彼が自分のことを心配してくれているのはよくわかっている。
あれこれと口うるさいところはあるが、状況をよく見ずに突っ走ろうとする自分のためだということも承知している。
彼は間違っていない。
ブランディーヌが納得できず、勝手にもやもやした気持ちを抱えているだけだ。
イローナがルイ=ノエル王子と再会したところで、事態が好転することなんてないだろう。反対に、彼女は辛い事実を突きつけられるだけかもしれない。きっと自分の血のいくらかが亡国の王家の筋だからこんな目に遭っただなんて、知らないはずだ。知らない方がいいことだってたくさんある。なにも知らないまま他国に嫁ぎ、幸か不幸かわからない人生を送って、ひっそりと死んでいけばいい。
(彼女は深窓のお嬢様だもの。わたしなら、もしギスランが急にいなくなったら自分で探しに行けるけど、彼女はそんなことはできないんだもの。きっとひとりで外出したこともないんだわ)
貧乏伯爵家に生まれたブランディーヌは、自分の取り柄は健康と体力だと思っている。あまり賢くはないのでよくギスランに叱られるが、人生でどん底を味わったことはない。騎士団に入って、努力をしたら騎士になれた。騎士団には伯父やギスランがいたから居心地も良かったし、なんども自分の力不足を痛感して泣きたくなることはあったけれど、苦労というほどの苦労もしていない。
困ったときは、常に誰かが手をさしのべてくれていた。
怒ってくれたり、慰めてくれたり、甘えさせてくれる人がいつもそばにいた。
(オクタヴィアンは話していたじゃないの。これは政治的な問題だって)
頭では理解しているが、感情がついていかない。
世の中のすべてが思い通りになるわけではないけれど、少しでもイローナが悲しまずに嫁げる方法があればいいのにと考えてしまう。
王子がどのような人物であれ、彼女にとっても区切りはまだついていないように見える。
「ブランディーヌ、物騒なことを考えるなよ」
「なにも考えていないって」
ひらひらと手を振ってブランディーヌが誤魔化したときだった。
薄暗い廊下の向こう側から、複数の人の足音が近づいてきた。ぼそぼそとくぐもった話し声も聞こえる。
燭台を持っているのか、廊下の奥で影がゆらゆらと揺れている。
すぐさまブランディーヌはギスランの腕を掴むと、一番近くの窓を開けると窓枠をまたいで外へと出た。床から窓までは腰の高さほどの壁があるので、しゃがみ込めば姿を隠すことができる。
窓はすこしだけ隙間を空けておき、カーテンはきっちりと閉めた。
窓の外は回廊になっており、床は白い石畳になっている。芝生を刈ったばかりなのか、草の匂いがした。
耳を澄ませてうずくまっていると、靴音とともに会話も聞こえてくる。声の調子から、四十代くらいと推察された。
「エルブロンネル伯爵の娘がこちらに戻ってきているとか」
「伯爵の母親の葬儀のためだそうだな」
「あれは一昨日に終わった。さっさと修道院へ戻れば良いものを、まだ屋敷に残っているらしい。いつまでもこちらにいられては都合が悪い。もし離宮にまであの娘が戻っていることが知れたら……」
「いっそのこと、この機会にあの娘を始末してしまってはどうだ。伯爵の問題の後妻はすでに死んでいる。あとは娘さえいなくなればひとまず禍根を断つことができる。伯爵家もなにかと騒動の種である娘がいつまでもこの世にいては迷惑だろう」
「伯爵の娘は、王女に気に入られていた。明日や明後日になって突然死のうものなら、いくらその死が自然に見えても王女は徹底的に調べさせようとするだろう」
「それならばどうすれば……」
まもなく声は窓から離れ、靴音も遠ざかっていった。
立ち上がり、窓を開けて中を覗き込んだブランディーヌは、ゆらゆらと揺れる蝋燭の炎に照らされた影と、恰幅の良い背中を見送る。
「厭な連中」
男二人の背中を睨み付け、ブランディーヌは憎々しげに吐き捨てた。




