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『私は悪霊になり、娘はカルトになった』  作者: 根古野 惹句
第4章 列

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第18話 相談会

放課後を待たず、陽菜たちは学年主任と生活指導の教師に話した。


教師たちは、最初は半信半疑だった。無理もない。河合の件で学校全体が揺れている。新しい火種を増やしたくない。しかも脅迫している相手は不明。証拠は、宮原のスマホに来たメッセージだけ。


送信元は捨てアカウントだった。プロフィールもない。画像もない。文章は短い。


放課後、倉庫裏。

来なかったら、河合から預かった写真を出す。


生活指導の教師は言った。


「これは、すぐ警察に相談した方がいいかもしれない」


宮原は青ざめた。


「でも、写真が」


「まず学校で確認する。君は一人で行かない。絶対に」


教師の言葉は正しかった。


相手が本当に来るなら、放課後を待つ必要はない。脅す側は、待ち合わせ場所を確認する。証拠を隠す。逃げ道を作る。


部室棟の裏は、校舎から少し死角になっていた。古い倉庫が三つ並んでいる。体育祭の道具、文化祭の看板、壊れた机、使わなくなった部品。そういうものが詰め込まれている場所だ。


倉庫の前に、男がいた。


三年の男子だ。名前は知らない。だが、河合と一緒にいたところを見たことがある。河合の周りで笑っていた一人。河合ほど目立たない。河合ほど好かれてもいない。ただ、河合の近くにいることで少しだけ大きく見えていた種類の人間だ。


