22話「新生活」
申請書を差し出すと、琥珀さんはそれを丁寧に受け取り、
書面に軽く視線を落としてから、柔らかく目を細めた。
「……ありがとう、詩遠くん。ようこそ、水蓮ギルドへ」
その声は穏やかで、
でもどこか、ずっと前から決まっていたことのように自然だった。
その微笑みにほっとしたのも束の間、
琥珀さんはすっと立ち上がると、軽やかに言葉を続けた。
「ところで──」
「うちのギルドには、ハンター専用の寮があるんだけど、どうかな?」
「寮……ですか?」
思わず反射で聞き返すと、
琥珀さんは指を一度立てて、優しく説明してくれる。
「うん。所属ハンターは、希望すれば全員“水蓮寮”に住むことができる。もちろん家賃はタダ。
ギルドの食堂も使えるし、各階には訓練室、研究施設、装備の整備室……全部、君たちのためにあるよ」
(……え?)
聞けば聞くほど、その“寮”のスケールが常軌を逸していた。
トレーニングルームには実戦シミュレーター。
研究階ではスキル解析から薬品調合まで可能。
防具や武器のカスタマイズも受けられる専用工房。
そして──ギルド直営の食堂。あの油淋鶏の味が、日常的に食べられるというのか。
琥珀さんは、言葉を締めくくるように、首をかしげて優しく尋ねた。
「どうする? 希望すれば、今日からでも部屋は用意できるよ」
一瞬の沈黙。
僕は──考える間もなく、即答していた。
「……住みます」
「ふふ、そう言うと思った」
嬉しそうに微笑んだ琥珀さんの顔が、
なぜかほんの少しだけ、悪戯っぽく見えた。
「そしたら、この後どうする?親御さんに一度ご挨拶しに帰る?」
琥珀さんの何気ない一言に──
僕は手を止めた。
「……いえ、彼らは僕がいなくなっても気づかないので」
一瞬、空気が止まった。
琥珀さんの表情は変わらなかった。
笑顔のまま、何も言わない。
(……高校生が一人暮らしするのに親に言わないのは、普通ならもっと聞かれるのに……きっともう調べて知ってたんだろうな)
気まずさが胸の奥にじわっと広がった僕は、
意識的に話題を変えようとした。
「あ、そういえば……っ!」
「食堂も利用できるってことは、さっきの油淋鶏が毎日食べられるってことですか!?」
その言葉に、琥珀さんは小さく吹き出した。
「ふふ……あれはね、うちの“エース”が作ったものなんだ」
「えっ……」
あまりにも衝撃的な事実に、僕は琥珀さんの顔を二度見した。
「ええっ!?あの完璧な油淋鶏を!?
エースが料理担当なんですか!?」
「料理担当じゃないよ。たまたま彼の故郷の料理だったから、他の人には作らせたくないって買って出てきてくれたんだよ」
(……わざわざ水蓮ギルドのエースが、俺のために……くっ………)
興奮と感動で胸がいっぱいになる中、
ふと、毎朝見ているハンターニュースの映像が脳裏に浮かんだ。
「あれ……? 水蓮ギルドのエースって……」
「もしかして!!!……あの、“炎撃の暴王”の──龍炎ですか!?」
「ああ、うん、そうだね。彼には現場でもかなり活躍してもらってるから、知ってる人は多いかもしれないね」
あっさりと答える琥珀さんに対して、僕のテンションは天井を突き抜けていた。
「いやいやいや! ハンター志望なら、彼に憧れない人なんていない程ですよ!!」
「燃え盛る業火の炎の中を突っ切るような突撃、
小柄なのに身長の倍以上ある大剣を振り回しながら、機動力まで超一流なんて──僕、何度もテレビで見て憧れててっ……」
熱量が止まらなかった。
まるで子供がヒーローの話をしてるみたいに、僕は語っていた。
そんな僕を見ながら、琥珀さんはふっと微笑む。
「ふふ、妬いちゃうな」
どこか楽しそうに琥珀さんは軽く笑った。
「龍炎も、ここの寮に住んでるから──いずれ会うと思うよ」
その一言に、僕の胸が一気に高鳴った。
(本物の、龍炎に……会える……!)
考えるだけで心臓が騒がしくなる。
テレビ越しの存在が、いま“同じ屋根の下”にいるという事実。
(まぁ、今目の前にいる人の方がもっと凄いんだけど……)
「君はまだ新人ハンターだから、直属の上司を一人つけるよ。
明日、また改めて紹介するね」
「は、はい!」
「今日は色々と疲れたと思うから、この部屋でゆっくり休んでいって。
明日、寮の案内をしよう」
「……ありがとうございます」
琥珀さんは微笑んだまま、
部屋のドアをそっと開けて、静かに出ていった。
「おやすみ、詩遠くん」
「……おやすみなさい」
扉が閉まる音が“カチリ”と響いたあと、
部屋に静けさが戻った。
「………………うわぁ……」
僕はため息とも、感嘆ともつかない声を漏らしながら、
ベッドに身体を預けた。
(なんか……改めて考えると……)
ダンジョンで死にかけて、邪神と契約して、
スキルを得て、初ダンジョンに挑んで、
水蓮ギルドにスカウトされて──
(……すごいことだらけ、すぎる……)
つい数日前までは、
ただの“無能扱いされてた高校生”だったのに。
「上手く行きすぎて……ちょっと怖いな……」
でも──
今だけは、怖さよりもこれからの期待が勝っていた。
僕は毛布を顔まで引き寄せ、
ふかふかの布団にすっぽりと身を沈める。
(……明日からはもっとすごいことが待ってる……)
「……一先ず今日はもう寝よ……」
目を閉じる。
しん……と静まり返る水蓮ギルドの高層寮の一室で、
僕は深い眠りに落ちていった。
──明日から、また新しい物語が始まる。
どんな運命が待っていようとも、もう後戻りはできない。
でも──それでも。
(……僕は、ここで生きていくん




