第23話 告げ口
翌朝も、神様は返事をしなかった。
学校は陽菜への直接相談を止め、下駄箱の前に案内を貼った。相談は教員へ。無断撮影は禁止。個人で判断しない。どれも正しい決まりだった。
だが、正面から来られなくなった子は、紙を莉奈へ渡し、校門の外で待った。陽菜を守るための線は、相談を消さず、別の通り道を作った。
その日の昼、吹奏楽部の相原芽衣が来た。先輩に撮られた動画を消してほしい、と泣きながら言った。
西野が廊下に立っていた。莉奈は少し離れたところにいて、先生に話せるかどうかだけ確認している。結衣は窓際からスマホを構える生徒がいないか見ている。彩乃は校門の外の様子を気にして、昼休みなのに何度か階段の方へ行った。
声をかける友達は、いないわけではなかった。
同じクラスの女子が「大丈夫?」と聞く。陽菜は「うん」と答える。そこから会話が続かない。相手も何を聞けばいいか分からない。普通の話をすればいいのに、普通の話題が見つからない。
天気。
小テスト。
先生の癖。
昨日のテレビ。
そういうものが、陽菜の周りだけ少し遠い。
昼休みの終わり際、教室の入口に小野寺が来た。
「阿久津」
陽菜が顔を上げる。
「保健室に行けるか」
教室の何人かが、また相談だと気づいた顔をした。
陽菜は弁当箱をしまい、立ち上がった。
西野も廊下から動こうとしたが、小野寺が首を振った。
「今回は先生がついている。西野は授業に戻りなさい」
「何の話ですか」
「一年生の生徒の件だ」
陽菜の顔が硬くなる。
「私じゃなくて、先生が聞いた方が」
「先生も聞く」
小野寺は言った。
「ただ、その子が阿久津に一言だけ謝りたいと言っている」
「謝る?」
「勝手に名前を出したことを、だそうだ」
陽菜は困惑したまま、小野寺についていった。
保健室には、一年の女子が座っていた。
名前は、相原芽衣。
小柄で、髪を低く結んでいる。制服の袖を両手で握り、ベッドのカーテンの影に半分隠れるように座っていた。隣には養護教諭がいる。
芽衣は陽菜を見ると、立ち上がろうとしてよろけた。
「座ってて」
芽衣はまた椅子に座った。
「すみません」
「勝手に、阿久津さんの名前を出して」
「何のこと?」
芽衣は膝の上を見た。
「部活で」
芽衣はクラリネットを吹いているらしい。入部したばかりの一年生。楽器の経験はあまりない。先輩たちに教わりながら、必死についていっていた。
その中の三年の女子が、芽衣を特に強く叱るようになった。
音が違う。
返事が小さい。
片付けが遅い。
休むなら代わりを探せ。
一年は先輩より先に帰るな。
部活ではよくあること。
そう言われれば、それで終わってしまう話だった。
「私、昨日、泣いてしまって」
芽衣は言った。
「それを、他の先輩に動画で撮られて」
陽菜の顔が変わる。
結衣がいたら、たぶんすぐに止めたはずだと思った。
「泣くなら神様に頼めば、って言われました」
芽衣の声が震える。
「阿久津さんのところに行けば何とかしてくれるんでしょって。だったら行ってこいって。私、そんなつもりじゃなかったんです。でも、行かないなら、泣いてる動画を部のグループに流すって言われて」
陽菜は息を呑んだ。
小野寺の顔も険しくなっていた。
「それで、私」
芽衣は両手を握りしめた。
「阿久津さんの名前を出しました。阿久津さんに言いますって。そしたら、先輩が笑って」
芽衣は顔を上げた。
「神様に告げ口かよって」
神様。
人をからかう時にも使われる。
脅す時にも使われる。
すがる時にも使われる。
陽菜の知らないところで、陽菜の名前と神様という言葉が結びつき始めている。
「私、違うって言ったんです」
芽衣は泣きそうな顔で続けた。
「阿久津さんはそんな人じゃないって。でも、じゃあ今日の放課後、阿久津さんの前で謝れって。できないなら、動画を出すって」
「動画は?」
小野寺が聞いた。
「先輩のスマホに」
「名前は」
芽衣がためらう。
陽菜はすぐに言った。
「言った方がいい」
芽衣は陽菜を見た。
「でも」
「怖いなら、先生に。私じゃなくて、先生に」
陽菜は言った。
「動画を撮るのも、脅すのも、おかしいから」
誰かを呪う言葉ではない。
罰を求める言葉でもない。
神様に告げる言葉でもない。
ただ、間違っていることを間違っていると言っただけだ。
芽衣は、それでも泣いた。
「阿久津さん」
「私は何もできない」
陽菜は先に言った。
「私に言っても、何も起きない。だから、先生に言おう。今、小野寺先生がいるから」
芽衣は小野寺を見た。
小野寺は頷いた。
「相原。名前を教えてくれるか」
芽衣はしばらく黙ったあと、三年の先輩の名前を言った。
黒川沙耶。
その名前を、俺は覚えた。




