第26話 禁則
校門前で、事態は悪くなっていた。
久瀬は、教師から距離を取った位置で配信を続けていた。母親と女の子は少し離れた場所に立たされている。母親は泣きそうな顔だった。女の子はずっと俯いている。
「学校側が隠そうとしています」
久瀬はスマホに向かって言った。
「困っている親子が来ているのに、会わせない。これ、どう思いますか? ねえ。阿久津さんって、神様に願いを届ける人なんですよね? なのに、困っている子どもを無視するんですか?」
教師が何度も撮影をやめるよう言っているが、久瀬はやめない。
「会わせろって言ってるだけじゃないんです。検証したいんですよ。本当に神様がいるのか。神様が見てるなら、俺みたいな悪い大人には罰が当たるんじゃないですか?」
スマホの画面に流れるコメントが速くなる。
久瀬は母親を呼んだ。
「お母さん、こっち来て。顔は映さないんで」
「顔は、映らないって」
「映しません。約束しましたよね」
スマホの角度では、母親の横顔が入る。
女の子の顔も、服装も、背格好も映る。
「撮らないでください!」
久瀬はわざと驚いた顔をする。
「え、怖。生徒さん? 学校は生徒に言わせるんですか?」
結衣はスマホを睨んだ。
「その子、映ってます」
「映ってませんよ」
「映ってます」
「君、名前は?」
久瀬がスマホを結衣へ向けた。
その瞬間、西野が結衣の前に出た。
「やめてください」
「今度は別の生徒さん。いいですね、学校ぐるみで隠蔽してる感じが出てきた」
人の苦しみを、数字に変える顔だった。
母親が震える声で言った。
「久瀬さん、顔は出さないって」
「出してませんって」
「でも」
「お母さん」
久瀬の声が少し低くなった。
「本気で娘さんを助けたいんですよね。だったら、多少は覚悟してください。隠したまま助かるなんて、そんな都合のいい話ないですから」
「やだ」
久瀬は女の子の腕を掴んだ。
「大丈夫。阿久津さんが来たら終わるから」
自分の映像のために、子どもの恐怖を利用する意思。
俺は、世界に触れた。
だが、その前に陽菜が来た。
◇
陽菜は校門の内側に立っていた。
小野寺が止めようとしている。西野も莉奈も結衣も彩乃も、みんな止めようとしている。
陽菜は来た。
教師の後ろ。
それでも、久瀬はすぐに見つけた。
「あ、来た」
「阿久津陽菜さんですか?」
「生徒へ直接話しかけないでください」
久瀬は笑った。
「いや、答えなくていいんです。見れば分かります。雰囲気ありますね。すごいな、本物っぽい」
女の子も陽菜を見た。
助けて、と言ったわけではない。
陽菜は小さく息を吸った。
「その子を、撮らないでください」
久瀬はスマホを陽菜へ向けた。
「今、阿久津さんが言いました。撮るな、と。これはどういう意味なんでしょうか。神様の命令ですか?」
「違います」
陽菜はすぐに言った。
「普通に、嫌がっているからです」
「でも、お母さんは助けを求めていますよ」
「娘が、夜になると泣き叫んで、学校にも行けなくなって。私、どうしたらいいか分からなくて。久瀬さんが、阿久津さんならって」
「顔を映さないと言われましたか」
陽菜が聞いた。
「え」
「顔を映さない。名前は出さない。そう言われましたか」
母親は久瀬を見た。
久瀬は笑顔のままだった。
「言いましたよ。守ってます」
結衣が言った。
「映ってます」
一瞬だけ、笑顔が消えた。
その顔を見て、母親の表情が変わった。
「久瀬さん」
「大丈夫ですって」
「顔、映ってるんですか」
「多少は仕方ないでしょ。世の中に訴えるってそういうことです」
「約束が違います」
「お母さん、今さら何言ってるんですか。娘さんを助けたいんでしょう」
久瀬は母親ではなく、スマホの向こうを見ている。
母親も、女の子も、陽菜も、久瀬にとっては素材だった。
陽菜は言った。
「神様を試すようなことを、しないでください」
「出ましたね」
「神様を試すな。つまり、いるんですか? 神様。阿久津さん、あなたは神様と話せるんですか? それとも代弁者?」
「私は神様じゃありません」
「じゃあ、ただの生徒?」
「はい」
「ただの生徒のわりに、ずいぶん人が集まってますね。みんな、あなたにお願いしに来るんですよね? あなたが聞けば、悪い人に罰が当たる。違いますか?」