正規の鍵ではない。古い南京錠に、針金のようなものを差し込んでいる。手慣れている。初めてではない。


男は周囲を見た。誰もいないと分かると、倉庫の扉を開けた。


木製の棚。段ボール。古いマット。立てかけられたパネル。壊れたパイプ椅子。埃とカビの匂い。


そこには、黒いビニール袋があった。棚の奥、板と壁の隙間に押し込まれている。普通に見ただけでは気づけない。河合が隠したのか、この男が隠したのかは判断できない。


一つではない。


茶封筒。

白い封筒。

折りたたんだ紙。

古いスマホ。

小さなメモ帳。


俺は、それを見た瞬間、胸の奥が熱くなった。


まだだ。


「死んでも面倒くせえな、あいつ」


男は封筒を一つ開けた。中を見て、鼻で笑う。


「でも、使えるもん残してんじゃん」


こいつは、宮原を助けるためにここへ来たのではない。

証拠を処分するためでもない。

河合が残したものを、自分の道具として使うつもりで来た。


生きている人間の弱みを、死んだ人間から引き継ごうとしている。


俺は、棚を見た。


古い木の棚だった。腐りかけている。金具も緩んでいる。少し押せば、倒れるかもしれない。


宮原を助けたいだけなら、俺は何もできない。

陽菜を安心させたいだけなら、俺は何もできない。


壊したいと思った。


この棚を。

この隠し場所を。

この封筒を抱えて笑う男の逃げ道を。


重い。


だが、掴める。


佐伯を掴んだ時。

河合を殺した時。

俺は世界に触れた。


「は?」


男が立ち上がろうとする。遅い。棚の上段に積まれていた古い看板が滑り落ち、段ボールが崩れ、パイプ椅子が跳ねた。


「ぐあっ」


紙が床へ広がる。


写真。

名前。

学年。

部活。

短いメモ。

金額らしき数字。

誰と誰が仲がいいか。

誰の親が厳しいか。

誰が家に帰りたがらないか。

誰が先生に相談できないか。


好きです。

会いたいです。

先輩だけです。

誰にも言わないでください。


送った側の名前。

送った日付。

その時の相手の弱み。

あとでどう使えるか。


河合悠斗は、写真を集めていただけではなかった。


好意を集めていた。

孤独を集めていた。

誰かが誰かを好きだった時間まで、あとで脅しに使える形で残していた。


男は痛みに呻きながら、散らばった紙をかき集めようとした。


「くそ、何だよ、これ」


さらに奥から、古いスマホが滑り出た。


画面は点いていない。ロックもされている。俺には開けられない。開けることはできない。


だが、スマホには付箋が貼ってあった。


宮原。

西野。

真帆。

未送信あり。

使える順。


河合の字かどうかは確かめられない。


これは恋の記録ではない。


俺は、棚から落ちたパイプ椅子を弾いた。


椅子が床を滑り、男の手を打った。


「いっ、てえ!」


男が叫んだ。


陽菜もいた。

西野もいた。

宮原もいた。


倉庫の入り口で、生活指導の教師が立ち止まっていた。その後ろに学年主任。さらに後ろに陽菜たち。


男は床に座り込んだまま、顔をひきつらせる。


「いや、これは、違っ」


教師がすぐに男から封筒を取り上げた。生活指導の顔色が変わる。学年主任が宮原たちを下がらせる。誰かが職員室へ走る。誰かが警察という言葉を出す。


陽菜は、倉庫の入り口に立っていた。


宮原は泣いていた。


「……本当に、あった」


その声が、俺にはやけに大きく聞こえた。


宮原が、陽菜を見た。


「阿久津さん」


礼を言うな。


陽菜は何もしていない。

この子はただ、先生に言おうと言っただけだ。

一緒に行くと言っただけだ。

怖がる子を、見捨てなかっただけだ。


棚を倒したのも。

封筒を散らしたのも。

あの男の手を止めたのも。


「ありがとう」


宮原は泣きながら言った。


「阿久津さんに話して、よかった」


陽菜の顔が歪んだ。


「違う」


小さな声だった。


「違うよ。私は何も」


「でも」


宮原は涙を拭った。


「阿久津さんが、一緒に来てくれたから」


陽菜は一緒に来た。

教師に話した。

逃げなかった。


「……先生に言ったからだよ」


陽菜は、やっとそう言った。


「先生たちが来てくれたから」


「でも、阿久津さんが言ってくれたから」


宮原は同じことを言った。


陽菜は何もしていない。

陽菜は神ではない。


俺は、散らばった紙を見た。


ただ棚を壊しただけだ。

隠されていたものが外へ出ただけだ。

教師がそれを見つけただけだ。


それだけだ。


それだけなのに、陽菜を見る宮原の目には、もう別の光が宿っていた。


◇


その日のうちに、河合の件はさらに大きくなった。


学校は保護者へ連絡した。警察も来た。宮原は別室で話を聞かれた。西野も呼ばれた。あの三年の男子は、泣きながら自分は関係ないと言っていたが、倉庫の鍵を勝手に開け、封筒を持ち出そうとしていた時点で苦しかった。


河合が残したものは、教師たちの顔色を変えるには十分だった。


名前のリスト。

弱みのメモ。

金の貸し借りらしき記録。

連絡先。

部活名。

家庭環境。

誰が誰に相談しているか。


好きです。

会いたいです。

先輩だけです。

誰にも言わないでください。


学校という場所の中で、子どもが子どもを選別し、支配していた痕跡。


それを見た大人たちは、今さら深刻な顔をした。


いつも遅い。


だが、完全に遅すぎたわけではなかった。宮原はまだ生きている。西野もいる。名前のあった何人かは、これから呼ばれるだろう。助かる人間もいるかもしれない。


俺が壊したことで、誰かが助かる。


それは確かにある。


だが、そのたびに陽菜が見られる。


その日の夕方、職員室の入口に、河合の母親と姉らしい女性が来た。


二人は遺品を受け取りに来ただけだった。だが、廊下では生徒が立ち止まり、誰かが遠くからスマホを向けた。


「あの河合の家族」


姉は何も言わず、母親の前に立ってカメラを隠した。河合がしたことを知らなかった顔ではない。知っていても、弟の死と家族への晒しを同じものとは思えない顔だった。


俺は一瞬だけ見た。そして、陽菜の方へ戻った。


河合の周りで何が壊れ始めたかより、娘が次に誰から頼られるかを気にした。


見えなかったのではない。見ない方を選んだ。


夕方、陽菜は職員室前の廊下に座っていた。


西野が隣にいた。


宮原はまだ中にいる。事情を聞かれているのだろう。泣いてはいたが、さっきより呼吸は落ち着いていた。大人が動いた。それだけで、子どもは少し息ができる。


陽菜は膝の上で手を握っていた。


「私、何もしてないのに」


西野はしばらく黙っていた。


「うん」


「本当に、何もしてない」


「うん」


「先生に言おうって言っただけ」


「それは、した」


陽菜が西野を見る。


西野はまっすぐ前を見たまま言った。


「それは、したよ」


陽菜は何か言おうとして、やめた。


「阿久津さんが言わなかったら、宮原さん、一人で行ってたかもしれない」


「でも、証拠が出たのは、私じゃないです」


「それは分からない」


「分からないって何ですか」


「分からないよ」


西野の声は、優しいわけではなかった。だが、嘘はなかった。


「私だって、分からない。河合が死んで、助かった。助かったって思った。でも、それが何なのか、分からない」


陽菜の顔が強張る。


西野は続けた。


「阿久津さんがやったなんて思ってない。でも、阿久津さんの周りで何かが起きてるって思う人は、いると思う」


「やめてください」


陽菜の声が震えた。


「そういうの、やめてください」


「うん」


西野は頷いた。


「だから、私が止める」


「変なこと言う人がいたら、止める。近づいてくる人がいたら、止める。阿久津さん一人にしない」


「……そんなの、困ります」


「よくない」


「私、そんなふうにされるの嫌です」


「それでも」


西野は陽菜を見た。


「私は、助かったから」


ただ、消せない事実だった。


陽菜はそれを拒むことができない。


西野は河合から救われた。

宮原も、今日、少なくとも一人で倉庫へ行かずに済んだ。


救われた人がいる。


その事実が、陽菜の否定を少しずつ削っていく。


西日が差している。陽菜の髪の先が、少しだけ赤く見えた。


昔なら、俺はこういう時に言っただろう。


「帰りにプリンでも買って帰るか」


陽菜は呆れた顔をする。


「またそうやって甘いもの買えばいいと思ってる」


「父さんにできることは少ないんだよ」


そう言って、コンビニへ寄った。


それだけのことが、もうできない。


今の俺にできるのは、誰かを憎み、何かを壊すことだけだ。


その結果、誰かが救われる。


「阿久津さん」


廊下の向こうに、別の生徒が立っていた。


知らない女子だった。二年か三年かも分からない。制服の袖を握りしめ、職員室の前に座る陽菜を見ていた。


西野が立ち上がる。


「何?」


女子は西野に怯えたように一歩下がった。それでも、陽菜を見た。


「私も」


「私も、阿久津さんに聞いてほしいことがあります」


窓の外で、夕焼けが少しずつ濃くなっていく。


学校はいつも通りだった。

チャイムが鳴り、部活の声がして、先生が廊下を歩き、誰かが笑っている。


その普通の場所で、ひとつの列ができようとしていた。


最初の一人はもう来てしまった。


そして二人目が、今、陽菜の前に立っていた。

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