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『私は悪霊になり、娘はカルトになった』  作者: 根古野 惹句
第5章 威光

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第26話 禁則

校門前で、事態は悪くなっていた。


久瀬は、教師から距離を取った位置で配信を続けていた。母親と女の子は少し離れた場所に立たされている。母親は泣きそうな顔だった。女の子はずっと俯いている。


「学校側が隠そうとしています」


久瀬はスマホに向かって言った。


「困っている親子が来ているのに、会わせない。これ、どう思いますか? ねえ。阿久津さんって、神様に願いを届ける人なんですよね? なのに、困っている子どもを無視するんですか?」


教師が何度も撮影をやめるよう言っているが、久瀬はやめない。


「会わせろって言ってるだけじゃないんです。検証したいんですよ。本当に神様がいるのか。神様が見てるなら、俺みたいな悪い大人には罰が当たるんじゃないですか?」


スマホの画面に流れるコメントが速くなる。


久瀬は母親を呼んだ。


「お母さん、こっち来て。顔は映さないんで」


「顔は、映らないって」


「映しません。約束しましたよね」


スマホの角度では、母親の横顔が入る。


女の子の顔も、服装も、背格好も映る。


「撮らないでください!」


久瀬はわざと驚いた顔をする。


「え、怖。生徒さん? 学校は生徒に言わせるんですか?」


結衣はスマホを睨んだ。


「その子、映ってます」


「映ってませんよ」


「映ってます」


「君、名前は?」


久瀬がスマホを結衣へ向けた。


その瞬間、西野が結衣の前に出た。


「やめてください」


「今度は別の生徒さん。いいですね、学校ぐるみで隠蔽してる感じが出てきた」


人の苦しみを、数字に変える顔だった。


母親が震える声で言った。


「久瀬さん、顔は出さないって」


「出してませんって」


「でも」


「お母さん」


久瀬の声が少し低くなった。


「本気で娘さんを助けたいんですよね。だったら、多少は覚悟してください。隠したまま助かるなんて、そんな都合のいい話ないですから」


「やだ」


久瀬は女の子の腕を掴んだ。


「大丈夫。阿久津さんが来たら終わるから」


自分の映像のために、子どもの恐怖を利用する意思。


俺は、世界に触れた。


だが、その前に陽菜が来た。


◇


陽菜は校門の内側に立っていた。


小野寺が止めようとしている。西野も莉奈も結衣も彩乃も、みんな止めようとしている。


陽菜は来た。


教師の後ろ。


それでも、久瀬はすぐに見つけた。


「あ、来た」


「阿久津陽菜さんですか?」


「生徒へ直接話しかけないでください」


久瀬は笑った。


「いや、答えなくていいんです。見れば分かります。雰囲気ありますね。すごいな、本物っぽい」


女の子も陽菜を見た。


助けて、と言ったわけではない。


陽菜は小さく息を吸った。


「その子を、撮らないでください」


久瀬はスマホを陽菜へ向けた。


「今、阿久津さんが言いました。撮るな、と。これはどういう意味なんでしょうか。神様の命令ですか?」


「違います」


陽菜はすぐに言った。


「普通に、嫌がっているからです」


「でも、お母さんは助けを求めていますよ」


「娘が、夜になると泣き叫んで、学校にも行けなくなって。私、どうしたらいいか分からなくて。久瀬さんが、阿久津さんならって」


「顔を映さないと言われましたか」


陽菜が聞いた。


「え」


「顔を映さない。名前は出さない。そう言われましたか」


母親は久瀬を見た。


久瀬は笑顔のままだった。


「言いましたよ。守ってます」


結衣が言った。


「映ってます」


一瞬だけ、笑顔が消えた。


その顔を見て、母親の表情が変わった。


「久瀬さん」


「大丈夫ですって」


「顔、映ってるんですか」


「多少は仕方ないでしょ。世の中に訴えるってそういうことです」


「約束が違います」


「お母さん、今さら何言ってるんですか。娘さんを助けたいんでしょう」


久瀬は母親ではなく、スマホの向こうを見ている。


母親も、女の子も、陽菜も、久瀬にとっては素材だった。


陽菜は言った。


「神様を試すようなことを、しないでください」


「出ましたね」


「神様を試すな。つまり、いるんですか? 神様。阿久津さん、あなたは神様と話せるんですか? それとも代弁者?」


「私は神様じゃありません」


「じゃあ、ただの生徒?」


「はい」


