第21話 管理
相談は、止まらなかった。
最初は、廊下の端に立つだけだった。
陽菜の教室の前まで来て、声をかける勇気が出ないまま、昼休みが終わるのを待つ。西野に見つかって「何かあるの」と聞かれ、首を振る。それでも帰らない。莉奈のノートに名前だけ書いて、次の日まで待つ。
目に見えるほど多くはない。
だが、学校という場所では、少しの偏りでも目立つ。誰が誰の机へ行った。誰が誰と廊下で話した。誰が昼休みにどこへ消えた。誰が泣いて戻ってきた。
「阿久津さんのところ、また誰か来てた」
「西野先輩が止めてた」
「莉奈が名前書いてたよ」
「長谷先輩、また撮影止めてた」
「和泉さん、最近ずっと阿久津さんと帰ってる」
その声は、小さかった。
けれど、小さい声ほど長く残る。誰も正面からは言わない。陽菜が近くを通れば黙る。西野が見れば目を逸らす。教師が来れば話題を変える。
教室では普通に授業を受ける。ノートも取る。小テストも出す。弁当も食べる。先生に呼ばれれば返事もする。見た目だけなら、学校生活を続けている。
でも、昼休みになると顔が固くなる。
放課後になると、鞄を持つ手に力が入る。
誰かが教室の入口に立つたび、肩が小さく動く。
「阿久津さん」
一年ではない。たぶん三年だ。制服の着方が少し崩れている。だが、ふざけている感じではなかった。目の下にうっすら隈がある。
陽菜が顔を上げる前に、西野が廊下の向こうから来た。
「ここで話さないで」
西野はもう、そう言うのに慣れていた。
「名前、書いた?」
「まだです」
「じゃあ莉奈のところに」
「でも、急ぎで」
「急ぎなら先生」
「先生には言えないんです」
「それでも、阿久津さんだけには言わない」
西野の言葉は正しい。
「阿久津さんなら、分かってくれるって聞いたんです」
陽菜は立ち上がりかけて、止まった。
その時、担任の小野寺が廊下へ出てきた。
「阿久津」
小野寺は、廊下にいる女子と西野を見てから、少し声を低くした。
「少し、職員室まで来られるか」
「私も行きます」
「西野は授業に戻りなさい」
「でも」
「阿久津を責める話じゃない」
小野寺はそう言った。
少なくとも、小野寺に害意はなかった。困っているだけだ。教師として、学校として、どう扱えばいいのか分からない顔をしていた。
職員室の隣にある小さな面談室で、陽菜は学年主任と小野寺、養護教諭の前に座らされた。
責められてはいなかった。
テーブルには紙が一枚置かれていた。印刷されたものだ。上には「生徒相談対応について」とある。
学年主任が言った。
「最近、阿久津さんのところに相談が集まっていることは、学校としても把握しています」
「……すみません」
「謝らなくていい」
小野寺がすぐに言った。
「阿久津が悪いことをしているとは思っていない」
「ただ、困っている生徒の話を、生徒だけで受けるのは危険です。内容によっては、学校や保護者、警察、専門機関が関わる必要がある。阿久津さん一人が抱えることではありません」
「はい」
「だから、これからは相談があったら、担任、学年主任、保健室、スクールカウンセラーへつないでください。君たちだけで判断しない。生徒同士で名簿のようなものを作ることもしない」
「名簿じゃないです」
その声は小さかったが、はっきりしていた。
「莉奈さんは、相談内容は書かないようにしてます。名前と、先生に言っていいかだけで」
「それでも、管理は学校がします」
「阿久津さんを守るためでもあります」
陽菜は黙った。
西野も言う。
彩乃も言う。
先生も言う。
陽菜を守るため。
「廊下に人が集まるのも、やめさせます。撮影や噂についても指導します」
小野寺が言った。
「阿久津は、普通に学校生活を送っていい。送らなきゃいけない」
普通に。
「私、何もしてません」
陽菜は言った。
「分かってる」
「分かってるよ」
「でも、みんな来るんです」
「だから、学校で止める」
「でも、困ってる人が」
止めてほしいのか。
来てほしくないのか。
でも、困っているなら見捨てたくないのか。
陽菜の中でも、答えが割れている。
学年主任は紙を陽菜の方へ滑らせた。
「これを、西野さんたちにも伝えてください。阿久津さん本人に直接相談しない。相談は学校の窓口へ。緊急の場合は教員へ。個人での対応は禁止」
陽菜は紙を見た。
何も間違っていない。
だから、怖い。
◇
その日の放課後、陽菜は西野たちに紙を見せた。
最初に口を開いたのは、莉奈だった。
「そうですよね」
「学校がやった方がいいです。私たちが持ってるのも、よくないと思ってました」
「じゃあ、ノートは」
「先生に渡します。相談内容は書いてないので、危ないものではないと思います。でも、これからは私が持たない方がいいです」
莉奈は真面目に言った。
その真面目さが、陽菜を安心させたように見えた。
「撮影を止めるのは、続けてもいいですか」
「それは先生に」
「でも、先生が来るまでに撮られます」
結衣の声は平坦だった。
「一回撮られたら、消せって言っても消えないです。送られたら終わりです」
結衣は、河合が写真やメッセージをどう使っていたかを知っている。宮原が自分から送った写真で脅されていたことも、学校の中で誰かの好意が弱みに変えられることも知っている。
彩乃は紙の端を見つめていた。
「帰り道は、どうしますか」
「それも、もう」
「私、別に大丈夫なので」
「阿久津さんが大丈夫でも、待ってる人がいます」
彩乃が言った。
「校門の外に」
陽菜が顔を上げる。
「外?」
「昨日、知らない人がいました。保護者っぽい人。阿久津さんのこと、見てました」
「いつ」
「放課後です。校門の反対側。車の近くに」
「何で言わなかったの」
「確信がなかったので。でも、今日もいたら言おうと思ってました」
陽菜の顔が青くなった。
学校の中だけではない。
小野寺たちの紙は、学校の中のルールだった。
廊下に集まらない。
生徒だけで相談を受けない。
先生へつなぐ。
撮影しない。
それは正しい。
「私、帰ります」
「今日はすぐ帰ります」
「一緒に行く」
西野が言った。
「私も」
彩乃も立った。
「途中まで同じなので」
「同じじゃないでしょ」
「今日は同じです」
陽菜は困った顔をした。
それでも、強く拒めなかった。