久瀬は畳みかける。
「じゃあ、俺を罰してくださいよ」
スマホを自分の顔に向け、笑った。
「神様、見てるんですよね? 俺、今めちゃくちゃ悪いことしてますよ。困ってる親子を利用して、学校に押しかけて、阿久津さんを撮ろうとしてます。ほら、罰してください」
「もうやだ」
久瀬は女の子の腕を引いた。
「ちょっと待って。今いいところだから」
その瞬間、俺はスマホを叩き落とした。
久瀬の手からスマホが弾かれ、アスファルトに落ちる。画面が割れた。赤い点がまだ光っている。配信か録画かは分からない。だが、動いていることは誰の目にも見えた。
「は?」
プラスチックが割れる音がした。小型マイクが地面へ転がる。胸元に付けられていたピンマイクのコードが引きちぎれ、久瀬のパーカーからぶら下がった。
久瀬は地面のスマホへ手を伸ばした。
「何だよ、今の」
スマホは歩道の端へ滑り、画面が上を向いた。割れた画面に、コメント欄が流れている。
結衣が画面を見た。
「やっぱり配信してる」
小野寺がすぐにスマホを拾おうとしたが、触れる前に警察を呼んでいた教師が止めた。
「そのまま。証拠になる」
久瀬の顔が変わった。
「勝手に見るなよ!」
「あなたが公道で配信していたんですよね」
結衣の声は震えていたが、はっきりしていた。
母親が久瀬を見た。
「顔は出さないって、言いましたよね」
「だから、事故みたいなもんで」
「娘の顔、出てましたよね」
久瀬は母親を睨んだ。
「お母さん、ここで俺を責めてどうするんですか。娘さんを助けたいんでしょう。阿久津さんに会わせたの、俺ですよ」
「帰りたい」
「帰ろう」
「待ってください」
陽菜が言った。
陽菜は母親ではなく、女の子を見ていた。
「今すぐこのまま帰るのが怖いなら、先生に言ってください」
女の子は陽菜を見た。
陽菜は続けた。
「私が決めることじゃありません。でも、先生も、警察の人もいます。お母さんと一緒でも、一人でも、ちゃんと話を聞いてもらってください」
久瀬が怒鳴った。
「おい、何勝手に話進めてんだよ!」
久瀬が一歩踏み出す。
実際に足があるわけではない。
久瀬が立ち止まった。
「何だよ」
周囲の誰も、久瀬に触れていない。
誰も機材を壊していない。
スマホは落ち、画面は割れ、マイクは切れ、カメラは折れた。
人々の目が、陽菜へ向いた。
娘を見るな。
俺はそう思った。
陽菜はその視線の中に立っていた。
また、自分の言葉の後で何かが壊れた。そう思っている顔だった。
◇
警察が来た。
久瀬は最後まで騒いだ。
「俺の機材を誰かが壊した!」
「学校がやった!」
「生徒がやった!」
映っていたとしても、スマホが突然落ち、機材が勝手に壊れたようにしか見えないだろう。俺は映らない。手も映らない。悪霊は、いつも証拠にならない。
母親は警察に、顔を映さない約束だったこと、娘の相談に乗ってもらえると聞いて来たこと、学校へ直接押しかけるつもりではなかったこと、途中から怖くなったが久瀬が止めなかったことを話した。
小野寺と養護教諭が対応した。
陽菜は直接相談を受けなかった。
守られたはずだった。
母親が何度も「すみません」と頭を下げるところを。
女の子が母親の服を握ったまま、陽菜の方を見て、何か言いたそうにして、結局何も言えなかったところを。
陽菜が「私じゃありません」と言いかけて、言えなくなるところを。
久瀬が壊れた機材を抱えて、何度も後ろを振り返りながら警察に話を聞かれているところを。
誰も、久瀬に触っていない。
それでも、久瀬は止まった。
それでも、あの子の顔がこれ以上晒されることは止まった。
母親と娘がこれからどうなるのか、陽菜には分からない。
それでも、陽菜が出てきた後に、久瀬の機材は壊れた。
意味を見つけると、次は名前をつける。
威光。
教室へ戻る途中、誰かが小さく言った。
「本当に、見てるんだ」
言った生徒は、すぐに口を押さえた。
だが、言葉はもう出ていた。
本当に、見てる。
西野が隣にいる。
莉奈が少し後ろ。
結衣はスマホを構える生徒がいないか見張っている。
彩乃は泣きそうな顔で陽菜を見ていた。
陽菜は何も言わなかった。
だが、顔は真っ白だった。