「ただの生徒のわりに、ずいぶん人が集まってますね。みんな、あなたにお願いしに来るんですよね? あなたが聞けば、悪い人に罰が当たる。違いますか?」


久瀬は畳みかける。


「じゃあ、俺を罰してくださいよ」


スマホを自分の顔に向け、笑った。


「神様、見てるんですよね? 俺、今めちゃくちゃ悪いことしてますよ。困ってる親子を利用して、学校に押しかけて、阿久津さんを撮ろうとしてます。ほら、罰してください」


「もうやだ」


久瀬は女の子の腕を引いた。


「ちょっと待って。今いいところだから」


その瞬間、俺はスマホを叩き落とした。


久瀬の手からスマホが弾かれ、アスファルトに落ちる。画面が割れた。赤い点がまだ光っている。配信か録画かは分からない。だが、動いていることは誰の目にも見えた。


「は?」


プラスチックが割れる音がした。小型マイクが地面へ転がる。胸元に付けられていたピンマイクのコードが引きちぎれ、久瀬のパーカーからぶら下がった。


久瀬は地面のスマホへ手を伸ばした。


「何だよ、今の」


スマホは歩道の端へ滑り、画面が上を向いた。割れた画面に、コメント欄が流れている。


結衣が画面を見た。


「やっぱり配信してる」


小野寺がすぐにスマホを拾おうとしたが、触れる前に警察を呼んでいた教師が止めた。


「そのまま。証拠になる」


久瀬の顔が変わった。


「勝手に見るなよ!」


「あなたが公道で配信していたんですよね」


結衣の声は震えていたが、はっきりしていた。


母親が久瀬を見た。


「顔は出さないって、言いましたよね」


「だから、事故みたいなもんで」


「娘の顔、出てましたよね」


久瀬は母親を睨んだ。


「お母さん、ここで俺を責めてどうするんですか。娘さんを助けたいんでしょう。阿久津さんに会わせたの、俺ですよ」


「帰りたい」


「帰ろう」


「待ってください」


陽菜が言った。


陽菜は母親ではなく、女の子を見ていた。


「今すぐこのまま帰るのが怖いなら、先生に言ってください」


女の子は陽菜を見た。


陽菜は続けた。


「私が決めることじゃありません。でも、先生も、警察の人もいます。お母さんと一緒でも、一人でも、ちゃんと話を聞いてもらってください」


久瀬が怒鳴った。


「おい、何勝手に話進めてんだよ!」


久瀬が一歩踏み出す。


実際に足があるわけではない。


久瀬が立ち止まった。


「何だよ」


周囲の誰も、久瀬に触れていない。


誰も機材を壊していない。


スマホは落ち、画面は割れ、マイクは切れ、カメラは折れた。


人々の目が、陽菜へ向いた。


娘を見るな。


俺はそう思った。


陽菜はその視線の中に立っていた。


また、自分の言葉の後で何かが壊れた。そう思っている顔だった。


◇


警察が来た。


久瀬は最後まで騒いだ。


「俺の機材を誰かが壊した!」


「学校がやった!」


「生徒がやった!」


映っていたとしても、スマホが突然落ち、機材が勝手に壊れたようにしか見えないだろう。俺は映らない。手も映らない。悪霊は、いつも証拠にならない。


母親は警察に、顔を映さない約束だったこと、娘の相談に乗ってもらえると聞いて来たこと、学校へ直接押しかけるつもりではなかったこと、途中から怖くなったが久瀬が止めなかったことを話した。


小野寺と養護教諭が対応した。


陽菜は直接相談を受けなかった。


守られたはずだった。


母親が何度も「すみません」と頭を下げるところを。


女の子が母親の服を握ったまま、陽菜の方を見て、何か言いたそうにして、結局何も言えなかったところを。


陽菜が「私じゃありません」と言いかけて、言えなくなるところを。


久瀬が壊れた機材を抱えて、何度も後ろを振り返りながら警察に話を聞かれているところを。


誰も、久瀬に触っていない。


それでも、久瀬は止まった。


それでも、あの子の顔がこれ以上晒されることは止まった。


母親と娘がこれからどうなるのか、陽菜には分からない。


それでも、陽菜が出てきた後に、久瀬の機材は壊れた。


意味を見つけると、次は名前をつける。


威光。


教室へ戻る途中、誰かが小さく言った。


「本当に、見てるんだ」


言った生徒は、すぐに口を押さえた。


だが、言葉はもう出ていた。


本当に、見てる。


西野が隣にいる。


莉奈が少し後ろ。


結衣はスマホを構える生徒がいないか見張っている。


彩乃は泣きそうな顔で陽菜を見ていた。


陽菜は何も言わなかった。


だが、顔は真っ白だった。

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