第一話 かつての仲間たちと、再び ②
半年前、無数の星々――『異世界』が空に現れてから二つの異変が起こるようになった。
一つは出現した異世界が定期的に地上へ落下すること。
もう一つは、小説の中のキャラクターが現実世界に顕現することである。
異世界の獣や魔物、魔人など、物語に描かれるように地球側に出てきて人々に害を為した。だが、まるでそれを防ぐためにこの世界に現れた『顕現者』が知恵と力を貸してくれたおかげで、ある程度の平和は保たれている。
とはいえ、未だに事態の収集の目処は立っておらず、事が起こってから対処することしかできないため限界がある。そこで国は『顕現者』を増やそうと小説家の育成に力を入れ始め、多くの作家が誕生した。春もその計画によって作家デビューしたうちの一人である。
一年も経たずして九巻を刊行できてしまうほどの執筆スピードを誇ること。そして、四巻ぐらい刊行してようやくキャラクターを顕現させられる他の作家と違い、作家になる前の趣味で書いていた原稿からヒロインを顕現させたとあって、この世界を守るべく異世界より帰還した『選ばれし勇者』なのではないかと大いに期待されていた。
なのだが……
「駄目だぁー! 全然書けない! もう二ヶ月も進んでないよ!」
昼休みの空き教室で春は頭を掻き毟っていた。目の前にはノートパソコンが置かれており、エディタソフトが立ち上げられているのだが、画面には一文字も打ち込まれていない。
「はぁ……次々にキャラを顕現させてる作家さんたちって、ほとんど詰まることなく物語を完結できるんだって。しかも大抵の場合、完結までに冒険仲間全員を顕現させられるらしいんだ。僕はその人たちと何が違うのかな? 何か描写間違ってる?」
窓の外に向かって訊ねると、泳ぐかのように宙を舞って鳥たちを追いかけ回していたハルアが部屋にするりと飛び込んできた。
「んーっとね、完璧も完璧だと思うよ。世界観も人物像もエピソードも間違いなんて一つもないし、それどころか春の熱い思いが伝わってくるからすっごく好き!」
「面と向かって言われると恥ずかしいな……でもさ、君が現れてから半年間、他の仲間が顕現する兆しすらないなんておかしいと思うんだよ。だからどこかが間違ってるはずなんだ。間違った描写があると顕現しないってことは判明してるんだから」
「うーん、刊行したものは全部読んでるけど、それらしいものはなかったと思うよ?」
「レイスターの鎧を真珠に例えたの、何か違う気がするんだ。あとバルドがレイスターを機械仕掛けの武器で打ち倒したっていうのも、何だかしっくりこないんだよね。ニャオは褐色肌で銀毛の獣人ってことだけど、猫みたいな耳って表現で正しいのか不安だな」
「もう、全部合ってるってば。レイスターの鎧は精霊の化石で造られていて絶対に穢れないし、バルドはレイスターとの決闘に勝ったの。ニャオの耳はまさに猫みたいだったよ」
「あ、そうだ、ハルアがこうして宙を浮けるようになったエピソードを書いてないな!」
「私が飛べるようになったのは冒険が終わった後って言ったじゃない」
「ああ、そうだった……ニャオの知り合いに風の操り方を教えてもらったんだっけ……」
「こうしてふわふわ浮くの、すっごく楽しいよ。歩くのが馬鹿らしくなるくらいに」
「その呑気な性格、変わらないなぁ……出会った頃から今までずっと」
そう言って春が思い出すのは《エルピスガイア》一巻の冒頭部分だ。
世界は魔大陸ツヴァイフルグの魔法使いたちが召喚した凶悪な悪魔に脅かされており、ハルアは異世界より戦士を呼び出す力を持つがために戦う宿命にあった。それだけに召喚した戦士に寄せる期待は高かったはずである。
しかし現れた春が何の力も持たないと知った時、彼女はこう言った。
「ええ!? ほんとに何の力もないの? うーん……まあいいや! こっちの都合で無理やり戦わせるの、すごく気が引けてたんだよね。ということで、お友達になりましょう! ようこそ私たちの世界へ! 仲良くしてくれたら嬉しいな!」
その後、戦禍は容赦なく彼女の身に降り注ぎ、覚悟を決める間もなく辛い戦いに身を投じなければならなくなったのだが、旅の間もその純粋さは失われることはなかった。
しかし、最後の戦いの後どうなったかはやはり思い出せない。
「ねえ春、どこかに遊びに行こ? 気分転換しようよ」
「そうもいかないよ。一応これ仕事だし、異世界冒険者の使命でもあるんだから」
「そんなに悩んでたら頭から煙が出ちゃうよ?」
「もう出てるよ。燃え上がってるくらいだ。実際熱っぽかったりする」
「冒険してた時もよく頭使い過ぎて熱出してたよね。あのモンスターはどうやって倒せばいいんだろう、とか、あの砦をどうやって攻略しよう、とか」
そこでハルアは「そうだ!」と手を叩いた。
「そういうことなら、私に任せて! 【この手に、精霊王の杖!】」
呪文を唱えて頭上に右手を掲げた途端、彼女の周囲に赤と青、黄色と緑色の粒子が発生する。火と水、風と大地の属性を表すそれらの粒子は渦を巻いて彼女の手の中に集まり、彼女の髪の色と同じ桜色の杖となった。
