第19話 列
二人目で、終わらなかった。
河合の記録に名前があった生徒、家庭のことを先生へ言えない生徒、部活の先輩に脅されている生徒。話は違っても、最初の言葉は似ていた。
「阿久津さんに聞いてほしい」
陽菜は、そのたびに「先生へつなぐ」と答えた。自分には何も起こせないとも言った。それでも、一人で職員室へ行けなかった子が、陽菜となら歩けた。学校の中では、それだけを言い、一緒に歩いてくれる人間が案外少なかった。
相談は一日で終わらなかった。翌日の昼休みには、陽菜が教室を出る前から廊下の端に人が立つようになった。
最初に形を作ったのは、西野だった。
陽菜が教室を出たところで、知らない生徒に囲まれた。三人いた。全員、違う学年に見えた。一人は目を伏せ、一人はスマホを握り、一人は泣く寸前の顔をしていた。
「阿久津さん、少しだけ」
「私も」
「先に来てたんですけど」
陽菜は一歩下がった。
誰も陽菜を襲おうとしているわけではない。害意はない。むしろすがっている。助けを求めている。だから俺は、何もできない。
その三人を引き剥がすことも、陽菜の前からどかすこともできない。
「一人ずつ」
その声は、教室前のざわめきを切った。
三人が西野を見る。
西野は少しも笑わなかった。
「ここで囲まないで。阿久津さんが困る」
「でも」
「困る」
西野はもう一度言った。
「話したいなら、先生に言う。阿久津さんだけに言わない。二人きりにもならない。廊下で囲まない」
陽菜は驚いたように西野を見た。
「西野先輩、そんな」
「必要だから」
西野は陽菜を見なかった。
「阿久津さんが嫌がってるから」
その一言で、三人の顔色が変わった。
嫌がっている。
その言葉は、初めて陽菜を人間に戻した。
嫌がる。
困る。
怖がる。
「ごめんなさい」
一人が言った。
「そんなつもりじゃ」
陽菜は慌てて首を振った。
「違う。責めてるわけじゃなくて」
「責めてない」
西野が言った。
「でも、順番は決める」
そこで初めて、廊下にいた別の女子が口を出した。
「じゃあ、名前だけ書いたらどうですか」
その子は、加瀬莉奈と名乗った。二年生。河合の件で呼び出された生徒の一人だった。紙の中に名前があったらしい。本人は、河合に直接何かをされたわけではないと言った。ただ、河合が自分の家庭のことまで知っていたと分かって、しばらく学校を休んでいた。
小柄で、声も大きくない。
「誰が来たか分からなくなると、阿久津さんも先生も困ると思います。名前と学年と、先生に言っていいかだけ、先に書いてもらうとか」
「先生に言っていい?」
西野が聞いた。
莉奈は頷いた。
「絶対に言いたくない人もいると思うので。でも、危ない話なら、先生に言うって最初に決めた方がいいです」
自分の知らないところで、自分の周りに手順ができようとしている。
「そんな、私」
「阿久津さんがやるんじゃないです」
莉奈はすぐに言った。
「私が書きます。話を聞くっていうより、交通整理だけです。嫌ならやめます」
嫌ならやめる。
そう言われると、陽菜は強く拒めない。
陽菜は困っていた。
そして実際、困っていた。
廊下で囲まれ、何を聞けばいいのかも分からず、誰を先生に連れていけばいいのかも分からず、足が止まっていた。
だから、莉奈が小さなノートを出した時、陽菜は止められなかった。
莉奈はノートの一ページ目に、丁寧な字で書いた。
名前。
学年。
今すぐ先生に言う必要があるか。
一人で帰るのが危ないか。
ただのメモだった。
紙に書かれた瞬間、流れは形になる。
「撮っていい?」
廊下の反対側で、男子がスマホを向けていた。
「阿久津さん相談会、始まってんじゃん」
陽菜の顔が強張る。
西野が一歩出るより先に、別の女子が動いた。
「撮らないで」
長谷結衣だった。
俺は名前を知らなかった。あとで聞いた。三年生。写真部ではないが、動画編集が得意で、文化祭の広報を手伝っていた生徒らしい。だからこそ、撮られることの怖さを知っていたのかもしれない。
結衣はノートをスマホの前に出した。
「相談してる人がいるんだから、撮らないで」
「は? 別に顔映してないし」
「映してる」
「何、こわ。信者?」
その言葉に、陽菜がびくりとした。
冗談だ。
揶揄だ。
からかいだ。
結衣は表情を変えなかった。
「消して」
「嫌だね」
陽菜を傷つけるというより、この場に集まった弱い子たちを笑いものにしたい害意。怖がっている人間を上から撮って、面白がりたい悪意。
今なら壊せる。
まだ早い。
この場でスマホを叩き落とせば、また陽菜が見られる。宮原の時と同じになる。阿久津さんの周りで、また何かが起きたと言われる。
俺は手を伸ばしかけて、止めた。
その代わり、結衣が動いた。
「先生、撮影してます」
廊下の先にいた教師へ向けて、結衣がはっきり言った。
「いや、してないって」
「さっき、こっち向けてました」
「してねえよ」
男子は舌打ちして、スマホをポケットへしまった。
壊さずに済んだ。
ただ、その日から結衣は、陽菜の周りでスマホを向ける人間を見るたびに止めるようになった。
「撮らないでください」
誰に頼まれたわけでもない。
だが、必要だった。
だから、役割になった。




