21話「水蓮ギルド」
食欲に勝てなかった。
いや──もはや戦ってすらいなかった。
僕は油淋鶏に夢中で箸を動かし続けていた。
「……あむ……」
その間、隣にいる連水 琥珀さんは──何も言わず、ただ黙っていた。
ただ静かに、ベッド脇の椅子に腰を下ろして、
足を組んだままこちらを眺めていた。
時折、息をするように静かに瞬きし、
目を細め、ゆっくりと笑う。
けれど──一言も発しない。
会話も、指摘も、問いかけも、まったくない。
ただ“僕が食べ終えるまで”の時間を、
まるで茶会でも楽しむように、品よく待っていた。
──もういいや。
(うん……うまいし……まあいいか……)
気づけば、僕はもう、連水さんのことを“気にしていなかった”。
この部屋に来た経緯も、車内でのやり取りも、
邪眼を跳ね返された記憶すら──いまは不思議と、遠くに感じる。
「はぁー!ごちそうさまでした!」
最後のひと口を食べ終え、そう呟いた瞬間──
「ふふ。満足してもらえて何より」
琥珀さんはようやく声を発した。
優雅な声色は変わらず、
まるでここまでの全てが“食事を味わってもらう前提”だったかのように自然だった。
僕は、ベッドの上で姿勢を正しながら、ふっと息を吐いた。
油淋鶏の余韻を口の中で楽しみながら、
僕は備え付けの白い布ナプキンで口元をぬぐった。
しっかりとした刺繍の入った布。
さすがに高級なだけある──なんて一瞬思ったけど、それももうどうでもいい。
「……それで」
僕は顔を上げて、じっと連水 琥珀を見た。
「僕になにか用があって、こんなことをしたんですよね?」
琥珀さんは笑ったまま、目を細めた。
僕はもう、吹っ切れていた。
高級な部屋。
僕の大好物を完璧に仕上げた料理。
そして、黙って見つめてくる美しい人。
(こんな丁寧に手をかけて、気まぐれでしたなんて言われたら逆に怖いし……)
(これ以上避け続けても死ぬまで追っかけてきそうだし)
僕がそう言うと、琥珀さんはほんの少しだけ──視線を逸らす素振りを見せた。
まるで、“ふむ”と心の中で呟いて何かを整理しているように。
そして──
ゆっくりと僕に視線を戻して、
美しい、いつも通りの“完璧な笑み”を浮かべながら言った。
「──うちのギルドに、入らない?」
「……」
「………………ん?」
一瞬、何を言われたのか理解が追いつかなかった。
耳ではたしかに聞こえた。
でもそれが意味として脳に届くまで、明らかに数秒かかった。
(ギルド……? え? 水蓮ギルド?)
「え、あの、ギルドって……?」
「もちろん“水蓮”のことだよ」
さらりと返されるその声色は、まるで“今夜のデザートはプリンだよ”くらいのテンションだった。
けれど僕にとっては、あまりに現実離れした言葉だった。
「……は?」
反射的にそう返していた。
聞き間違いじゃない。
目の前の連水 琥珀は、今たしかに僕を──水蓮ギルドに誘った。
──水蓮ギルド。
それは、ハンターなら誰もが憧れる、
トップクラスの“実力主義ギルド”。
メンバーの全員が、ギルドに所属する以前から各地で名を馳せていて、
ただそこに「いるだけ」で注目されるような華を持った人間ばかり。
外見、実力、存在感──
その全てが洗練されていて、どこにいても「特別」だと分かる。
もちろん、入るのは簡単じゃない。
水蓮ギルドの入団試験は、国内でも屈指の難易度。
書類審査すら通過できるのは、協会の推薦があるか、
またはすでにS級やA級のハンターとして活躍している者ばかり。
“選ばれし者しか入れないギルド”──それが水蓮。
(……そんな場所に、僕を……?)
驚きすぎて、思考が止まっていた。
僕はハンターになったばかり。
スキルの制御もろくにできない。戦闘だって、まだ他人に守られてばかりだった。
「え、あの……お宅の…水蓮、ですよね……?」
「そうだよ。うちの“本部”に今、君はいるわけだし」
にこやかに言いながら、
琥珀さんはすっと指先で空中をなぞる。
その動きすら品があって、意味もなく美しい。
(なんでそんなことを……僕なんかに……?)
そして──
その混乱を見透かすように、琥珀さんはこう付け加えた。
「僕こう見えて貪欲でね。君に興味があるんだ」
「いやいやいやいやっ!!」
僕は思わず手をぶんぶん振った。
「僕、まだスキル発現したばかりで!
一昨日やっとハンター登録したレベルですし!
その、水蓮ギルドの人たちみたいに華も……ありませんよっ……」
思わず語尾がしぼんでしまったのは、
目の前の連水 琥珀が、笑み一つ崩さず、
じっと僕を見つめていたからだ。
「……」
何も言わないのに、否定されている気がしなかった。
むしろ、何もかも“織り込み済み”のような眼差しだった。
「大丈夫」
やがて、静かに言葉が返ってくる。
「ここに居るのは、“僕が欲しい”と思った人だけだからね」
その声に、力みはない。
でも──明らかに、王者の自信があった。
「見た目や経験なんて、意味ないんだよ」
その言葉は、まるで“選ばれた証”みたいで。
背筋をそっと撫でるような感覚が走った。
(……本当に、僕を……?)
信じられなかった。
でも──どこかで、
“そう言ってほしかった”自分もいた。
「君も、気づいてると思うけど」
琥珀さんは、視線を外すことなく言った。
「君の情報は、すでに全部知ってるよ」
「う……やっぱりですよね……」
あの油淋鶏の時点で、もはや何も言えなかった。
でも、琥珀さんはさらに続けた。
「──だけど。なぜか君には、まだたくさん“隠していること”がある気がしてね」
「……」
「僕は、出会う前から君に惹かれていたんだ」
どこまでも穏やかで、
どこまでも真っ直ぐな声だった。
そして──彼は、懐から一枚の紙を取り出して僕の前に差し出した。
白地に銀の文字で印刷された、美しい様式の申請書。
水蓮ギルド所属申請書。
見た瞬間に、胸がドクンと跳ねた。
(……ここに入れば──)
水蓮ギルド。
最高の環境。
討伐のチャンス、情報へのアクセス、スキルの実戦機会。
それはつまり、
──“邪神の目的”に、近づくことでもある。
僕自身の力の成長にも、絶対につながる。
(……でも)
迷いは、あった。
あのS級ダンジョンの記憶。
まだ語っていない真実。
この“静かすぎるギルド”に、自分が馴染めるのか──
でも、同時に。
(……選ばれた、んだ)
この人の手で。
この“王者の微笑”に。
それなら──
「……僕で、よければ」
僕は、胸に手を置きながら、静かに言った。
連水 琥珀の視線が、さらに細く柔らかくなる。
僕はペンを取り、
名前の欄にそっと──けれど確かな筆圧で、記した。
一ノ瀬 詩遠。
──その瞬間、僕は“憧れ”のギルドに、正式に足を踏み入れた。