「ハ、ハルア? 何をするつもりなの?」
慌てて訊ねると彼女はにこりと笑い、「【水霊の力よ!」と叫んだ。
何が起こるか察した春は、すぐさまパソコンに覆い被さる。直後、バシャア、と夏のプールなら心地良く聞こえるだろう音が響き、頭からずぶ濡れになった。ハルアの杖の先から噴き出した小さな水球が頭上より降り注いだのだ。
「ちょっとハルア! これはやり過ぎだよ! パソコンが壊れたらどうするんだ!」
「春がちゃんと守るって信じてたから大丈夫、大丈夫! それより頭さっぱりした? これで少しは効率良くなるんじゃないかな?」
「その気遣いには感謝するけど、もうちょっと上手くできなかったの? まだ授業残ってるのに、こんな状態じゃ――」
言いながら制服に触れると、不思議なことにほんのりと暖かく、すでに乾き切っていた。
何事だと驚いていると、「今日も今日とて騒がしいな」と入り口から声が聞こえてくる。
同級生であり、同じ異世界冒険者で作家仲間でもある相馬海斗が人差し指に小さな炎を灯して立っていた。
「これ相馬君の魔法のおかげか。ありがと、おかげでジャージを借りずに済んだよ」
「こんな室内で水の魔法使わせるなんて、どんだけハルアちゃんを怒らせたんだよ。こっちの世界で再会できたのは奇跡なんだから、もっと大事にしてやったらどうだ」
相馬がそう言うと、「いいよいいよ、マイシロ先生! 春にもっと言ってやって!」とハルアは嬉々とした様子で声を上げた。が、その声は春にしか聞こえていない。
「今ハルアが『もっと労わってあげて。春は疲れてるの』って言ってるよ」
「あーっ、春の嘘吐き! 嘘吐きは盗賊の始まりなんだよ!?」
「はいはい、そうだね。それで相馬君、何か用があったんじゃ?」
頬を膨らませるハルアを放って相馬に訊ねると、彼は思い出したように口を開いた。
「お前がスランプこじらせてるって聞いたから、何か力になれないかと思ったんだ。でも、先輩作家の守屋先生に助言なんて傲慢だったかもな」
「そんなことないよ。むしろ土下座して助言を求めたいぐらいだ……」
「そ、そんなにか。しかし妙な話だな。不完全とはいえ一人顕現させてるんだから、異世界の記憶を多少なりとも思い出せるはずだろ? なのに断片すら浮かばないなんてなぁ」
「何と言うか……頑丈な鉄製の扉にぶち当たったって感じなんだ。扉には鍵がかかっているんだけど、鍵はどこにも見当たらなくて……相馬君はそういう感覚なかった?」
「俺はないな。小説を書いてると、ふとした瞬間に頭の奥から記憶が浮かんでくるんだ。この戦闘の描写はこれであってたかな、ぐらいの悩みはあったけど」
「ふぅむ、その程度なのか……ちなみに、その悩みはどうやって解消したの?」
「実際に戦いに参加してきたのさ。東つぼみ先生のパーティに入れてもらってな」
「ああ、《今日からスライム生活!!》の」
「春も戦闘に参加してみたらどうだ? 生の戦闘の緊張感はいい刺激になるぞ。何なら俺たちのパーティのサポートに来てくれよ。今日この後、昨日降ってきた《レベルMAXから始めるリアルRPG》の世界に蓮魔先生の応援として向かうんだ」
「うーん、どうしよう……さすがに急だなぁ」
「実は俺、ずっとお前と一緒に戦ってみたいと思ってたんだ。異世界で目覚めたお前のチート能力、実際どれほどすごいものなのか見てみたいんだよ。それに一人の《エルピスガイア》ファンとして、ハルアちゃんと一緒に戦ってみたいっていう気持ちもある」
「と、相馬君は言ってるけど、どうする、ハルア?」
顔を向けると、彼女はいたずらを思いついた子供のような輝く眼差しで見返してきた。
「もちろん行くに決まってるよ! これは良い機会だよ、春!」
「良い機会? 何の?」
「私たち、影でずっと役立たずって言われてきたじゃない。仲間を全然顕現させられないし、私たち二人とも後方支援だからろくに戦えないし、全然選ばれし勇者じゃないじゃんって。これはそんな人たちを見返すチャンスだよ!」
「え、待って、そんなにボロクソ言われてたの? 一体どこで聞いたのさ?」
「インターネット。匿名をいいことに色んな人たちが私たちのこと馬鹿にしてるんだよ」
春はショックのあまり呆然としてしまうが、「そんなの悔しいじゃん! 私たち、向こうの世界で結構頑張って戦ったのに!」とハルアは怒りを露わにしている。
「……そうだね、世界を股にかけて戦った身としてこれほど悔しいことはないな」
「でしょ!? だからここで私たちがすごく役に立つってこと、見せつけようよ!」
「あ、ああ、そうだね! 言われっぱなしなのは悔しいしね!」
言い合っていると、「何話してるか分からないが、来てくれるってことでオーケー?」と相馬が訊ねてきた。
「ああ、行くよ! 僕たちの力、見せつけてやろう!」
春はハルアと頷き合い、「春、頑張ろうね!」「ああ、やってやろう!」と強く意気込んだ。
しかし――




